第17話 目覚め

 目が覚めるとそこには知らない男がいて、こちらの様子を伺っていた。


「………君は、誰?」


 口から出たのはかすれた声音だった。

 まだ夢の中をさまよっているかのように頭はかすんでいて、横たわっているベッドから身を起こすこともなく、かたわらの椅子に座っている彼をぼんやりと見上げる。

 男はなんと表現してよいのか分からないような、この世の全ての苦渋と安堵をない交ぜたような表情で、ひどく切なそうな笑いを浮かべて口を開いた。


「おはようございます、ヨシュ。」


 男は『ヨシュ』と呼ばれた僕の手を取って、両手で握りしめた。


「私は魔術師のセンリアフ。ここで貴方と暮らしている者です」


 なぜ自分がここにいるのか、僕は何者で彼は何者なのか。何一つ思い出せなかった。でも、何も分からないのになぜか不安はなくて混乱もしていない。


 僕は握られた手をぎゅっと握り返した。

 この手には、安心感を覚える。もう一度掴めたと、ほんの少し胸がくすぐられる。


 センリアフが言うがままを信じ、当たり前であるかのように世話を焼かれる。


 僕は無意識に知っているのだ。この男は僕を裏切らない。

 もしも彼が僕を見限ったならば、もう既に僕は存在していないのだと。

 何となくそれを知っていて、ただ彼の言うがままに世話を焼かれている。


 窓の向こうの陽光を受けて、センリアフの肩に届く長さの黒髪がつやめいている。無造作に手でいただけの髪は、肩の上であちこちと跳ねて光を落とし込んでいた。

 深い海の色をした瞳は涼し気な切れ長の造形で、それなのに鋭くはなく、純朴じゅんぼくそうな柔らかい表情をしている。


 意図せずセンリアフの姿を見つめてしまっていたようで、視線が合った彼はあやすように笑んだ。


「大丈夫、心配ありません。ずっと貴方のお側にいますから」


 彼の表情はとても優しい。なのに、胸の中には不快な何かがざわめく。気持ちよりも、記憶よりももっと奥。狂おしい何かが爪を立てているかのようだった。

 その何かを見ないふりをして、僕は寝衣の胸元をぎゅっと握りしめた。


「大丈夫です。大丈夫、ヨシュ……」


 心地よく耳に届いた男の言葉は、言い聞かせるようだった。


「さあ、疲れているでしょう。しばらくお休みを」


 センリアフに支えられて、再びベッドに横たわる。瞼は重く、すぐに眠気の波がやってきた。


「おやすみなさい、ヨシュ。………ゆっくり休んで、また元気な姿を見せてください」


 途切れかけの意識の中に、小さくささやきが届いた。



 それから、自分のことも分からない僕と見知らぬ魔術師の二人の生活が始まった。

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