君と僕

瀬尾順

第1話 消える教室

 どんな学校にもあるありふれた怪談のたぐいさ。

 本当にあるわけがない。

 教室が消えてしまうなんて。


   1


 ハトコの相談にのってやってくれないか?


 僕は昨晩、義父に言われた言葉を何度も反芻して、ため息を吐く。一年生の教室がある新校舎へと続く渡り廊下を歩く足取りは重い。二重の意味で気がすすまなかった。まず、第一にハトコとはいえ、後輩女子の面倒を見るなどというまさに面倒事を引き受けるなんて、僕の流儀に反した行為だ。僕の目指す属性は自発的陰キャラ男子であり、高校生活を誰よりも無難に、何よりも問題なく過ごしたいのだ。


 リア充? いやいやいらない、メンドーくさいし。

 アオハル? どうぞご勝手に。


 そんな風に一年生を目立たず騒がず息を潜めてやり過ごしてきたのだ。傷つきもせず、傷つけもしない。それが人類が目指すべき恒久的平和というものだろう? サバンナの草食動物なら、きっと僕の気持ちを分ってくれるはずだ。


 それから第二の問題。これが大きい。

 僕は今年、入学してきたというハトコと会ったことがない。

 陰キャラに、自分から初対面の女子に会いに行けとか、どんな罰ゲームだよ、義父さん。


 本来なら、笑ってスルーする案件だ。しかし、三年前、困窮を極めていたシングルマザーだった母さんと僕を救ってくれたのは、まぎれもなく義父だ。愛想笑いしか取り柄のない若作りのキャバ嬢(こぶ付き)とあんなちゃんとした人がよく籍を入れてくれたものだと僕は当時驚いていた。一時は母親が結婚詐欺に引っかかってるんじゃないかと疑っていたが、義父は母と僕を温かく家族として受け入れてくれた。おかげで、僕はまともなものを食べ、健康に成長し、高校にまで通えているのだ。少々お人好しすぎるきらいはあるが、僕は義父を尊敬し、感謝している。その義父の願いを無下にはできない。


 だから、会うことにする。


 義父の弟さんの再婚相手が連れてきた娘である(ほとんど他人じゃないか!)ハトコの一年生女子に。


 渡り廊下が終わり、新校舎に入る。開けっぱなしの窓から流れてきた温い春風が僕の頬に絡みつく。気のせいかもしれないが、ペンキとかシンナーのような溶剤の匂いがした。出来たての白すぎる壁の色に僕は馴染めなくて、居心地の悪さを感じた。すれ違う一年生達は、連休明けの気だるい空気をまとったまま昇降口の方へおしゃべりをしながら歩いて行く。「朝礼の校長の話、マジ長くない?」「三年生がパパ活やって退学になったらしいよ」「ウチにもそんな人いるんだー」まだ着慣れていない制服の紺色がまぶしい。僕は一年四組とプレートの下がっている教室の前にたどり着いた。もう放課後になってから三十分ほど過ぎたが、どれくらいの生徒が残っているだろうか。できれば、ハトコ以外の一年生とは接触せずにさっさと相談とやらを済ませてしまいたい。


 もし、まだたくさん生徒が残っているのなら、少し時間をズラそう。

 僕は三年間愛用している黒ブチ眼鏡のブリッジを押し上げながら、そっと教室の扉を開けて、中をのぞき込む。


 いた。


 空っぽの教室の隅、僕の位置からちょうど対角線上になる窓際の一番後ろの席に、小さな少女が一人座っていた。どんな顔をしているのかは分からない。彼女はずっとうつむいて右手で握りしめたスマホの画面を凝視している。長い前髪と窓から注ぐ陽光が作り出した影が彼女の表情を僕に見せてくれない。彼女は親指で画面を高速でスワイプし、はぁはぁと息を荒げていた。まるで激しい運動をした直後のように苦しそうに見える。すると彼女はおもむろに左手を机の中につっこむと、コンビニに一個三十円くらいで売っているジャンクなチョコレートスナックをわしづかみにして取り出した。スマホを置いて、机の上にばらまかれたチョコの包装紙を次々と破って、彼女はチョコを大量に頬張る。少し癖のある肩くらいまでの長さの黒髪を振り乱しながら、一心不乱に食べている。ぐおぅり、ごりと咀嚼する音が僕にまで届いた。すべてのチョコを飲み込むと、彼女は背もたれに身体を預けて深い息を吐き、


「効くな~~~~っ…………」


 と恍惚とした表情で教室の天井を見上げていた。


 どうしよう。


 近づいたのはいいが、話しかけるタイミングを完全に失ってしまったんだが。


「キミが義父さんが言っていたハトコの先輩かい?」


 視線だけを動かして、ちらり、とハトコの後輩女子が僕を見る。


「ああ、そうみたいだね」


 そう言いつつ、僕の意識は彼女の言葉でなく、彼女の顔――特に瞳に捕らわれていた。

 単に美人というだけなら、僕は特に興味はもたない。

 だが、彼女の両眼は、初見の僕には印象的すぎたのだ。

 澄んでいるとか、キレイだとかそういうことじゃなく、いや、澄んでいるし、キレイではあるんだけど、一般的な瞳のキレイさじゃない。例えれば、精密機器。人工的に丹念に研磨されたレンズのような、そんなキレイさだった。工学的な美しさ。生物感がない。


「今、ボクの目が変だって思ったろ?」

「ごめん、思った」

「キミは正直だな。ボク、そういう人は好きだよ」


 特に不愉快な風もなく、後輩女子は唇を上げてにひひ、と笑った。


「君が何か悩んでるから、相談にのれって言われたんだけど。僕に役に立てるかな? 見た感じ五月病ってわけでもなさそうだ」


 気を取り直して、僕は早速本題に入る。ハトコが美人で瞳が変わっているからといって、僕の流儀が揺らぐわけではない。さっさと問題を片づけて退散しよう。


「先輩、これを見て欲しいんだ。ボクの唯一の友達なんだけど」


 君は僕に自分のスマホを突き出した。LINEのやりとりの画面が表示されている。緑色のフキダシの中に「旧校舎の生物室発見!」のメッセージとともに暗い教室の中で、人体模型を抱きしめて笑っている少女の画像が貼り付けてあった。日付は三日前になっている。


「このメッセージを最後に、洋子は消えたんだ。彼女を見つけたい」


 君は甘い匂いのする息とともに言葉を吐き出した。


「家出でもしたってことか? 君が心配するのは分かるけど、そういうのは警察の管轄じゃない?」

「先輩、女子高生が三日間家に帰らないくらいで警察が本気で捜査すると思ってるの? 事件性が認められないかぎり絶対動くもんか。だからウチみたいな興信所にその手の探索依頼が嫌というほど舞い込んでくるんだ。浮気調査と家出人捜しが我が家の収入源の二本柱さ」

「君ん家は探偵をやっているのか?」

「母も義父も、その道二十年だよ。ボクはまだ五年だけど」

「君も探偵なのか?」

「アルバイト程度にね。でも、解決率は今のところ百パーセントなんだ。ボクはスジがいいって言われてるよ。この目のおかげでね」彼女は席を立つと、ちょんちょんと右目の下の頬をつつきながら、「カメラアイなんだ。ボクの目。カメラアイって先輩、知ってる?」

「いや、全然だ。初めて聞いた」

「だろうね。かなりの希少種だから。まあ、今はボクの目のことなんていいか。早速だけど、先輩には洋子を捜すのを手伝って欲しい。正確に言うと旧校舎について知ってることを教えて欲しいんだ。ボクは今年入学したばかりだし、上級生に親しい人なんて皆無だから情報が足りないんだ。さしあたって、今からボクを旧校舎の生物室に連れて行って欲しい」

「それは出来ない相談だな」

 僕は真っ直ぐ見上げてくる君と、君のカメラアイに映る僕に向かって答えた。

「ただ働きなんて嫌かい? 報酬ならちゃんと払うし、ボクにできることなら何でもするよ」

「そういう意味じゃない。僕にはハトコの後輩からたかるような気はさらさらないよ」

「なら、どうしてさ?」

「旧校舎に生物室なんてないんだ」


   2


 僕は君を連れて、取り壊し中の旧校舎に向かう。校庭を斜めに突っ切った先に巨大な青いシートで覆われた木造の校舎が静かに佇んでいた。今日はもう工事はしないのだろうか。「関係者以外立ち入り禁止」の黄色い立て看板が僕達の行く先を阻むが、君は「ボク達はこの学校の生徒さ。立派な関係者だろう」と奥に進んだ。僕は「足下に気をつけろよ」と彼女の紺色の制服に包まれた背中に声をかける。周囲は建築資材が入っていると思われる段ボール箱が雑に山積みにされ、ところどころにドライバーやレンチのような工具が置きっぱなしになっていた。素人目にも分かる。ここを担当している業者の安全意識は低い。


「この先はさすがに行けないや」


 君は足を止めて、先をふさぐオレンジ色のショベルカーを見上げる。左側の壁をぶち抜いて進んできたと思われるその重機はアームを伸ばし、僕達から見て右側にある教室の窓に、強大な爪を差し込んだまま停止していた。破壊の途中で停止しているその様子は見ていて、痛ましく感じる。


「この廊下の一番奥に生物室はあったんだ。とっくに壊されていたんだよ。三日前にはもうこの世にはなかった。僕は昼休みはこのあたりに潜伏して一人で昼食を摂っているから確実な情報だ」

「じゃあ、キミは洋子が送ってきた画像は何だって言うのさ。まさか夜だけ旧校舎の生物室が復活して、そこに洋子が迷い込んだなんて言わないだろうね」

「そういう七不思議めいた噂が一年生の間で広まっているのは知っているけど、そんなことはあるわけない。今使ってる校舎の生物室じゃないか? フツーに考えて」

「それはありえない。先輩、もう一度、洋子の画像をよく見てくれ」


 僕は君が取り出したスマホの画面をのぞきこむ。例の女子生徒が人体模型を抱いて笑っている自撮り画像が表示されている。君は画像の右上の隅を人差し指でなぞり、


「この天井は新校舎のものじゃない。ここのものだ。ほら、木でできてるだろう?」


 と、言われてもほとんど闇で塗りつぶされていて、天井の材質など僕には分からない。


「ぶっちゃけ、暗くてなんとも言えない」

「ああ、普通の人には視えないんだ。待ってくれ、今からアプリで明度を上げる」


 慣れた手つきで、君が立ち上げたアプリで画像をいじると明るくなった画像にある天井は茶色で木目らしき模様があった。今、僕達が使っている生物室の天井は白色だ。それに彼女の周囲には積み上げられた段ボール箱も映っている。ここに来るまでに見てきた資材の入ったあの段ボールとそっくりだ。


「この画像を見ても三日前の夜、本当にここに生物室がなかったと先輩は断言できるかい」

「目の前を見てくれ。ショベルカーの向こう、生物室があった場所は、すでに廃材の山だ。教室なんて跡形もない。僕は毎日、このあたりに来てるから知っている。この廊下の奥は君達が入学してきた頃にはもう取り壊しが始まっていた」

「先輩、この旧校舎は夜だけ時間軸がズレて、迷い込むと過去に跳ばされるって噂があるんだ。だから、一年生がたまに検証動画を撮りにここに忍び込んでる。我が校のにわかユーチューバー達がね。新生活が始まってはしゃいでるんだろう」

「その中に君の友人が混じっていた、と」

「明るくていい子なんだけどね、ちょっとお調子者なんだ。先輩、あの廃材のところまで行きたい。元生物室の場所を調べたいんだ。どうやって行けばいい?」

「このショベルカーのアームの下をくぐるしかない。でも、危ないからやめておけよ」

「でも、先客がすでに調査を始めているみたいだけど」


 え?


 君が指を指す方を僕は注視する。ショベルカーの向こう側、乱雑に積み上げられている瓦礫のそばで、一人の女子生徒がしゃがんでいた。死角になっていたせいで、あの子の存在に気づかなかった。彼女は軍手をはめた手で、危なっかしく木片をつかみ、移動させている。何かを必死になって捜しているように見える。


「こんにちは、ひなぴーさん」


 君は猫のような俊敏さでアームの下をするりとくぐり抜けて、ひなぴーと呼んだ女子生徒のそばに移動した。話しかけられた女子はびくっと肩を大きく震わせて、君を見上げる。


「どうして、私のこと知ってるんですか?」

「知ってるさ。君は我が校一の人気ユーチューバーだろ。ボク、チャンネル登録してるんだ。相方のよっくんとの軽妙な掛け合いが面白くて好きなんだ」

「そうですか。どうも……」


 ハトコのテンションとは対照的にひなぴーという愛称の女子は大人しいというか暗い。とてもユーチューバーなんて陽キャラの極みのような人種とは思えない。

 とはいえ、まずは、


「二人とも、こっちに戻ってきてくれないか? そこは危険すぎる」


 僕は今にも崩れてしまいそうな廃材と、二人の女子を交互に見ながら声をかける。


「ダメです。私、証拠を捜さないと。そうしないと警察が信じてくれないから。よっくんを捜してくれないから!」


 ひなぴーさんは半泣きで、僕に向かってそう叫んだ。


「よっくんも行方不明なのかい? その話詳しく聞かせてくれる? もしかしたら協力できるかもしれない」


 君は嬉し気に微笑すると、ひなぴーさんと同様にその場にしやがみこんでしまった。彼女がぐすぐすと鼻を鳴らしながら、涙声で事情を話し始め、君は何度も頷きながら熱心に話を聞いていた。どうやら探偵モードに頭が切り替わってしまったらしい。僕は一度嘆息した後、自分も注意しながら重機の下をくぐり抜け、彼女達のそばに行く。


「私がもっと強く止めれば良かったんです。よっくんが旧校舎の生物室に行くって言ったときに」

「よっくんも深夜にここに来たのかい? それから帰ってきてないってこと?」


 君の瞳が大きく開き、輝きを増す。

 僕の気のせいかもしれないが、またたきをしていないように見える。


「はい、一週間前に。タイムリープしてる生物室は実在するのかをテーマに動画を作ろうって言い出して。私は怖いからやめようって言ったんですけど」

「洋子より前に同じような被害者がいたのか……。それでよっくんは生物室にはたどり着けたのかい?」

「分かりません。彼一人で撮影に行っちゃったので。LINEで「旧校舎に来た」ってメッセが飛んできただけで……それきり、連絡が取れなくなって……」

「彼の家族には知らせたよね?」


 僕は二人の会話に割り込んで尋ねた。


「もちろん、次の日に直接、自宅に行きました。ご両親は警察に届けたそうです。だけど、警察は家出したって思い込んでるみたいで。事件性がないと捜査をしてくれないんです。だから、私、ここに何か手掛かりになるようなモノがないかずっと探してるんです。彼の持ち物とか落ちてれば、誘拐の可能性も出てくるじゃないですか」

「ひなぴーさんは、噂通りよっくんが生物室ごと消えたとは考えてないの?」


 君はじっと、彼女の顔を見つめた。


「当然です。消える教室なんて馬鹿げてます」


 ユーチューバー女子は、涙目でそう言い切る。


「ボクの友達は、三日前にここで生物室を見つけたみたいなんだけどね。ほら、これを見て。どう思う?」


 君はスマホを取り出して、例の画像を彼女に見せた。彼女は食い入るようにその画像を見つめると、ぽろぽろと涙をこぼした。


「ウソ……。この背景加工じゃないんですか? 本当に深夜に生物室がここに出てくるんですか?」

「誓って言うけど、これを撮った洋子は画像の加工なんてろくにできないよ。せいぜい肌の色を良くしたり目を大きくしたりする程度さ。背景の切り貼りなんて高度なことできっこない。もちろんボクもしてないよ。ねえ、それでもキミは教室が現れたり消えたりしないって言い切れる? 今はどう思う? この謎を解かないと、きっとよっくんも洋子も見つからないよ。キミも本当のことを知りたいよね? だったら――」


 君は彼女の両肩を掴むと、まるで尋問するかのように彼女に畳みかけた。はあはあと息を荒げ、例のレンズのような目をさらに大きく開いて、彼女に、彼女の心にずかずかと土足で踏み入るように言葉を叩きつける。


「おい、やめろ。その子を追いつめるみたいな言い方はよせ」


 完全に怯えてしまっている彼女を見ていられなくて、僕は君の肩を掴むと、強引に彼女から引き離した。


「ボクはひなぴーさんに意見を聞いているだけだよ。失礼な先輩だな」


 君は眉根を寄せて、僕を睨みつける。


「まるで刑事が被疑者を問い詰めるような口調だったぞ」

「本当のことが分るまで自分以外、世界中の全ての人類が被疑者さ。ボクはひなぴーさんも、よっくんも、洋子ですら疑っている。もちろん、先輩もね。探偵として当たり前の姿勢だろ?」


 お前達を信用してなどいないと言い切るハトコが、きょとんとした顔を僕に向ける。

 この女、マジかよ。

 もう帰りたい。


「おい! お前達、そんなところに入ってはいかん!」


 げんなりとした僕の背後で、聞き慣れない男の声がした。振り返ると、上下とも灰色の作業着を着た初老の男性が重機の向こう側に立っていた。ウチの学校の校務員だ。作業着は見たことはあるが、顔も名前も知らない。だって、覚える前に、人が数週間から数ヶ月おきにころころ変わるのだから。


「ちょうどよかった。校務員さん、先週からこの場所で二人生徒が消えてるんだけど、あなたは何か知らない?」


 君は素早く立ち上がると、まるでステップを踏むように軽々と瓦礫を避けながら駆けていく。たぶん新たな被疑者の登場に歓喜しているのだろう。


「はあ? 俺は何も知らないよ! それより、全員すぐにここを出ていけ! 関係者以外立ち入り禁止だって書いてあったろうが!」


 校務員の高圧的な態度のせいか、ひなぴーさんは身体をがくがくと震わせている。僕も一瞬かちんときたが、危険地帯に勝手に入ったのは僕達が悪い。そもそも積極的陰キャラは学校側と騒動なんて絶対起こさない。何とかこの場を丸く収め、彼女達を連れ出して事なきを得るのだ。僕は「すみません、すぐ出ますから」と顔に気弱な少年風の作り笑いをべったりと貼り付け、校務員にへこへこと媚びへつらうように頭を下げる。


「へらへら笑ってないで、早くしろよ! 男のくせになよなよしやがって、オタクっぽい生徒ばっかりで嫌んなるぜ。だいたいここの生徒はロクなもんじゃない。真面目に働いている俺を見ても挨拶ひとつもしやしない。最近の子供は身体ばかり成長して頭は空っぽだな!」

「誰も挨拶してくれないのは、あなたの人格に問題があるからさ。今の言動で粗野で礼節のないダメ大人なのが丸わかりじゃないか。仕事だってホントはそんなに熱心にしてないんだろ?」


 君はショベルカーのアームの下でなく上を走り高跳びでもするかのように、スカートを翻して飛び越えると、一瞬で校務員の前に立ち辛辣な言葉を放った。

 あまりの出来事に、僕は呆気にとられた。

 彼女の運動神経よりも、無謀さに。


「ほら、これ低俗なエロ雑誌じゃないか。勤務時間中にこんなのを読んでるあなたのドコが真面目なんだい?」


 君は素早く校務員が持っていた雑誌を奪い取ると、パラパラとページをめくってみせた。栞代わりにしていたのか、何かの破れたチケットが廊下に落ち、女性のヌード写真のポスターがべろん、と広がった。


「なっ、勝手に人の物を! 返せ!」

「ああ、返すよ。こんなIQの低い本なんてボクは興味ない」


 君は投げつけるように、雑誌を校務員に渡すと、「帰ろう、先輩、ひなぴーさん」と言ってすたすたと歩き出した。僕は震えているひなぴーさんに「いったん、ここは離れよう」と話し彼女と一緒に廃材の山から離れ、アームをくぐって廊下に出た。すでに遥か先を歩く君の後を追う。校務員とすれ違う際、ちらりと彼の横顔を見た。俺だって好きでこんなとこに派遣されてねぇよ、リーマンで会社が潰れてなきゃ、とつぶやいているのが聞こえた。

 僕は当然何も言わず、そのまま立ち去る。


   3


 僕達は旧校舎を離れ、校庭の片隅にある駐車場にやってきた。一般車両は一台しか止まっていない。通常は十台分のスペースがあるのだが、半年前から工事のための軽トラと建築資材に占拠されている。


「私、今からもう一度、よっくんの家に行ってきます。ここで失礼します」

「ああ、待ってくれ」校門に向かおうとしたひなぴーさんを君が呼び止めた。「ボク達は消えた教室についての調査を続ける。何か分ったら知らせるから、LINE交換しないか? その代わり、キミも何か新しい情報があったら教えて欲しい」


 彼女はこくんと頷いてスマホを取り出した。君は彼女の表示させたQRコードを自分のスマホでスキャンさせ、「OK。じゃあ先輩も」と僕を見る。


「僕はいいよ」


 難色を示す。女子とLINE交換なんてしたくない。


「どうしてさ? お互い連絡先を交換した方が便利じゃないか」

「会ったばかりの男子とLINE交換なんて、フツーの女子は嫌だろう」

「ボクは平気だけど」


 君は小首を傾げる。

 だから、フツーの女子はって言ったじゃないか。


「私も平気ですよ。お二人は信頼できそうです。それに、今のところ、よっくんを一緒に探してくれるのはあなた達だけですから」

「先輩はボクのハトコなんだ。絶対変なことにはならないよ。ほら、先輩もさっさとLINE交換して」


 と、君はにやにやしながら僕の手を掴んで引っ張った。女子とLINE交換なんて僕の流儀に大きく反する行為でとても嫌だったが、ここでいつまでも駄々をこねていても時間の無駄だ。


「君とも今日あったばかりで、果てしなく他人に近いけどね」


 僕は観念して、君とひなぴーさんを友だち登録した。


「何か分ったら、深夜でも結構ですのですぐ教えてくださいね! 絶対ですよ!」


 ひなぴーさんは、僕達にそう念を押すと、ぺこりと頭を下げて駆けて行った。彼女の姿が校門をくぐって見えなくなると、ようやく僕はホッとした気分になった。同時に一気に疲労感が押し寄せてくる。ほんの一時間くらいの間に、色々なことがありすぎた。今日はもう家に帰って眠りたい。夕食と入浴を速攻で済ませて、漁港に水揚げされたばかりのマグロのように完璧に沈黙したい。


「ねえ、先輩はひなぴーさんの話、どう思う?」


 君は僕の手をくいくいと引っ張りながら尋ねてきた。まだ僕の手掴んでたのかよ。僕は静かに君の手を振りほどくと「ウソをついてる感じはしない」と短く答えた。


「ボクもそう思うよ。彼女達のユーチューブチャンネルは先週の火曜日以降更新していない。よっくんが先週、行方不明になったタイミングと合致する。消える教室と一緒にタイムリープしたのかはまだ分からないけど、よっくんが行方不明になったのはガチなんだろう」

「さすがにタイムリープはな……やっぱり家出でもしてるんじゃないか?」

「でも、もう一人、ボクの友達の洋子も消える教室を発見して居なくなってるじゃないか。単なる偶然と考える方が不自然だよ。この事件の根本はやはり消える教室の謎にあるんだ」

「だから、半年前に壊されたんだって。今さら消えるも何もない。君も一緒に瓦礫の山を見たじゃないか」


 おかげで粗暴な校務員に怒鳴られるハメになった。

 あの場所に連れて行ったら、調査を諦めると踏んでいたんだが、そんな気配はまるでないし。 それどころか新たな事件とまで遭遇するし。

 とんだやぶへびだ。

 甘い匂いがした。


「ああ、何かすごい引っかかるんだけど、頭が回らないよ。糖分が圧倒的に欠如している」


 ぐおりごぉり、と君は僕の隣で両手にあまい棒を持って交互に齧りついていた。一つ食べ終わるとすぐさま、次のを取り出して頬張る。


「今、ボクの目が録画した情報を脳に爆速でインプットしている。だけど情報が馬鹿みたいに多くて処理しきれない。エネルギー不足だ」


 ぐぎゅるるるっ、と腹の虫が盛大に鳴った。

 無論、僕でなく、君の。


「先輩、ボク、お腹が空いたよ」もう手持ちの菓子は食べつくしたのか、君は左手で腹を抑え、右手で僕の手を再び掴んだ。

「それはとてもよく分かったよ」腹が鳴ってもまったく恥じ入らない女子にある意味感心しながら僕は「じゃあ、今日はもう解散して家に帰ろう。夕食を思う存分食べてくれ。今後のことはLINEでいつでも相談してくれればいい」

「ダメだ。それまで絶対もたない。身体じゅうの血が脳に回っているから、手足に力が入らないんだ。たぶん自宅に着く前に、ボクは倒れる。可及的速やかに夕食とデザートを補給したい。先輩、ボクと駅前のサイゼに行こう。そこで食事を摂りながら今後の作戦を練ろうよ」

「え? いや、でも……」


 なんだこの展開は。思い切り僕の想定外だ。義父の願いをさらっとこなして、早々に離脱し静かで平和で孤独な陰キャライフに回帰する僕の希望からどんどん逸れていっているぞ。

 後輩女子と二人で夕食? それってドコのリア充の話なんだ。


「先輩、何を固まっているのさ。早く行こう。こうしてる間にも、ボク足がふらついてきたんだけど」

「いや、しかし、会ったばかりの異性といきなり食事なんてどうかなと」

「ボク達はハトコ同士だろう。支払いも全部、ボクがする。経費で落ちるから安心してくれ。何も問題ないじゃないか。それとも食事の後、先輩はボクをラブホにでも連れ込むのかい?」

「そんなことするわけないだろう」

「なら、決定だ。すぐ行こう、今行こう、絶対行こう。あっ、先輩、肩を貸してくれ。一人だと、もうまっすぐ歩けない……」


 僕の手を掴んだまま、君は膝から崩れ落ちるように校庭にへたり込んだ。これではさすがに放置して帰る訳にもいかない。「失礼するぞ」僕はかがんで、君の脇の下に頭を入れて何とか二人で立ち上がる。至近距離だと甘ったるい君の匂いがより強くなる。僕はか細い君の腕を肩に引っかけて、半ば引きずるようにして歩き出した。

 この学校から駅前まで歩いて十五分はかかる。それまでこんな状態なのか。泣けてくる。


「……先輩、まだ着かない?」


 虫の息の君が、弱弱しい声で僕に尋ねてくる。


「まだ校門を出たばかりなんだけど。あと十五――いや、この速度だと三十分は覚悟してくれ」

「ウソだろ……先輩はボクに死ねと言うのかい? 可愛いハトコにあんまりじゃないか」

「僕は何一つ悪くない。なら、もっと近場で手を打つか」

「是非、そうして欲しい。でも、ラーメン屋とかはなしだ。デザートのあるところ限定で頼む」

「そこの交差点を渡ったところにチェーンの喫茶店があるよ。そこでいい?」

「……喫茶店に今のボクを満足させられる実力があるのかい?」


 知らないよ、と僕は心の中でツッコミつつ、彼女をその店へと連れて行った。



「先輩、ボクはコメダを舐めていたよ!」


 君はみそカツパンとあんかけスパ、それにグラタンを平らげた後、テーブルに載せられたシロノワールを前に歓喜の声を上げる。


「僕も君の胃袋を舐めていたよ」


 大人だって躊躇するような量で有名な店なのに、三人前を簡単にやっつけてしまうとは。僕は自分のナポリタンを完食するのだって苦労している。君はフォークで刺したデニッシュパンに溶けだした生クリームをたっぷりとつけると、大口を空けて勢いよく齧りつく。唇や頬にクリームとシロップが付着してもまったく気にも止めず「うんうん」と頷きながら咀嚼していた。


「うん、頭に糖分が回ってきたよ。ぼんやりしていた本当のことが、浮かんでくる。消える教室、行方不明の二人、洋子が人体模型を抱いて撮った自撮り画像、よっぴーさん、粗暴な校務員、エロい雑誌、廃材と段ボール箱だらけの旧校舎……それにハトコの先輩……」

「おい、僕は関係ないだろう」

「違う。人類、皆、被疑者さ。どんな事件でもね」

「まったく……」

 僕はいったんフォークを置き、アイスコーヒーを口にする。


 ――マジ? パパ活ってそんなに儲かるんだ。私もやってみたい

 ――止めときなって。あんたも高山先輩みたいに殺されちゃうよ?

 ――高山先輩って、殺されたの? 旧校舎の生物室で消えたんじゃないの?

 ――あんな噂、信じてるの? バッカじゃないの

 

 僕の背後から、ひそひそと若い女性の声が漏れ聞こえてきた。


 パパ活? 殺された高山先輩? 


 その言葉に僕は三か月ほど前の記憶を引っ張り出す。僕がまだ一年生だった去年の二月、高山という名の三年生が退学になった。卒業間近の時期に退学処分ということで、生徒達の間で色々な憶測がなされた。その中のひとつが、高山がSNSを使って不特定多数の男性と不適切な関係を持っていたというモノだ。何の確証もないが、高山が退学になった次の日の朝礼で、校長のただでさえ長い話が倍近く長くなり、SNSについて強く注意喚起していたからというのが理由だった。だが、その先輩が殺されたとは聞いてはない。まあ、いい。面識のない女子生徒が、どこで何をやらかしてどうなろうと僕達には関係ないし。

 そこまで考えて視線を正面を戻すと、すでに君は居なかった。


 あっ、ヤバい。


「興味深い話だね。ボクにも詳しく聞かせてくれないか?」


 右手にフォーク、左手にシロノワールを載せた皿を持った君が、例のカメラアイをきらきらと輝かせて、後ろの席で雑談していた女子生徒達にすでに話しかけていた。


「何よ、あんた……」


 僕達と同じ高校の制服を着ているギャル系の女子生徒二人は、君を見て引いているようだった。僕は慌てて立ち上がると、「おい、やめろ」と君の両肩を掴んで席に戻らせようとする。だが、君の足はまるで床に根でも生やしたかのようにまるで動かず、


「リボンの色が赤ってことは、キミ達は三年生だね? ボク達は今、消える教室の謎を追ってるんだ。関連しそうな情報は何でも知りたい。教えてくれない? キレイな先輩方」


 君は早口でそう話すと彼女達の席に移動し、勝手に座ってしまった。

 誰にでもゼロ距離で接するなよ。


「すみません、すぐどかせますんで」


 僕がそう言うと、ギャルっぽい先輩達は表情を緩め、「あっ、別にいいよ」「同じ学校だし」と微笑した。どうやら君が「キレイな先輩」と言ったのが功を奏したようだ。君は「だそうだよ。いい方達で良かったよね、先輩。キミもグラス持ってこっちに移動しなよ」と僕にウインクして笑う。その笑顔からは「こいつらチョロいよね」という邪悪な思考が読み取れてすごくうんざりした。それでもギャル先輩達にまで「そっちの彼も早く早く」と急かされ仕方なく移動した。ハトコの後輩女子だけでなく、ギャル先輩二人追加? しかも男は僕だけ? どんどん僕の流儀から遠ざかっていくじゃないか。くそっ、義父さん恨むよ。


「ウチら、二年の時、高山先輩とたまに遊んでたんだけど、あの人、ぶっちゃけかなりヤンチャしててヤバかったんだ」


 ギャル先輩の内、君が隣に座っている泣きぼくろが左の目尻にある女子がため息を混りに話し始める。


「そうそう、私もホント言うと、高山先輩とははなるべく二人きりにならないようにしてたよ。私達と違って、ガチで怖いし。反社っぽい彼氏いたし」


 僕の隣にいる背の低い茶髪ギャル先輩も、こくこくと頷いた。


「高山先輩が殺された状況について教えてほしい」


 君は最後のシロノワールを胃に収めると、紙ナプキンで口元を拭いながら両眼を大きく見開き、またたきを止めた。ジーという機械音が聞こえてくるのは、僕の気のせいだろうか。


「高山先輩、退学になっちゃった後もパパ活はやってたんだって。相当稼いでたらしいんだけど、頭おかしい変態みたいなのに当たっちゃったみたい。ラブホで首絞められちゃったってさ。先月ニュースになったよ。扱いショボかったけどね。名前は出てなかったし。でも、ウチらの間じゃだいたいの子は知ってるんだ。結構美人だったけど死んじゃったら意味ないよね」


 泣きぼくろの先輩は伏し目がちに肩をすくめた。


「そのニュースって、これのことかい?」


 いつの間に検索したのか、君はスマホに先月のネットニュースを表示させていた。


『名古屋・十代女性殺害 被告は起訴内容認める』というタイトルの短い記事だった。名古屋市内のホテル内にてSNSで知り合った男女が口論となり、男性が女性を絞殺した。現在、警察は被告人の責任能力について問う方向で動いている、とあった。


「そう、これこれ」と泣きぼくろ先輩が頷く。

「キミはどうして、高山先輩が消えた教室に入ったと思ったんだい?」


 次は君は背の低い茶髪の先輩に視線を投げる。というより、投げつける。

 隣に座っている僕ですら、圧を感じるほどの目力だった。


「ふ、深い意味はないって。ただ私は高山先輩、死んだって知らなかったし、一部の同級生が噂で話してたのそのまま言っただけ」


 背の低い先輩は、あからさまにおたおたしていた。あの無機質な眼球を真っすぐ向けられたら、無理もないだろう。君は「ふむ」としばらく考えて、おもむろにアイスコーヒー(僕のヤツだ)の残りを一気にあおるようにして飲み干して、「このホテルってどこか分る?」と二人のギャル先輩を交互に見る。ちなみに未だにまたたきはしていない。


「ちょっと待って。えっと……あっ、ここだ駅の西口側にあるラビリンスってラブホ。部屋は304号室」

「部屋番号まで知ってるんですか?」


 不審に思い、僕はつい口を挟んでしまった。


「うん、高山先輩のお気に入りの部屋だったから。一番安かったってだけらしいけど」

「ホテル代が安い分、自分の手取りが増えるってわけか。なるほど。あっ、すみません、珈琲ジェリーください。先輩方も良かったら好きなものを頼んでくれ。支払いなら経費で落とすから遠慮なく」


 君は思考しながら、たまたま横を通った店員さんに追加オーダーをした。まだ食べられるのか。もはや驚きを通り越して呆れた僕は君にとられたアイスコーヒーをもう一度注文し、ギャル先輩達はケーキセットを嬉々として頼んでいた。

 追加したメニューが運ばれてくるのと同時に、僕の制服のポケットの中で、スマホが震えだす。帰りが遅くなったから、家から連絡でも入ったのだろう。僕は緩慢な動作でスマホを取り出し、側面のボタンを押してスリープ状態を解除した。


 >よっくんが見つかったって今、連絡がありました。道路でひき逃げにあって亡くなっちゃいました


 ひなぴーさんからのLINEだった。

 

   4


 ひなぴーさんから連絡が入った後、君はすぐに彼女に通話をして、静かになだめながら状況を詳細に聞き出した。一通り会話が終わった後、「全部、片付いたら必ず報告に行く。それまではゆっくり休んでくれ。ツラいなら学校も行かなくていいさ。決して思い詰めないように」と伝えると、素早く会計を終えて、僕を連れて駅前に来た。そして、居酒屋や風俗店のどぎつい色をしたネオンが輝く通りを、制服姿ですたすた歩く。


「夜の西口側は華やかだよね、先輩」

「華やかじゃなくていかがわしいんだよ。なあ、さすがに女子高生がこの時間帯にこんなところにいるのはまずいだろう。今夜はもう家に帰らないか?」

「ダメだ。まだ調査は終わっていない。全部の情報がそろわないと、本当のことにたどり着けない。ボクのカメラアイを通して脳に一刻も早く新しいデータを入力しないと。高山先輩、よっくん、消えた教室に関わった生徒が二人も死んでいる。洋子が三人目にならないってどうして言い切れる?」

「高山先輩は、ただ単に噂されただけだろ」

「違う。高山先輩は、何らかの形でもっと深く消える教室に関わっている。背の低い方のギャル先輩はウソをついている。瞳孔の開き具合、視線の動き、仕草、全部が怪しかった。ボクは職業柄、そういうのにはめざといんだ。今、探りを入れている」


 君は黄色い壁に大きく『無料案内場』と赤い文字で書かれた雑居ビルの前を通り過ぎると、スマホを操作して、「ほら、ビンゴだ」と僕に見せつける。それはとある有名な掲示板サイトで、画面に映っているのは都市伝説スレPART162【地方版】という名前のスレッドだった。


 192:名無し 三月に名古屋のラブホで○された女と消える教室について情報キボンヌ

 193:名無し >>192 ちょっw いまどき、キボンヌってwww

 194:名無し >>192 お前、さてはおっさんだなw

 195:名無し 古参だな乙かれ

 196:名無し 敬意を表して、この画像をプレゼンツ


 196の書き込みの中には外部リンクのURLが貼られていた。そこをタップすると、暗い旧校舎の教室の中、人体模型と並んでカメラ目線でピースしている女子高生がいた。僕達の学校の制服。目鼻立ちの整った美人だ。


「これは高山先輩か?」

「そうだろうね。もう分かってると思うけど192はボクだ。196はたぶん、ウチの生徒か卒業生なんだろう。高山先輩と親しかった人がこの画像を送られたのさ。やっぱり高山先輩も消える教室に入ったことがあったんだ。その後、彼女は無事生還したけど、パパ活がバレて退学。その後、このラブホで殺害されたって流れだろうね」


 気がつくと、僕達はいつのまにか暗い裏通りに入っていた。君はスマホを持ったままの右手の人差し指で、右側にある古いビルを指す。そのビルには毒々しいネオンの看板はなく、ひっそりと佇んでいた。今までのギャップのせいかやけにうらぶれて見える。廃墟っぽい印象。入り口には赤い回転灯が取り付けてある立て看板が置いてあって、ひび割れて中身の電灯が三分の一くらい露出していた。そこには『ホテル ラビリンス ご休憩二時間四千円~、ご宿泊八千円~』と掠れた黒文字がじんわりと浮かんでいた。


「駅チカのラブホにしては安いな。ヤルだけならここは穴場だよ、先輩」

「おい、まさか……」

「304号室が空いてればいいんだけど」


 君は何の躊躇もなく、ラブホの中に入ってしまった。おい、制服のまま何やってんだよ。一瞬、僕は固まってしまったせいで動作が遅れた。慌てて後を追いかけて、ハトコを連れ戻しに僕もラブホに入った。薄暗く狭いロビーには枯れかけた観葉植物が無造作に置いてあり、カウンターには頭髪の薄い気の弱そうな中年男性が立っていた。僕達と目が合うとあからさまに嫌そうな顔をした。それはそうだ。いかにも高校生という風袋の男女が入ってきたのだ。未成年に不埒なことをする場所を提供するのは法に触れる行為だろう。だが、君は中年男性から発せられる「お前ら迷惑なんだ、帰れ」という言外の空気など気にも止めずに(あるいは君には空気を読むという機能がそもそも欠落している可能性もあるが)、カウンターに突撃すると、どっかと両肘をついて、


「おじさん、304号室、ご休憩で」

「ウチは未成年には貸さないんだ。他所に行ってくれませんか」

「ボク達が未成年だって、どうして分かるのさ? こういう制服プレイが好きな客だって、いまどきそれなりにいるんじゃないの? 悪いけど客をえり好み出来るほど儲かってる印象はないけどな」


 君は一万円札を二枚、カウンターに置いてにっこりと笑った。

 カウンターの男は、しばらく君と二万円を見つめた後、部屋番号が刻まれた大きな円柱型のキーホルダーがついた鍵をそっとカウンターに置いた。

「……304号室はもうないんです。元304号室でいいなら、どうぞ」

 君は男から鍵を受け取って、僕のところに戻ってくると「行こう、先輩!」と叫んだ。

「いや、行かない。いくはずがない」僕は首を真横に何回も振って拒否させていただいた。

 今日あったばかりの女子とLINEを交換して夕食をともにしただけでも、ありえない出来事なのに、ラブホでご休憩って。何を考えているんだ、このハトコは。

「どうしてさ? 行こうよ」君は僕の右腕をつかむと、ぐいぐいとエレベーターのある奥へと引っ張り出す。

「待て待て待て! 君には常識がないのか!? 付き合ってもいない男女が二人きりでラブホなんて完全にアウトだろ」

「大丈夫だよ、ボク、先輩に何もしないから」

「それは本来、男側の台詞だよね?」

「先輩は肝が据わってないな。直した方がいいよ。ボクなんて本当のことを知るためなら処女くらい、いつでも捨ててやれるんだけど」

「余計な君の個人情報を僕に開示しないでくれ」


 僕と君はエレベーターの前でしばらく押し問答をする。しかし、後から入ってきたカップルの進行を妨げていることに気がつくと、仕方なくドアは閉めない、三十分で退出するという約束をしてエレベーターに乗って部屋に向こうことになった。顔も知らない義叔父さん、娘さんには指一本触れないし、僕にも触れさせないので許してください。


「部屋の中はキレイじゃないか。まるで新品だ。壁や天井が鏡張りなのは落ち着かないけど。あっ、ノド乾いたし、冷蔵庫にジュースあるかな」


 君は部屋に入ると、嬉々として部屋じゅうをくるくると回転しながら見渡すと、冷蔵庫から缶入りコーラを取り出してダブルベッドのど真ん中に、あぐらを書いて座りぷしゅっとタブを開けた。


「先輩もこっちに座って、くつろぎなよ」

「行かないよ、それより三十分の約束なんだ。さっさと用事を済ましてくれ」

「ああ、入った瞬間、用事は済んだよ」

「どういう意味だ?」

「部屋が完全に作り直されているからね。高山先輩殺しの痕跡はさすがに残ってないだろう。でも、大きな収穫はあった。先輩、この階にはいくつ部屋があったか確認したかい?」

「四つだよ。一階がロビーで二階より上は各階、四つ」

「そう。ちなみに、この階には301号室、302号室、303号室、それから、今、ボク達のいる305号室の四つだ。ロビーのおじさんが言ったように、かつて高山先輩が殺された304号室はもうない。事件後、改装して部屋番号も変えてしまった。4が死をイメージするからだろう。部屋番号のプレートを変えて、鍵のキーホルダーの4という数字の上に5と印刷されたシールを貼って完了さ。つまり高山先輩は消える生物室からは帰還できたけど、このホテルの304号室と一緒に消えたわけだ」

「でも、実際にはこの305号室が、元々は304号室だったんだ。部屋は消えちゃいないよ」

「そこさ。ボク達の高校の在校生と今年入学したばかりのボク達、一年生には旧校舎についての認識の差があった。情報の差があったと言い換えてもいい。それが消える教室の謎の正体だ。あとは――あっ、そうか……」


 君はそこまで話すと、いきなりベッドの上を転がり出し、枕元まで移動する。内線電話とメモ用紙の置いてあるローテーブルがそばにあった。君はボールペンとメモを手にした後、「先輩、集中するから、しばらく話しかけないでくれ」と言い一心不乱にメモ用紙に何かを書き始めた。静かな部屋に君が走らせるボールペンの音だけが、鳴り続ける。僕からは彼女の後ろ姿しか見えないが、肩をいからせ、呼吸を荒げながら頭を大きく前後左右に揺らし、君は何かに取り憑かれたようにメモ用紙と格闘しているのが分かった。何だか鬼気迫る雰囲気だ。大丈夫か? ラブホテルのベッドに座っている君に近づくのは躊躇われたが、僕は心配になって君の様子を見ようと、そっとベッドの方に――君がベッドから落ちた。

 ごん! という鈍い音をさせて、君は制服のスカートを思い切りめくりあがらせて、床に倒れてしまった。


「お、おい!」


 僕が駆け寄ると、君は豪快に下着を露出させたまま、床に大の字になって寝息を立てていた。唇の端によだれをたらし、とても気持ちよさそうに。気絶じゃなくて、眠ったのかよ。やりたいことを全力でやり尽くしたら、いきなり電池が切れたように眠るなんて、幼児か君は。僕は君に外傷がないことを確認し、極力、見ないようにしながらスカートを戻して、君の下腹部を隠した。君の眠りは深く、いくら声をかけても、揺すっても起きそうになかった。このままではご休憩どころかお泊まりになってしまう。説教をされるのを覚悟して僕は義父に電話をかけて、事情を話した。義父と義叔父の二人がこのホテルまで迎えに来ることになる。そこまで話をつけると、僕は脱力し眠りこけている君のそばで膝を抱えて座り込んだ。その時、床に落ちいた君の書いたメモ用紙を発見し、僕はそれを拾い上げた。

 メモ用紙にはQRコードが書かれていた。

 一瞬、印刷されたものと見まごうほどに精緻にボールペンで書き込まれている。

 こんなの手書きで書けるって、どれだけ手先が器用なんだと感心した。でも、君は何故こんなものを書いたのだろう。それが引っかかる。このQRコードに消える教室の謎を解く鍵があるのだろうか。好奇心に負けて自分のスマホで読み取りを試みる。手書きのQRコードなんてさすがに無理かと思っていたら、驚いたことにちゃんと反応した。だが、どこかのサイトに飛ぶURLが表示されるわけでもなく、メッセージが一文出ただけだった。


 結果: 発行番号 ××××―××―×××× 中部圏の高速道路料金が変わります。×月×日。対距離区分+5車種化

 

「なんだこれ……」


   5

 

 次の日の朝、僕が教室に着くと、まるでタイミングを見計らっていたかのように、君からLINEが届いた。


 >おはよう、先輩。父に聞いたよ。昨日は捜査途中で眠って悪かった。今度、またコメダで奢るから許して欲しい

 >それと、消える教室に昨晩、行ってきたよ

 >今からすべての決着をつける。授業をサボって先輩も来て欲しい。旧校舎の入ってすぐ右にあるまだ取り壊されていない元一年一組の教室に来てくれ


 三つの緑色のフキダシの後に、旧校舎の生物室で人体模型にヘッドロックをかけている君の画像が貼り付けられていた。僕は好奇心とハトコが心配な気持ちに背中を蹴飛ばされ、大急ぎで旧校舎へと向かった。途中、一限目担当の現国教師に捕まりそうになったが、無視してそのまま走り続けた。上履きからスニーカーへと履き替える時間さえもどかしい。今日も工事は休みなのか、静まり返った旧校舎に入ると、僕は君に指示された通り、右に曲がってすぐにある一年一組というプレートがぶら下がったままの教室に入った。


「早いね、先輩」


 黒板が外され、たくさんの古い机と椅子が積み上げられ、半分廃墟と化した旧一年一組で、片手にチョコスナックを持った君が振り返って笑った。

 足元には、人体模型がひとつ転がっていた。


「もう分かるよね、先輩」

「ここが消える生物室だったのか。暗がりでその人体模型と一緒にここで撮影すれば分かりづらい。ましてや、君達、一年生は元々の生物室を知らないからなおさらだ」

「ああ、先輩の言う通り、半年前には旧校舎の生物室はもう壊されてこの世にはなかった。だが、どの教室が生物室かどうかなんて、何によって定義されるかってことなんだ。その部屋を管理する立場の人間が設備を運び出しプレートを差し替えて、「今日からここは×××室です」って言ってしまえば部屋なんてそれで移動も消失も簡単にできる。あのラブホの元304号室のようにね」

「今回の場合、その人体模型がプレートと設備の役割をしたってことか……」

「この内臓が露出した人形はインパクト大だからね。夜の旧校舎でこいつと一緒に写真を撮れば、それだけで大半の人間はそこが生物室だと信じてしまう。最初にこのトリック――というかイタズラを思いついたのが高山先輩だったんだろう。そのタネが分れば、あとは人体模型を探すだけさ。昨日の夜、こっそり侵入して見つけたよ。この教室のロッカーに入っていた」

「消える教室の謎は解けた。でも、まだ死んだ男子生徒と行方不明になった君の友人の問題が残っている」

「ああ、それについてだけど、」「お前達、何をやってるんだ!」


 君の言葉を、昨日出会った粗暴な校務員が現れて遮る。君はにまにまと嫌な感じの半笑いを唇に浮かべながら、

「やあ、犯人様のご登場だ」

「あっ!? 何を言ってるんだ、頭がおかしいのかお前は。授業をサボって立ち入り禁止場所にいるなんて大問題だ。先生方に報告するぞ!」

「どうぞ、ご自由に。その代わりというわけじゃないけど、ボクはあんたを死体遺棄の疑いで父経由で警察に報告させてもらったから。もうすぐここに来るんじゃない?」

 君がそう言うと、目の前の男の顔からみるみる血の気が引いていく。この様子を見ているだけで分かった。こいつがよっくんの死に関与していると。

「何を証拠に、そんなことを言うんだ……俺は何も知らないぞ」

「メンドクサイな。どうせ刑事に尋問されたら、あんたなんか数時間で吐いちゃうんだから、もう観念してよ。ところで校長とあんたどっちが主犯なんだい? 殺したのはどっち? あと行方不明になってる洋子はどこ? まさか彼女まで殺してないだろうね」

「い、いや、校長は……別に……」


 君は両眼を大きく見開き、冷徹な視線で校務員を“撮影”し続ける。

 すっかりしどろもどろになった校務員は、すっかり君に気圧されて、何も言わない。


「じゃあ、証拠を見せてやろう。これ分る? あんたが昨日、落とした破れたチケットのコピーさ」


 君は視線は男に固定させたまま、小さな用紙を取り出した。文字が印刷された箇所はほとんど破れてなくなっていたが、QRコードが印刷されている。あれは……


「あんたがエロ雑誌に栞代わりに挟んでいたんだ。オリジナルは昨夜の夜、ここに忍び込んできっちり回収させてもらった。これは高速道路の通行書さ。ボクが読み込んだ情報と完全に一致していた。発行番号から車が高速に乗った時刻、ナンバーその他諸々の情報が分かるんだ。高速に乗ったのは三日前の深夜、車は校長の使用するベンツだった。今、唯一、車で出勤してるから、ボクもナンバーは覚えているよ。大方、あんたが校長の車を運転して高速に乗ったんだろう? 校長の命令でよっくんの死体を遺棄するために。さあ、もういいじゃないか。殺したのあんたか、校長かどっち?」

「待ってくれ! 俺も校長も殺してない! あのガキが勝手に死んだんだ!」


 君の追求に耐えきれなくなったのか、校務員は頭を抱えてその場にへたり込んだ。


「往生際が悪いよ。もうひとつ、決定的な証拠もあるんだけど。何なら死者の声を聞くかい?」


 死者の声?


 僕が驚いていると、食べかけのチョコスナックを一気に口の中に放り込んで、咀嚼しながら君はスカートのポケットから細い筒状の機器を取り出す。先端にカメラらしきものがついていて、君が揺らしてもレンズは常に水平を保っていた。不思議そうに見ている僕に気づいたのか君は説明を始める。


「先輩、これはVログカメラって言うんだ。外を歩き回るユーチューバーがよく使うんだ。よっくんは消える生物室を撮影するために、これを持って例のショベルカーの向こう側に行ったんだ。ひなぴーさんが捜していたのも、たぶんこのカメラだろう。当然スイッチは入っていた。よっくんが死ぬ瞬間の音声は録音されている。あんたと校長が彼を殺す瞬間の声もね。あんたもこれを捜してたんだろう。でも、地面には落ちてなかった。ショベルカーのアームの上に引っかっていたよ。アームを跳んだボクだけが、昨日、それに気づいたんだ。皆、アームの下しか通らないから死角になってたんだ。証拠隠滅できなくてご愁傷様、人殺し」

「違うんだ! あのガキは勝手に真夜中にあの場所に入って、瓦礫の下敷きになって死んだんだ! 事故死なんだ! 俺はそれを見つけて校長にちゃんと報告をした! そしたら、あいつ警察を呼ぶどころか事件を隠蔽しようとして……これ以上、学内で問題を起こしたら、自分のクビが飛ぶって……俺は嫌だったんだ……だけど、ここに生徒が入ったことには俺にも責任があるって……この職を失ったら、俺は……」


 全身をガタガタ揺らして、校務員が、必死に弁解をする。


「校長は、半年前、高山先輩がパパ活をやっていたことがPTAで問題になって突き上げを食らっていたのは、ボクも知ってるよ。その上生徒が校内で事故死じゃアウトだろうね。テレビで謝罪会見確定さ。それが嫌で、あんたを巻き込んで事故死した男子生徒を学外で死んだことにしようとした。死体を車に轢かせて、瓦礫の下敷きで死んだのをごまかそうとした――そんなところかい?」


 君はVログカメラを持って、校務員に近づくとすっと目を細めた。汚いものでも見ているような冷たい視線だった。僕は君と校務員の動きを注視しながら、一歩踏み出そうとする。慌ててここまで来たせいで、スニーカーの紐が緩んでいることに気がついた。彼らを見たまま僕はそっと膝を折って屈んだ。校務員はうつむいたまま、話を続ける。


「男子生徒の死体は、しばらくブルーシートで包んで、そこのロッカーに放り込んでおいたんだ。それから、四日後の深夜、俺が運び出して高速道路で県外に捨てに行く予定だった。そこをまた忍び込んだ女子生徒に見られちまったんだ……」

「この模型を取り出すとき、死臭がひどかったから、ロッカーに保管してたのは分ってたよ。忍び込んだ洋子に死体遺棄を見つかったから、彼女も殺した?」

「違う。捕まえて校長が借りたウィークリーマンションに監禁している。さすがに殺しはやってない……」

「つまり、あんたと校長の罪は死体遺棄と誘拐、そして監禁か。あとは校長を締めあげれば洋子は助けられそうだ。貴重な自供ありがとう。これでやっと完全な証拠が揃った」


 君は右手の親指を動かして、Vログカメラを操作する。ピッと軽い電子音がした。


「そのカメラ、今まで撮影していたのか」と僕が尋ねる。

「ああ、ボクが自分のカメラで何時撮影してもいいだろう?」


 自分のカメラ、という言葉に校務員が、驚き顔を上げる。

 君は淡々とした調子で彼に話し始めた。


「ああ、悪かったね。これはよっくんのカメラじゃないよ。ボクの私物さ。決定的な証拠を入手するために一芝居うたせてもらった。元々、あんたや校長がよっくんを殺したとは思ってなかった。人殺し人殺しと連呼して、より大きな罪をかぶせようとして自発的に自供してもらうためにね。このカメラの映像を警察に渡して、あんたと校長を捕まえてもらう。過度に保身に走った大人には社会的制裁が必要だ」

「馬鹿にしやがって!」


 激高した校務員が、君に飛びかかろうとした。

 が、僕の投げつけたスニーカーが彼の顔面にクリーンヒットする。

 土が目に入ったのか(僕が狙ってやったんだけど)、男は顔を抑えて、パニック状態だ。僕はすぐさま君をかばうように前に出ると、男の股間を思い切り蹴り上げた。うずくまったところを右腕を掴んで関節を極める。校務員が痛みに叫び出すが、当然無視した。


「さすが、柔道二級&空手二級」と君はぱちぱちと拍手をした。

「知ってたのか」僕は校務員の動きを封じ込めながら、君を見る。

「もちろんさ。キミのお父さんが「あいつ強いくせに、わざと段をとらないんだ。ケンカして万一、補導された時に不利になるからって」と言っていたよ。先輩、陰キャラのふりして実は武闘派なんだろう」

「陰キャラだからこそ、自己防衛意識は高いんだ」と僕は言い返す。

「ボクは今から警察に連絡して、職員室で体育教師を呼んでくる。それまで大丈夫かい?」

「逃げそうになったら、仕方ないから折る」

 僕がそう言うと「勘弁してくれよ……」と校務員が弱弱しい泣き声を漏らした。

「冷静にそう言える先輩、カッケー。だけど、過剰防衛にならない範囲でお願いしたい。じゃあ、少し待っててくれ」


 君はスマホで義叔父に「知り合いの刑事を大至急、ボクの学校に。ああ、ボクが今朝話した推理通りだったよ」と早口で話した後、職員室へと駆け出して行った。僕は押さえつけている校務員の「畜生、リーマンで会社が潰れてなきゃ……」という言葉を聞き、


「何でも外的要因のせいにするのは、どうかと思いますよ」


   *


「先輩、ボクはコメダの実力を未だに理解してなかったよ!」


 校長と校務員が死体遺棄及び誘拐監禁の容疑で警察に拘留されて三日経った。

 洋子さんは無事救出され、今日から登校してきたそうだ。校長が自分の学校の生徒を拉致監禁していたというスキャンダラスな事件は、今、マスコミに大きく取り上げられ、お祭り状態だ。

 僕は犯人の内の一人に関節技を極めていたところを駆けつけた警官に見られたおかげで、色々と聞かれる羽目になった。理想とする陰キャライフとはほど遠い生活を今日まで強いられてきた。クラスメイト達からも「お前が事件を解決したのか」「消える教室の謎解いたんだって」「可愛い後輩が彼女になったってマジかよ」と休み時間になるたびに質問攻めにされている。僕は終始、あいまいな笑顔を作り、否定し続けた。特に「後輩の彼女が出来た説」については強く「ありえない」と首を横に振った。疲れた。やはり義父の頼みといえど陰キャラの僕が後輩女子になど関わるべきではなかったのだ。

 いや、普通のハトコの少女ならこんな騒ぎにはならなかったろう。

 僕には規格外すぎたのだ。

 君という“本当の探偵”は。

 もう金輪際、関わるのはやめるのが得策だろう。


「なのに、何故、僕は、放課後、君とまたコメダでお茶なんかしているんだ……」


 教室の前で僕を出待ちしていた君を振り切って逃げ切れなかった自分が情けない。


「先輩、何をそんなに落ち込んでいるんだい? こんなに可愛いハトコとデートしてるんだ。もっと喜んでもいいと思うけどな」

「もう事件は終わったんだから、僕に用はないだろう」


 唇を汚すことなどまるで気にせずクリームが山盛りにのったアイスコーヒーを口にする君を見て、僕は盛大なため息を吐く。


「コメダで奢るって約束したじゃないか。あっ、先輩、カツサンド残すなら、もらってもいいかい?」

「君はへんなところで律儀なんだな。ああ、僕一人ではとても食べきれない。君が片づけてくれたら助かる」


 やった! と万歳をした後、君は僕の皿から二つカツサンドを取り、右手と左手にそれぞれ持って美味しそうにパクついた。ひとつは食べるつもりだったんだけど、君の食べっぷりを見て、どうでも良くなり、僕は肩をすくめた。君は指に着いたソースを小さな舌でぺろりと舐めてから微笑する。


「先輩、ボクは嘘は大嫌いなんだ。ボクのカメラアイはボクの意思に関わらず物事を子細に捉え、ボクの脳に大量の情報を送り込んでくる。そして、絶対に忘れられない。ある意味、病気なんだよ。だったら、嘘じゃなくて真実だけを覚えていたいんだ。自分の脳内メモリを無意味なジャンクでパンクさせたくない。だから、ボクは本当のことにこだわる。そのために探偵になったと言ってもいい」

「観察力と記憶力がすごすぎるのも大変なんだな」

「いいこともあるよ。教科書は一発で覚えられる。理解するのも割と早いんだ。おかげでボクは学校に通いだしてから成績はトップ以外とったことはないよ」

「それはうらやましいかぎりだ」


 今の会話で、僕はようやくハトコの相談を聞けた気がした。

 聞いたからといって何ができるわけでもないけど、天才的な能力を持つ彼女にしか分からない悩みを受け止めたとは思う。僕なりの意見を伝えて、このミッションを完了とさせてもらおう。

「敢えて見ないという選択肢もあるんじゃないか?」

「ボクにずっと目をつぶって生活しろって言うのかい? 先輩、それは無茶だよ」

「そうじゃないよ。僕もそうなんだけど、普段は下を向くというか伏し目がちにして、あっ、ヤバそうという事態が近づいてきたら緊急回避するんだ。注意深く生きて、危険には極力近づかない。そうすれば大抵のことは単なる風景さ。深入りしなければ、それが嘘か本当かも知らないまま、君も心穏やかに過ごせるんじゃ、」


 ――あの子、呪いのハッシュタグのせいで、刺されたんだって

 ――え? マジでそんなのあるの? そのハッシュタグ教えて!

 ――あんた、誰か呪いたいんだ。ウケる


 僕の後ろの席で、また変な噂話が聞こえてきた。

 そら来た、今だ! 

 僕は何も聞かなかった振りをして、正面に向き直り、「無視しろよ」という目配せをする。

 だが、君は忽然と、僕の目の前から消えていて、


「興味深い話だね。ボクにも詳しく聞かせてくれないか?」

 

 アイスコーヒーを片手に、君はすでに噂話をしている二人の女性に話しかけていた。

 君のカメラアイは新しい獲物を見つけ、再びジーという機械音を立てて、彼女達の撮影を開始している。

 新たな厄介事の予感しかしない。僕は背もたれに背中を投げ出し、天を仰いだ。

 視界に入ったシーリングファンの規則的な回転を眺めて思う。あんな風にずっと静かに同じペースで生きられたらいいのに。

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君と僕 瀬尾順 @SEO_Jun

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