第二十六話 前哨戦
ランドの声は普通の声量なのに、離れた場所のマリアにもしっかりと伝わった。それを機に、ランド側の者たちが中央を向いて歩き出した。先ほどまで陽気に会話をして騒いでいたのに、今ではその目は虚ろだった。
審問会側の人間たちは上着を脱いだ。下には、死者を相手に役に立つのか分からないが防弾ベストを身に着け、ベレッタM一二Sサブマシンガンを小脇に抱えていた。冬の最中で誰もが着膨れになっていたから、こんな装備を抱えているとは、先ほどまで広場にいた一般人にも分かりにくかったであろう。
銃声を小さくするためのサイレンサーは付いていなかった。マリアが一般人を巻き込まないように〝人払い〟の結界を張るとの報告を聞いていたせいに違いない。
ランド側の死人に向けて、銃口が一斉に火を噴いた。特殊加工処理を施された銃弾が死人たちを薙ぎ倒していく。マリアは無駄に巻き込まれないよう、予想された火線上からすでに移動していた。
(
序盤戦は審問会側と死人たちの戦いとなりそうだった。
最初は雨あられと降り注ぐ銃弾の猛攻に吹き飛ばされた死人たちだったが、倒せど倒せど次々と起き上がってくる。その様に焦りと恐怖を覚えたのか、隊員の一人が手榴弾を取り出した。そしてピンを引き抜き、死者の群れに向かって、放物線を描くように放り投げた。
「ちょっ……、本気……!?」
ドオン――!
手榴弾が爆発し、地面を揺らして埃を巻き上げた。千切れた手や足が宙に舞った。マリアは爆発に巻き込まれないように、さらに距離を取った。最初の一人を見た二、三人が、同僚に倣って手榴弾を取り出してピンを抜き、投げた。
「ちょっと、ちょっと……!!」
ドン、ドン、ドン――!
「後始末のこと、何も考えてないんじゃないの?」
連続して起こった爆発と、それに伴って起きた爆風を、僅かに首を竦めてやり過ごしながら、マリアは毒づいた。
この度コッツィ卿に派遣された部隊は、死人たち相手の戦いになるだろうということが予想出来たのに、火器類しか装備していないようだった。
市民・観光客が数多く訪れるミケランジェロ広場に、本来あってはならない爆発痕を残すわけにはいかない。一般人に気取られないうちに、死者たちの片付け・広場の清掃と併せて、修理・修繕することになろう。となれば、夜明けから早朝の間――である。
後々のことを考えれば手榴弾など使うまいに――とマリアは嘆息した。
多少の修理・修繕等は必要になるだろうとあらかじめ後始末の手配はしておいたが、手榴弾を平然と投げるとはさすがに手荒い。この隊員たちはそのようなことには一向にお構いなしらしい。
もしかすると訓練程度の戦闘にしかならないだろうと踏んで、新兵同然の者たちも含まれているのかも知れない――とマリアは見た。そうであれば、あの程度のことで隊員が動揺したことにも納得出来る。
立て続けに起こる手榴弾の爆発が景気付けになったのか、より一層、激しく銃弾が飛び交った。
「撃ち方、止めー!!」
異端審問会側のリーダー格らしき人物が号令をかけ、銃撃は止んだ。硝煙棚引くミケランジェロ広場に、死屍累々と死人たちが横たわっていた。未だ、立っているのはランドただ一人。
「へっ、へへっ……」
死者たちを退け自信が付いたのか、隊員たちの口元が嘲笑の形に歪んだ。
ランドの口元も、また――。
「……!!」
隊員たちの目に動揺が走った。死者たちが再び、ゆっくりと起き上がってきたからだった。腕のもげた者、片足を引き摺った者、手榴弾の爆発で脇腹を欠損し、血塗れの臓腑が零れ出している者等々――。
銃痕から血を零しながら起き上ってくる様は、正に〝地獄の亡者〟さながらであった。頭部を失った者たち以外は先ほどと変わらず虚ろな目でこちらに向かってくる。
「くそっ……!!」
口から泡だった唾を飛ばしながら、慌てて銃を構え直すと引き金を引いた。しかし、半数以上の隊員たちのベレッタの銃口は火を噴かなかった。先ほどの一斉射時に、弾を撃ち尽くしたまま弾倉を交換していなかったからである。
やはり実戦経験の不足した新兵が多く交ざっていたらしい。
気が焦った状態での弾倉交換は予想以上の困難さであった。弾倉を外すことにも手間取り、替えをはめることにも時間を要していた。中には弾倉を取りこぼしそうになり、お手玉のように何度も弾倉をはじく者までいたのだ。
銃を構え直した時には目前まで死者が迫り、発射が間に合わずに何人かの隊員が死者たちに押し倒されていた。
「これは……全滅もあり得るかな」
コッツィ卿が送って寄こした増援部隊の経験不足と不甲斐無さに、これは部隊が全滅する可能性も出てきたな――と、溜め息混じりにマリアは思った。
「仕方ない。そろそろ手を貸そうか」
増援がどうなろうと知ったことではない――などと言いながらも、結局マリアはなんだかんだと面倒を見てやるタイプらしい。基本的には優しい娘なのだ。
「ひ、ひいっ……!」
息を呑むような悲鳴を上げて、一人が後ろに転んだ。そこへ数人の死人がのしかかり、噛み付いた。そして容赦なく力任せに肉を噛み切り、喰らった。
「ぎゃああっ……!!」
血飛沫を上げる隊員に次々に喰らい付き、とうとうその隊員は動かなくなった。
「この……!」
仲間を襲っている死人に銃口を向けた隊員だったが、そのまま金縛りにでもあったかのように、引き金を引けなくなった。赤いコートを着た死人が彼の気配に気づき、振り向いたからだ。同僚の血に塗れた口で彼を見た死人は、まだ十歳くらいの少女だった。
彼はその少女に、自分の五歳と九歳になる二人の娘の姿を重ねてしまった。
「あ……」
体を強張らせ、うろたえる彼に少女が襲いかかろうとした刹那、横から突き出された剣が少女の首を貫き、脛骨を断ち切って、その動きを止めた。マリアは素早く上下に剣を振るうと、切り離された少女の首と身体が、ごとり、と地面に落ちた。
それらは見る見るうちに腐肉と化し、
死人は眷属から解放された時、死んでからの本当の時間に戻る。この少女はランドに眷属とされてから、二、三ヶ月といったところだろうか。
マリアは、まだ苦しそうに
「もう、お逃げなさい」
と、慈愛に満ちた優しい声で彼に言った。
とうに吐く物など何も残っておらず、それでも嘔吐くために辛そうな隊員は、この窮地を救ってくれた少女を呆然と見つめた。
「そこまでして無理に戦うことはないわ。もう、避難なさい」
そう言われた隊員の膝や腕は、戦闘と恐怖による緊張に耐えかねて震えていた。死者とはいえ、人を撃つことへの罪悪感が心のどこかにあったのかも知れない。見れば、顔も汗と涙でぐしょぐしょだった。
「あ、あの……?」
「もう十分よ。後は任せて」
両の手に剣を持ち、そう告げる少女の姿は、まるで絵画に描かれた悪魔と戦う天使のような、神々しいまでの美しさだった。安心感からか、極限まで張り詰めていた緊張が抜けた隊員は、そこへへたり込んでしまった。
「まだよ。しっかりなさい。今、気を抜くと死ぬことになるわよ」
そう言いながら、マリアは前に出てきた新たな死者の側面に回り、その首筋に右手の剣を振り降ろした。斬首された今度の死人は本人のみならず、服装までが塵となった。いったい何年前に血を吸われていたものか。かなりの歳月を経ていなければ、こうはならない。
それからマリアは油断なく死人たちを見据えたまま、決して大声ではないながらも、この広場にいたならば、どこにいても聞こえる銀鈴のような声で、
「この部隊の隊長はどこ? まだ、生きてる?」
と、問うた。その凛とした声は、強制したわけでもないのに、隊員の誰もがその質問に答えようと隊長を探した。
「何だ、貴様は!」
呼ばれた隊長と思しき男が大声で答えた。隊長らしい威圧感のある声だったが、マリアは平然としたもので、
「撤退なさい」
と、さらりと言ってのけた。
「何だと!?」
「これ以上の犠牲が出ないうちに引き揚げなさい。全滅するわよ」
「何を勝手なことを……!?」
そう言われた隊長は怒りに顔を歪めたが、視界の隅で急に倒れる隊員を見た。
「何だ……!?」
「ぎゃっ……!」
「ぐあっ……!?」
状況を把握しようと目を凝らす隊長の付近で、また数人の隊員が倒れた。見れば、額を撃ち抜かれて血を流している者もいれば、側頭部を撃ち抜かれた者もいた。残っている隊員はもう半数以下だった。
「何だっ!? 何が起こった!? いったいどこから……!?」」
「ランドよ。気を付けて!」
「馬鹿なっ!? 方向が違うぞ!」
「あいつは〝風使い〟よ。弾道を変えるなんて造作もないことでしょう」
「そんな馬鹿な……!?」
正面にいるランドを見据え、隊長が呻いた。その間にも、また一人の隊員が後頭部から撃ち抜かれ、顔面が吹き飛んだ。
「だから、もう撤退なさい。後は引き受けるわ。コッツィ卿には私が言っておくから」
「しかし……」
任務を達成しなければならない――という使命感からか、ごねる隊長に、マリアが冷たく言い切った。
「
「くっ……」
「生き残った隊員の命を守るのも、隊長の役目でしょう?」
「……わかった。撤退するぞっ!! 全員、撤退!!」
プライドを気付けられたものの、隊員の保護という名目を盾にして、やっと踏ん切りの付いた隊長の指示が飛び、生き残れるかどうかの瀬戸際に、気が気でなかった隊員たちが我先にと逃げ出した。そこにはもはや、統率はなかった。
「あなたもお行きなさい」
マリアが隊長に声を掛けた。忸怩たる思いで隊長が返した。
「……すまん。後は任せる」
走り出した隊長の後ろ姿を見たマリアは、微笑を浮かべていた。素直になった子供でも見ている気持ちだったのかも知れない。
「あなたもよ」
「あ……」
「死にたくないでしょう? だったら、行きなさい」
マリアの叱咤に、呆けそうになっていた隊員はどうにかこうにか立ち上がった。それを確認したマリアは、
「さあ、しっかりして。みんなが待ってるわ。早くお行きなさい」
と公園の外を指差して言った。何度も頷いた隊員は、やっと背を向け、公園の外を目指して走り出した。その背後から後頭部を目掛けて二発の銃弾が迫った。
ヂュイン――!!
金属同士がぶつかり合う硬い音が響いた。間に割り込んだマリアが両手の剣で銃弾を弾いたのだ。
マリアの視線の先に嘲笑を浮かべるランドがいた。
「ようやく出て来ましたね」
「待たせたかしらね?」
「いえ。大した時間じゃありません」
天使のような微笑を浮かべて問うマリアに、余裕ぶってランドが答えた。間、髪を置かずにランドが右腕の銃を三連射した。マリアは顔前に二本のガラス瓶を放り上げた。銃弾はいとも容易く瓶を粉砕し、辺りに中身の水を撒き散らしたが、すでにその後ろにマリアの姿はなかった。
「ハッ、そんな物で防げやしませんよっ!」
ランドはマリアの動きを追って、銃を撃ち続けた。
「ハハッ、ハッハッハー!!」
楽しそうに笑い声を上げるランドの銃弾を、マリアは動き回って躱していく。そして、銃弾を回避する傍ら、死人たちの首を刎ね、あるいは心の臓を突き刺しては、彼らを本来の姿に戻していった。
三十人からいた死人が瞬く間に十人を割っていた。ランドの銃撃に近付くことすら叶わずにいるように見せて、マリアは死人たちを減らすことに成功していたのだ。
ランドもその意図に気付いたと見えて、躍起になって撃ってくる。ランドとの間合いを詰めようとするマリアに迫る風切音。それは背後――ランドとは反対の方向から聞こえた。
風使いであるランドは、銃弾の方向をも捻じ曲げることが出来る。
ランドが勝利を予期し、微笑を浮かべた。
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