第10話 勇者リリベルは謝りたい

「勇者を代行する者よ。よくぞ魔王を斃してくださいました」

 謁見の場としては本来使われない、後宮の寝室で、王妃・リリベルは寝台から身体を起こして言った。その天蓋からは半透明のベールがぐるりと下ろされて、薄明のような布一枚をはさんでダレスは片膝を着いている。

「褒美として……わたくしのマーガレットを、あなたにあげます」

 兜を脱いで傅くダレスに下賜されたのは、花の名だった。思わず顔を上げると、透けたベールの向こう、リリベルは愛おしげに大きなお腹を撫でている。

「わたくしから贈れるものは、他にないの」

 赦しを乞うように告げられる。

 ――勇者代行。王の子を孕んだ勇者・リリベルに代わり、魔王を討伐する者。任の遂行にあたっては仮面を被り、成したことはすべて「勇者の」実績となる。さながら辺境の村で行われている神下ろしの儀式だ。

 魔王を斃したのは、あくまでリリベルであり、ダレスの名は歴史に刻まれない。王から謁見の機会を与えられることもなく、あるのは勇者本人からの非公式な慰労だけ。

(つくづくずるい女だな、君は)

 彼女のお腹にいるのは王との第二子である。腹違いの第二王子がすでにいるため、序列としては第三王子になる。最初の子を身に宿して以来、リリベルは当代随一の【輝ら力】を失っていた。勇者として前線へ戻るより、次代の【輝ら力】を多く残すことを選択した。

「……マーガレットって名前、もう付けていいのか?」

 生まれてくる子の性別は判りゃしないだろ。ダレスが問うと、男の子だってカワイイ名前でいいじゃないと彼女が開き直る。

「あなたと考えた名前だもの」

「やめてくれ」

 幼き日、孤児院を兼ねた教会にリリベルは預けられた。【輝ら力】を血脈によって継承する御三家、その一つが政局に負けた結果であるらしい。

 同じ教会で孤児として育てられたダレスは、彼女の豪胆な性格に惹かれ、一輪の花マーガレットを贈った。

「あの頃のダレスも、女の子みたいで可愛かったわ。髪もおかっぱで」

「まだ男だとか女だとか、いっしょくたの年頃じゃないか」

 マーガレットと名付けられた男の子は、きっと青年期に苦労する。馬鹿にされるとすぐ飛んでいって殴りつけるようになったらどうする。

「わたくし、あなたを女の子だと思って恋仲になったのよ」

「嘘をつくな嘘を」

「本当よ。あなたは、わたくしへ贈ろうと摘んだ花に『ごめんね』と涙していた」

 あなたの精神性は、わたくしよりもずっと乙女だわ。リリベルにエピソード付きで解説されては、ダレスは赤面する他ない。

「とにかく、だ――」

 あからさまの咳払いで、閑話休題する。

「マーガレットの名を付けて、君はまた俺を縛ろうとしている。第三王子が冷や飯を食わされないよう、俺を後見人に仕立てたいのだ。誰がそんな托卵を引き受ける」

 まくしたてると、リリベルはきょとんとしてから可笑しげに笑った。

「だって、ダレスは、何の得にもならない勇者代行を引き受けてくれたもの」

「っ~~! ~~っ、……」

 惚れた弱みを握るな。伝家の宝刀みたく振るうな。だから君は、ずるい女なんだ。

 降伏したダレスは恭しく褒美を拝領し、王妃の寝室を後にする。

「最後にひとつ……君のずるさをつまびらかにさせてくれ」

 ただ一度だけ振り返り、引き受けたものには見合わぬ一矢を報いる。

「俺が魔王を斃すとは、思ってなかったんだろう?」

 リリベルは言葉を詰まらせ、ベールの向こうで、憂うように微笑んだ。


『――ダレスさんなら、やれます!』


 光を想わせる心地良い声が、見上げた水面に広がっていく。

『あと少しです、お願い、目を開けてください!』

『姫さま、あまりうるさくしては……かえってダレス氏に迷惑では』

『うるせーって飛び起きてくれるなら、それは勝利よ』

『なるほど。あたし、鍋蓋とお玉を持ってきます!』

 かしましい掛け合いに誘われ、ダレスの意識は明るい方へサルベージされていく。

「……」

 瞼を上げれば、どこかで見たような天井が映る。蜘蛛の巣は張られておらず清潔感はそこそこある。

(俺の部屋……では、ないな)

 宿屋の一室だろうか? などと考えながら身体を起こすと、鍋蓋を盾のように構えるマオと、そこへお玉を振り下ろさんとするマーガレットがおり。

 ばっちりふたりと目が逢う。

「ダレスさん――」

 お玉を捨てて今にも突進してきそうなマーガレットを、マオが引き留める。

「姫さま、ここはエルフ氏がおっしゃっていたとおりに」

「そうね。うん。それがいいわ」

 何やら相談したふたりが、互いに指先を絡め合い、身体を密着させる。よく見ればどちらも神官の法衣を着ていて、マオのほうは上等な手袋を嵌めている。

 彼女たちは、涼やかな表情でおでこをくっつけて……揃って聖歌をアカペラし始める。

(いったい俺は、何を見せられているんだ)

 わけが判らないが、尊みの花園が今まさに開園しているのは間違いない。ダレスは敬虔な尊みの信徒として合掌し、落涙する――。

 拙くもひとしきり歌い終えたマーガレットとマオが、法衣の裾をつまみ、こちらへ向けて一礼した。ダレスは拍手で応え、ようやく口にする。

「何これ?」

「ええっと~」

「ダレス氏が目覚めた際にこうすれば、たちどころに回復すると」

「! 天啓、神が言ったんだな」

「エルフ氏が」

 共通の知ってるエルフは一名のみ。あんにゃろ、勝手に造園プロデュースたあ良い度胸だ。尊みの花園はな、自然発生に任せるから素晴らしいのだよ。それをお前……お前な……確かに滅多に拝めんよ、ありがとう!

「で、その黒幕はどこに」

「所用があり、この教会をはなれて行かれました」

 イージャンの一件から随分と日が経ったのですよ。マーガレットの説明を、ダレスはゆっくり脳で受け止める。

 ああ、そうだ、いつもの戦術でフルパワーの【輝ら力】を透過光にした俺は、真夏の陽射しに灼かれる感覚を覚えて……意識を失ったんだ。そして近くの教会へ運ばれた。

(……近くの教会……)

 ダレスはハッとして、寝台の上から脱する。

「いけません! まだ動いては」

「少し確認するだけだ、行かせてくれ!」

 ふらつく足で散策しようとするダレスを、マーガレットが支えてくれる。

 控え室然とした部屋を出て、廊下を抜けると、こじんまりした礼拝堂があった。祭壇の目立たない位置に傷み……かつてイタズラで刻まれた、じぶんと「リリベル」の名を見つけ、ダレスは愕然とする。

「何の因果だ、まったく――」

 その教会には、懐かしい思い出が詰まっていた。

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