◇◇村上健司◇◇ 問題

「若松、俺からの話は済んだ。後の具体的なデジタル戦略についての詳細を続けてくれ」

 月城に駆け寄り、その手を持って俺の肩に回させる。

「副社長、ひとりで医務室まで運ぶんですか? 誰か若手を」

「大丈夫だよ。みんなには会議を続けてほしい。月城、歩けるか?」

「は……い」

 正気なのか、気を失ったまま答えているのかは不明だった。月城ひとり運ぶのなんてどうということはない。けど、ここで抱き上げるのも社員の手前、気が引ける。形だけでも頑張って歩いてくれないだろうか。

 医務室はこの第二会議室からすぐ目と鼻の先だ。ただ、いかんせんうちの社はパウダールームと休憩室、医務室以外はガラス張り。廊下に出てから抱き上げるのも、ここから丸見えでアウトだ。


 ほぼ意識のない月城をどうにか歩かせるような体を取り、医務室まで運ぶ。

 まったく……。廊下がガラス張りじゃなきゃ抱き上げて運ぶ。その方がよっぽど手っ取り早い。誰だ、こんな設計にしたのは。俺か。

 ガラス張りではない医務室のドアを開けると、やっとそこで俺は月城を横抱きにかかえ上げた。

「月城、大丈夫か。無理に歩かせて悪かったな」

 完全に気を失っているところを、引きずるようにしてここまで連れてきたのだ。

 どうしていきなり倒れたりしたんだ? 

 月城の様子が急変したのは、俺が白衣観音をスクリーンに移したたぶんその時だ。

 見ていないていを装いながら、どこまで月城の様子を伺っていたんだか。髪の毛に隠れた場所にでも、月城専用の目でもあるんじゃないかと自分で自分を疑いたくなる。


 ここは医務室だからって勤務医がいるわけじゃない。うちはまだ産業医を置くほどの社員数をかかえているわけじゃないから。

 ベッドに月城を寝かせて布団をかけ、その周りのカーテンを左右から閉めると踵を返した。あとで女子社員にでも様子を見にきてもらおう。

 開けっぱなしにした引き戸の前で俺は、ふと振り返った。カーテンの細い隙間からちょうど瞳を閉じた月城の寝顔が見える。

 俺は戻って外側からカーテンをぴっちりと閉めた。

 具合が悪くなって男性社員がここにこないとも限らない。男性社員に月城の寝顔を見られるのが不愉快だと感じている。

 けれどそこまでの心配もなかった。

 三十分後くらいに月城は自分で医務室から出てきた。会議がちょうど終わったところで、月城は直属の上司に頭を下げている。遠目で身振りからしか推測できないけれど、気遣う上司に対して問題はないと話しているように思える。

 その後、上司に教えられたのか、月城は俺のところにも運んでもらった礼を述べにきた。


「副社長、ありがとうございます」

「いや、いいよ。俺だけ手が空いてた。自分のプレゼンが終わったすぐ後だからさ」

 俺から遠ざかる月城を見ながら、なぜか唐突に違和感の正体に行き当たった。

「電報堂って……」

 思い当たってしまうと確認せずにはいられない。ラッキーなことにちょうど昼休みに入る時間だった。


 俺は外に出ると、このビル専用の喫煙所近くで、高校時代のラグビー部で一緒だった高梨に電話をかけた。最近、フォルガの飲み会があった。

 高梨は電報堂に勤めていて、デジタルの部門だったから酒の席で話が盛り上がったのだ。教えてもらうことも多かった。

「あ、高梨、仕事中悪い。今ちょっと、一分だけいいか? …………おーありがと……。ちょっと聞きたいことがあってさ……」



 あれから、半月、月城の体調に問題はなかった。たまたま昼に食べたもので気持ちが悪くなったとか、その類の説明を上司にはしていたらしい。

 月城と赤堀さんが担当してくれているアプリ開発も、進みは遅いけれど順調だと報告を受けている。

 今日も仕事を終え、十二時近くに1LDKの自宅マンションに戻る。

「ミケ、チャピ。ただいま」

 去年から公園に捨てられていた仔猫を、縁があったものだと二匹飼い始めた。

 俺は家にいない時間が多すぎて可哀想だとは思うものの、放っておくわけにもいかず、実家の家族に協力してもらいながら飼っている。

 仔猫だったのにいまや立派な成猫だ。


 俺の足元に寄ってきたミケとチャピの頭を両手で撫でる。帰ってきて出迎えてくれる存在があることがこんなに癒しになるとは知らなかった。

 ミケとチャピのカメラ付き自動給餌器を確認する。餌が出る時に録音した俺の声が流れる仕組みになっていて、なかなかありがたい着眼点だ。

「おう。お前らちゃんと食べたな。おやつ食うか?」

 ミケとチャピにおやつをあげ、俺は風呂に向かう。こんな時間におやつをあげるのが正解かどうかはわからないが、こいつらのQOLを考えての事だ。ついでにミケとチャピにおやつをあげたい俺のQOLも関係していることは否めない。

 平日一緒にいる時間が少なすぎて……。


 その後、サブスクで頼んでいる健康志向の野菜多め宅配食をレンチンして食べる。

 独身生活は気楽だし、まったく嫌いじゃないけど、ここ二年彼女なしですっかり手料理の味からは遠のいている。

 宅配食もそれなりにメニュー豊富なところを選んでいるとはいえ、飽きるし皿に移し替えずに食べるもんだから、ふとした時に侘しさを感じる。たまに実家に帰ると、飯がめちゃくちゃ美味く感じる。外食なんかよりよっぽど美味い。

 ナツは毎日こういう飯を食べているわけね、と料理好きの彼女と結婚した親友を恨めしく思うこともある。


 だいたい忙しすぎて女の子と恋愛に発展する機会が著しく減ったんだよ、学生時代と違って。

 そんな事を考えながら食べた宅配食のパッケージをゆすいで捨て、その後はベッドに直行だ。ミケとチャピもついてきて、横になった俺の頭の両隣に陣取る。気が済むとミケとチャピは自分の猫用ベッドに戻るのが常だ。

 寝床にまで仕事を持ち込むのはやめようと決めていながらも、チャピの頭を撫でながら、スマホで今日の業務で気になったところを確認――。


 ビビビビビー。

「え……」

 未来永劫、鳴るはずがないと思っていた警告音が俺のスマホから発された。

 時刻は深夜一時。でもそんなことに構っている余裕はなかった。俺はまず同じデジタル統括の枝川のスマホ、それから代表取締役のナツのスマホに電話をかけた。



「どういうことだよ、健司」

 オフィスの俺のデスクに駆けつけた枝川が、困惑の表情で聞いてくる。

 パジャマにしているんだろう上下揃いのスエットの上から、ダウンジャケットを羽織っただけの姿だった。それは俺も似たようなものだ。二人とも都内からタクシーで社に乗りつけた。

「まあ落ち着こうぜ。俺めっちゃ寒いわ。コーヒー飲みたい」

「そうだな、俺も」

 この夜中だ。ビルの暖房が切れているのだ。

 俺たちは気が急いて足早に給湯室に向かい温かいコーヒーをマイカップに淹れて戻ってきた。


 俺たち二人のいる副社長室から見える廊下には、このビルの警備員が待機してくれている。

「で? 健司、なんで警報が鳴ったの?」

「まだ詳しくはわかんねえ」

 俺はデスク上のノートパソコンを開きながら答えた。

「でもその、健司の作ったネットワーク侵入検知システムと防御システムのソフトで流出だけは免れたんだよな?」

「そこは間違いない」

 そこでフロアタイルを蹴る音を響かせて、人影がすごいスピードでこっちに向かってくるのが確認できた。やっぱりガラス張りは便利じゃねえか。


「健司、枝川」

 家が一番遠いナツが深夜のオフィスに到着だ。こっちも家で着るようなへたったトレーナーにとりあえずのジーンズ姿だ。上着も着ていない。

「どういうことだ?」

「いや、調べてみないとなんとも。まさかこれが作動する日がくるなんて思わないだろ」

「ソフトの不具合じゃないんだよな?」

 ナツが寒そうに両腕をさすりながら俺のパソコンを覗く。

 このセキュリティソフトは、海外企業のオープンソースを使って独自のものに落とし込んだ。

 人が勉強しまくり、苦労の末に作ったものに対して、忌憚のない突っ込みを入れられるのは長年の信頼関係あってのことだ。こんな時に遠慮していたら話も進まない。

 飲め、って意味でまだ充分温かいデスクの上の俺のカップを、ナツの方に押し出す。ナツはカップを両手で囲うようにして、肩を縮こまらせてコーヒーを啜る。そりゃ寒いだろう。

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