追憶
八嶋 黎
追憶
いくら悔やんでも時は戻らない。
俺は
けれど、それではダメだったらしい。
ことの発端は6年前に遡る。
*****
「龍ちゃん、私と付き合ってください!」
「え…」
突然、麗奈に呼び出され、ついていくと告白された。
普通に驚いた。こんなこともあるのかと。
「本気です」
目の前にいる麗奈は、遊びではなくどうやら本気のようだった。
「確かに、私はまだ13だし、龍ちゃんから見たらまだ子どもだってわかっているけど…それでも、本気で好きなの」
麗奈は赤くなりながら、俺の目を見つめてきてそう言った。
その覚悟に一瞬戸惑ったが、俺は固く拳を握りしめた。
言うべき「正しい」答えは決まっていた。
ゆっくりと目を閉じて、開けて、笑顔を作る。
「麗奈。勇気を出して伝えてくれてありがとう。」
「龍ちゃん…」
「
「え…違…、従叔父としてではなくて…っ!!」
そう、麗奈は俺の
確かに5親等離れているから結婚には問題ないとされるが、困ったことに麗奈は13歳になったばかり。
現在22歳の俺が手を出していい相手ではなかった。
「…麗奈が大人になっても気持ちが変わらなかったら、その時ちゃんと考えるよ。」
その頃まで恋心がもって欲しいという淡い期待と、きっと憧れに近いものだという諦めが胸中を埋め尽くしていた。
「さ、親戚みんなの居る所に戻ろうか。」
今日は叔父の1周忌で、この場所に親戚一同で集まっていた。
…あまり長く離れるのも良くない。
言葉を失う麗奈に、俺は笑顔で手を差し伸べるのだった。
*****
あの告白から6年後。
202X年X月X日の17時15分。
俺はある大仕事を終え、オフィスに戻り残業をしていた。
報告書を書いていると突然、
俺は
従姉は俺の連絡先を知らないはずだが…。
不思議に思いながらメッセージを表示する。
書かれていたのは麗奈の訃報だった。
時が止まったかと思った。
意味が解らない。何で麗奈が?
視界が暗くなる。
気を取り直しメッセージを読み進めていくと、麗奈の遺体は、XX警察署に安置されているらしい。
…”XX警察署に安置”だと??
なぜ病院じゃないのか?
突発的な事故死なのか?
何で今日なんだ?
思わぬ急展開に驚きつつ、混乱する頭でオフィスを飛び出した。
車を飛ばし、急いで指定された警察署に向かう。
到着後、受付を済ませ、足早に警察署の階段を降り、遺体が安置された部屋の扉を開けた。
「……
「うわああぁあぁぁあぁああ!!!」
部屋に入ると、女性の泣き声が聞こえてきた。
声の主は麗奈の母である従姉だった。
近寄って声をかけるが、俺に気付いていないようだ。
「何で…どうして…!!あんな男と付き合わなければ…っ!!」
「従姉さん…麗奈は…」
もう一度声をかけると、従姉はこちらに気付いた。
俺のことを泣きながら睨みつけてくる。
「あんたと…龍と付き合ってればこんなことには…っ!!!ああああ!!!」
だが、会話は成立しなかった。
事の経緯を聞きたかったが、従姉は一人で泣き叫んでいる。こうなったら誰にも止められないが、今は付き合ってやる時間もない。
…まずは、状況を把握しなければ。
仕方なく、麗奈の遺体の様子を窺うと、酷い既視感を覚えた。
遺体袋が置かれている台の隣には、小さなテーブルが用意され、そこに身に着けていたものや所持品が置かれていた。
グロくない、むしろかなり綺麗な遺体の部類ではあるが、こんな死に方をしていることが理解できなかった。
「…れい…っな?」
…事故ではない。麗奈は、普通ではあり得ない死に方をしていた。
泣き叫ぶ従姉に目をやるが、まだ会話はできそうにない。
「こんなことって…これからどうやって生きていけばいいのよ…!!」
こっちが聞きたかった。
理解ができなかった。
死に方もそうだし、見覚えのある所持品が、麗奈のものだと思いたくなかった。
人違いであってほしかった。
だが、テーブルに置いてある学生証が、麗奈本人であるということを示していた。
「麗奈…うううぅ…」
しばらくしたのち、泣き叫ぶ従姉を残し、何も言えないまま遺体安置室を後にした。
受付にお礼を言い、車に戻る。
置いてきた荷物を取りに行くために、オフィスに戻ることにした。
「龍…!!」
扉を開けると、出迎えてくれたのは同僚だった。
この同僚は俺の幼馴染であり、麗奈とも仲が良かった。
同僚を見て少し落ち着き、周囲を見回す。
壁に掛けられた時計は19時30分を指していた。
その他にも、オフィス内には同じチームのメンバーが残っており、書類の作成や、仕事後の片付けをしていた。まだ誰も帰宅できていない様子だった。
こちらを気にしながらゆっくり片付けをしている奴は、こんな日にXX警察署の遺体安置室に赴いた、俺への心配が裏にあるのかもしれないが。
「おかえり。その、…辛いよな。ご愁傷様…。」
「……。」
何も答えられない。
恐らく同僚も、周囲のチームメンバーも、一般的な不幸な事故だと思っているのだろう。
…そう願ってくれているのだろう。
「親戚が亡くなった。XX警察署に行ってくる。」と言って、オフィスを飛び出したから。
何も言わずに荷物を回収して帰りたかったが、同僚は麗奈について聞いてくる。
「龍??…その、大丈夫か?…麗奈ちゃんは事故だったのか?」
ただの事故ならば、どれほど幸せだっただろうか。
「…いや…違った。」
混乱した頭で悟られないよう、必死に返事をするさまは、チームメンバーにはどう映ったんだろうか。
みんな勘が鋭いから、恐らくこの返答でばれているんだろう。
周囲の空気が重くなる。
…死んだタイミングが合いすぎていた。
どのみち関係者なので、隠しても明らかになってしまう。
話すなら明日以降がよかったが、今ここで麗奈の死因を話すしかなかった。
***** XX警察署 遺体安置室にて *****
従姉から聞いた言葉が脳内で再生される。
「これから私はどうやって生きていけばいいのよ…!!」
泣き叫ぶ従姉に、麗奈の事を聞く。
「従姉さん…麗奈は…何で…」
「龍ちゃん…麗奈は、麗奈は…っ…付き合った男に騙されて…っ」
「付き合った男のせいで、警察官に射殺されたの…!!!」
***** 回想終了 *****
「は!?射殺!?…しかも、今日!?嘘だろ!?」
同僚が驚いて叫び、一瞬時が止まったかのように室内が静かになった。
ざわめく室内の空気は、どんどん重くなっていく。
オフィスにいた人たちは顔を見合わせ、視線を彷徨わせる。
誰もが信じたくない話だっただろう。
俺は遺体安置室での出来事や、従姉との会話内容を打ち明けることにした。
結果、オフィスは更に重苦しい空気に包まれることになった。
***** XX警察署 遺体安置室にて *****
再度、従姉から聞いた言葉が脳内で再生される。
「射殺!?麗奈が!?今日!?」
「そうよ!麗奈はここに居る奴らに無理やり付き合わされていただけなのに…!」
そう、この室内には複数の遺体が安置されている。
麗奈は右奥の壁際に安置されており、左側には他に4体の遺体が安置されていた。
どの遺体も射殺されており、年齢層は10代後半から20代前半までだった。
そして、遺体のそばにあるテーブルには、本人のものであろう所持品が置かれている。
他の人の所持品にもまた問題があった。
なぜ、全員同じ死に方をしているのか。
なぜ、この所持品がここに揃っているのか。
心臓が早鐘を打ち、目の前が暗くなっていく。
倒れるわけにはいかないので、必死に自分をコントロールする。
現実を受け止めたくなかったが、冷静に状況を確認する自分がいた。
それぞれの遺体の傍には親兄弟であろう人が来ていて、泣いたり怒ったりしていた。
中には「お前の育て方が悪かったんだ!」「そっちだって、仕事だの浮気だので家庭を蔑ろにしていたじゃない!」などとそれぞれを責める夫婦もいた。
世間様に顔向けができないと泣く人もいれば、他人の迷惑を被ったかのように被害者ぶって、自分の保身や今後を心配する人、家族同士で喧嘩している人もいて、傍にいた警察官が仲裁に入り、室内は混沌としている。
遺体安置室は別の意味で地獄絵図だった。
その間も従姉は泣き叫んでいた。
「麗奈は確かに間違ったことをしたと思う。けど、けど…殺すことは無かったでしょう?やり直せたはずなの…!!」
麗奈の遺体に被さるようにして泣いていた従姉は、今度は俺に縋りつくように腕を掴んできた。痛くはないが、意外と力が強いことに驚く。
「…従姉…さん……」
声がかすれて、ほとんどでない。
頭は回せているが、この件がショックで体は思うように動かせていないらしい。
…拙い。
思うように体を動かせていない自分に、地味に傷ついた。
そんな中、従姉は光のない目で一気にまくしたてる。
「ねえ龍ちゃん。麗奈は騙されていただけなの。無理やり従わされていただけなの。麗奈は死ぬ必要はなかったの。死ぬのは奴らだけでよかったのよ!」
周囲に他の遺族がいるにも関わらず、悪いのは麗奈以外だと言い放った従姉は、可愛らしい封筒を俺に叩きつけるかのように押し付けてきた。
「ねぇ龍ちゃん、何であの時麗奈を選んでくれなかったの?世間的に間違っていても私は賛成していたのに…麗奈が幸せになれるならそれでよかったのに…。」
――違う。
麗奈が俺を好きになったことに一番反対していたのは従姉だった。
確かに成人済みが未成年に手を出すのはいただけない。
そのことがわかっていたから、俺も手を引いたが…。
従姉は何を言っているんだ。
…そもそも、麗奈を問題の彼氏とくっつけたのは従姉なのに…?
相当混乱しているのか、今日はあれほど嫌っていた俺の腕を掴み、話しかけてくる。
立ち上がった従姉は、麗奈の方を見ながら思いを吐き出す。
「私は無理やり従わされていたとはいえ、こんなことをした麗奈が許せない。けれど…けど!!」
そして、俺の方を向き、目を合わせ、叫ぶ。
「麗奈を殺した奴はもっともっと許せない!!!!」
***** 回想終了 *****
時刻は20時48分。
帰宅し、暗い部屋で酒を飲む。
気絶するように寝て、起きて、泣きながらまた酒を飲む。
どれだけの間そうしていたのだろうか。
オフィスでの一件の後。
事情を知り、心配した上司が事件翌日から有給を当ててくれたが、この数日間で部屋は汚れ、空き缶は辺りに散らかっていた。
同僚が訪ねてきても、追い返していた。
そして、今。
彼は頑丈そうなロープを手繰っていた。
――麗奈のもとへ行くために。
本当は麗奈の分まで生きるつもりだったが、気が変わった。
「正しさ」がわからなくなってしまった。
会話の通じない従姉から、逃れたい気持ちも大きかったのかもしれない。
ふと、机の上に置きっぱなしにしていた手紙と封筒に視線を向ける。
あの日、従姉から受け取った可愛らしい封筒の中に入っていたのは、麗奈の遺書だった。
『龍ちゃんへ
まずはこんなことになってしまってごめんなさい。
龍ちゃんに告白した日からあまり会えてないね。
あれから色々ありました。
従叔父を好きになるのはおかしいと周囲に言われたこと。
めげずに龍ちゃんを追いかけていたこと。
その後、大学に入ってすぐに今の彼氏に告白されたこと。
断ったけど、その後家族に説得され、大学の友人の勧めもあり、半ば強引に彼氏と付き合うことになったこと。
その彼氏が実はテロリストだったこと。
別れようとしても、別れさせてもらえなかったこと。
暴力を振るわれるようになったこと。
妊娠したこと。彼氏たちがこれからテロを起こすこと。
…上手くいくわけがないと思っていること。
…あーあ。書いてみたけど本当に私の人生めちゃくちゃだね。
私ね、本当に龍ちゃんと付き合いたかった。龍ちゃんと結婚したかった。
龍ちゃんの言う大人って、きっと20歳だよね?あと1年誰とも付き合わずに待てばよかった。
…ダメだな。テロリストじゃ龍ちゃんのお嫁さんになれないや。
龍ちゃんと同じ警察官にもなれないや。
かなり酷い計画だから、きっと私も警察に殺されるんじゃないかな。
最後に龍ちゃんに会いたかったな。
龍ちゃん大好き。さようなら。
麗奈』
――なぁ、麗奈。
最後にちゃんと、会えてるよ。
***** 事件当日 202X年X月X日 *****
時刻は15時18分。
交渉担当がテロリストに交渉を持ちかけてから、およそ2時間半が過ぎた。
規制線の中には既にSAT隊員が配備され、辺りには緊迫した空気が漂っていた。
武器を持った複数の若者の立てこもり事件、しかも、数日前に起きた小規模のテロを起こしたのも自分たちだと動画サイト上で公言していることもあり、空には報道のヘリコプターが飛び、規制線の外ではマスコミが騒ぎ立て、野次馬が面白半分に押し寄せ、迷惑系動画配信者が警察と言い争っていた。
テロリストがどれだけの武器を所持しているのかわからないのに、近くに居座るのは自殺行為だが、彼らには危機意識が無いのだろう。
某テロのように毒でも撒かれたら、彼らはどうするんだろうか。
きっと被害者ぶって、全て警察の責任にするつもりだろう。
また、こちらの動きが相手に筒抜けになるのもよろしくない。作戦にも人質の人命にも関わってしまう。
どちらにせよ邪魔なので、集まっている人々には、さっさと帰宅してほしかった。
建物の把握も偵察も終わり、いよいよ突入かという空気が警察側では漂っていた。
ブリーフィング中に一報が届く。
《こちら本部。人質2名の身元が判明した。現場の近くに住む親子だ。周囲の防犯カメラで確認したところ、近くを通りかかった時に人質にされた模様。》
人質は一般人。
守るべき市民であると判明し、胸をなでおろす。
テロリストとグルだったらかなわない。
本当に無関係であるかはわからないが、ひとまずは安心できた。
これから起こることに備えて、新たに気を引き締める。
《こちら本部。確認できたテロリストは5名。動画の通り犬、猿、鬼、狐、ひょっとこのお面を着用している。テロリストは未成年の可能性が高い。確実に2名は未成年だという情報だ。抵抗した場合のみ排除せよ。》
「了解」
時刻は15時42分。
ブリーフィングが終わったタイミングで、SATに突入準備の指示が出る。
《突入!!》
素早く建物に侵入し、配置につく。
突入時に見たものは、情報通りお面を着けた5名の男女と人質2名。
ここまでは情報通り。
人質は、テロリストに首を片腕で拘束されており、反対の手でこめかみに銃口を当てられていた。
SATに気付いたテロリストが、顔を強張らせ、こちらに銃口を向ける。
「警察だ!武器を捨てて人質を解放しろ!」
盾を構えるSAT隊員の一人が、投降を促した。
テロリストは雄叫びを上げながら、持っていた銃で抵抗した。
双方の発砲音が響く。
「
「人質確保!!」
犬、猿、鬼、狐、ひょっとこのお面をかぶった男女は、全て綺麗に眉間を撃ち抜かれ絶命した。
人質がいた奥にあった部屋にも、確認できていないテロリストの残党や人質は確認されなかった。
人質は無事救出され、念のため救急車で病院に搬送された。
この後、身元の確認のため、テロリストの遺体は近くのXX警察署に搬送される。
こうして、無事任務は完了した。
…そして、XX警察署の遺体安置室で従姉に言われたんだ。
「麗奈を殺した奴はもっともっと許せない!!!!」と。
従姉は俺が今日
お前は警察官だろ、と。
なぜ投降させなかったと。
***** 回想終了 *****
『最後に龍ちゃんに会いたかった』
なぁ、麗奈。
会ってるよ。最後に。
あの、怒号と弾丸が飛び交う――最低な空間の中で。
息ができない、物理的にも精神的にも締め付けられる苦しみの中。
あの日の同僚との会話が、頭の中で回る。
***** 事件当日 オフィスにて *****
「…麗奈はあの現場に居たんだ」
テロリストは全員お面を被っていた。
猿、鬼、ひょっとこのお面が男性。
犬、狐のお面は女性だった。
「…麗奈ちゃんは…すまん…その……何のお面だったか聞いてもいいか…?」
突入時、犬のお面を被ったテロリストを撃った同僚が聞いてくる。
麗奈を撃ったのは自分なのかと、青白い顔で。
俺は答えた。
「――狐面だった。」
麗奈のベッドサイドに置かれたテーブルに置いていたお面は狐。
…あの時、麗奈は狐のお面を被っていた。
「――っ……かける言葉が見つからない。ただ、龍。お前は悪くない。……今までも、今日も…全て、正しい選択をしたんだ。」
俺はSAT隊員の一人として、同じ隊のチームメンバーとテロの鎮圧任務に向かった。
俺が今回の任務で射殺した相手は、狐面の女。
麗奈を殺したのは――俺だったんだ…!!!
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