特別な夜・素敵な朝
トロッコ
特別な夜
私は話したくない。が、話し足りない。張り替えたばかりのギターの弦を自室の白い灯りの中で何とはなく掻き鳴らしてみると時々そう考える。私は一人だ。友達がいても一人なのかもしれない。
私は自己表現というものが全く苦手だった。感想を述べることが全くできない。体の中でそれが確かに存在はしているのだが、言葉にならず、常にふわりと浮いている。何度かテレビの街頭インタビューを受けたことがあるが、実際の放送で取り上げられるのはいつも友達の言葉だった。皆、どうしてあんなにもキレイに言葉を紡げるのだろう。私には芯が無いのだ、とそのたびに思った。
明日はギターを持ってステージに立つ。
体育館に集まった皆が私を見る。
そして明日は私の誕生日。
十七になる。
スポットライトが当たる。
私は人生を進む。
ピックを振り下ろす。
しかし、ギターの音は鳴らない。
興味があるからってバンドやるんじゃなかった。
お先真っ暗だ。
これから大学生になるのだろう? 大学? そして、就職するのだろう? 仕事? 社会? 私がそんな場所にいて何になる? 廊下に立って道をふさぐ邪魔ながらくたも同じじゃないか。私が身を投げ出さんとしている海はあまりにも深い。船も作れず、どう渡れというのか。溺れて死ねというのか? いや、誰もそんなこと言ってはくれない。早く気づいて作らなければならなかった。船を作らなかったのは、私のせいなのだから。
外は真っ暗だ。この都会に星は降らない。小さい頃にはもっと星が見えた気がしたが。自然は文明を見捨て始めているのかもしれない。世界が滅ぶならいつだろうか。十年? 三十年? 明日か明後日か。私は戦争で死ぬ。戦場ではなく日本で死ぬ。大勢が死ぬ。私も含め大勢が死ぬ。漠然とそういう不安が日々頭の中を駆け巡っている。
メッセージアプリを開いてみる。相談……の二文字が頭を過るが、誰にするべきなのか。親友、家族、昔の同級生……。ありとあらゆる人々が私の前を通り過ぎて消えていく。下まで来て、企業アカウントばかりになると、アプリを閉じた。相談は怖い。ただでさえ、しんみりした空気が苦しい私にとって、人の顔色が伺えないテキスト上の相談ほど恐ろしいものは無い。ひざを抱えて畳の上に座り、スマホを腕からぶら下げる。それから突然、アプリを再び開いて、目に飛びついたハンバーガーチェーンの公式アカウントを開く。
将来が不安だけれど、どうすればいい?
一瞬で返信が来る。
9月からの月見バーガーはチーズが……
すぐに閉じて、また蹲る。そして、腕の間から不気味な呻き声を長いこと上げた。
時計を見る。もう11時になっている。昔の中学時代の先生から、卒業生へ向けての一斉メールが届き、スマホの使い過ぎ、現代っ子の芯の無さ、怠惰による青春の浪費を嘆くその内容にまたもノックアウトされて、畳の上に伸びる。このまま寝てしまおうかと思う。布団を敷くのすら億劫だ。あぁ、めんどくさい。めんどくさい、めんどくさい! 何が健康的にだ。良く生きろだ! このまま肩がバキバキになったって知るもんか。それが良い人生に繋がらなくてなんだ。寝てやる。眠ってやる。私はどこでだって寝れるんだ!!!!!
とはいえ、それは一時の激情でまだ眠る気などさらさらない。あぁ、私は浅い。私は彼ら成功者や深い人生を送る人々の言葉に毎日叱咤され、それでもいつもの日常を送ることしかできない。あぁ、クソだ。私は浅くてクソで何もない。何にもない。涙が出る。そして、不意に悪い考えが私の頭を過る。あの成功者共の書店に並んだ気持ちの悪い成功談を全て燃やしてしまいたい。そんな話に何の価値があるんだ。いやだめだ、そんなのは醜い嫉妬でしかない。だが、怒りはふつふつと湧き上がってくる。私の悪い癖だ。あぁ、そもそもなぜ、あの先生は良く生きることに固執しているのだろう。いや違う。良く生きる。数千年かけて人類は良く生きる方法を模索し続けている。そして、良く生きようとする。良く生きる人々は他の人にも良く生きろと提案する。なぜだろう? 彼らは本当に心の底から他人に良く生きて欲しいのだろうか。良く生きていない他人が気に食わないだけなのでは? うるさい。お前は恵まれている。気にかけてくれる家族もいる。なのに今日を嘆いている。うるさい。何億という人々が飢餓に飢える中でお前は怠惰をむさぼりながら明日が苦しいと文句を言う。うるさい。お前は何だ? うるさい。何なんだ?
分からない
分からないよ
気づけば携帯を握っていた。アイコンを一つ押せば情報の渦に呑まれて私は一時的なりとも幸せになれる。でも、今日は違う気がした。もう何もかも終わらせたかった。それは希望ではなかった。別に自殺を考えているわけでもなかった。ただ、何かを終わらせたかった。私の指は電話に向いていた。もしもの時のために登録しておいた親友の番号を押す。無機質なプッシュ音がする。プルルルと震える音がする。怖い。昔からこの音が怖かった。私はこの音に切りつけられる。殺される。いつか殺される。
もしもしぃ……
もしもし? どした?
……栞?
聞いてるよ?
明日行けなくなった……と言おうとして息が詰まった。それだけは踏み越えてはならない一線のような気がした。皆で集まって練習したのに?
もしもーし
あっ……あの、明日さ……
うん?
あの、十……時集合で合ってたよ、ね?
んん、そう。合ってるよー
あっ、ありがとう
一瞬の沈黙。
それだけ……
ん、りょーかーい、分かった。そいじゃーねー
プツ
私は何もできない
窓の外では激しい雨が降り始めた。あぁ、これか。星が見えなかったのはこれのせいか。何が「自然は文明を見捨て始めているのかもしれない」だ。間違っている。私は何もかも間違っている。再び、膝を抱えてうずくまる。涙が腕を伝って落ち、畳に染みる。ぶるぶると震えて世界を拒絶することしかできない。いや、拒絶すらうまくできていない。
ふと、携帯が鳴った。私は誰からの着信かも見ずに携帯を投げ捨てた。部屋の隅に当たってガランガタンと大きな音がする。母親の呼ぶ声がする。籠っているのにあまりにもうるさい。机を引きずって扉に封をする。机の脚にもたれ掛かり、耳をふさいで声を出さずに泣く。母が戸を叩く。大丈夫、と平静を装って答える。その一言も嫌になる
また、着信が来る。私は恐る恐る携帯をとった。栞からだった。これまでにないほどゆっくりと耳に当てる。
もしもし
もしもし
……
あのさ……不安だったりする?
ふ、不安?
いや、昔からそういうとこあるじゃん。突然、何かありそうな感じで話しかけてきたと思ったら普通のこと聞いてくること
……
その、言ってくれていいよ、何かあるなら。明日不安とか、全然相談してくれていいし
私の頭には何も浮かばない。さっきまではあんなにも悩んで、考えていたのにそれが元から無かったように消えてしまい、何も浮かんでこない。やっぱりだ。私は話したいのに。だから話したくないんだ。自分の悩みなんて。
あぁっ、いや、大丈夫だよ。何も無いって
……
明日頑張ろうね、いっぱい練習したから多分本番も……
ちょっと聞いて欲しいんだけどさ
栞の声音が急に変わる。
思いつめないでね。昔から溜め込むタイプだってのは知ってるけど、最近ボーっとしてるの見てるといつ爆発するか心配だから。その……私は大したアドバイスとか、そういうのは出来ないけど、聞いてあげることなら出来るから。誰かに話して吐き出してみるのもたまにはいいんじゃない?
私の口が独りでに動く。
怖い
栞の口調が優しくなる。私が応えてくれたことに安堵したようだった。
オッケー、何が怖い?
これからどうなるんだろう……って……
どうなるって、将来とかそういうこと?
うん。
将来のどういう所が怖いの?
……仕事が出来ないから、皆の足かせになるかもって……
足かせ……
うん。それなのに何のために生きてるんだろうって
……
それがすごく怖くて
……
自分に何の意味も無いのが怖くて……
栞は黙っている。携帯の裏にある沈黙が怖い。少しして、栞は絞り出すように話し出した。
……怖いよね
うん
大丈夫?
うん、少しスッキリした、かも……
うん、その、果歩はさ、きっと大丈夫だよ。いつでも私とか、皆がついてる。
うん
栞はまた黙っている。私はゆっくりと口を開く。
ありがとう
あぁ、うん、ありがとう、話してくれて。
うん
いつでも言っていいからね
うん、またね。十時。
うん
栞の沈黙
またね
プツ
電話を終えた今、私の中には二人の私がいた。一人の私は、私を苛んでいた。こんな夜遅くに友達を呼び出した上に、着信を一度無視し、さらに気まずい思いをさせてしまった。彼女は私に寄り添おうとしてくれた。なのに私はナヨナヨとして他人に迷惑を掛けることしかできない。私はバカだ。途方もないバカだ。
もう一人の私も、私を苛んでいた。栞が話を聞いてくれた以上、それを後ろめたく思うのではなく、後につなげるべきであり、彼女に感謝をするべきだろう。それなのに自分はナヨナヨとして後悔することしかできない。私はバカだ。途方もないバカだ。
雨は一層激しくなってきた。私は寝る前の身支度を済ませると、布団に寝転がった。掛け布団を頭まで被った。部屋は暑かったが、気にしなかった。耳元で虫の飛ぶ音が聞こえたような気がしたが、無視し続けた。私はあらゆるバンドの誕生日に関する曲を思い浮かべて頭の中で再生した。雨の音が混ざって何もかも無機質に聞こえて来た。布団をさらにきつくギュッと被る。闇は心地が良くて、あまりに暗かった。
そして決意した。
明日を特別な夜にしよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます