第8話 溶けた氷。
「……美味い! 初めて飲んだが、エールというのはこんなに美味いんだな……! 」
街の居酒屋でグラスを片手にツルゲーネがそう零したのは、陽が落ちて間もないまだ夜も早い時刻のことだ。
「……確かに、美味いな。乾いた喉に、ぐっと差し込んで来る」
「美味いは美味い。でも、もっと改良の余地がありそうにも思うな……」
と、俺が零すと、
「もとの世界はもっと良かったってやつか? また始まったよ。今日はそんなこと忘れよう! お互いの仕事の祝いで集まったんだから」
ツルゲーネには俺が異世界人であること、チート持ちであることも打ち明けていた。そのうえで、今後はこの世界で出世を目指すことも伝えてある。
今日集まったのは、俺が初めての討伐クエストを成功させたお祝いと、そして……
「お前の方こそ、雇ってくれた職場で班長に任命されたって言うじゃないか」
「そうなんだよ。まさか俺が選ばれると思っていなかったから、まいっちまった! 」
ツルゲーネは喜びを隠そうとはせず、照れたように頭を掻いて笑った。
ツルゲーネが働いているのは東の作業エリアで、土木作業に従事している。
第四階級の人間は街の中では働けないというのがこれまでのセオリーだったから、街の中で仕事を見つけた上に、その職場で出世するなどということは前代未聞のことだった。ツルゲーネを雇っているのが第三階級のツォップという男で、この男がツルゲーネの働きぶりを高く評価したのだ。ツルゲーネも、俺と同じようにこの世界で確実に成果を上げ始めていた。
「少し前までは飯を食うのもやっとだったのに、まさか、居酒屋で酒を飲めるようにまでなるとは思わなかったな」
と、ツルゲーネはぐびぐびとエールを煽りながら言う。
「まったくだ。なにかが変わったんだろう。俺たちの運気が上がったのか、風向きが良くなったように感じる」
「今までが悪すぎたのさ。ようやく俺たちは“普通”になり掛けているんだ」
そう言うと、ツルゲーネは運ばれてきた鶏の香草焼きにフォークを刺し、それに舌鼓を打った。
それから、
「そんなことより、お前、聖女アニーとはどうなっているんだ? 」
と、いかにも興味津々に、俺に顔を近づけて問うた。
「アニーさんが聖女アニーって、お前知っていたのか? 」
「知っていたもなにも、名前を聞いてすぐに察したよ。シスターでしかも名前がアニーと聞けば、誰だってピンと来るってもんさ」
「わかっていなかったのは俺だけだったってわけか……」
「前に聞いたが、なんでも、お前とふたりでこの国を変える計画を立てているって言うんだろう? その後は、どうなんだよ? 」
「どうもなにも、少しずつ、着実にものごとを進めているだけだよ」
「違う違う、そうじゃない」
と、ツルゲーネは突然人差し指を立て、それをぶんぶんと左右に振った。
「俺が聞いているのは、お前とアニーさんの関係はどうなのかってことさ。……その辺りはいったい、どうなんだ??? 」
「どうって言われても……。アニーさんも、俺のことは別に仕事のパートナーくらいにしか思っていないだろうし……」
「そうかあ? 俺の目では、あの人はお前のことを特別な目で見ているような気がするぜ? 」
「んん~……。どうかな。そんな思わせぶりなことは、されたこともないしなあ」
ツルゲーネの言うようなことは、考えたこともなかったな、と俺は思う。
アニーさんには感謝しているし、仕事のパートナーとして尊敬もしているが、俺に気がある、などとは到底思えない。第一、彼女はこの国の宝とも言われるほどの絶世の美女であり、たった四人しかいない聖女の一人なのだ。そんな選ばれし人間が、俺なんかを気に掛けるだろうか。
「涼、お前には鈍いところがあるからな。案外、お前が気づいていないだけかもしれないぜ。ほら、思い出してみろよ。なにか、お前だけ特別扱いされていたりはしないのか? 」
「そんなことはないよ。……でも、最近は食事をご馳走してくれるな。強いて言えば、それが特別扱い、かもしれない」
「……料理か。まあ、お前をねぎらってのことかもしれないし、なんとも言えないが……。まさか、手料理ではないよな? 」
「? いや、手料理だが……」
「手料理!? お前、聖女アニーに手料理をご馳走になっているのか!? 」
と、ツルゲーネが椅子から飛び上がらんばかりに驚き、そう口にする。
「え、う、うん、まあ。……こないだも初クエスト受注のあとは彼女の母親の生家でディナーをご馳走になったしな……」
「聖女アニーの母親の、生家!? お前、そんなところに出入しているのか!? 」
「いや、そんな大したことじゃないよ。ただ、いろんな都合が重なってそうなっただけさ! 」
ツルゲーネは、首をぐっと伸ばして俺を見据え、じーっと睨みつけてから言った。
「お前って、本当に鈍いんだな……」
と、なにか呆れるような表情を浮かべるのだった。
居酒屋を出た後、俺たちはゴーゴを見送った橋のたもとに向かった。
ツルゲーネと会うたびに、俺たちはこの場所に来てゴーゴのために手を合わせるようにしていた。
なにが出来るわけではない。ただ、ゴーゴのことをこの胸から一欠けらも忘れたくなかったのだ。
橋のたもとを離れたあと、俺たちは酔い覚ましに街を練り歩いた。
「なあ、涼」
と、ツルゲーネが真剣な声色でそう切り出したのが、居酒屋を出て五分ほど歩いたときのことだ。
「アニーさんのことを疑っているわけではないが、……お前、彼女に利用されているってことはないのか? 」
「利用か……」
ツルゲーネの疑いは、痛いほど俺にも気持ちがわかった。
この世界はあまりにも俺たち第四階級の人間にとって非情に出来ている。
今は上手く行っているが、この世界がいつ俺に再び牙を剥くかはわからない。油断など、到底できはしないのだ。
「されてはいないよ。彼女のことは心から信頼している。彼女だけは信用できる。それは約束するよ」
「そうか。……金の無心をされたりとか、そういったこともないよな? 」
「無心どころか、彼女の方からポケットマネーを出そうと提案してくるぐらいだ。断ったけどね」
「……断った? なぜ? 」
「確かに経済援助してくれれば助かるけどな。俺はこの世界で自分の足で立ってみたかったんだ。誰かに楽にさせてもらうんじゃなくて、自分の力で生活基盤を整えてみたい。……そう思うのは、変か? 」
「変かもな」
と、ツルゲーネがあっさりと言った。
「うぐっ。や、やっぱりか……? 」
「でも、変でも良いじゃないか」
と、ツルゲーネがにやりと笑って、言う。
「初めて会ったときから、お前は変だったしな」
「そ、それは、俺が異世界から来たからであって……」
と俺が言いかけると、ツルゲーネは振り返って言った。
「良いか、涼。お前が変な奴でも、この先どんな大きな災難が待っていても、……俺だけはお前の味方だ。そのことだけは、絶対に忘れないでくれ」
その突然の熱い言葉に一瞬俺はたじろいだが、すぐに俺のなかから素直な言葉が湧いて来た。
「ああ。俺も同じ気持ちだ。約束する。俺とお前は生涯の親友だ」
俺がそう言うと、ツルゲーネは俺の手を固く握り、それから、ぽんぽんと俺の背中を二度叩いた。
そのとき、俺はなにか確信のようなものが湧いて来るのを感じた。
今は未だ、お互いに駆け出しの若者に過ぎないが、いつか、それも近い将来、俺たちふたりはなんらかの形でこの世界を代表する存在になるだろう、という確信が――。
◇◇
※ここからはロレッタ=ニーナ・フランダルス目線の話です。
ロレッタはフランダルス家の長女であり、アニーの姉です。
この世界では十四歳になったときにすべてが変わる。
成人の儀によって職業が判定され、自分たちの階級もそこで決まる。
アニーが”聖女“と認定されたのも十四歳のことだった。
それ自体はフランダルス家にとっても名誉なことだ。
だが、そのことによってアニーのすべては一変してしまう。それまで持っていた無邪気さが、すべて失われてしまうほどに。
「ただいま」
という声とともに、屋敷を小走りに駆けて来る足音がする。
「ロレッタお姉さま! 久しぶりに、帰ってきました! 」
そう言って、アニーが私の胸に飛び込んで来る。
聖女に認定された彼女は公務に忙しく、私たちの住むこの屋敷に帰ってくることは、滅多にない。それに、帰って来ても彼女は疲れ切った顔をして、すぐに寝室に引っ込んでしまう。
それが以前までの彼女だった。
ところが……
「お姉さま! 聞いてください、前に話した涼さんという方が……」
と、今では最近知り合ったという涼という男性についてお喋りを続け、彼がいかに誠実で真摯な男性であるかを、熱弁する。
今までの、……”氷の聖女“と呼ばれた彼女からは考えられないことだ。
“聖女”に認定されたあと、アニーのもとには百にも及ぶ婚姻の申し込みがあった。
その申し込みは近隣諸国からも届き、なかには小国の国王からのものもあった。
もともと持っていた美貌のせいもあっただろうが、“聖女”という希少な職業が彼女の人気に拍車を掛けた。
でも、アニー自身はそのことが嬉しくはなかったのだろう。
彼女はいつしか“氷の聖女”とも呼ばれる冷え切った無表情の仮面を被り、なるべく世間との交流を避けるようになった。
教会と交渉して顔の隠れる修道服に身を包み、下位のシスターが行うような雑事ばかりに身を投じだしたのもその頃のことだ。
「……本当に信頼出来る人なんです……、お姉さまと同じように、この世界で数少ない本音を言える人なんです……」
と、アニーは私に膝を突き合わせて、暖かなミルクティーを飲みながら、そう言う。
アニーにとってはこの世界の人々は「欲の塊」にしか見えなかっただろう。
近づいて来る男性はすべて自分の「美貌」か「聖女という役割」を求めてやってくる。
そんなアニーには、本音で話し合うような人間関係も、親しい友人も作る機会がなかった。
そこに実母の不幸が重なり、……彼女はますます自分の作った堅い氷のなかに引っ込んでしまった。
そんな彼女が唯一心を開けたのは、同じ”聖女“であり、そして血の繋がった実の姉でもある私だけだったのではないか……。
「……生まれて初めて本当の友人が出来た気がします。嘘偽りなく対等に接することが出来る友人が……」
アニーにここまで言わせるその“涼”という男性は何者なのだろう。
彼女が言うには特殊な才能に恵まれた”第四階級“の人間だと言うが……。
”階級“など、どうでも良いことではないか。
私にとっては可愛い妹に過ぎないこのアニーをもとの無邪気な女の子に戻してくれたことに、私はただただ深い畏敬の念を抱いている。
「それでは……お姉さま、おやすみなさい……! 」
こんなふうに朗らかに微笑んで寝室に下がって行くアニーの姿は、あの“成人の儀”以来、二度と見られないだろうと思っていたのだ。
ドアを閉め、軽やかな足取りで去っていくアニーの背中に、私は胸のうちでこう語りかけずにいられない。
“おめでとう、アニー。あなたを包んでいた分厚い氷は、今やっと溶けたみたいね”。
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