第28話 お前……星ノ瀬さんのことを悪く言っただろ?


「……? ああ、そうだけど……誰だお前?」


「三組の溝渕みぞぶちだよ。てめぇに言いたいことがある」


 振り返ると、そこには面識のない男子生徒がいた。

 ベリーショートの髪をワックスで逆立たせてワイルドっぽい容貌をした奴で、その表情はとても友好的とは言えない。


「お前、Fランクのくせに何か勘違いしてねえだろうな?」


「はぁ?」


 面識もないのに、いきなり何を言ってんだこいつ?

 俺を誰かと間違ってるんじゃないか?


「この間、見たんだよ。放課後の資料室からお前と星ノ瀬愛理が出てくるのを」


「……!」


 その言葉は、少なからず俺に焦りの汗を流させた。

 俺と星ノ瀬さんの協力関係は周囲に秘密にしている。


 何せ、星ノ瀬さんは皆が憧れている恋愛ランキング一位のSランクで、俺は最底辺のFランクだ。そんな二人がこそこそ会っているなんて知られたら、間違いなく騒動になるだろう。


「まあ、星ノ瀬は学級委員だから、どうせそれ絡みの何かだったんだろうがよ。てめえが浮かれたツラしてたから、調子に乗らねえように忠告に来てやったんだ」


 俺としては『何故星ノ瀬さんと俺が一緒の時間を過ごしていたか?』を追求されるとマズかったのだが、どうやら溝渕とやらの関心はそこじゃないらしい。


「いいか、FランクはFランクらしく自重してろ。星ノ瀬や他の上位ランクの女子に近づこうなんて思うな」


「…………」


 その言葉はあからさまではあったが、特に珍しい物言いという訳ではなかった。

 つまり、恋愛が下手な奴は人間としての身分が低いという考え方だ。

 

 恋愛ランキングというものは激しい競争意識を植え付けると同時に、マウント合戦や差別を加速させてしまう。その結果、目の前の溝渕みたいにランキングの順位であからさまに人を馬鹿にする奴も出てくる。


「お前はモテねえの。男としてマジ価値がねえの。だから間違っても浮かれんなよ。モテねえ奴はこれから先も死ぬまで隅っこで息を殺してろよ」


 ただ正直……中学からモテなかった俺はこの溝渕みたいな奴は大勢見てきたので、今更特に何かダメージは受けなかった。


 俺だって少なからず恋愛ができる奴は偉いという意識は持ってしまっているが、だからといって『低ランクの奴は隅っこで息殺してろ』なんて大真面目に言われると『頭大丈夫か?』という感想しかない。


 マウント取るのは自由だが、声高に叫ぶのは流石にアホだろう。


(にしても、これを言うためにわざわざ俺の名前を調べて……? こいつがそこまでする理由って……あ、そうか)


 何故こいつが俺の前に現れて、妙に怒りが滲んだ声でわめているのかをおおむね察っする。ただ、そこを指摘するとさらに面倒そうなので、このままさっさと去ってくれることを期待したが――


「ちっ、星ノ瀬も何でこんなFランク野郎にあんな顔を……ああ、いや、そういうことかぁ?」


 溝渕はその場を離れないばかりか、表情を激しい苛立ちから一転してニヤニヤと気色の悪いものへと変えた。


「なるほどな、ランキング一位もずいぶんみみっちい真似するじゃんかよ」


「……何言ってんだ?」


 勝手に納得した様子になったかと思ったら、溝渕は唐突に意味不明なことを口にした。というか、どういう了見でこいつはさっきから星ノ瀬さんを呼び捨てにしているんだ?


「わかんねえのか? 星ノ瀬はお前みたいな低ランクに気のあるフリをして回ってるってことだよ。それで舞い上がった馬鹿な非モテどもから大量のいいねポイントを貰ってるって訳だ!」


「――――は?」


 目の前の野郎が口にしたアホな邪推に、俺の脳内が溢れる怒気で真っ白になる。

 

 こいつは、何を偉そうに自分の妄想をさも事実かのようにわめいているんだ?

 

「はは、すげぇ必死でウケるな! ランキング一位に居座って偉そうに威張りたいからってそこまでやるとかよ!」


「――――」


 溝渕は何がおかしいのか、ゲラゲラと愉快そうに笑う。

 星ノ瀬さんを――あの朗らかで優しい少女を馬鹿にして、その下品な笑い声を食堂前の廊下に響かせていた。


(――ふざけんな、おい)


 いいねポイントのために、低ランク男子に気のあるフリをしている?

 星ノ瀬さんがそんな人の気持ちを利用するような真似をするかよ。


 ランキング一位に居座って偉そうに威張りたい?

 星ノ瀬さんがいつそんな振る舞いをしたってんだよ。


 何も知らないくせに、よくもそこまで星ノ瀬さんのことをわけのわからん妄想で貶めやがったなこのクソ野郎……!

  

「……お前さ、モテたいんだろ?」


「あん?」


 今すぐに目の前の馬鹿をぶん殴ってやりたい衝動に駆られながら、俺の頭と口は意外なほどに冷静に動いてくれていた。


「そのゴテゴテしたアクセとハリネズミみたいな髪型さ、別にお前の趣味じゃなくてモテるためのファッションなんだろ? 『俺はワイルドだぜ!』っていう男らしさアピールなんだよな」


「な……っ」


 俺の予想はどうやら当たりだったようで、溝渕は小さく呻く。


 そして、この時点で俺たちの周囲には人だかりができており、何だ何だと俺たちの言い合いに注目していた。

 まあ、昼時の食堂前でこんな騒ぎが起これば当然そうなるだろう。

 

「そんな尖った男らしさをアピールしてるお前のやることは、人に難癖つけた上にランクでマウントとってイキることか? ダサいにもほどがあるだろ」


「う、うるせえよFランクが! 俺はお前よりランクが上なんだぞ!? 格下がギャーギャー言ってんじゃねえ!」


 溝渕の声には明らかな狼狽が混じっていた。

 おそらく、こいつは俺が強く出ればビビって何も言えない奴だと思い込んでいたのだろう。


 まあ確かにスクールカーストと恋愛ランキングは比例傾向にあり、Fランクに属する男子はオドオドとした気弱な奴が多い。


 だが、あいにく俺は気弱でもなんでもないし、誰かに一線を越えたことを言われて黙っていられるタチじゃない。

 

 俺が緊張するのは女子だけで、男子には普通にキレるし何でも言うぞ? 


「っていうかよー。溝渕だっけ? お前のこと今アプリで調べたけど、四一四人中の二四一位のDランクじゃん。人にマウント取れるような順位かこれ?」


 俺の横に立つ俊郎が大きな声(多分わざとだ)でその事実を暴露し、俺たちの周囲からクスクスと笑い声が聞こえてきた。


 顔を赤くして何か反論しようとする溝渕だが、今更になって周囲から注目を集めていることに気付いて動揺し、言葉が上手く形にならない様子だった。


 ……というか、俺も驚いた。

 Bランクか、最低Cランクかと思ったらDランクかい。

 よくそれでFランクがどうのと、あれだけわめけたもんだ。


 さて、それじゃ……そろそろこっちも言いたいことを言わせてもらうか。


「……お前さ、星ノ瀬さんに交際申請送ってフラれたんだろ?」


「んな……っ」


 俺が突きつけたことが図星なのは、溝渕の苦虫を噛み潰したような表情が如実に語っていた。


 そもそも、何でこいつがわざわざ俺の前に現れて難癖つけだしたのかと考えると、動機はそれしかなかったのだ。


「星ノ瀬さんにフラれたからこそ、お前が見下しているFランクである俺がたまたま星ノ瀬さんと一緒にいるとこを見て、無性にムカついた訳だ」


 そもそも『低ランクは調子乗るな』という理屈でくるなら、DランクなのにSランクにフラれてキレるなと言いたい。

 こいつの言っていることは、結局のところ自分のプライドが傷ついたが故の八つ当たりに過ぎないのだ。

 

「まあ、俺はどう言われたっていいよ。別にあんまり気にしないしな。だけど――」


 そう、俺に難癖をつけるだけだったら、お前なんかスルーしてよかったんだ。


「お前……星ノ瀬さんのことを悪く言っただろ?」


 溢れ出る怒気のままに、目の前のワイルドファッション男子を睨めつける。

 そう、結局俺が許せないのは唯一そこだ。


 星ノ瀬さんは、本当に素敵という言葉が似合う女子だ。

 優しくて朗らかで、あれだけの美貌を持っているにも関わらずに人を本質で判断する綺麗な心を持っている。


 こんな俺にも普通に接してくれて、契約の上とはいえすでに色んなことをしてもらった。いっぱい笑いかけてもらった。


 だからこそ、心底許せない。

 俺の恩人たる星ノ瀬さんを、単なる逆恨みで馬鹿にしたこいつが。

 

「自分をフッた女子に腹を立てて悪口言うなんて、これ以上カッコ悪いことはないだろ。男らしさどころか女々しすぎてビビる。恥って言葉を知らないのか?」


「て、てめえっ! 言わせておけば――っ!?」


 そこで不意に、溝渕のポケットのスマホから、コミカルな効果音が何度も鳴った。

 溝渕は訝しげな顔でスマホを取り出して確認し――その顔はみるみる青ざめていった。


「な、なああああ!? そ、そんな……!」


「あ、こいつの順位がたった今ガクッと下がったな。Fランクに落ちてきたぞ」


 俊郎の言葉を聞きながら、俺も手元のスマホで溝渕のプロフィールを確認するが……確かにDからFランクに下がっている。


(なるほど、こりゃいいねポイントを取り消されたな)


 恋愛ランキングのランクは、主に異性からのいいねポイントで決定する。

 そして、与えたいいねポイントは取り消すこともできるのだ。


(今俺たちの周りにいる大勢の野次馬の中に、溝渕にポイントを付与していた女子もいたんだろうな)


 その子らが、自分をフッた相手への悪口なんてクソダサいことしたこいつに失望してポイントを取り消したため、こいつのランクが下がったって訳だ。


「こ、こんな……! ち、ちくしょおおおお!」


 自分が周囲の生徒たちから(特に女子)少なからず白眼視されていることに気付いた溝渕は、混乱のままにこの場を逃げ出した。


 そして、自然とそこに集まっていた野次馬たちも解散していったのだが……。


「いやぁ、なかなかのキレっぷりだったな錬士。まあ、わけわからん逆恨みっぽかったからキレるのもわかるけどよ」


「ああ、正直頭に血が上ってた」


 こうして少し冷静になると、さっきまでの自分がメチャクチャキレていたのがわかる。あんなに怒ったのは、一体いつぶりだっただろうか?


「ところで、あいつがお前と星ノ瀬さんに口汚いこと言ってたのはよくわかったけど……お前とあの『恋咲きの天使』ってなんかあったのか?」


「ああ、それは……」


「やるじゃん、久我っ!!」


 さて俊郎にどう説明したものかと逡巡していると、不意に明るい女子の声と同時に背中を叩かれた衝撃があった。


 こ、この陽キャ全開な声は……!


「こ、小岩井さん!?」


「いやー! 面白いもん見れたっしょ! うんうん、フラれたからって相手の悪口言うとかダサすぎなのはマジでそう! その辺ビシっと言ってくれたから、周りの女子たちもすっごい頷いてたし!」


 一部始終を聞いていたらしきギャル女子・小岩井さんは、いたく上機嫌であり笑いながら俺の背中をなおもバシバシと叩いた。


「つか、ギャラリーあんなに大勢いたし、多分久我には結構来るっしょ! あはは、ボーナスイベントってやつ?」


「は……?」


 来る? 来るって何が……?


「あれ、錬士……お前、スマホがなんか鳴ってね?」


「へ……? って、ええっ!?」


 俊郎に言われてポケットのスマホを取り出すと、そこには想像もしなかった表示がされていた。


「い、いいねポイント!? それも、名前も知らない他のクラスの女子三人から……な、何でだ!?」


「何でも何も、さっきの野次馬の中にいた女子からっしょ?」


 狼狽する俺に、小岩井さんは当たり前だとばかりに言った。


「いいねポイントって、あくまで『いいね』くらいの感覚であげるんだし、久我があのフラれ逆恨み男子をボコったのを見て、ポイントをあげようって気になった女子がいるのは全然不思議じゃないし」


「な、なるほど……」 


 言われてみればそうだった。

 いいねポイントは交流があった異性だけでなく、ゴミを拾ってるのを見かけたとか、うっかり校内の池に落ちて周囲にウケたとか、そういったことで貰えることも多い。


 『好き』『あの人いいな』でなくても、『ウケる』『面白っ!』『ありがとう』『掃除代わってくれたし』『部活仲間だし』くらいの軽さでも貰えるのだ。


 なので、このポイントは『リアルSNSポイント』などと呼ばれることもある。

 

「いやー、アタシはもう久我にポイントあげちゃったから残念! まあでも来月にはあげるから期待しといて! 忘れてたら催促してくれていーからさ!」


「陽キャオーラが眩しくて目が焼けそうだ……」


 曇りなき笑顔で言いたいことをバシバシ言うギャル女子に俊郎が感想を漏らすが、それは俺も同意だった。

 

「まーでもさ?」


 そこで、小岩井さんは何故かチラリと近くの廊下の曲がり角を見た。

 不思議そうな顔になる俺たち二人に構わず、なおもギャル女子は笑う。


「今一番久我にポイント入れたい女子は、アタシじゃないかもだけどねー」

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