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  • 今日のご飯への応援コメント

    呪言、それは"まじない"に唱える言葉。
    古来より魔術や呪術や儀式、果てには禅や苦行など、それらは全て変性意識状態…つまるところ、トランス状態になるためのものでした。
    それは歌も然りであり、古来から歌や舞と祈り…そして果てには饗宴。宴も祭祀の一つでした。供物を捧げる行為もそうでしょう。

    しかし、人が真の意味で食物連鎖から逃れる事はできない訳で…自らを食べて死したとしても、血肉は分解され、虫やら微生物やら何かの食べ物となる。
    もし唯一そうでない方法があるとすれば、それは完全なる即身仏や木乃伊となり、食べれぬ屍蝋と化すくらいしか無いのでしょう。

    当然、自分を食べてるという呪いをかけたところで、それは変わりません。
    なんなら、そのような意図を以て食事をすることで、逆に「自分という"人間"を食べる」という食性を、その罪を継承してしまうまであるかもしれません。なんなら工程まで語り継ぐわけですから。
    つまり食人を防ぐための祝詞は逆効果であり、それを欠いた瞬間に「自分を人間を食べれない」という認識による禁断症状を齎してしまう。

    つまるところ、これは一種の呪い…呪術の一つ。詩によって変性意識を作り出し、それによって祖先たる罪人の嗜好を再生産する儀式。故に歌っては、それを欠く度に、禁断症状が…食人衝動が抑えられなくなる。
    呪禁ではなく、呪いの歌の話。そう捉える事も可能かもしれませんね……味わいたくない、味わい深い話でした。ご馳走様でした。