第25話 闘牛


 陰から現れたのはムーガンだった。


 エディは息を呑んだ。


「あんたが……リースウォーカーを消しかけたのか?」


 ムーガンは首をコキコキと鳴らした。


「そうだ。幼体をさらい、そこの”醜い子”に罪を被せた。そいつも会話ができるのは予想外だったがな」


 シャーロットが鋭く吐き捨てる。


「キッモ」


 ムーガンは陰湿な笑みを深くした。


「ドーガリアを何度も消しかけたのもオレだ。”醜い子”をいじめて半殺しにしてやれと吹き込んだ。リリムスのせいで失敗してむしろ返り討ちだったが。オレが二度も都合よく現れたことに違和感を感じなかったか?」


 ミミは口を手で覆い、エディは半歩前に出て彼女を背中に隠した。


 ムーガンはなお続ける。


「インプに命令して”醜い子”をステージ上に引っ張り上げたのもオレ。恥をかかせてやるつもりでな」


 エディは問うた。心底理解ができなかったのだ。


「なぜ、そんなことをする?」


 優しい方に分類される教師という印象を持っていた。この告白はあまりにもそれと乖離している。


 ムーガンは大きな鼻の穴からふんすと荒い息を吹き出す。


「”醜い子”はここにいるべきではない。だが、強いなら許せる。将来優秀な兵士となって戦争で活躍するのであれば見逃してやれる。しかしそいつは――」


 ムーガンが殺意を叩きつけ、ミミは腰を抜かしてへたり込んだ。


「ザコだ。無能だ。何もできないものにはこの学校にいる資格はない。だから退学させるつもりだった」


「違う!」


 エディは叫ぶ。


「戦えない人が戦わなくてすむために、戦士は前線に行くんだろ。ミミみたいな子が傷付かないように命をかけてるんだ」


「戦えないものに価値はない。等しく無能だ。死んでしまえ」


「――ッふざけんじゃねえ!」


 エディは悟った。こいつは決して相容れない存在だ。同じ天を戴いて生きていくことはできないらしい。


 ムーガンは腕を大きく回し、エディの睨みをなんともないと受け流した。


「いつか理解できるときが来る。お前は優秀な兵士になるぞ。人族を殺しまくることができる。――だから殺さない。ラヴシーカーもだ。さっきの話を言いふらすのは困るが、”醜い子”一匹潰した程度なら減給でおしまいだろう」 


 シャーロットがナイフを思わせる鋭利な表情になって紅の瞳を魔的に輝かせた。


殺さない・・・・ではなく殺せない・・・・でしょう。牛はモーモー鳴いてればいいのに、思い上がるのも程々にしなさい。夜の王に刃向かうな」


 ムーガンは顎を大きく開いた。すり潰すための岩のような歯が並んでいる。


「そこをどけ。こうなったらオレの手で殺してやる」


「そうはいかないな」


 エディは拳を握った。硬く発達した骨が浮き出て臨戦状態となる。纏う雰囲気が一変し冷徹で無慈悲な戦士のそれになった。隣のシャーロットでさえ一瞬おののいて体を固くする。


 しかしムーガンは飄々とした態度を崩さなかった。


「お前とは戦わない。勢い余って殺しては困るからな。止めるつもりなら試してみればいい」


 彼のぎょろりとした黒一色の目玉は終始ミミを中心に捉えていた。その前に立つエディとシャーロットなど見えていないかのようだ。


 エディは小さく舌打ちをして――にやりと笑った。


「それは違うぜ、センセイ」


 そびえ立つような巨体を前にするのは初めてではない。今日の昼に殴り合ったばかりだ。


「俺とお前は殺し合うさだめにあるのさ。ずっと前からそう決まってる」


 エディは勇者。ムーガンは魔族。理由はそれだけで充分だ。


 しかし充分以上の因縁が二人の間にはある。両者が出会ったのはこの学校ではない。もっと昔――戦場でだ。


 エディの額の角がぽっと消えた。


 ムーガンは目を見開き、額から視線を下げてエディの顔立ちを観察する。その余裕に満ちた人族のツラを見て何かを思い出したように顔を歪めた。


「まさか……キサマ……」


 エディは中指を突き立てた。


「お久しぶり。あのときの勇者です。キズの加減はいかが? ――もう一本の腕も貰いにきました」


 ムーガンの肘の半ばで切り落とされた隻腕が小さく震えている。


 エディは軽い調子で言う。


「悪いけど何百何千も殺してるからいちいち覚えてなくてさ。でも今日の昼に思い出したよ。そういえば片腕を切り飛ばしたら泣いて逃げ出した牛男がいたなあって」


 ムーガンは痙攣するほど激しく身を揺らした。無事な方の腕で断たれた腕をかばって抱き、眼差しの中に憎悪をたぎらせている。


「――殺してやるッ!」


 角を振りかざして猛然と迫ってくる。もうエディに夢中だ。


「二人は離れてろ」


 エディはたちの悪い笑みを深めた。ミミとシャーロットは間抜けな顔で呆気に取られている。


闘牛士マタドールに熱い声援をよろしく!」



▼△▼



 首をへし折ろうと伸ばされる指をぎりぎりのところでひらりと躱す。


 若干バランスを崩したエディは片足でトントントンと跳ねて距離を取った。


 ムーガンの攻め一つ一つは素早く重いが、連続攻撃はない。隻腕だからだ。ゆえに避け続けるのはそう難しくなかった。


 だがエディも有効打を出すのは容易ではない。軽々しく間合いに入って捕まれば骨ごとへし折られる。ムーガンはそういう相手だ。


 彼が頭を下げれば湾曲した角の切先二つがエディを向く。下からかち上げるような突進だ。


 右側に回り込みながら腕を避け、すれ違いざま。腰のひねりを乗せたパンチを頬にぶち込む。


 しかしエディの全力は肉厚な首――顔と胴の境目が分からないほど太い首に吸収され、頭蓋は揺れることもない。


 ムーガンは角を大きく振り回しながら急転換して勢いそのまま突っ込んでくる。


「何回それすんだよ!」


 スタミナは無限らしい。速度は衰えることなくむしろ増している。


 拳では軽すぎるのだ。


 蹴りを急所に入れなければいけない。

 

 しかしそれは諸刃の剣だ。片足を浮かせれば回避が疎かになり、一撃を食らってしまえば天秤は大きく傾く。


 そして、一体どこが急所なのか。隆々とした筋肉に覆われた全身に弱点らしい弱点は見つからない。


 体を小さくかがめて懐にもぐり込む。押し潰そうと巨体が迫ってくるが、ムーガンが右手を振り上げた時には脇の下をくぐり抜けていた。


 賭けに出るしかない。


 大腿筋で地を蹴り飛ばし、足首をまわして回転の力を腰から伝える。足先はぶうんと風に唸りながら振り返りきれていないムーガンの横っ面に突き刺さり――


「ブモオッ!」


 ムーガンは短くうめき、しかしそれだけだ。


 大きすぎる隙を晒したエディに、ムーガンが飛び掛かる。マメだらけの手のひらが視界いっぱいを隠した。


 岩をも砕く握力がエディの首を捉える。片腕でも握り潰すのには充分であった。


「捕まえたぞッ!」


 ムーガンは天に咆哮してエディを持ち上げた。


「捕まちゃった……」


 気管がぎりぎりと締め付けられる。最期の言葉がこれはイヤだと思いながら、エディは覚悟を決めた。


 左手の親指と中指を合わせる。左にストックしている擬態先・・・を使うときが来たのだ。


 指を鳴らす。


 その直前。


「エディ!」


 名を呼ばれた。


 シャーロットだ。口元を震わす彼女が手に握っているのは――真っ赤な血の剣。


 彼女それを振り下ろすように放り投げ、剣はくるくる回転しながら向かってくる。


 揺れる赤い瞳が映し出す感情はぼやけて読み取れないが、エディは感謝を込めて笑みを作る。


 腕を伸ばして掴み取った。


 柄をしっかりと握り込み、月の光を受けて赤い切先を輝かせる。


 一閃。


 赤い軌跡の残像だけが瞬く。


 一拍の間を置いてバチンとゴムが弾けるような音が響き、ムーガンの巨腕が血飛沫とともに宙を舞った。


 ムーガンはそれを見つめるだけ――エディは両の足で大地を踏み締めて、弾かれたように踏み込む。


 急加速を得た刃は糸で引かれるようにムーガンの胸に吸い込まれ、肉に鎧を容易く裂いて深々と突き刺さり、貫通した。


 心臓を破った。


 押し込めるだけ押し込む。ムーガンの体から力と硬さが失われていき、ゆっくり膝をついた。


「じゃあな」


 一気に引き抜く。ムーガンは目をかっぴらいたまま倒れ伏し、石畳が揺れた。


「これでおしまいだ」


 剣から血を払う。


 エディは息を大きく吐き出した。


 ミミが尻尾を振り回しながら飛びつくように向かってきて、腕を組んだシャーロットはその後ろを歩いてくる。


「怪我は……ないですか?」


 ミミはエディのあちこちをぺたぺたと触った。くすぐったくて笑う。


「ないよ」


 次にミミはムーガンのそばにしゃがみ込んで指先でつついた。


「死んじゃったんですか?」


「殺したんだ」


 シャーロットがぱちぱちと手を叩いた。


「よくやりました。褒めてあげます」


「何様だよ」


 エディは血の剣を投げ返し、シャーロットが指で触れた途端、剣は白い肌に沈み込むように消えた。


「助かった。ありがとう」


「どういたしまして」


「ふう……疲れたよ」


 エディは大きく伸びをして肺の中身をすべて入れ替えるつもりで深呼吸をする。


 剣がなくてはなかなか手強い相手だった。シャーロットが血の剣を投げてくれなければどうなっていたか分からない。


「剣を使うと人族だとバレやすいから避けてるんだけど……何か武器を考えないといけないかもな」


「鬼人は素手で戦うものでしょ」


「そこはうまく誤魔化すさ」


 エディは呼吸を落ち着けながら動かなくなったムーガンを見やる。


「これどうしようか」


 森の中にでも捨てるかと考えたそのとき、遠くから声が聞こえてくる。


「あれ? シャーロットさんにミミちゃんに……リリムスくん?」


 アリシアだ。まだ酒が抜けていないのか、街灯に照らされてふらついた足取りで歩いてくる。 彼女はダークエルフ特有の紫色の肌をほんのり赤らめていた。


「まっず」


 エディは慌てて手のひらで額を擦れば、にょきにょきと黒い角が伸びてきた。


「お疲れ様です、アリシア先生」


「まだ残ってるんですか? 寮生はともかくシャーロットさんは早くお家に帰らないと……といっても吸血鬼は夜のほうが安全ですかね」


 ふと、その瞬間。


 甲高い悲鳴がすぐ側から聞こえた。雷の速さでエディが振り向けば――


 ムーガンが立ち上がっている。胸から留まることをしらない血を流し、充血した目玉は左右で別の方向を向いて恐ろしい。


「"醜い子"など――殺してやるッ!」


 地の底から上ってくるような叫びだ。


 きっとムーガンは前もまともに見えていないのだろう、最も近くのシャーロットを角で刺そうと突進する。


 シャーロットは動けなかった。ただあんぐり口を開けてムーガンの胸の穴を見ていた。この傷で立ち上がれるのが信じがたいのだ。


 エディは動いた。


 しかしそれより早く――ミミが動いた。


「だめッ!」


 ミミは猫族らしい瞬発力でシャーロットに抱き着いて突き飛ばす。二人はごろごろと絡まりながら転がっていった。


 獲物を逃したムーガンは頭から地面に突っ込み、今度こそ動かなくなる。


 十数秒それを見守って、エディはムーガンの体をひっくり返した。目は濁り鼓動はない。今度こそ死んでいる。


「肝が冷えたぜ。シャーロット、ぼーっとしてんなよ」


 ミミはシャーロットにまだ覆いかぶさって目をぎゅっと閉じている。守っているのか甘えているのか分からない様子だ。


 シャーロットは若干困り顔でミミの背中を叩いた。


「別に私はあんな角では死なないし、どうとでもなるのだけど……」


 ミミがばっと顔を上げる。


「そうですよね! ごめんなさい……余計なお世話でした」


 シャーロットは目を斜めにそらしながら羽虫の羽ばたきほどの微かな声で言った。


「いいの、ありがと」


 エディは耳を疑い聞き返す。


「今なんて?」


「なんでもないですけど」


 冷たく鋭い返し。


 ミミは猫耳をぴょこぴょこひくつかせ、にへらと笑った。


「なんでもないです!」


 エディは頬を掻く。何でもないらしい。二人がそう言うならそういうことなのだろう。


 アリシアは顔色を失っていた。


「これはいったい……?」




 エディはアリシアにあらましを語った。もちろんエディが人族であること、ミミがハーフであることは伏せて。説明を受けたアリシアはすっかり酔いを覚まして深刻な表情に変わる。


「これは大問題ですね…… 教師が偏見で生徒を退学に追い込もうとして、返り討ちにあって殺されたと……」


「俺が殺しました」


 エディがそう言えば、アリシアは悲しげにまつげを伏せた。


「そうですか…… 月並みな慰めですけど、あまり自分を責めすぎないように。正当防衛ですし、仕方のないことだったのでしょう、鬼人なら力の抑えが効かないこともあるはず」


「そうなんです。鬼人って大変で」


「とにかくここは私に任せてください。三人がこれからも安心して学校に通えるようにしてみせます」


 アリシアはあっちこっちに視線を飛ばして指折り数えた。


「ムーガン先生を運んで、ドーガリアさんに事情を聞いて、教頭先生に相談して――あっ! 三人とも体は大丈夫ですか?」


 三人は揃って頷いた。


「みんなさすがですね。――まずはみんなを落ち着ける場所まで送ります。二人を寮まで、それからシャーロットさんをお家まで」


「結構です。一人で帰れるので」


「そうですか……」


 シャーロットは銀髪をはらりと手で払って淡々と言った。


「それでは私は失礼させてもらうわ。また明日」


「明日は休みだぜ」


「だからこそ、よ」


 シャーロットの赤い瞳が爛々とエディの首筋を狙っている。思わず首を手で守ってしまう。彼女はふんと鼻を鳴らし、霧となって消えた。


「がんばれ、明日の俺」


 アリシアがぴゅーと指笛を吹くとインプがすっ飛んできて、ムーガンの遺体をどこかへと運び去る。


 エディとミミはアリシアに寮までの道を送ってもらった。

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