第7話

「ケイトさん」


 名前を呼ばれる。「どうした?」と返事をすると、彼が唇を噛み締めた。


「キス、してみたいです」

「えぇ!?」

「恋人同士はキス、しますよね?」


 彼が体を起こした。手を胸の辺りに置き、ぎゅうと握りしめる。俺も上半身を起こした。ドキドキと高鳴る胸と、背中に滲む汗に気づかないふりをしながら。


「き、キス?」

「唇と、唇を合わせる行為です。小説で、読んだことがあります」


 ふんす、と鼻を鳴らす彼。キラキラと目を輝かせてズイと俺に近づいた。


「恋人同士が味わう経験をしてみたいんです。ケイトさん、キスしましょう」


 真正面からこんな純粋な瞳でキスがしたいとせがまれるだなんて。まるで夢のようである。いや、夢なのだが。


「分かった、やろう」


 俺は口の中に溜まっていた唾液を、音をたてて飲み下した。目を瞑り、こちらを見上げたままじっとしているルイを見つめる。艶やかな形のいい唇に眩暈がした。

 恐るおそる、俺は唇を寄せた。夢の中で、ルイと口付けは何度かしている。けれど、どれもこれも、俺から望んでやっていることだ。ルイから「してほしい」と願われたことはない。

 触れ合っている中、彼はぴくりとも動かなかった。悶々としてきた俺は、やがてルイの唇を裂き、口内へ舌を入れ込む。


「んッ、ぁっ、け、ケイトさ……」


 彼の微かな喘ぎ声が鼓膜を弾き、バッと体を離す。ルイは潤んだ瞳を瞬かせた。

 ────何やってんだ、俺!

 瞬間、脳内でまともな俺が下衆な俺を蹴り飛ばす。

 最低すぎる。何も知らない、警戒もしていない彼に……。俺はとんでもない卑怯者だ。けれど、我慢できない。俺は健全な男子なのだ。好きな人を目の前にして、いい子ちゃんの皮をかぶることはできない。


「……へ、変な声、出しちゃって、ごめんなさい……僕……僕……」


 目を伏せ、そう呟いたルイに全身の血が沸騰する。ぐわんと眩暈がするほどの興奮に襲われ、倒れそうになった。

 そんな俺の状態に気がついていないのか、ルイがもう一度、接近する。汗ばんだ俺の頬を包み込み、唇を吸った。


「……なんだかさっきの、きもちいい……」


 舌足らずな声音に、腹の奥が疼く。彼が体重をかけ、俺を押し倒した。何度も啄む柔らかい唇が、俺の思考を乗っ取った。


「ん、……けいと、さん……」


 舌を入れ込むと、甘い声で彼が名前を呼んだ。ルイが体重をかけ、俺に覆い被さる。彼の体温がじんわりと体に滲んだ。もっと彼を近くに感じたくて、その背中に腕を回す。


「っ、あれ。何これ……?」


 ルイが、俺を弄っていた。正確には俺の下半身を、だ。ゆるりと撫でられた途端、俺は鋭い悲鳴をあげた。驚いたルイが目を見開いている。


「す、すみません、痛かったですか?」

「違う、違う! 違うんだ!」


 バッキバキに勃起してしまっているそれを撫でられ、爆発寸前であった。俺はグッと唇を噛み締め、顔を真っ赤にする。

 ────しょうがないだろ、勃起したって! むしろこんな状況下でしないほうが不健全だ!

 俺は誰にも届かない言い訳を叫びながら、彼を引き剥がそうとする。しかし、ルイは退かなかった。


「ケイトさん、苦しいんですか? これは、怪我ですか? すごく、腫れてます……」

「んのあー!」


 優しく撫でられ、俺は情けない声を漏らす。「そ、そんなに痛いだなんて……」と心配そうな顔を浮かべるルイに俺は続けた。


「そ、そこでハムスターを飼ってるんだ! だから、あまり触るな!」

「は、ハムスターとは齧歯類の生き物ですよね? わぁ、すごい。見てもいいですか?」

「良いわけあるかい!」


 唾を飛ばしながら彼の手を抑える。


「そのハムスターは撫で続けると、爆発するぞ……!」

「すごい! 爆発する小動物を飼ってるんですね! さらに見てみたくなりました!」

「お前の探究心には敵わねぇ!」


 俺とルイは隣室の住人からクレームを入れられるまで攻防戦を続けた。

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