第八話 韓 源と應 俰、剣舞する事。

 ───ポロロン、ポロロン。


 くるん、とした口ひげの見狩みかりが、琵琶びわを爪弾く。

 

 福耳のみなもとが、茶肆ちゃしの中央、広くあけられた舞台に一人立ち、


「ショクショクフクショクショク!」


 凛とした声で歌いだした。

 喞喞ショクショクとは、はたを織る、カチャッカチャッという音だ。


 「喞喞復喞喞

 木蘭當戸織  

 不聞機杼聲  

 唯聞女歎息  

 問女何所思  

 問女何所憶  

 女亦無所思  

 女亦無所憶


(「喞喞ショクショクまた喞喞ショクショク木蘭もくらんは戸口の明るい所ではたを織る。

 糸を通すのカラカラという音は、木蘭の耳には聞こえない。

 ただため息が聞こえるだけ。

 

 あなたは、いったい誰を思ってため息をついてるのでしょう?

 あなたは、いったい何を思い出してため息をついているのでしょう?

 

 わたしは、誰も思ってなどいません。

 わたしは、何も思い出してもいません。)」




 


 源の手には抜き身の剣。

 堂々とした舞。

 可愛い顔で、溌剌と笑う。


 見狩みかりの琵琶の伴奏が、ポロロン、ポロロン、と心地よく響く。






「昨夜見軍帖

 可汗大點兵  

 軍書十二巻  

 巻巻有爺名  

 阿爺無大兒  

 木蘭無長兄  


(昨夜、軍の召集名簿を見まして、可汗こくかんさまが大々的に動員令を出していると知りました。

 召集名簿は十二巻にもおよび、どれにも父上の名前がありました。

 父上には、一人前の息子がなく、わたしには、目上の兄がいません。)」




 ───よっ! 木蘭辭もくらんじ

 ───兄ちゃん、うまいぞ!

 ───可汗こくかんって何?

 ───知らんのか。可汗こくかんは西北異族の君主の呼び方だ。


 など、お客も盛り上がる。


 源は、剣で、つ、と観客を指したあと、くるり、大きく輪をえがき、右足をふみだし、腰を低くした姿勢で、ぴたりと止める。




「願爲市鞍馬 

 從此替爺征  

 東市買駿馬 

 西市買鞍韉

 南市買轡頭  

 北市買長鞭  

 旦辭爺孃去  

   


(願わくば、わたしの為に軍馬を買い入れ、これから父上の代わりに出征しゅっせいいたしましょう。

 東市で足のはやい馬を買い、西市でくらや、鞍下の毛布を買い、南市で手綱たづなを買い、北市で長い鞭を買い、朝早く父母に暇乞いとまごいをしたしましょう。)」




 その後、剣を横薙ぎに、何もないところをゆっくり切り裂いていく。

 切り裂きながらくるくるとまわり、左手を額にそえて、顔を見立たせながら、剣で中空を指し、ぴたりと動きを止める。

 これは舞。

 剣舞。

 美しく映える動きをし、見る者を引き付ける事が重要なのだ。


 葛野くずののつくり文手ふみては、


 (韓国からくに遣唐録事けんとうろくじ殿はわかってるなあ。

 多分、本当に辻に立って、通行人を引き寄せる為に、剣舞を披露した経験があるんじゃないだろうか。

 華やかな剣舞じゃないと、通行人は立ち止まってくれないからな……。)


 と思う。


 ゆっくりだった動きは、だんだん早くなり、動きに緊張感がみなぎってゆく。




「暮宿黄河邊

 不聞爺孃喚女聲  

 但聞黄河流水鳴濺濺  

 且辭黄河去  

 暮至黑山頭  


(父母のもとを遠く離れ、その日の暮れには、黄河のほとりに宿営をした。

 父母は今この時も、木蘭、木蘭、とわたしの名を呼んでいる事だろう。

 父母のもとを遠く離れ、わたしの耳には聞こえない。

 ただ聞こえるのは、黄河の流れが濺濺せんせんと鳴る音だけ。

 次の日には、朝早く黄河に別れを告げ、暮れには、黑山こくざんほとりに至る。)」





 ───もくらーん!

 ───濺濺せんせんってなんだ。

 ───水が早く流れる音だよ。もくらーん!


 源が、速さを緩めた。

 動きがだんだん、ゆっくりになる。

 見狩にむかって、ぱち、片目を閉じた。

 見狩は実に自然に、歌の続きを引き取る。

 源は若々しく溌剌とした声だった。

 見狩は深く雅びな、包容力のある声だ。

 源は口を閉じ、舞に集中しつつ、動きを湧き水のように途切れず落ち着いたものとし、茶肆の奥を剣で指した。





 「不聞爺孃喚女聲  

 但聞燕山胡騎鳴啾啾  


(父母のわたしを呼ぶ声は、わたしの耳には聞こえない。

 ただ聞こえるのは、燕山えんざんの馬の、啾啾しゅうしゅうとすすり泣くようないななきだけ。)」





 長身の大川があらわれた。

 薄紅色の女ものの衣を身にまとっている。

 まだ顔は見えない。

 頭から布をすっぽりかぶり、顔を全部隠している。


 葛野くずののつくり文手ふみては、かっ、と目を見開いた。


(お胸がまったいら。

 でもそれが良い!)


 首、胸元が広く見えている。

 男らしい太さの首だが、首が長くて、鎖骨も色っぽい。

 艶のあるまっすぐな、絹のような黒髪が、胸下まで垂れている。

 大川は、茶肆ちゃしの中央にきて、やっと、頭からかぶった布をとり、ばさっ、と布を遠くに放り投げた。

 布は、むくつけき客の一人がしっかりつかまえた。


 あらわれた美貌の顔。


 雪のように澄んだ肌。

 切れ長の目に、うすく紅をほどこし。

 頬は淡い桃色。

 唇は薔薇の花びらのように赤い。

 額には、女の証である花子かしが緑色のきらめきを放っている。

 清雅なる面差しに、艶美なる彩り。

 美女と言うには、頬や肩幅、骨格に雄々しさがあり、美男と言うには、あまりにも妖艶すぎる。

 これはなんと言ったら良い存在だろう?

 吐く息さえかぐわしいであろう……。



 ───おおお……。


 観客がいっせいにどよめく。

 文手ふみてはくらくらした。


「なんて綺麗なんだ……。どうやったんだ……。」


 近くにいたハク は、ふふっ、と笑って、小さな声で文手ふみてに耳打ちする。


オウ クヮはもとの顔が美しいから、それを引き立てるように、桃花粧とうかしょう(濃すぎず、薄すぎないメイク)をほどこしました。

 オウ クヮ、本当に綺麗ですね……。」


 ハク は舞台を見てため息をついた。

 文手ふみても一緒にため息をついた。

 大川の美貌は、見ているだけでため息がでる。


 大川は、細身の剣を持っている。

 チン、と軽く源と剣をあわせた。





 「萬里赴戎機  

 關山度苦飛  

 朔氣傳金柝

 寒光照鐵衣  

 將軍百戰死  

 壯士十年歸  


(木蘭は万里をものともせず、戦機に遅れないように駆けつけ、要害の山々を飛ぶがごとく渡る。

 北方の澄んだ大気は、銅鑼どらの音を遠くまで伝え、冷たい月光は、よろいの上を照らす。

 将軍はあまたの戦闘の結果、戦死をとげたが、勇士となった木蘭は十年目にして帰る。)」






 二人で同じ動きをする。

 文手ふみては、


(すごいな。打ち合わせしてる時間はなかったろうに。)


 と驚いた。


 (上毛野かみつけの遣唐録事けんとうろくじ殿は、さっき、奥から韓国からくに遣唐録事けんとうろくじ殿を観察し、型を見てとったのだろう。)


 円をえがき、同じ箇所でとまり、くるくるとまわる。

 二人とも、舞がうまい。

 相手にあわせるのがうまいのだ。





 「歸來見天子  

 天子坐明堂  

 策勳十二轉  

 賞賜百千彊  

 可汗問所欲  

 木蘭不用尚書郎  

 願借明駝千里足  

 送兒還故郷 


(木蘭は凱旋して可汗こくかんさまに拝謁する。

 可汗こくかんさまは明堂めいどうに座していらせられる。

 論功ろんこうの結果、十二階級も特進させ、褒美の品は数えきれないほど。

 可汗こくかんさまはじきじきに、何か望みはないか、尚書郎(内閣のえらい人)はどうかと、御下問ごかもんたまわるが、木蘭はなりたくない、と、つつしんで辞退する。

 木蘭はただ望む。

 願わくば千里を駆ける足の速い駱駝らくだを拝借し、一日も早く故郷に帰らせていただきたい、と。)」


 



 うまいうまい、そうですよ、というように、源が美貌の大川に笑いかける。

 これぐらいできる、というように、挑戦的に大川が微笑む。

 交わされた視線が、信頼と、ほのかな色っぽさをはらむ。


 やがて、同じ方向を向いていた剣舞は、動きを早めながら、刃を交差し、同じ動きを放棄する。

 無言で笑いながら、迫真の打ち込みをはじめる。

 早い。

 早まっていく。


 ───キン、キン!


 剣がひらめき、火花が散るほどの速さで刃が重なる。





 「爺孃聞女來  

 出郭相扶將  

 阿姉聞妹來  

 當戸理紅粧  

 小弟聞姉來  

 磨刀霍霍向猪羊  


(父母は娘が帰ってくると聞き、仲良く手をとりあって村のくるわの外まで出迎えにおもむく。

 姉は妹が帰ってくると聞き、戸口の明るいところでお化粧をして身支度する。

 弟は姉さまが帰ってくると聞き、刀を磨き霍霍かくかく(きらきら)と刃をひらめかせ、豚や羊をご馳走にするべく向かう。)」

 





 観客は、固唾をのむ。

 二人は、剣の型を崩しながら、高速で身体を動かし、相手に挑むように剣を突きこむ。

 すこしでも気を緩めれば、この美女……いや美男の衣は破れてしまうだろう。

 緊張感でひりつくようだ。


 ───カッ!


 源が、おおきく大川の剣をはねあげた。

 ぱっ、と離れ、剣を下に置き、ぐっと身体を沈め、ぽぉーん、と、その場で、手を使わないで足を天に、一回転して飛んで着地した。(バク宙)

 源は晴れ晴れと笑う。


 ───百戯(曲芸)みたいだ!

 ───いいぞ、いいぞ!


 観客は、大喜びで拍手した。

 源は大川を指差し、剣をひろい、中央の舞台をあとにした。

 残るは、女装した大川ひとり。

 大川は、わかった、というように頷いた。


 大川は、さきほど、源が始めに舞った動きをなぞり、一人で悠々と舞った。

 文手ふみてはその舞に酔いしれた。


 大川は、蘭陵王……つまり雅楽の心得がある。雅楽は、ゆったりとしていながら、背筋、尻、腿の筋肉を非常に良く使う舞だ。

 大川は、姿勢がまったくぶれない、優雅な剣舞を披露する。

 この世のものと思えないほど美しい。





 「開我東閣門  

 坐我西閣牀  

 脱我戰時袍  

 著我舊時裳  

 當窓理雲鬢  

 對鏡帖花黄  

 出門看火伴  

 火伴皆驚惶  

 同行十二年  

 不知木欄是女郎  


(さて、わたしは懐かしい我が家の東閣の門をあけ、我が家の西閣の寝台に腰をおろす。

 わたしの着古した軍服を脱ぎ捨て、わたしの昔のを履いてみる。窓辺でふさふさした髪に櫛をいれ、鏡にむかって化粧をする。

 門前にでて、戦友と対面すると、皆びっくりしてうろたえた。

 同行すること十二年。

 木蘭が女であると気がつかなかったとは!)」






 大喝采のうちに、剣舞は終わった。

 大川はやりとげた満足感で、華やかに笑った。


 その時不思議なことが起こった。


 客席、大川の近くにいた観客が、


「はぁん。」


 と声をもらして、老若男女問わず、幸せそうな顔で次々、ゆっくり倒れ、昇天……、いや、気絶したのである。

 助けにむかうべき家婢、家奴たちも、大川に見とれ、身動きがとれない。

 見えない雷霆らいていが地上を走ったかのようだった。

 大川は、


 ───あ、やってしまった。


 という顔をした。大川は、自分が遠慮なく笑うと、まわりにどのような影響がでるか、経験上、わかっている。

 幸い、謎の気絶をした観客たちは、怪我もなく、すぐに気がついた。


「眼福、眼福。」


 皆一様いちように幸せそうな顔で、文句を言う客はいなかった。


 ───ポロロン、ポロン。


 見狩が、余韻にひたり、うっとりした顔で琵琶を爪弾く。


「ああ、やっぱり木蘭辭もくらんじは良い。奈良に残してきたすずしが忍ばれる。すずしの語り物を、早くまた聞きたいものよ。」


 源はこくこく頷き、見狩に拱手した。


「見狩さま、伴奏ありがとうございます。」

「うむ。」


 客たちは美しい長身の男が女にふんする、しかもその女は男に扮した木蘭、という倒錯した趣向と、二人の見事な剣舞に酔いしれ、皆、


 ───良い出し物だった。


 と、上機嫌にガヤガヤと会話し、席に戻り、お茶を呑み始めた。


 源は、文手ふみてのそばにいった。


 「あー、充実! 剣舞、楽しかったぜ!」


 両腕を上にあげ、うーん、と伸びをしたあと、大和言葉でぼそっと言った。


大伴おおとも遣唐判官けんとうはんがん殿(継人つぐひと)がいなくて良かったぜ。

 ここにいたらケダモノになって襲っちゃってるって。』

『言えてるぅ……。』


 文手ふみては納得してしまった。





     *    *    *




 その頃、外宅で、遣唐准判官、羽栗はぐりのおみつばさと、


『では、暦を日本へ持ち出す許可は、おりそうか……。』


 と真面目に仕事の話をしていた継人つぐひとは、突然鼻がムズムズし、


『へ、へくしゅんっ!』


 と、存外ぞんがい可愛いくしゃみをした。


   



       *   *   *


 



[参考]  『中国名詩鑑賞辞典』   山田勝美   角川ソフィア文庫


 ※可汗は、普通は、かかん、と読みます。しかしここでは、こくかん、とルビをふります。



↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093090970715291




↓かごのぼっち様からファンアートを頂戴しました。

 かごのぼっち様、ありがとうございました。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818622175448242271


 

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