第11話

「珍しいね。こんなところで」


 最近の静かな城の雰囲気が何となく物足りず、なんとはなしにバルコニーでぼんやり夜風に吹かれていると、後ろからリュカ様の声が聞こえた。最近の勇者の猛攻で少しお疲れ気味の、リュカ様の声。


「ええ、私も大分大人になりましたし、たまには憂を帯びることもあるんです」

「じゃあこのカップケーキはいらないかな」

「お陰様で気分が晴れました。頂戴します」


 隣に来たリュカ様から受け取った可愛らしい包みのカップケーキ。香りも良くふわふわとしたそれにしばし虜になってしまう。甘く、溶けて、鼻にほんの少しの香りだけを残して消えていく。ああ、罪な味だ。


「マナは」


 人がカップケーキを食べている最中だというのに話しかけてきたリュカ様は、そこで切って口に手を当てて止まってしまった。なんだろう。とりあえず食べていて良いのだろうか。味に集中させてほしい。



「人間のところへ、帰りたい?」



 言い淀んだ先の言葉は、割合に陳腐なものだった。


「リュカ様」

「うん」

「食事中です」

「……ごめん」


 無言でカップケーキに噛み付く。せっかくのカップケーキの味がわからなくなってしまいそうだ。なんで、そんなことを今更言うのか。本当に、なんで今更。


「戦況はかなり悪いんですか?」


 連日の勇者の猛攻。ちらりと聞こえてきたが、こちらもかなり戦力を失ったという話だ。城内でよく見る顔がいなくなったり、給仕係も新顔に変わったりと、城の魔物も少なくなってきたように感じる。


「そこそこ。予想よりは悪いね」


 涼しげに答えてはいるが、あのリュカ様が悪いと断言するくらいだ。寿命を奪った時のような本当の余裕はもうないのだろう。


「悪しき魔王は必ず勇者に倒される、を順調になぞっていると」

「ああ」


 世界がまだ形を定める前から繰り返されてきた魔王と勇者の物語。様々な理由で発現して人々を苦しめる魔王は、勇者のリティスを授かった者に必ず打ち滅ぼされる。幾度繰り返されても結末は変わることはない、運命の導きだ。


「やはり上手くいかないものですか」


 その言葉に、リュカ様は苦笑しながら軽く両手を上げる。


「色々と試してはみたけれどなかなか。中には勇者側に寝返る魔物もいるくらいだ。無駄に力もつける分アオケラムシよりたちが悪い」


 放っておくと増え続ける見た目も悪いあの虫か。確かに、あれが力までつけることを想像したら相当に厄介だ。


「先代もそう思われていたかもしれませんよ」

「……罵倒された理由が少しは分かった気がするよ」


 リュカ様に倒された先代魔王は魔王史の中でも五指に入る強さだったと聞く。その割には魔王城からあまり出ることはなく部下の魔物が暴れていることが多かったようだが……。先代も何か目的があったのだろうか。今の、リュカ様と同じように。



「どうして……そんな運命があるんだろうね」



 それさえなければ。こんなに悩むこともなく、勇者は早めに倒してゆっくりと時巡りに集中することもできただろう。ギルベアト様が不慮としか言いようのない状態で負けることもなかったのかもしれない。そもそも、リュカ様が魔王となることも。その前も。


「ただ、それがないと私は困りますね」


 私の言葉に、リュカ様は少し表情を変えた。



「私は魔王も勇者も関係なく、人間同士の諍いの中で死ぬだけですから」



 迫害されて虐待されて衰弱して死ぬ。それだけ。それだけの存在だった。


「ここに連れてこられた段階で聞かれても、私は首を振るでしょうね」


 人間のところへ帰りたいか。そんな質問は意味がない。同じ人間でもあちらはそういう認識はなく味方ではないのだから。


「家族も仲間も村もない独り身の私が大手を振って生活できるのはここくらいなものですよ」

「大手も振れるようになったんだ」

「お陰様で。至れり尽くせり復讐先まで綺麗になくされては私とてこうなります」


 軽く両手を上げて笑って見せると、リュカ様も目を細めた。リリアーヌ様から聞いた話では、私の以前の雇用先はもちろん、私の村を滅ぼした者達の国まで跡形もなく無くなっているとのことだった。きっと、まあ。そういうことなんだろう。

 そうしてリュカ様は何度か瞼を閉じて、開けて。少しだけ厳しい口調で言葉を紡ぐ。


「殺されるとしても?」

「ええ」


 私の手にあるかぶりつかれて歪な形となったカップケーキは、それでもなお芳しい香りを放っている。形を変えても、変わりなく。ずっと。



「無駄死にでも虐殺されるわけでもありませんから」



 ずっと、考えてはいた。微温湯のような生活の中。きっと、人としては正しくない選択を取り続けている罪の重さを無視して良いのかと。できる限り見ないようにしてきたそれは、ギルベアト様達を失って、人を殺し国を滅ぼすリュカ様がそれを阻もうとする勇者と対峙して、考えて。ようやく少しずつ向き合うことができてきた。



「私は貴方に賭けます」



 たとえこの命が無くなろうと。それが、決して正しくはないことだとしても。


「あなたが勇者というのならば、すべてを救ってください。私も、ギルベアト様も、モノクル様も。お父さんやお母さん……ルネ様もいたあの村も、みんな。すべて」


 屈み、魔族式の敬礼をして意思を示す。



「救っていただいた命。好きに使っていただいて構いません」



 いつかのあの日。リュカ様に言った時は、明日にでも殺されても文句は言えないと思っていた。そういう運命の元に生まれたのだと。どこへ行ってもただ殺されるだけだと思っていたから。



「ただ」



 今は違う。死ぬのは嫌だ。本当はできる限りここで、みんなと過ごしていたかった。人として許されないことだとしても、ここが私の何よりの居場所だった。だから。



「失敗も弱音も許容しません。もし今後このようなことを言われることがあれば、明日の食は保証されないとお思いください」



 唐突な言葉に虚をつかれたようだ。それは、えっと……としばらく考え、合点がいって破顔した。


「うん。それはとても恐ろしい。……善処するよ」


多少間があった気がする。これはもうひと押ししておこうか。



「いつも変なところで気弱になるんだから。そりゃ色々思うのは分かるけど自分がやると決めて進んできた道ならきちんと成し遂げなさい。格好悪い」



 私の突然の軽口にリュカ様は唖然としている。


「似ていました?」


 意地悪く笑ってみれば、苦笑して返された。


「ルネは格好悪いまで言わないよ」

「それは失礼しました」


 私の村を滅ぼした国を蹂躙したのは、きっと私のためだけではない。初めて会った時も、ふとした時にリュカ様が魅入られているのもこの瞳だ。左右で色の違う、私達の村の人間だけの特徴。


「ルネは……君にとって、どんな存在だったの?」

「遠縁の英雄ですよ。村でも讃えられていました。勇者一行の仲間として世界に平和をもたらしたんですから」


 例えし、その後人同士の争いが起こって魔物のような瞳を持つ彼女がその原因として断罪されたとしても。


「村の誰もが冤罪だと信じていました。毎年追悼式が行われるくらいには死後も好かれていますよ」

「そうか……」


 魔物の一族として村が迫害されても、誰もルネ様を悪く言う者はいなかった。ルネ様が魔王を倒して戦争を起こしたなんて醜聞が偽りでしかないことなんてすぐに分かることだろうにそうならなかったのは、皆捌け口を求めていたからだろう。


 怒りと恨みと憎しみと悲しみと苦しみを、全て彼女にぶつけてなかったことにした。


 そして、新たな魔王が生まれて、人同士の争いは終わった。全ての感情は、魔王に呑まれて消える。



「私はルネ様ではありませんので、弱音はリリアーヌ様にでも」

「大丈夫だよ。うん、もう大丈夫だ」



 穏やかな顔に固い決意を纏ったリュカ様が戻った後、一口だけ残ったカップケーキを口に放り込む。ふわふわのそれは私の口の中で、淡く、溶けて、心にほんの少しの棘を残して消えていく。




 ああ、全く。罪な味だ。


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