「「……」」


湊とボクの横にしゃがみ込み、声をかけてきたのは菫だった。湊は楽しそうに「今日ー。いちお飯食った後だから19時とかその辺? 菫は部活何時に終わんの」と返した。


「今日はえーよ、17時には終わる」


「おー、なら部屋の鍵開けておくから先始めててもいーよ」


「鍵いつも開けっぱだろ」


「そうでした」


そうでしたじゃないよ湊、退いてよ湊、助けてよ菫。


「あ。そうだよ紅騎。蜘蛛出て来る前に潮と、紅騎たちも呼ぼうぜーって話してたんだった」


あっさり身体を起こす湊。潰れたボクを無視して紅騎を振り返るも当の紅騎はヤンキー座りの菫と熱い視線を交わしている。


「よォ菫ぇ」


「あン? 紅騎おまえ、特進科の純が相部屋っつーチートだからって独り占めできると思うんじゃねーぞ。こちとら赤点スレスレなんだよ夜露四苦ゥ」


「い〜やだめだ、純は俺専属家庭教師なんで夜露四苦!!」


張り切って言い返しているのを見たら、本当に仲直りに拘っていたのは自分だけだったのかもしれないという気がしてきた。確かに紅騎にも菫にも大袈裟的なことは言われたし、ボクが余計な気を揉まずとも二人は揺らがない絆で結ばれて…

「み、なと…そろそろ退くなら退いてぇ」


「あぁ忘れてた。それって退かなくてもいーの?」


「退いてくらさいお願いしゃす」


「仕方ねぇなぁ。純ーおまえもちょっとは筋トレした方がいーぞ。いざという時少しは紅騎に応戦できるようにしとかねぇと。腹筋ゼロじゃん」


忘れていた割に怖いことだけは言う。いつまでも呑気に馬乗りになってやがった湊を睨むとやっと退いてくれた。無い腹筋が痛い。


「…だよな? じゅん」


イキった手前そうじゃなかったら恥ずかしいのか、不安そうに確認してきた紅騎。腹立たしいので勝手に湊に掴まって身体を起こした所問われ、だよなって? と話を遡る。ああ、紅騎専属家庭教師かって?


「ちがうけど」


「ぅえ!」


「何だぅえって」

「変な声出た」


「ほらな〜違うってよ紅騎ィ」


結局助けてくれなかったくせに合わせて立ち上がる菫。性格がツイストしているのでわざわざ違うと繰り返し、傷を抉っている。紅騎もムカついたのか菫をグーで叩いた。


「あぁ〜! 叩かれたぁ! いてーいてー」


「菫の家庭教師もやらないけど」


「何でだよ」


「よくこの流れでそれが言えるな」


菫は当然みたいな表情をして何で? と眉間に皺を寄せ見下ろしてくるがそれは無視した。



「あぇ!? えっ虫は!? 虫はどうなった!?」


その時ドアが開け放たれたままの203号室内から、意識を取り戻したらしい潮の元気な産声が聞こえてきた。



「潮ーおはー。虫はこちらの勇者、純様が退治してくださったぞ」


今までで一番丁寧な手の平を向け紹介される。一応どうもと会釈するとめしょめしょと表情を緩ませた潮が固まっている紅騎を横切って出て来た。


「おぉ…勇者よ、そなたがあの悪しき怪物を退治してくださったのか。何と愛らしい手…この小さな手でこの広い世界を救ってくださったのか」


「いや外に逃しただけだよ、ただの蜘「シッ!! その名を口にするではない!!」


こわ。

鬼気迫る顔で文字通り迫って来た潮に至っては冗談かどうか判らなくて怖い。今朝といい、恐怖の対象だ。


「それはさておき、今宵そなたに私の家庭教師をお願いしたいのだが宜しいか」


「潮の」


「ああ私のだ」


潮はボクの手を掬ったままキラキラと頷くが、間近で湊に「おまえ起き抜けに抜け駆けすんなよ。今ここ戦場だから」と言われている。


「潮のだったらいいよ、ボクで良ければ」


「ハ!!」

「ナ!?」

「ちょっと待ったぁ!!」


湊、紅騎、菫とリアクションしている間に交渉成立の握手を交わす。今朝で思い出したけど、虫の件を経たことにより座敷童子の疑いも晴れたのか、若干過大評価な視線を向けてくる潮の手も大きかったけど、決して力を入れず優しく握ってくれたのがやはり好感が持てた。その他だったら他に勝利した威張りでこうはいかなかっただろう、何も気にせず握り潰してきそうだ。



「アァッミミダッ!!」


湊の逃がさない視界の隅から現れた南が呼ばれ、南は「げ」と小さく反応した。見つかりたくなかったらしいがここを通らないと行けない場所は多くある。


「ミミ〜今日俺らの部屋でテスト勉強会開催するから俺の専属家庭教師になってぇ〜俺も専属家庭教師ほしい」「やだよ」


え? 南が即答だと?

この中から誰かしら選ばなくてはならない使命感に襲われていたが、もしや断っても良かったのか?

汗が噴き出すボクの隣で、振られた湊が細かく地団駄を踏み始めると見兼ねた南がまあまあ離れた位置から三本の指を立てた。


「理由は三つ。一つ、純粋に湊の専属っていうのが嫌だから。二つ、湊と潮の所やたら虫出るから。三つ、ここにいる全員が入れる部屋じゃないから。定員五名くらい? 純っていう空気清浄機をもってしてもその他四人のむさ苦しさに耐えつつ勉強教えるとか無理。っていうか先ず期末テストって一か月後じゃん、やるの早くない?」


確かに、早い。


紅騎が「ミミだってそんなタッパ変わんねぇだろ」と唇を尖らせ潮が二つ目の理由に「やはり、薄々感じてはいたがそうなのか…? 虫に呪われし部屋ってことか…? なぁ」と蒼ざめた顔で湊に話しかけるも、湊は「ちょっとごめん、今俺一つ目の理由で心折れたからその後何も入ってない」と返しただけで、誰も早すぎるテスト勉強について突っ込まなかった。


「そもそも何でそんな集まってやんのよ、同室は兎も角」


「俺と潮は二人だとすぐ躓くし菓子食っちゃうんだよなー」

「なー」

「だから虫がわくんだよ」


南の正論に二人は黙り込み、菫は「俺は自室だとソッコー寝るから」と何やらドヤ顔で主張した。


「あーね。

じゃ」


容赦なく切り捨てた南は「純は出題範囲被ってるだろーからいつでも部屋おいでね」と付け足し、去って行った。


「湊、俺らもそろそろ飯食って部活行かねーと」


「はーい、紅騎ママ」

「誰がママだ」



その場はお開きとなった。




・ ・ ・




約束通りの十九時過ぎ、紅騎と203号室を訪ねると既に湊、潮、菫が教科書を広げていた。


「菫はな〜俺らが部屋戻ってきたら案の定白目剥いて寝てやがったぞ危ねぇ」


菫がちゃんとチクられてから始まった勉強会。今は休憩ということで直前の問題を懸命に解く潮についている。


「そいえばさ、今年も週明けになったら写真飾られんのかな」


壁に寄りかかりペットボトルから口を離した湊が隣の菫に訊いた。菫は「写真ん?」と邪魔くさそうな表情だ。


「まー写真部が撮りまくってたから飾られねぇわけないな!!」


自分で答えた。端からその反応待ちだったのだろうな。何なら昨日からずっとそれでソワソワしていたのだろうな。そう視線をやっていると「あ〜。純は今年からだから知らねぇよな」と得意げで嬉しそうな視線に見つかり捕らえられてしまう。


「写真。体育祭での俺らの—特に俺の勇姿が写真部によって撮られまくって、週明けに廊下に貼り出されんのよ。で、ファンの一年生が買ったりして、モテモテが更に加速するという儀式」


「儀式」


鼻が伸びていく湊の言葉をなぞれば「ほぼ嘘な」と隣から呆れた紅騎が覗く。


「儀式じゃねーし写真は平等に撮られて飾られるし、本来それも体育祭を見に来られない身内の為のものだろ」


「黙れ!! 去年の売り上げ第一位が一丁前に御託を並べんじゃねぇ」


“御託を並べる”湊がそんな言葉を知っていたことに感心しつつ使い所は違っている気がしつつ、口では「売り上げ第一位……」と呟いていた。


「こいつの応援合戦時の学ラン姿が最も売れたことを俺は知っている。

しかも応援合戦中じゃねぇ、オフの時の隠し撮りが、だ」


「へぇ」


こちらは本気で感心するも、肝心の紅騎は何とも言えない、俺の所為じゃない的な表情を浮かべていた。



「あ〜〜あ、海行きて〜〜」


何かを諦めた湊は突然天井に向かって願望を大声で吐き出した。


「叶うなら水着の爆乳美女とアハハウフフしたいけどそれが叶わずとも泳ぐだけで良いから海行きてー。

皆は夏休みどうすんの」


炭酸片手に不服そうな雰囲気を醸し出しながら問うている。彼らバスケ部は部活三昧なのかもしれない。湊がこの顔をしている時は大体部活か女の子絡みだ。


サッカー部うちは夏休み入ってすぐが親に顔見せてこいー宿題詰めておけー期間だから、先に実家に顔出して後は部活」


「俺は泳ぎまくる」


「潮のは聞いた。純は?」


「ボクも帰省しないと」


正直気の重くなる話題だが、それでこの場が暗くなるのはもっと嫌だ。当たり障りのない言い方に努めると、視線を感じて紅騎と目が合った。


「ぁ、紅騎たち——も部活、忙しそうだね」


「純、」


「そーなんだよなー! 休み前に大事な試合あんのにそのまま部活三昧とか俺らの休みどこ!?」


紅騎は何かを言いかけたけど、「菫も純も地元帰って彼女できましたとかなったらタダじゃおかねぇからな」と続ける湊に「休みはあるじゃん、テスト最終日とか」と補足して宥めた。


「テスト最終日っ!! それだ。海行こーぜ」


「俺はパス」


「何で? サッカー部部活あんの?」


「ないけど自主練する」


「ふざけんな。砂浜でボール蹴ってていいから」


「あ? 独りで行ってこいよ」


「俺も同じく、海で泳ぐならプールで泳ぎたい」


「いやいや潮は強制参加だろ。どこで泳ぐのも一緒だろ? 泳げれば良いんだろ? 海とプールの違いなんて塩っぱいか塩っぱくないかだから大丈夫だろ」


なかなか酷い主張だ。


「純は行くよな」


「うーん」


「蟹いるかもしれねぇぞ」


「蟹……!?」


何故ボクにだけその小学校低学年男子を釣るような誘い文句を繰り出したのかは謎だが、まったく、物凄く魅力的な餌じゃないか。

「いく」


「おし。紅騎には訊かねーぞ、行くって心の声でもう聞いたから。菫は砂浜で美女じゃなくボール追いかける予定だし潮は海でバタフライとかし始めるかもしんねーから、俺と純のライトセーバーとして、な」


「ライフセーバーじゃなくて? 俺、剣の方?」


呆れた表情の紅騎とは反対の隣から、「…? また点P移動しやがった」と勉強を再開したお利口さんな潮の声がした。



「潮。前髪長くない?」


次へ次へと変わる話題。気になっていたことを問うと、ああ、と前髪に触れる。


「部活はどうせ帽子被るからつい後回しに」


水泳部の潮。確かにそういうこともあるのかと納得しつつも下を向くと前髪が目元に掛かって解き難そうで、そういえばと一度自室に戻り、再び隣に腰を下ろす。


「何それ?」


座って取り出したそれを紅騎が覗き込む。「半魚人のヘアピンだよ」と答えながら潮の前髪に手を伸ばした。


潮はびく、と瞬きをしたがその後前髪に可愛らしいヘアピンが留まって、出さないのは勿体無いおでこが現れる。


「かわいいかわいい。これ跡も付かないから。返さなくていいよ」


「おお〜視界がクリアになったぞ!」


感激する潮を見て、これはお古だから今度また新しいのを買って渡そうと考えていると、逆隣から肩を叩かれた。


「俺も。前髪伸びてねぇ?」


甘えた顔を傾けて前髪を指す紅騎。


「うーん。確かに」


うむ、と頷いて数秒後、「えっ終わり!?」と悄気た表情で慌てた紅騎を見て、もしかしてと思い直す。


「紅騎もヘアピン欲しいの? 勉強捗りの助けになるかもって持って来ただけだから新品じゃないよ、お古だよ?」


再度ポーチを漁りつつちら、と紅騎を見遣れば食い気味に頷いて大きくふさふさの尻尾を振っている。本当——昨日目撃したのは選抜リレーだけだけど——その時の表情とはまるで別人だ、今はその、目には見えない尻尾がベシベシとボクの顔に当たっている気さえするのに。


「紅騎はこれかな」


一つ取り出し手渡すと、手ではなく額が差し出される。仕方なく潮同様前髪を挟んであげると、ご機嫌なありがとうが返ってきた。


「うわ、懐かしい〜」


それを見た湊が声を上げる。


「○トカゲじゃん。俺にもくれよ」


「湊は前髪長くないじゃん。菫の方がまだ必要だよ」


湊を見た視界の端に映った菫を指摘すると「前髪伸ばそ」と呟いた湊が勉強に飽きてきたのか「じゃー俺と菫だったら何くれんの」と訊いてきた。実家から持ち出す際に誰かの役に立つかもしれないとピカピカに洗って持って来たは良いものの、取り出すのは久しぶりなそれらを見つめる。まさかこんな所で異性の為に役立つとは思いもしなかった、


「湊にはこれがあるよ、○ニガメ。菫はクロ○ちゃんかな」


「クロ○チャン? んだそれ悪魔か」


「いーねー。つうか純、何でそんな持ってんの?」


「へ。

ア……えと、ぼボクも前髪長い人生だから」


「前髪長い人生? それにしてもんなキャラもの、種類豊富過ぎね? 女子じゃん」



女 子 じ ゃ ん 。



衝撃的なワードに、ボクの顔は自然と紅騎の方へと向いてしまった。紅騎はご所望のヘアピンを得たことにより意気揚々と問題に取り組んでいたのに視線に気付き、こちらを見てしまう。


「これは……その」


「? 何で俺の方向いて言うの」


不思議そうな後、朗らかな笑みを携えたヘアピン付きの紅騎は、ボクの現状をどう捉えたのか湊に向き直った。


「別にかわいいもの・・・・・・好きでも持ってても良くね? 現に潮も俺も超助かってるし」



な、潮。と潮を覗き込み、潮は「これめっちゃいいわ…一人一つ必要レベル」と頷く。


それに湊は羨ましがって、菫は「仕方ねぇ貰ってやるか」と手を差し出してきた。


ボクはまた肯定感たっぷりの紅騎の言い回しに、隠し通さなきゃいけない相手に助けてもらうなんてと思いつつ心が温かく響くのを感じた。





「うぁーー…ねむ」



先にヘアピンを付けた菫が眠り出して、それにつられるように眠くなった皆も勉強会をお開きにした。ただ一人、またしても目をバキバキにして問題に取り組んでいた潮を除いて。


歯を磨いて部屋に戻ると、上がってこちらを振り返った紅騎が付けたままのヘアピンに触れて眠そうな目で、「いっしょー大事にする」と微笑った。


「新しいたからもの」


大袈裟だなぁと嬉しく思いつつ「宝物?」と聞き返すと、紅騎の影が近付いてくる。



「え、ぇ」


思わず後退り、ドアに背を着くと顔の横に紅騎の大きな手の平が着いた。


「——っ」


何だ何だと目をきつく瞑る。と、耳元で、軽い金属音がした。


「……?」



「これ。母親が俺を今の実家に押し付けて出て行った時、俺に押し付けた物」


口にした言葉とは裏腹に柔らかい表情をした紅騎の指先には銀色に光る、恐らく女性サイズの指輪が摘まれていた。鍵置きに置いてあったのか。


「今はそう思えないけど、渡された頃はこれを大事に持っていればその内母親が帰ってくるんだって思い込んでた」



目の前に、その時それを大事に抱きしめて眠る紅騎が映るようだった。


それは、周りの目には不穏で寂しくて、不憫で可哀想な物に映ったかもしれない小さな丸い銀。


だとしても、紅騎にとっては唯一の宝物だったのだろう。

宝物の話の中で一番に挙がるくらいには。



「この前久々に思い出して見た後ここに置いてたの忘れてた」


結婚指輪だろうか、紅騎はそれを手の平の中に収めて、スウェットのポケットに仕舞い込んだ。



“ この前って ”


広い背中を向ける紅騎に、その問いかけを飲み込む。



「おやすみ、純」



まだ踏み込んでまで言いたいことを言っていいほど近い距離に居ない。


そう、頭では考えたけど。



「待って紅騎」


急いで上がって、回り込んで見上げた紅騎の表情は、やっぱり笑ってなんかいなかった。


「…よかった」



「よかった?」


「紅騎、これだけ。ボクが紅騎にできる“相部屋特典”なんて、紅騎がくれるものに比べたら数えるほどしかないんだ。だから、もし宿題とか課題とか解らない所があったら寝ていても叩き起こしてくれていいし、……お母さんが、来たら。ボクが出る。紅騎が望むなら、ヘアピンもたくさんあげる!」


それくらいしかできないけど、精一杯やるから。


知っていてほしい。


味方だ、って。



「それくらいって」


ヘアピンはこの一個で充分だけど、と力を抜いて笑った紅騎。やっと素の笑顔が見れた気がした。

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