◇◇ 村上健司◇◇ First love. Last love.

「健司、そんな重い荷物はまだ持っちゃダメだよ。力入れると痛いでしょ?」

 退院の日、一颯は俺の車に乗って迎えに来てくれた。自動車保険には彼女の名前をプラスした。

「これくらい平気だって」

「早く元気になってもらわないと、支社長なしのロサンゼルス支社になっちゃうんだよ?」

「間に合わせる。絶対!」

「まあ……。経過は順調でよかったけどさ」


 退院した俺の部屋には、今日から一颯も一緒に住むのだ。俺の食事を作らないと! と息巻いている。

 まだオフィスへの復職は無理で、しばらくリモートだ。本来なら俺が作った方がいいんじゃないの? と思うけれど、実際まだ結構痛い。利き手側の鎖骨下じゃなかったことが幸いしたから、できる範囲の簡単な飯は作ろうと思っている。

 これからは共働きだから、俺もバリバリ家事をこなせるようにならないといけないのだ。


 一颯は会社で頼られることも多いし、その上引き継ぎもあって夜遅い。社まで行くわけにはいかないけど、最寄り駅までは迎えに行ってもいいよな。

 社員にも、一緒に住んで一颯の誕生日には籍を入れることをこの間公表した。口をあんぐり開けて呆けたみんなの顔が、非常に面白かった。


 今日の飯は一段と凝っている。俺の退院祝いだそうだ。こんがり焼き目のついたスペアリブ。魚介のパエリアにガスパチョ。豆がたくさん入ったサラダもある。一颯の料理は、とにかく野菜の種類が多い。

 何が食べたいかを事前に聞かれ、注文したのはスペアリブだけだ。あとは一颯の作りたいものがいい、とお願いした結果、今回のメニューになった。


「めちゃ美味い! 幸せ。生きててよかった」

「ありがと。それは嬉しい」

「でも一颯、前はそんなに料理好きでもなかったろ? アメリカ行って無理すんなよ? あっちは魚の切り身とか売ってなくて、捌くとこからやらなくちゃなんないんだろ? 忙しい時はピザでいい」

「もう! カレーリベンジしたのに、データが小学校から更新されてない。今はわりと好きなんだよ。……最近の発見だけど、健司に作る料理は特別に好きらしい」

「うーわ!」

 嬉しすぎてのけぞる。


「でもねーわたし。どうやら片付けは嫌いっぽい。食洗機が小さい! もっと大きいの買おう! できれば鍋まで入るやつ」

「あー。賃貸だからあそこまでしか置けない。ロサンゼルスの物件は食洗機中心で探すわ。とにかく料理は嬉しいけど好きなことを優先して。コード書いてるほうが楽しいんだろ? 家事より」

「まあ、それはそうかも」

 小首を傾げて考える一颯がかわいい。好きな事をやってくれ。ハウスキーパーでも何でも入れるから。


 今日は一颯が片付けまでやってくれた。俺が手を出そうとしても、怪我を理由にがんとして拒否される。

「健司、髪の毛洗えなくない? 病院でやってもらってたでしょ? 今日からわたしがやる」

「いや、まさか。それは自分でやる。力入れなければもう両手使えるから」

「そう? じゃあ乾かすのだけわたしやるね」

「……うん」

 え、今のって、〝一緒に風呂入ろう〟の誘いじゃないよな? 俺、返答ミスったのか?


「健司、先に入ってきてー。まだこっちの片付け残ってるから。あ、前開きのパジャマ買っといた。脱衣所の棚にある」

 一颯の足にミケが身体をこすりつけてかまってくれアピールをしている。その状態でテーブルを布巾で拭く一颯には、なんの異変も見られない。やっぱり風呂の誘いだなんて、ただの願望からの妄想か?

 俺は邪念を引っ提げて風呂に向かった。


 一颯の買ってきてくれた紺色のパジャマを着る。スェットじゃなくてパジャマって小学生以来かもしれない。着脱で腕をあげるのが痛いだろうと配慮してくれたのだ。

 パジャマで出てきたら、一颯は本当にドライヤーを持ち出してきた。髪の毛の先にヘアクリームを塗られて櫛で漉かれ、やたらぎゅーぎゅー引っ張られながら乾かしてもらっている。

「一颯、なんでそんなに引っ張るんだよ」

 頭を引っ張られている方と逆に引っ張り返さないとバランスが崩れる。

「こうやるとキューティクルが揃うんだよ。サラサラになるから」

「へえ。だから一颯の髪はそんなにサラサラなんだ? 小学校の頃から髪サラサラのイメージが超強い」

「……ママがこういう乾かし方をしてた。こうしろって教えられた」

 声が若干落ちる。


 俺は振り向いて、一颯の手からドライヤーを取り上げると、スイッチを切った。

「ロスに行く前に、月城家もどうにかしないとな。あと、一颯の両親の墓参りも行こう」

「うん。実家は売ろうと思ってる。もうどうしようもないもん。二葉のために使う。両親もそうしろって必ず言うはずだよね。だからロサンゼルスと日本といったり来たりになっちゃうかも」

「いいよ。それは俺も同じだから、できるだけ一緒に帰ろう」

「ありがと」

「あと……」

「ん?」

「一颯には新しい家族が増えたよ。頼りにしてほしい」

 鏡台の前の椅子から立ち上がり、一颯をできるだけ加減して抱きしめる。

 カッコ悪いからがっつきたくないと思っているのに、どうにも手が出がち。


 サラサラの髪を撫でていると幸福感と欲望が同時に駆け上ってくる。あの嵐の夜じゃないけど、家に入った時から、ベッドに連れ込みたい衝動をずっと抑えている気がする。今の状況が幸せすぎて信用できないのだ。

 一颯を諦めるしかないんだ! と自分に言い聞かせてきた時間が辛すぎて、長すぎて、しつこく尾を引いている。身体で確かめないと夢じゃないと信じられない。

「もう髪、乾いたよ。ありがとな。一颯も風呂いってこいよ」

「うん。ありがと」

 一颯は風呂の準備をして脱衣所に入って行った。

 俺と色違いの水色のパジャマで風呂から出てくると、一颯はソファに枕や布団を運び、自分の寝床を作り始めた。

「何でそんなことしてんのさ。一緒に寝ようよ。あ、狭いと眠れないタイプ? シングルに二人だしな。ロスに持ってけばいいから、でかいベッドもポチるか」

 一緒に暮らしているのにこのままずっと別々なんて耐えられない。俺はスマホで通販サイトを呼び出した。通常のお届けで明日来るのかな?

「ベッド、ポチるとか何考えてんのよ? 健司、まだ普通の生活ができないでしょ? ゆっくり休んだほうがいいからに決まってるじゃない」

「別々に寝るほうがゆっくり休めない」

 誰だよ、と思うほどの甘え声に甘え口調に自分でぎょっとする。でももう我慢も限界にきていた俺は、一颯を後ろから抱きしめる。

 自分の鎖骨の上で交差された俺の両腕に、両手をかけながら、一颯が拗ねたようなトーンで告げる。

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