29の秋 - 善なりの線引き



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————…




「……は?」




で。



何で俺、十数年お守りをしてきた心未に————




・・・




記憶に新しい去年の秋口。事件は起きた。


これ・・は、二度目ではない。一度目のあれは事件ではなく事故という事になっている。というかアタシがそうした。

それもこれも、同じく十数年見守ってきた二人が——特に男の方が『無事にこいつ、俺のものです14年間ご苦労様ァ』と言わんばかりの訪問(牽制)をかましてきて。

ご愁傷様、の空耳。『おまえに娘はやらん』と開きかけた口も彼女の照れ笑いを見たら閉じざるをえなくて。兎に角アタシは傷心中だった。

最後の(意地)悪足掻きというか…で彼女に言ってしまった酷い言葉を、受け容れた彼女の表情を見てから後悔して、数日間酒しか口にせず、寝込んでいる最中のそのハッピーな報告だった。

ああ、キリティー。

俺の最後の良心が…。

事件が起きたのはその夜のことだった。

同じ酒臭さに紛れて気付かなかったのか。恐らく、何言目かの言葉でぼんやりと目を覚ました。


「き」



……ん……?



「この透き通るような金髪も、通った眉筋も眸も、笑うと別人みたくなるのも、薄い唇も、見るのと触るのでは感触の違う身体も」



傍で聴き慣れた声がして、薄暗闇の中 目を凝らす。



「心未ちゃん…?」


心未仕様・・・・の自分を咄嗟に引っ張り出して、名前を呼ぶと。

唇に、柔らかくて温かい感触。



…………は?



急激に雲がかっていた脳内が晴れる。

酒には溺れても、暗闇の中この感触に小首を傾げる程の餓鬼時代はとうに過ぎた。今日も下半身がゆるゆるだと失礼極まりないことを指摘されたばかり。小首を傾げたくなったのはこの状況にだ。



——心未は、22歳になった日を境に、突然添い寝を嫌がった。


元々中学の間に徐々に距離を置くようにしたものの、記憶にこびりついて剥がれない木曜日だけはどうしても上手く眠れないらしく、それに気が付いてから木曜日だけは必ず帰って来て、傍にいた。


だから、『一人で寝てみたら全然いけた』と言われた時の衝撃は、人生で一位二位を争う。

今までの気遣いと葛藤も何だったのか。


…つうか当人は忘れてんのかもしれないけど、中学入って『もう一人で眠れるでしょ』って添い寝卒業を促した時、泣きそうな顔して首を横に振ったのは心未ちゃんだからね?


それを理由に含ませ、母と妹と住んでいた近くのアパートから出て一人暮らしをする、と相談じゃない報告をされた時にはそのまま駆け出して庭の池に飛び込みたくなった。実際には平然と平静を装っていたらしいし飛び込んでいる暇などもなく、直後呼び付けたナズナに『俺も丁度引っ越す。同アパートに空き部屋あるからそこにしたら』とそれとなく提案することを否応なく強要した。

物件も、インターホン等改築可で物音も聞き取りやすい木造、隣人は愚か他の住人に年頃の男など紛れていない物件をその三条件の下、自らの手で探した。インターホンもカメラ付きにしたし鍵も勝手に変えたし(合鍵複製)玄関横とベッド沿いの窓も自分だけ簡単に入れるようにした。

いちいちピッキングなんてしてられるか。


心未は自分の自立を察してアタシが過保護の手を緩めたとでも思ってそうだけど、違う。

張り巡らせた網を見えないようにしただけだ。



が、それだけに止まらず駆け出した心未に長く美しかった髪も躊躇なくバッサリと切られた時には発狂しかけた。いや発狂した。荒れまくって二日酔いどころじゃなかった。いよいよアル中かと。


でも。


そもそも、『一人で寝てみたら全然いけた』 ?


そんな嘘、嘘にも満たないくらいだ。


案の定ナズナから心未が眠れてないっぽいと聞いて忍び込んだ先には、心未にしては多すぎる量の酒缶、手に取れば強すぎる度数の物が転がっていて、それでも効かないのか魘されていた。

枕が涙で濡れていて、…あまりにも、痛々しくて。


初めてのキスも覚えてないくらいだったから、せめて心未が夢を見ている間だけでも要望に応えようと求められるがまま、気が紛れるように手を重ねてきた。



ただ、これは違う。



「ちょ……っと」


急いで薄い肩を掴み引き離すと表情が見えないまま心未は倒れ込んできた。



「っぶな」


後ろに腕を着いて支えた軽い身体は熱く、ふわりと香ったそれに顔を上げた。


視線の先には、さっき——潰れてからどれだけ時間が経ったのか定かではないが——まで飲んでいた酒の缶と瓶が分厚いローテーブルの上にも下にも倒れたり並んだりしていて、記憶が正しければ最後に開けて、少し飲んだところで止まっていたはずの瓶の中身が殆ど無くなっている。



「馬鹿、あれ飲んだの…!? 子どもが飲んでいい度数じゃ「子どもじゃ、ない」



よく聞けば、やはり呂律が回ってない。それでもそこを否定せずにはいられなかったのか、凭れている彼女の顔を上げさせると、予想していたよりはっきりとした瞳を向けてきた。


その顔があまりにも可愛くて、理性は酒に預けて齧り付きそうになる。


でもまだこの子を『子ども』と突き放していられるくらいには“大人”であるべきの自分が僅かでも酒が入った状態で、酒が入った相手を同意なく押し倒すには、


あまりに大切で


愛しくて


できない。






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