第九話 可愛い男、その中身は狼

リョ 玉明ギョクメイ!!」


 寝台の上で。

 笑わない妓女、リョ 玉明ギョクメイに押し倒された、福耳のカン ゲンは、玉明を非難する声をあげた。


「何もしないって言ったじゃないか!」


 玉明は、カン ゲンの胸のうえに手をおき、身体全体でのしかかる。

 衣の上からでも、細身のカン ゲンが、よく鍛えられ、鋼のような手触りの筋肉を持ち、武官のようなしなやかな体つきをしている事がわかる。


(好ましい。)


 玉明は自分の豊満な身体を、胸を、カン ゲンにおしつけた。

 玉明の武器は、おおぶりな乳房だけではない。ふっくらとした腕、富貴を匂わせる腹、たおやかな柳のような腰。

 身体全部が男にとって魅力のかたまり。

 げんに。

 玉明を身体の上からどかそうと、玉明の両肩に手をやったカン ゲンは、


「……!」


 その肩の感触のやわらかさ、肩の描く線のまろやかさに、みるみる真っ赤になった。

 きっと、想像以上の、柔らかさだったのだろう。


「痛いですわ。手を離してくださいまし。」


 嘘だ。カン ゲンは痛く肩をつかんでいない。でも、こう言えば、


「あ、ご、ごめん……。」


 困ったカン ゲンは、すぐに玉明から手を離し、もう、玉明の身体のどこを触ってよいのか、わからなくなる。

 玉明はゆうゆうと、カン ゲンの身体の上にしなだれかかり、輝輝面子───光り輝くような美しい顔、と、誉れの高い顔を、カン ゲンに近づけた。


「何もしないと言ったことに偽りはありません。

 ただ、夜はさみしくて……。わたくしは妓女ですから、すこぅし、身体を寄せたくなっただけです。こうやって、二人で寝台で寝そべりながら、おしゃべりをしましょう?」

「何もしない?」


 カン ゲンはまだ顔が赤く、玉明をじっと見る。まっすぐな、曇りのない視線。

 その視線は熱を帯びている。

 女として意識されてるのを、玉明は感じる。


(かわいい。)


 カン ゲンは顔のつくりが可愛らしい美男だった。目がおおきく、すこし吊り目で、猫のよう……。

 自分の国に残してきた恋人に誓いをたて、誠実であろうとしつつ、玉明の放つ妓女の色香に、平常心は波立っている。

 そのような男、可愛くないわけがない……。


(あ。)


 玉明のなかで、また、なにか、動いた。

 感情の、波。

 泡立ち。

 おおきな海のなかの、小さな波が作る、細かい白い泡のよう。


(今、何かわたしくのなかで感じたわ。何。今の感情はなんなの。わたくしに……、笑顔を取り戻させてくれるの?

 わたくしに返してくれるの?)


カン ゲン、あなたのことがもっと知りたい。

 どうして、わたくしを部曲ぶきょくの男から助けてくださったの? なんの見返りもなしに。」

「目の前の卑怯な行いを見過ごせなかっただけだ。あなたがそこまで恩義を感じる必要はない。」

「爆炭(女将)に、十日間の休みを交渉してくださいました。とても助かりました。」

「オレには、もう嫁いだけど、身体の弱い姉がいる。女性が辛そうにしてるのを見過ごせない。助け手は必要なんだ。」

「優しいのね……。」


カン ゲンの姉がうらやましい。

 ……わたくしは、さっきから、羨ましがってばかり。

 カン ゲンの恋人を羨ましがったり、姉を羨ましがったり。

 わたくしは、どうしてしまったのかしら?

 人比人、比死人、鶏比鴨子淹死而已。(人と比べればきりがない。ニワトリがアヒルと競っても溺れるだけ。)

 妓楼の外の人を羨んだって、なんにもならない。虚しくなるだけってわかってるじゃない。)


 玉明は、物憂い顔で、カン ゲンの胸においた手の上に、右頬をもたせかけた。

 右腕には、飾り布を巻いている。その布のしたには、愚かな男に証をたてた証拠の歯形が、今でも残っている……。





    *    *   *





 源はリョ 玉明ギョクメイに押し倒されたままだ。

 近くで見るリョ 玉明ギョクメイの顔は、殊更ことさらに美しい。切れ長の瞳、肉感的な唇。大勢の妓女のなかに立たされても、際立って目を引く美貌の顔立ち。彫刻のように整えられた婀娜あだ華容かよう(華やかな容貌)に圧倒される。


 初めて言葉を交わした時は、つん、と澄まして、冷たく、誇り高い、近寄りがたい印象の妓女だった。

 源にとっては、


(唐の妓女はそういうものか。すこし酒を呑んだら帰るのだから、かまわないさ。)


 それだけの縁だと思った。

 そんな唐の妓女が、自ら源の身体の上に乗る日が来るなど、誰が想像しえたであろう?

 豊満な身体はどこもかしこも柔らかく、良い匂いがし、女の色香が濃厚に匂い立つ。

 源の知る、どのような女とも違う。小柄で細身の若大根売わかおおねめとも違う。

 これほど良い匂いの、富貴ゆえの太りじしの女は相手にしたことはない。

 ここは大唐の妓楼。

 リョ 玉明ギョクメイは、そこの売れっ子の妓女だ。日本のどのような女とも比べものにならないのは、当たり前だ。

 今、源の目の前には、赤い唇があり、源の腹には大きさを誇る見事な乳房が、その重量を源に伝え……。

 


(おおおおおおお狼になっちゃうぅぅぅぅぅぅぅぅ!)


 ───(YES)。

 ───狼だぜ。


 源の下半身がすこぶる硬くなりながら、そう言っている。


(ダメ! 若大根売わかおおねめを裏切るつもり?! めっ。狼、めっ。良い子でそこで伏せをしていなさい。)











↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818622172170672052


 

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