第七話 嬉しくてたまらない鎌売

 大川の目の前で、母刀自ははとじ宇都売うつめが、


「まだ広瀬さまのことが苦手なのね。」


 と心配そうな顔をした。


(苦手? 嫌いなんです。あの人とは相容あいいれない。幼少時代のことを思えば、当然です。)


 大川は感情がさざなみのように揺れ、苛立いらだつ。


「話しておきたい事があるの。あたくしの部屋に一緒にいらっしゃい。」


可須美かすみとまだいたい。)


 そう思うものの、母刀自ははとじの誘いも断れない。大好きな母刀自だし、四年ぶりに再会したのだ。

 大川はうなずき、


「わかりました。可須美、またあとで。」


 と、青い目の美しいおみなの肩を抱いて微笑んだ。


「ええ。」


 可須美は清らかな微笑みを浮かべた。


日佐留売ひさるめ、頼んだよ。」


 可須美のことを頼める女嬬にょじゅは、彼女を置いて他にいない。実力も知識も性分も、申し分のない女嬬にょじゅだ。


「おまかせください。この後は可須美さまに湯殿で汗を流していただいたあと、昼餉をご用意し、宴の為にお召し変えをしていただきます。」

「そうしてくれ。」


 去り際、日佐留売ひさるめと三虎の母刀自である鎌売かまめが、


日佐留売ひさるめ、しっかり務めなさい。」


 と厳しい声音で────鎌売は普段から厳しい声音でしゃべる。懐かしい────日佐留売ひさるめに声をかけ、三虎には無言で、尻を、びしっ、と叩いた。


「いっ………、母刀自。オレはもう二十八歳なんだが。」


 三虎は不満そうに顔をしかめる。


「ふん!」


 妻を持たない息子なぞ、まだまだわらはだ、と言いたげな顔で、鎌売は鼻を鳴らした。口元がほころんでいる。

 四年ぶりに無事に帰ってきた息子に会えて、内心嬉しくてたまらないのだろう。

 日佐留売ひさるめは、弟の渋い顔を見て、


「まあ、ほほほ。」


 ころころと上品に笑った。

 大川はくすっと笑って、


「三虎も鎌売かまめも、今日は早く務めを終わりにするか?」


 鎌売は母刀自、宇都売うつめの女嬬なので、大川が決められるわけではないのだが、つい、母子の語らいの時間を作ってあげたい、と申し出てしまう。

 鎌売も三虎も、かっ、と目を見開いて、


「不要です。」

「オレはいつも通り、ずっと大川さまのお側にいます!」


 勢いこんでバラバラのことを言う。


「あっはっは。」


 大川は笑い、母刀自も、


「ほほ。」


 と品良く笑う。可須美が、


日佐留売ひさるめの弟は、良い従者ね?」


 と日佐留売ひさるめに笑いかける。日佐留売ひさるめは柔和に微笑んだ。


「ええ、自慢の弟なんです。」


 三虎は、顔を複雑に歪めて────わかりづらいが、あれは照れてる顔────鼻の下を指でもぞもぞこすった。

 可須美と別れ、簀子すのこ(廊下)を歩きながら。

 大川は、乳兄弟ちのとであり、無二の友である三虎に、


「三虎、私たち二人とも、上野国かみつけのくにに帰ってこれて良かったな。

 ………薩摩国さつまのくに出水いずみのこほりの浜では、ありがとう。」


 と、感謝を告げずにはいられなかった。

 あの時、大川は、全てを投げ捨て、入水しようとした。

 遣唐第一船の残骸や、死んだ遣唐使が浜に流れ着き、可須美も嵐で死んだのだと絶望して。

 もし、あの時三虎が止めてくれなければ、大川はここにいなかった。


「従者として当然のことをしたまでです。」


 三虎は淡々と言う。


「そうだな。」


 大川は、そんな三虎が大好きだ。


「いつもありがとう。」

「恐れ多いことにございます。」


 三虎は立ち止まり、礼の姿勢をとってから、小走りにあとをついてくる。


「………ぐすっ。」


 鎌売かまめが無言で泣いている。

 三虎を忠実な従者であるよう、幼少の頃から育て上げたのは、鎌売なのだ。

 いつも怖い顔をして、幼少時、イタズラっ子だった三虎の尻を叩いていた鎌売だが、その中身は、愛情深い母親である。

 もちろん、大川は鎌売かまめのことも信頼している。大川の乳母ちおもである鎌売は、いつも側にいてくれて、大川と母刀自を支えてくれた。


(鎌売のもとに、無事に三虎を連れて帰ってこれて良かった。)


 大川は微笑みながら、母刀自のあとを歩く。












↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818792438102549109



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