第31話 勇気を

 昼前、エディは目覚める。シャーロットはすでにいない。昨夜のことを思い出して若干赤面し、部屋を出た。


「おはよう」


 シャーロットと交わした会話はそれだけだった。


 リナとお喋りしながら二人で昼食を食べ、エディは帰ることになった。 


「リナさん、しつこいかもしれませんが、もう一度言っておきます。俺は、俺たちはあなたのために全力を尽くす。それがどんな願いであれ」


「ありがとうございます。いつかお力を貸して頂くかもしれません」


 エディは唇を噛んだ。そもそもこんな被害を未然に防ぐのが勇者の役割だ。十五年後に現れたって遅すぎる。


 しかし、リナが見せたシャーロットへの愛情を"こんな被害"と表現するのもはばかられた。彼女はこの人生を受け入れているのだから。


 ゆえに――


「ごめんなさい」


 ただ謝る。今のエディにできることはこれだけだ。


 同時に疑念は消えない。リナは泣く自由さえ奪われて、今も本心を押し殺して笑顔を作っているのではないかと。


 だが疑念を行動に移せるほど、リナの感情は薄ぺらではない。エディには、彼女が本心からここにいることを望んでいるように見えた。だから今は直感を信じる。


 リナはメイドらしい微笑みを絶やさずに言う。


「またいらしてください。故郷の味だと喜んでもらえるのは初めてで、とても嬉しいことでした。まだまだレパートリーはあります。――お嬢様も喜びますし」


 彼女に見送られてエディは屋敷を出た。行きと同じ赤いコウモリに導かれて、寮までの道をたどる。



▼△▼



 寮に戻ったエディは、ミミに連れ出されて学園敷地内をゆっくりと歩いている。特に目的も意味もないただの散歩だ。


 すでに秘密を打ち明けてしまった彼女との時間はエディにとって心安らぐものだった。魔族とともにいるときは緊張が絶えないが、ミミは違う。自分を偽る必要がないのだ。二人きりでいるとここが魔の都のど真ん中だと忘れそうになる。


「わたし、いつか……お母さんの故郷に行ってみたいんです」


 ミミは弾んだような声で語る。


「お母さんはいつもその場所の話をしてくれたから」


「へえ、どこなんだ?」


「アスラロレンってお母さんは言ってました。でも魔族の地図にはそんな場所なくて、リリムスくんなら知ってるかなって」


 アスラロレン。


 もちろんエディは知っている。そこは人族と魔族が何度も奪い合っている土地の、人族側の呼び名だ。


 そして今は――人族側の領域である。


 最前線に近いということもあり非常に厳しい検問が敷かれている。猫耳があるミミが入ることは不可能だ。


「ああ、知ってるよ……」


 ミミは無垢な目を輝かせる。


「行ったことはありますか? どんな場所でした?」


 人族側からはアスラロレン。

 魔族側からはアスレンダル。


 アスレンダルと言えばミミはすぐに理解して笑顔を曇らせるだろう。


 だからエディには言えなかった。


「しばらく滞在したこともある。素敵なところだったよ。美食の街って有名なんだ」


「わあ、いいなあ……」


 胸がチクリと痛む。再び戦争が起こり魔族がアスレンダルを取り返すまで、ミミは立ち入ることはできない。そして魔族が取り返した後に残るのは瓦礫のみだろう。ミミの母が語った情景は消え去っている。


 真実を教えるべきだろうか。


 しかしエディはもうこの少女の泣き顔を見たくはなかった。


「いつか……行ける日が来るといいな」


「はいっ」


 ミミは手の甲をエディの手の甲とぶつけて、困ったような恥ずかしいような笑みを作る。


「人族の土地でも、猫耳さえ隠してたらどうにかなると思うんです。だから、いつか……」


 その予想は正しい。もっと内地であればそれで誤魔化せる。しかし最前線の街はだめだ。


 ミミはいくらかの緊張を孕んだ面持ちでエディを横目にちらりと見た。


「いつか、リリムスくんに連れて行って貰いたいなって……」


「俺に?」


 エディはきょとんとした顔になる。


 そんな誘いを受けるのは人生で初めてかもしれない。ずっと忙しい日々を送ってきたのだから。


「それは、二人で旅行ってこと?」


 ミミの顔は火がついたように赤くなり、体の前で手を振って否定する。


「特に深い意味はないんですけど、二人きりで旅行っていうわけじゃなくて、いや結果的にはそうなるかもですけど、はしたない意味はないです!」


「ははは」


 エディは唇の片方だけを持ち上げて歪んだ笑みを作る。


「どうして旅行ってだけではしたない・・・・・に繋がるんだ?」


「あ、あの、それは……」


 ミミは湯気を出しそうなほど真っ赤になった。それを見てエディはからからと笑う。


「いいよ、行こう。でもこれ任務が終わったらだな。休みを申請してみるけどどうせ通らないから、無断休暇だ」


 エディは決めた。ミミが望むなら密入国でもなんでもしてやる。上司が協力してくれればやりようはあるかもしれない。してくれなくともやってみよう。


 あるいはいつか――


 ミミが顔をパタパタ扇きながら不安そうに眉を寄せる。


「もしかして、忙しいんでしょうか?」


「いいや。むしろ休暇が余って仕方がないから、ぜひぜひ使ってほしい。一緒に行こう」


「ありがとう……」


 ミミは唐突に足を止めた。


 エディも一拍遅れて立ち止まる。


「ミミ?」


「あの……」


 ミミは手と手を忙しなく動かし猫耳も忙しなく動かして、落ち着かない様子で俯いている。


「ん?」


「ちょっと、話を、聞いてくれますか……?」


 その途切れ途切れな声と伏せられた眼差しに、エディはミミと初めて話した時のことを思い出した。違うのは淡いピンクに染まる頬だけ。


「なんだろう」


「あの……その……」


 ミミは視線を何度もエディの顎あたりと足元あたりで往復させながら、口を閉じたり開いたりを繰り返す。


 エディは黙って待った。


 彼女はついに視線をあげ、潤んだ青色の瞳でエディを真っ直ぐに見つめる。


「わたし……わたし――ッ!」


「…………」


 エディは朴念仁ではない。ミミが何を言いたいのか、そして何を求めているのかすぐに悟った。


 しかし――エディから動きを起こすつもりもなかった。この学園には学生として来たのではないのだ。


 長く長く沈黙が続く。


 ただただ待つエディの変わらない表情を前にしてミミは――


「おーい! お二人さん!」


 もどかしくなる静寂を破ったのはファングの声だった。振り返ると、テナン、ファング、バーン、そして彼の角を支えにして額に立つドーピーが歩いてきていた。


「街に出て飯を食いに行こうぜ! バーンの親戚の店でタダで食えるらしい!」


「小人の胃袋を舐めてる大バカ者の店をすっからかんにしてやるわよ!」


 ミミは頬を緩めた。そしてエディにだけ聞こえる声で囁く。


「……まだ言葉にする勇気が出ませんでした。たくさんもらったはずなのに」


「…………」


「いつか勇気が得られたその日に、もう一度チャンスをくれますか?」


 ミミは小さくはにかむ。


 その日が来たらエディはどんな答えを返すのだろう。エディ自身にもわからない。任務中とはいえ真摯に向き合う必要があるだろう。


 でもまだその日ではないらしい。


「うん。いつでも待ってる」


 ミミは満開の笑顔を咲かせた。


「ありがとう。――わたしの勇者様」




二章

The cat girl wants to be a brave.

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