第22話 恋の共同戦線 その1
傾斜になった坂道を登る。
高台の上に立つ我らが県立富が丘高校。
二年生にもなると、毎朝の坂道通学にも慣れ親しんで、自転車通学する者は立ち漕ぎせずともこの坂を登ることができるようになっている。習慣や慣れというものは偉大だ。続けていれば、気がつけばそれが、何のことでもないようにできるようになっているのだから。時間はうまく使えば心強い味方になってくれる。
それはこと、恋愛においても同じらしい。
今朝、リリアナとの会話で似たような話があった。
未知なる新世界に足を踏み入れた俺の先をいく背中こそ、俺の叔父リリアナ・レッルベルティ(源氏名)である。
本名を犬神茂。
俺の母親の弟で、俺が物心ついた頃から『彼』は『彼女』だった。
リリアナは、いわゆる世間的にいうところのオネエというやつで、性転換手術まではせずとも女装を好み、恋愛嗜好、性的嗜好ともに対象が男性であるとのことだ。自覚したのは中学生のころらしい。色々と葛藤して人生に迷ったことも多くあったみたいだが、成人してからは自分の人生だと吹っ切れてオネエ街道をまっすぐ突き進むことにしたのだという。
きっと多くの障害を乗り越えてきたのだろうけれど、リリアナは自身の苦労話をあまり語りたがらない性分だった。
今朝、彼女が『こちら側』と称した世界に、俺が足を踏み入れるまでは。
彼女は語った。
学生時代に好きになった人と結ばれることは非常に難しい、と。
それは彼女の苦々しい経験則から語られるもの。そして、彼女のまわりにいる仲間たちの共通意見だ。
そもそもゲイの恋愛というものは、理解者同士が出会うことではじめて発展して育まれていくものだ。ゲイに理解ある者が集うコミュニティに行くことでようやく成立するものであり、一般的な社会のなかでそれを確立することは非常に難しい芸当になる。ましてや視野狭窄の思春期相手に、マイノリティを理解し、それを受け入れるだけの器量を求めるというのがとうてい無理な話であるのだ。唯一の希望があるとするならば、それは相手にも素質があった場合。こうなればゴリ押しでどんどん関係を発展させて「覚醒」させてしまえばいいらしい。
ここで考える。
手塚はどっちだ。
あれだけの美少女たちに囲まれてなお男らしい反応を示さないあの態度。
もしかすると、もしかするのかもしれない。
そうなればフィーバータイム。
我が春の到来。
押せ押せゴーゴーだ。
けれど、それはすべて俺の希望的観測にすぎず、憶測にすぎない。
安全策を取るならば、天運に任せてゴリ押しなんてマネは簡単にできるはずがない。
じゃあ、諦めるしかないのか?
届かない位置で輝く星だと手を伸ばすのをやめるべきなのか?
そんなことはない。
リリアナは言った。
もし、相手に素質がなくとも、それでも諦めきれないならば、友情をじっくりと深めていくしか方法はない、と。少しずつ少しずつ時間をかけて関係を親密にしていくのだ。その中で、スキンシップを増やし、ボディタッチを増やし、そして彼にとって無くてはならない存在になっていく。傍に俺がいないことに違和感を感じる。肩にべったりと身を寄せられても違和感を感じない。精神的距離も、肉体的距離も、徐々に徐々に近づけていき、じっくりと時間をかけて俺という存在の受け皿を作っていく。
この作戦は、時間が味方になってくれる。
距離感を見誤り、焦って失敗しなければ、俺という存在を手塚の日常のかけがえのないパーツのひとつに作り変えることができるかもしれないのだ。
敗戦濃厚の戦法だと、リリアナは言った。
けれど、それでもいい。
挑めない戦いの方が虚しいに違いない。
俺は人生の先輩から『恋愛戦争作戦名:侵食』を授かった。
今朝は結局、弁当を作る合間もなくリリアナと語り合ってしまった。仕事帰りで疲れているだろうに俺の恋愛相談を親身に受けて、最後には学校へ向かう俺を敬礼で見送ってくれたリリアナ。その目は甥っ子を心配する感情に溢れていた。ありがたい限りだ。彼女がいてくれて本当によかった。叡智な書物からは得られなかった多くの知識を俺はリリアナに教えてもらった。
やはり、実体験に勝るものはない。
片瀬には悪いが、通学鞄のなかの美少年たちが役立つ機会はまだまだ先のことだろう。
いつもより重い肩にため息が漏れる。
あのメスブタはこんなエロいもんばっかり読んでるから乳がデカくなるんじゃないか?
脳内ピンクと胸部の発育の相対関係について遊び半分の思索を巡らせていたところ、
「おはよ、ハチっ!」
「いてっ」
ばちんと肩を叩かれた。
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