カイザーライヒよ、王無けれども永遠なれ

班白扇

Der Thron auf dem Feuer(火焔の上の王座)

Leopold 01

 ──「皇王ヴィルヘルム八世、危篤」

 その報せが宮殿の裏道を駆け抜けて来たとき、レオポルトはまだ公務中だった。夜半ながら彼が処理すべき書類は机上に高く、その山を照らす部屋の明かりは月光をかき消して眩しかった。このような光景は一ヶ月前ならばありえなかった。そうと言うのも、優秀な彼がこう遅くまで仕事をするようになったのはごく最近のことで、彼の父が急病に倒れて以来だったからである。

 その父こそは皇王ヴィルヘルム八世。すなわち危篤の急報にペンを落とした青年レオポルトは、この国の第一皇子であった。


「宮廷医は暫く小康だと言っていただろう!」


 彼は弾けて跳び上がり、しかし直ぐに椅子に戻った。伝令がギュッと目を瞑ったのを見たからだった。彼は自分の心をよく飼い慣らした人物であった。


「いや、すまない。取り乱した。君に怒鳴っても何にもならないな。せめて宮廷医か。それも今すべきことではないが」

「申し訳ございません。……心中、お察し申し上げます」

「結構だ。君は君の職務を果たした」


 手を振って謝罪の不要を伝えつつ、彼は適当な紙片に拾ったペンを走らせる。


「ところでこの報を受け取ったのは誰かわかるか?」

「はっ! 他4名の皇子皇女殿下と、そしていわゆる各『派閥』の主たる方々には伝令を送りましたものかと」

「やはりその位か」

「他の方々にもお伝えになりますか」


 いや、と彼は否定し、3行ほど書き終えた紙に自分のサインを付け、伝令を手招きして呼んだ。


「むしろ緘口令を敷きたい。すぐにこの手紙を複写して妹たちの執務室に届けてくれ。各派閥の者には4人を通じて広めるなと命じさせる」

「どなたにもお知らせにならないのですか?」

「緘口令の理由を知ることは君の職務ではない……が、特段難しくはないだろう。一気に知れて混乱が生じることを防ぎたいからだ。それにこのことが他国に伝わるのは、特に南に伝わるのは遅ければ遅いほど良い。騒ぎに乗じて問題を倍増されては困る」

「か、畏まりました。執務室に殿下方がいらっしゃらなかった際はいかが致しましょうか」

「その時は自室なり何なりを当たってくれ。そうして必ず本人に渡してほしい。私の部屋までこうして来たのだから、不可能ではないだろう」

「はい」

「良いか、必ず本人だ。決して代理の者には渡すな。特に元老院長や軍務卿には内容を見られるのも避けろ。彼らがこの手紙の内容を聞き入れる保証は無いどころか、逆効果になる可能性すらある。彼らにとって私はなのだから」


 彼は伝令に手紙を握らせ、その手首を掴みながら伝令の顔を見下ろした。その顔は激しく縦に振られていたが、皇子を正視してはいなかった。


「失敗無く職務を果たすように」


 伝令は目を丸くしてすぐさまトカゲのように部屋から出て行き、その閉じられた扉の先を青年レオポルトは睨んだ。


「近衛め……相変わらず排外的とみえる」


 彼は廊下からの足音が聞こえなくなったことを確認すると、デスクの引き出しから小さなベルを取り出して振った。澄んだ氷水のような音が部屋に滴り落ちて、たちまち窓際に一本の人影が止まった。そちらには振り向かず、彼が命令する。


「聴いていたな。今言った通りのことを4人に伝えてくれ」

「……てっきり、あの伝令の若者をご信用なさったのかと思いましたが」

「莫迦を言え。伝令以前にあれは近衛だろう。紛れも無い『皇軍派』の中核を信じられる訳があるか」

「いかに近衛でも末端まで意思統一ができているとは思えませんがね」

「その僅かな可能性に賭ける勇気は持ち合わせていない。そうでなくとも、そもそも去り際のあの態度からして怪しい。私が『敵派閥』と口にした時、あの伝令の目が泳いだのを見なかったのか」

「さすがに見えませんし、仮に泳いでいたならそれは殿下の視線が鋭過ぎたからだと愚考しますが。いやはや、我らがレオポルト皇子殿下は疑い深くていらっしゃる。実は先日、第一皇女殿下のお付きの方とお話しする機会を頂いたんですが、貴方様の猜疑心の強さには皇女殿下も驚きなさっているそうで、例えば──」


 影は草原を吹き抜ける風のように澱み無く喋っていたが、しかしそれ以上の発言は彼が許さなかった。


「つまらない話をしている暇があるのか?」

「失礼いたしました。直ちに4名の皇子皇女殿下方にお伝えしてまいります」


 たちまち窓際には誰もいなくなり、また元と同じくカーテンが夜風に浮かぶ。彼はベルを引き出しに戻し、そこから今度は別の呼び鈴を取り出した。今度のそれはちょっとした魔道具で、使用人を喚ぶためのものである。彼はそれを振った。父親の部屋に赴くためには身なりを整えなければならないからだった。


「慎重にならざるを得ないだろう」


 ベタつく白い明かりの下で、彼の小さな声は糖蜜のように垂れる。


「父上は未だに後継を決めていらっしゃらないのだから」


 ……そしてその後継者の座を弟妹に渡すわけにはいかないと、レオポルト皇子は考えているのである。

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