11.ココ助の正体

「だからさぁ、Aセットいくなら先に中央抑えないと厳しいんだって」

「相手が当たりに来てんだからセオリー通りにやったって上手くいかないっていう話をしてんの! 敵の傾向に合わせて動くべきでしょ!」


 翌日、掃除当番で遅れて部室に入ると琴崎先輩と南先輩が大激論を繰り広げていた。

 琴崎先輩は目を吊り上げながら机をバンバン叩いて声を荒らげていて、南先輩は豊かなお胸を強調させるように腕と足を組みながら怪訝な表情で椅子にふんぞり返っている。

 まるで血気盛んな小型犬とおっとりした大型犬の喧嘩だ。


「お、あかちゃんやっほー」


 しかし宮本さんは先輩たちの様子をまったく気にしていないようで、缶の紅茶に口を付けながらのほほんとした挨拶をしてくる。

 ココ助先輩のモニターにはハムスターがピコピコと可愛く動いているので、どうやらこの大喧嘩を見守っているようだ。


「え、あ、こんにちは……。ど、どうしたんですかこれ……」

「昨日の反省会なんだけど『せっかく昨日仲直りできたんだしお互いもっと言いたいこと言っていこうぜい!』ってなったらこうなった!」

『まぁ、仲良く喧嘩してるならいいかなーって』

「そ、そうなんですね……」


 一応前向きな理由で遠慮のないコミュニケーションを取っているようだが、傍から見ればただの大喧嘩である。トムとジェ〇ーかな?


 しばらく先輩たちの前向き?な大喧嘩を見守っていると、部室の扉からコンコンという子気味良いノックが聞こえてきた。


――え? だ、誰……?


 部室にはメンバー全員が揃っているし、ココ助先輩もログインしている。

 つまりノックの主はいつものメンバーの誰でもないまったく知らない人だ。

 私が突然の来訪者に震えていると、宮本さんが「はーい。今開けますねー」と言いながらゆっくりと扉のほうに向かっていく。


「失礼しますこんにちは! 一年A組の尾花由香です!」


 宮本さんが扉を開くと、ハキハキとした声が狭い部室に鳴り響いた。

 白熱した議論を繰り広げていた先輩たちも、思わず口を閉じて扉のほうに目を向ける。

 そこにいたのは少し短めのボブカットの生徒で、右脇には松葉杖を抱えていた。

 右足に目を向けると白い包帯やサポーターのようなものでぐるぐる巻きにされている。


「ゆかちゃん! あ、今回助っ人で来てくれる陸部の尾花由香ちゃんです!」

「歩。そのことなんだけど……」


 尾花さんは紹介を進める宮本さんを制するように口を挟む。

 二人は下の名前で名前を呼び合うほど仲が良いようだ。


「部長さんはどなたですか? 助っ人と言っても結構制限があるので擦り合わせがしたいのですが……」

『一応名義上は私が部長になってるけど、話なら全員で聞いたほうがいいんじゃないかな? こっちもこの場にいるメンツしかいないし』

「え?」


 空いた席のモニターから聞こえてきた声に尾花さんは一瞬固まる。

 モニターにはピコピコと動くハムスターのアイコンが映っている。ココ助先輩の声だ。


『オンライン部員のココ助です。よろしくね』

「あの……、学年とお名前を伺ってもよろしいでしょうか」

『ごめんなさい。そういうのは表に出してなくて、オンライン部員のココ助って認識してもらえると助かるかな。私の声が出てるパソコンの席に座っていいよ。ハムスターのとこ』

「わ、分かりました。失礼します」


 尾花さんは困惑しながらも素直に従って、ココ助先輩のパソコンの椅子へと座った。


「こっちが琴崎瑠依先輩で、こっちが南真知子先輩! どっちも二年生だよ! それと前にも話したC組のあかちゃん!」

「よろしくお願いします」


 尾花さんは先輩らに対して律儀に挨拶をしたあと、じっと私を見てから居直った。


――あれ、私知らないうちに何か失礼なことしちゃったか……?


 私の陰キャセンサーが尾花さんからの悪感情をビンビンに検知している。どこかで嫌われるようなことをしてしまったのかもしれない。


『それで助っ人のことなんだけど、制限っていうのは……』

「はい。私は陸上部に所属しているんですけど、見ての通り疲労骨折で右足をやっちゃいまして。放課後の部活の時間でリハビリしているのですが、どうしても休養日とかを設けなきゃいけなくて、そういう日なら数合わせぐらいなら参加できるよって宮本さんに話したのがそもそもなんです」

「休養日ってどれぐらいの頻度で発生するものなの?」


 リハビリのない休養日なら参加できるとのことなので、琴崎先輩が突っ込んだ質問をする。どれぐらい練習に参加できるのか確認するためだろう。


「大体週に二日程度ですね。あと、先に一つ確認したいことがありまして、この同好会で目標にしている大会が五月ごろと聞いたのですが、具体的にはいつ頃になりそうですか?」

『まだ具体的な日程は決まってないけど、だいたい五月の半ばぐらいかな』

「だとしたら参加できるかは正直微妙です。ごめんなさい」


 尾花さんの怪我はかなり快方に向かっているようで、来月から休養日を減らしていくことになっているらしい。

 そして陸上部の顧問に確認を取ったところ、今月は多少自由に調整して良いものの、五月のGW明けからはリハビリや練習のスケジュールも定めていくため、eスポーツ同好会の大会の日程に合わせるのは難しいとのことだった。


「なので数合わせのあてにしてもらうのも厳しくて」

『そっか……。もしそれでもお願いする状況になったら、また声掛けても良いかな?』

「はい。可能な範囲であれば構いません」


 尾花さんは丁寧に挨拶して退室しようとするが、その際に宮本さんへ一度向き合った。


「歩、もしあれだったら陸部の話も考えといて」

「ありがと! けど大丈夫、絶対にメンバー見つけるから!」


 身体能力の高そうな宮本さんのことだ。きっと陸上部だけでなく、他の部活からも勧誘を受けていることだろう。


――どうしよう。このままだと人が足りない……。


 友達付き合いの多そうな宮本さんならどうにかなるのではないか。心のどこかでそんな楽観的な気持ちがあった。もう私がC組とD組全員に声を掛けるしかないのかもしれない。


『みんなに相談があるんだけど』


 陰鬱な空気に切り込んだココ助先輩は、ゆっくりとした口調で話を続ける。


『こういう事態にならなきゃ言わないつもりだったんだけど……、みんなさえよければ私が大会に出られる準備はできてて……』

「そうなんですか⁉」


 宮本さんはその言葉に勢いよく食いついた。


「私、この五人で大会に出られたらなって思ってたんです! 嬉しい! 本当に嬉しい!」


 手を大きく広げて喜びを表現している。ココ助先輩がこのまま一緒に大会に出てくれるなら、これ以上ないほどベストな状況だと私も思う。


『ただね! あのー、これから話すことは絶対に他の人には漏らさないでほしいんだけど……、ていうか漏らしたら私は多分自主退学とかになるんだけど……』


 退学という言葉が聞こえた瞬間、私も宮本さんも目をぱちくりとさせる。南先輩は「それ話して大丈夫なの?」と不安そうにつぶやいた。もしかしたら何か事情を知っているのかもしれない。


『うん……大丈夫。実は私、会社に所属してネットで活動してて、Vtuberぶいちゅーばーっていうんだけど……分かるかな?』


 その言葉に私も琴崎先輩も「あー……」と納得の表情になる。

 きれいで聞き取りやすく落ち着いた声の持ち主であることや、本名や顔などの個人情報を出せないといった情報から声のお仕事などで何かしらの芸能事務所に所属しているのではないかと予想はしていた。


 しかし、宮本さんだけは何も分かっていなさそうな顔で「ぶいちゅーばー?」と首をかしげていた。


「ほら、前に宮本に見せた『V最強CAP アニマルBOMB!』って大会に出てた人たちのことだよ」


 南先輩は以前に、楽しく観戦できるアニマルBOMB!の大会動画を宮本さんに教えていた。その中にVtuberが主体となった大会があったはずだ。その話を出すと、宮本さんは手をポンと叩いて納得したように頷く。


「あー、分かりました! 絵の人たちのことですね! お笑い芸人さんみたいで面白かったです!」

『絵……。ま、まぁそうではあるんだけど……』

「ココ助先輩って絵の中の人だったんですね! すごーい!」

「宮本さん、あなた今とんでもない勢いで地雷原駆けまわってるからね⁉」


 琴崎先輩の悲鳴のようなツッコミに、宮本さんはまたしても分かってないような顔で首を傾けた。琴崎先輩は仕方がなさそうにVtuberについての説明を続ける。

 

「Vtuberってのは絵とかじゃなくて、バーチャルで生きている存在で……」

「その中の人がココ助先輩って話じゃないんですか?」

「そうなんだけど違う!」


 うがーっと頭を抱えて天を仰ぐ琴崎先輩。確かにVtuberのタブーを分かりやすく伝えるのは難しい。そして役立たずの私はこの惨状をぼーっと眺めているだけだ。いつもすみません。


「宮本、ミッ〇ーマウスに中の人はいない。着ぐるみの中にも、人は入っていない。中の人のことを言及してもいけない。Vtuberっていうのはそういう存在なの。わかった?」


 南先輩が上手い例えで諭すと、宮本さんははっとしたような顔になって「すみませんでした!」と勢いよく謝った。


「けど、それって身バレしたらまずいってことでしょ? 本当に出て大丈夫なの?」


 琴崎先輩はココ助先輩の身バレを心配する。

 私たちが目指している全国高校eスポーツ選手権大会は試合を運営が用意した会場で行い、その様子がネットで配信されるので顔も声も本名もネットを通じて世界中に晒すことになる。

 そこから特定されるリスクを考えると、所属事務所が大会への参加を許してくれるとは到底思えない。


『それなんだけど、私の所属してる事務所がVtuberとして出場しても問題ないか学校側や大会運営のほうに確認してくれたの』


 確認の結果、学校側及び運営側もVtuberを一人の人格として認め、個人情報を隠してVtuberとして大会に出場するのは問題ないという回答を得ることができたそうだ。

 もちろん不正防止のために試合中のビデオチェックは大会運営を通して行ったり、これによって知り得た個人情報を学校や運営の関係者は秘匿する義務が発生するなどなど、細かな調整も進めてくれたらしい。


「よくそこまで融通利かせてもらえたね……。ていうかココ助ってどのVtuberなの?」

『瑠依ちゃん、それ聞いちゃう?』

「そりゃこの流れで聞かないわけないでしょ」


 宮本さんも「気になります!」とココ助先輩の正体に興味津々だ。

 ちなみに私はVtuber界隈のことはあまり詳しくないので、誰がココ助先輩なのか検討もついていない。


『一応Dear Liveディアーライブって事務所に所属させてもらってて、こういうのなんだけど……』


 ピロン!とBiscordの通知が鳴る。ココ助先輩が張り付けたサイトのURLを開くと、清流きよながこころという名前のゆるふわパーマで可愛らしい金髪のキャラクターが紹介されていた。


「バチクソ大手じゃん!! そりゃ運営も通すわ!」


 琴崎先輩が驚いたように大きな声を出す。

 登録者一〇〇万人超えが過半数を占めている影響力の大きい事務所で、中には登録者三〇〇万人を超える超大物Vtuberも所属しているらしい。

 名前を聞くと切り抜き動画などで見たことがあるような気もする。


「これからはこころ先輩って呼んだほうがいいですか?」

「いやいや、こころ様でしょうよ。チャンネル登録者数も二八万人ってとんでもないよ」

『お願いだからココ助のままにして!』


 紹介ページをよく見ると、ココ助先輩のキャラクターの肩にもち助という名前の小さなハムスターが乗っかっていた。Biscordのアイコンもハムスターの絵なので、こころ+もち助でココ助にしたのかもしれない。


「清流こころで調べたら『清流こころの前世や素顔は?中の人を徹底調査!』って記事がありました! これ大丈夫ですか⁉」


 大丈夫じゃないのはあなたです。宮本さんは相変わらず地雷原を全力疾走しているようで、南先輩はこめかみを抑えるように頭を抱えている。


「えーと、前世(中の人)の実写・素顔や本名年齢……は判明していないようです? しかし、レトロなオタク文化に深い造詣を持っていることから年齢は三〇歳を超えているのではないかと噂されています? また、深夜に配信をしないスタイルから家庭を持っているのではないかというのがリスナー間での共通認識です? クソ記事ですねこれ!」


 宮本さんは記事を読んでケタケタと笑っているが、周囲にいる私たちは気が気ではなかった。


『ほんと許せないよね。現役女子高生に子持ちのおばさんとかさぁ』


 ココ助先輩の背筋が震えるような声で、流石の宮本さんも地雷を踏んでいることに気づいたらしく、びくっと背中の筋肉を強張らせる。


『次の日に学校があるから配信終わるだけなのに、息子さんのお弁当作るんですね!とか私が個人勢のVtuberだったら一発BANするレベルのマジで終わってるコメントが流れてくるわけ。ふざけてるよねぇ?』


 毒づくココ助先輩の声がどこか生き生きしているように感じるのは、このように毒を吐き出す機会が少なかったからだろうか。私たちが戦々恐々としながら愚痴を聞いていると、南先輩が空気を切り替えるように話題を変えた。


「それで結局、大会には一緒に出られるんだよね?」

『あー、それはそうなんだけど。Vtuberとして出るから多分無駄に注目されて……』


 ココ助先輩は少し言いにくそうに話を続ける。もともとインターハイ応援アンバサダーとして配信のウォッチパーティー権などを持っていたため、自身の配信内で大会のPRや告知をする仕事があること。そこで出場することを言及した場合、良くも悪くもかなりの注目を浴びてしまうことをココ助先輩は説明してくれた。


「要するにネットでオタクにキモ絡みされるかもって感じ?」

『うん。結果で叩かれたりとかもあると思う。一応、私の配信でもきつめに注意喚起はするつもりだけど、やる人はやるから……』

「でも、ココ助先輩と一緒に大会に出れるならなんだって嬉しいです!」


 満面の笑みで元気よく喜びを現す宮本さんにみんなが苦笑する。


「そうね。私もココ助に誘われたから戻ってきた身だし、一緒にやれるほうが断然嬉しい。てか真知子は知ってた感じ?」

「まぁ、私はココ助とリア友だから」

「え⁉ 会ったことあるの⁉」

「少し前も一緒に映画行ったよ」

「はぁあああああ⁉ 誘いなさいよ!」


 私はみんなが和気あいあいと盛り上がっているのをじっと見ていた。


『えっと、あかちゃんは大丈夫?』

『……はい。もちろんです』


 笑顔でそう答えた。本心など、言えるはずもない。


 それから数日後、ココ助先輩は配信で由比ヶ浜女子高校の現役女子高生であること、一年限り高校生のeスポーツプレイヤーとして活動していくこと、大会運営と連携してPR活動に努めていくことなどを発表した。


 そして私たちは無事にインターハイの受付を済ませることができた。





 季節は五月の半ばへと移り変わり、インターハイの開会式を二日後に控えた金曜日。


「あ、新堂さん」


 私は教室移動の途中に後ろから声を掛けられた。

 基本的に誰からも声を掛けられないのでおっかなびっくり振り向くと、助っ人部員候補として一度部室に来たことのある尾花さんが立っていた。

 もう松葉杖は必要ないようだ。


「今日歩は掃除当番だから」


 一瞬誰のことかと思ったが、歩は宮本さんの下の名前だ。そういえば部室に来たときも名前で呼んでいたような気がする。それだけ仲が良いのかもしれない。


「あ、ありがとうございます……。部の先輩にも伝えときます」


 宮本さんが部に来るのが遅くなることを教えてくれたのだと思ったが、尾花さんは「はぁ?」と不快感を隠さずに顔をしかめる。

 何か失敗してしまったみたいだ。


「あんたってほんとに気を遣えないんだね」


 察しの悪い私は何に対して怒られたのか分からないが、きっとおそらくこういう場合は大抵私が悪い。

 何か見落としていたり、気づかないところでやらかしていたことがこれまでの人生で何度もあった。


「す、すみません……」


 こういうときはとりあえず謝るに限る。

 火に油を注ぐ必要はない。


「はぁ……。もーいいよ」


 尾花さんは吐き捨てるようにそう言うと早々に立ち去ってしまった。


――何だったんだろう……。


 結局、何で怒られたのか分からないまま終わった。

 少しだけもやもやした感情が胸に残るが、教室に着く頃にはすっと霧散して消えていった。

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