第26話 ブルーアワー(blue hour)

  シオンが、この灯台を去ってから半年あまり経っていた。


 シオンは、行く先も告げずに行ってしまった。


 シオンが居なくなってから、しばらく二人の会話は無くなっていた。

 お互いに気を使っていたのだろうと思う。

 意識的に、シオンを話題にすることは無かった。

 最近、やっと会話が戻り、何もなかったかの様に過ごしていた。

 ずーっと前から、ここの灯台守をしていたかのように……。


 でも、時折、クリナムが黙り込む時間があった。

 スミレは、少し離れたところから、クリナムを見つめていた。

 そっとしておこうと。


 今は、そのクリナムが黙り込む時間だった。

 昨夜から、作業場の上の甲板の様なバルコニーに居た。


 スミレに「ひとりにしてくれ」とお願いしていた。


 フィッシャーマンセーター、


 厚手の毛布、


 ポットに入れた熱いコーヒー。


 「風邪をひかないで」とスミレの言う声に、「これでいいだろ」と納得させた。


 クリナムは、考えていた。

 出て行ったシオンの事を考えていた。

 シオンに惹かれる自分の心を。


 以前のもこんな事があった。

 結婚していたからだ。

 彼女にも夢があり、やりたいことがあった。

 当然、クリナムにもあった。

 ”愛していた”クリナムはそう信じていた。

 だが、求める夢の違いが、何気なく過ごしていくうちに、小さかったささくれがいつの間にか大きくなって無視できなくなった。

 それが、妻との別れだった。


 嫌いになった訳ではない。

 夢を追っている妻を愛していたのだろうか。




 クリナムは、椅子に深く腰掛けて、海を見つめる。


 ここからの景色を見ていると、洋上に居ると錯覚してしまう。


 クリナムは、この歳になるまで、よく生きてきたなと自分で感心していた。


 様々な人と出会い、別れがあった。


 嫌な事も、いいこともあった。


 多分、ここが最後の居場所になるだろうと思った。


「ここにしよう」クリナムは、そう呟くと海の目を向けた。 



 海風は


 昼間は海から陸へ


 夜は陸から海へ


 風がふく


 海と陸の温度差が無くなる時


 風が止む


 凪だ 


 もうすぐ、太陽が昇る


 blue hour


 全てが濃い青色に染まる時間


 静寂が訪れる


 時が止まったように


 この感覚は何かに似ている


 焚火


 ゆらゆら揺れる炎を見ている時


 心は


 過去へと


 未来へと


 そして、また過去へと漂う


 灯台の明かりが、規則正しく、海を照らす


 時を刻むメトロノームの様に


 誰の為に灯りを灯す?


 自分の為か……


 chaos


 夜明け


 日が昇ろうとする時


 再び、blue hourが訪れ


 時が動きだす。


 混沌とした心を太陽が解放してくれる。 


 未来に現実が上書きされていけばいいと、


 クリナムは、椅子から立ち上がり、日の出を待った。


 振り返ると、スミレがクリナムを見ていた。


 クリナムは、スミレから目が離せなかった。


「私には、スミレが居たんだ」

 

 クリナムは、心の中で叫んでいた。


 子どもが、大切な何かを見つけた時と同じように。


 クリナムは、スミレに駆け寄り、抱いて引き寄せた。


 スミレの身体は、冷たかった。


 君は、いつからここに居たの?


 スミレを頭からすっぽりと毛布をかけた。


「あたたかい」スミレは、微笑んでいた。


 その笑顔につられて、クリナムも笑ってしまった。


「中に、入ろうか」


 クリナムは、スミレの肩を抱いて、部屋に戻った。

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