第3話
「私は蝶にとって、どういう存在なのでしょうか」
人の記憶を奪わない蝶が活動するのは、太陽が光を注ぐ時間帯。
月の明かりを浴びるために活動を始めた蝶たちは、
空を見上げると、月光を受けた薄紫の羽が星の輝きにも負けぬ美しさで夜空に彩を加えていた。
「あの蝶たちは、何をしに向かうの……?」
さすがに手の届かない場所に美しさを残していく蝶たちを撃ち殺すことはできないらしく、来栖さんは冷静な声色で、蝶と言葉を交わすことのできる私に声をかけてきた。
「西の方角に向かうと言っています」
「……ありがとう、結葵様」
そっと風が吹き、異国の風を運んできたことを印象づける来栖さんの美しい金色の髪が揺れた。
来栖さんは落ち着いて携帯端末を取り出し、その先にいる誰かに蝶の行方を報告した。
「私が嘘を言っているとは、疑わないのですか」
「悠真くんが認めた人を、私たちが疑うわけにはいかない」
整備もされていない登山道のような場所を、
(ということは、私が裏切るようなことが起きたら……それはすべて悠真様の責任になる)
来栖さんと多くの言葉を交わしているわけではないけど、察することはできるようになってきたと思う。
(気をつけなきゃ……)
自分の失態は、悠真様の失態と同義であることを知った。
一畳間の外に幸せがあることを教えてくれた悠真様の役に立つことが、私の存在意義だと自身に言い聞かせる。
「必ず、悠真様のお役に立ってみせます」
心の乱れを整えるのは、自身しかいない。
この場に悠真様がいらっしゃらないからこそ、未来の
「……悠真くんは、結葵様のおかげで呼吸がしやすくなったと思う」
「そうだといいのですが」
私たちは言葉を交わし合いながら、静まり返った夜の
蝶が活動的になる夜の刻、人々が外に出ることはない。
地面に人影ができることもなく、答えの出ない問いかけには心が重たくなる一方で、私たち二人は夜の闇に飲まれてしまうのではないかと心が荒んでいく。
「待つだけというのも辛いと思っていましたが……」
一畳間から見渡せる世界には限界があって、目に映る光景だけが私のすべてだった。でも、外の世界は、想像していたよりも広く美しく輝いていた。
不思議と、人々の記憶を奪うような危険な蝶が飛び交う世界だとは思えなくなってくる。ほんの少し平和な場所へと錯覚させられる。
「会えない時間というのも寂しくなるものですね」
「それ、悠真くんに伝えると、喜ぶと思う」
「そうでしょうか」
「うん、絶対」
悠真様と最後に言葉を交わしたのが、随分と遠い昔のことのような気がしてしまう。
自分にもたらされている記憶は、確かなもののはず。
私が
それだけ多くの蝶の声が、私の脳裏に想いを訴えかけているのかもしれない。
(蝶の声に、酔いそうになる……)
それでも、悠真様の声を聴きたい。
それでも、悠真様に会いたいと思ってしまうのは何故なのか。
「私は正直、恋や愛もよくわかりません」
幼い頃に、華族に嫁ぐことが決まったと話があった。
それ以降は華族に嫁ぐに相応しい教育を受けてきたけれど、私の婚約者様は妹に差し出されることになった。だから、彼の名前だけは幼い頃から存じ上げていた。
けれど、実際にお会いしたのは、つい最近のこと。
私たちは一度もお会いすることなく、婚約者という関係性を結んだ。
「でも、悠真様を好きだと想う気持ちは確かに存在します」
私は
(私は幼い頃から、一方的な片想いをしていたのかもしれない)
でも、その一方通行の慕う気持ちも決して悪いものではなかった。
「直接、自分の目で悠真様の生き方を知っていきたいと思います」
家の利益や社会的地位の向上を目的として、政略結婚が行われることが多いとは聞いている。
そのごく当たり前に行われている政略結婚に乗っかった私たちに、絆というものが生まれるかどうかも、正直、よく分からない。
「ここから始まる絆があると信じて」
それなのに、
彼からの信頼がないならないなりに、これから時間をかけて信頼を築き上げていかなければいけない。
「身内で行動すると、何かあったときに大変なことになると思ってたけど……」
ぼんやりとした月明かりが私たちを見守る中、来栖さんは悔しそうな表情を見せてくれた。
「結葵様と悠真くんは、一緒でも良かったかも……」
「そこは任務ですから、お気遣いいただかなくても……」
ここで来栖さんの年相応なところを見ることができるとは思ってもいなくて、なんて平和な時間なのだろうと思ってしまう。
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