秘色の医術師~旅する医術師、都を救う~
金柑乃実
第1話 旅の途中
大きな大陸の片隅に位置する蘭国。自然豊かな土地は、文明は未発達ながらもたくさんの人々が楽しく暮らす国だった。
深い森の中。その山道を、3人の兄妹が歩く。
大きな荷物を担いだ男性が急な斜面を登り、
「
と下に手を差し出した。
下にいた女性が子どもを抱え、子どもも男に手を伸ばす。子どもを上にあげた後、女も男の手を借りて斜面を登った。
「
「もう少しあるかな。まだ歩けるか?」
兄と呼ばれた男性が、少し遠くを見ながら答える。
「足が痛いです……」
「露も医術師の子でしょう。そのような泣き言をいってはいけません」
女が着物の袖で妹の顔を拭った。
「
「では、露は医術師にはならないのですか?」
姉からの当然の問いに、子どもは唇を尖らせると、
「……
と答えた。
「
「
「露は知らないでしょう」
旅路だというのに、いつもの姉妹喧嘩が始まってしまう。これを止めるのが、
「こらこら、2人とも。こんなところでまで喧嘩なんかしなくても……」
兄、
「兄上、先を急ぎましょう」
「そんなに急ぐことはないよ」
兄に止められて不満そうな長女
しばらく進むと、
「あ、兄さま!茶屋が見えました!あそこでお休みしましょう!」
末っ子露子が、目を輝かせて先を指す。
「そうだな。団子でも食べるか」
「……もったいない」
財布を握る綾子は、団子に使うお金がもったいないとぼやく。
「そう言うなよ、綾」
そんな妹の頭を、弦太郎が撫でた。
「いらっしゃい」
「お団子とお茶3つ!」
「あいよー」
さっきまでの疲労が嘘のように、露子は元気に、茶屋の女将に声をかけ、店先の椅子に座った。
弦太郎と綾子が追い付いた時、ちょうどお茶とお団子が出てきた。
「おや、珍しいねぇ。その子の親にしちゃ若いが、お前さんたち、いったいどういう関係だい?」
隣の椅子に座っていた旅装束の男が声をかけてくる。
「兄妹で医術師になるために旅をして回っているんです。世界は広いですからね」
それに答えるのは弦太郎だけ。露子はお団子に夢中で、綾子はあまり積極的に喋る方ではないから。
「ほぉ、お前さん、医術師かい。ちょいと俺も見てくれねぇか」
「えぇ、いいですよ」
「高いですよ」
これには、すぐに綾子が反応して、兄の言葉を遮った。
「ただ診るのにもお金がかかります。薬代、払えますか?」
突き放すような冷たい言い方に、男性は
「なんだい、こいつら! ちょっと見るくらいいいじゃねぇか!」
と店を出て行ってしまった。
「綾……」
「兄上、薬にも銭がかかります。無駄遣いはおやめください」
呆れる弦太郎に、綾子はさも当然のように言い返す。
「姉さまは銭の鬼です」
露子が団子の串をくわえながら言った。
そこへ、茶屋に男の2人組が入ってくる。
「ほら、着いたぞ。ここで少し休ませてもらおう」
一人は怪我をしているのか、もう一人の男に腕をかつがれ、足を引きずっている。
「すまんな。ちょいと店先を借りるぞ」
「えぇ、えぇ、かまいませんよ。お連れさん、どうしたんで?」
茶屋の主人が出てきて、心配そうに尋ねる。
「さっきそこで足を滑らせたんだ。どうも挫いたらしい」
「そりゃ大変だ。挫いただけだったら、温めるといいって聞く。何か持ってきますよ」
「あぁ、助かる」
店に駆けこんでいく主人に、
「冷やす方がいいですよ」
と弦太郎が声をかける。
「あぁ、そうだ! あんた、医術師って」
「冷たい水に足をつけていれば、じきに歩けるようになるかと」
「失礼します」
弦太郎が主人に答えている間に、綾子は椅子に座る男性の足元に身を屈め、足首に触れた。
「骨は折れていません。確かに足を挫いただけのようです。露、薬草を」
「はい、姉さま」
露子が薬箱の中から必要な薬草を取り出し、すり鉢ですり潰して姉に持っていく。
綾子はそれを躊躇いなく患部に塗り付け、布で丁寧に巻いた。
「水で冷やすだけより、治りが早いと思います」
「あ、ありがたい……。薬代はいくらだ?」
「いくらなら払えますか?」
「え?えっと……」
怪我をしていない男が、慌てて懐を確認する。
「すまん。これから旅にいくらかかるかわからんから、これくらいしか……」
と銭を数枚取り出す。
「では、それでここのお団子を1つ買って、妹にやってください」
男が差し出した銭であれば、団子も10本くらいは買えるだろう。しかし綾子は、1つと言った。
「え、それだけ?」
当然男も驚く。
「えぇ」
もう興味がないのか、綾子は薬箱を片付けながら答える。
男は戸惑いながら団子串を買い、露子に渡した。
「ありがとうございます!」
露子は笑顔で礼を言って、嬉しそうにかぶりつく。
「妹たちが申し訳ない。お代は十分ですよ」
弦太郎が丁寧に頭を下げた。
「露、座って食べなさい。はしたないですよ」
「ふぁーい」
綾子に注意された露子が、とととっと椅子に駆け寄って座る。
本当に困っている人がいれば、綾子は惜しみなく薬草を使い、喧嘩ばかりの姉妹が団結する。
いつもそうであってほしいという弦太郎の願いは、なかなか叶わないものだった。
日が暮れてくれてきて、その日は途中にあった簡易的な旅籠に泊まることにした。
広い土間で大勢の旅人が雑魚寝をする旅籠では、満足に休むこともできないが、雨風をしのげるだけ十分だ。
「姉さま……」
「ここにいますよ」
心細そうに姉を探してすり寄る妹に、綾子はそっと答えて頭を撫でる。
生まれてすぐに母を亡くした露子にとって、姉は母親代わりとも言える存在。だからいまだに、眠い時に甘えるのは、兄ではなく姉だった。
なんだかんだと仲のいい姉妹の様子を見ながら、弦太郎は背中を壁に預ける。
隣に座った綾子も、兄の肩を借りてうつらうつらと船をこぎ始めた頃、
「へへ……」
周囲の男たちが、いやらしい目つきを向けてくる。
妹が事件に巻き込まれてはいけない。睨みをきかせるため、弦太郎は休めそうにはない。それでもかまわなかった。
『弦……。あなたは、強い子。どうか、妹たちを、守ってあげてね』
弱った母が、家族が寝静まった夜に、心配で起きてきた弦太郎に言った。
『弦太郎、頼んだぞ』
老いた父が、最後に放った言葉。
両親のこの言葉が、妹たちを守りながら旅をする弦太郎を支えていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「おい、これやっとけよ」
バサッと投げられる着物たち。頭の上にのせられ、怒鳴りたいのをぐっとこらえる。
「おい、いいのかよ」
「いいだろ。新入りなんだし」
「新入りったって……」
ついこの前入ったばかり、とでも思っているのだろか。もうここに来て3ヶ月は経っている。
「こいつは洗濯も慣れてるだろ!」
理由は、たったそれだけ。それだけでも、ここではいじめられる。
彼はぐっと唇を噛んだ。
こらえろ。いつか絶対にやり返してやる。彼らよりもずっとすごい医術師になって。彼らの上に立つ人間になってやる。
そう言い聞かせた。
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