第10話

「抑制剤を、家に、忘れてきちゃった……、ごめん、きたのくん、ちょっと、家まで送ってくれる、かな?」


 頬を染め、申し訳なさそうに上目遣いで俺をみるルイは、発情期云々を横に置いても色っぽい。あぁ、俺がアルファだったら襲っていただろうなとしみじみ思い、彼の腕を掴んだ。


「当たり前だろ!? ほら、支えるから……」

「あり、がと……」


 ピッタリと寄り添った体は汗ばんでいる。ちくしょう、アルファ。ちくしょう、福田。こんな良い男を目の当たりにして、ベータである俺は何もできない。

 内心舌打ちをしながら、彼の道案内に従う。その間、何度も彼は謝罪していた。「気にしないでくれ」と答えると、ルイは震える手で俺の服を掴んだ。

 ルイの案内で導かれたマンションは真白い壁をしていた。傷ひとつないそこは俺のオンボロマンションとは違い、かなりの値が張りそうな場所である。

 「優斗くんの家なんだ」。オートロックの玄関を抜け、エントランスへ入る。エレベーター前まで向かい、ボタンを押す。上階に止まっているカゴが徐々にエントランスへ降りてきた。


「お前、福田の家に住んでんの?」

「……うん。そのほうが楽だからって……」


 ちくしょう、アルファ。ちくしょう、福田。俺だってルイと同居したい。一緒に暮らしてイチャラブしたい。

 唇を噛み締め、福田を恨む。


「ありがとう、北埜くん。ここまで連れてきて、くれて」


 額から汗を伝わせる彼が、浅く呼吸を繰り返す。どうも辛そうだ。ヒートというものが発情期ということは分かったが、にしてもここまで体調が崩れるとは。俺は彼の肩を支えた。


「大丈夫か? 俺が、そばにいるぞ」

「……ふふ」


 ルイが小さく笑った。何がおかしいんだ? と首を傾げると、彼が「ごめん」と謝罪する。


「変だね、つがいがいるオメガなのに、ベータである君に縋りたいと願っている」


 舌が縺れないように言葉を紡ぐ彼は、とても謙虚だ。俺は黙って彼の言葉を聞く。


「アルファやオメガ、ベータという区分なんか、関係ない。僕は────僕は君自身に惹かれているんだ」


 火照った頬を、さらに染め、彼が目を伏せる。彼の言葉が溢れたと同時に、俺は内心ガッツポーズを決めた。俺は、この世界の法則に勝ったのだ。アルファに惹かれるオメガ(それもつがい持ち)がベータである俺に惹かれている。

 福田の悔しそうな顔が瞼の裏に浮かぶ。ザマァみろ。最後は必ず純愛が勝つんだ。


「清泉────いや、ルイ。福田とは縁を切れ。絶対に、守ってみせるから」


 腫れた頬を撫でる。滲んだ赤色は熱を帯びていた。

 もう、耐える必要はない。俺が必ず幸せにしてみせる。グッと唇を噛み締め、彼を抱きしめた。


「き、きたのく……」


 彼からふわりと甘い匂いが漂う。もしかしたら、これが発情期のフェロモンというやつなのだろうか。疼く何かを感じながら、腕の力を込める。


「おい、そこで何やってんだお前ら」


 地を這うような声が俺たちの間に入り込む。顔を上げると、福田が怪訝そうな表情を顔に貼り付け、エントランスに立っていた。眉間に深い皺を寄せた彼が、唇を曲げて俺とルイを交互に睨む。


「な、なんでここに……?」

「ルイ、何してんだお前」


 気迫のある鋭い音に、ルイがビクンと体を揺らし、身を縮こませた。その目は怯えていて、体が小刻みに震えている。

 「ご、ごめんなさい、優斗くん……」。溢れた言葉の端々が震えていた。俺はしっかりと彼の身を抱きしめる。怯えなくていいと伝えたくて力を込めた。


「優斗くん、今日は、女の子と遊びに行ったんじゃないの?」

「あー……まぁ、予定がなくなったんだよ。ていうか、なんでお前、外に出てんの? 俺が出ていいって許可してないのに、勝手に出るなよ」


 こいつ、ルイに行動の制限までしているのか。そりゃ、女の子に予定をキャンセルされるに決まってる。そんなオレサマなやつは、アルファだろうが愛想を尽かされて当然だ。

 俺は内心、彼を馬鹿にする。笑っていることに気がついたのか、福田がギロリと俺を見た。

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