第6話

「ただ、俺に付いてくると、確実に蝶は死にますよ」


 周囲に希望や勇気を与えるようなういさんの笑みが消えた。

 笑顔の奥に深い思いが隠されているからこそ、初さんは笑みを浮かべることができるんだと悟った。


「俺でなくても、悠真ゆうまくんが蝶を手にかけるかもしれません」


 端末でのやりとりの中身を伏せなかった初さんの行動には意味があると踏んだ。

 だから、どんなに初さんに冷たい言葉を浴びせられたとしても、それに応じるだけの強い気持ちを持ち続けたい。


「悠真様が、蝶を殺害するところなんて見たくない……」

「たとえ一時だとしても、私は筒路森つつじもりの人間に選んでもらえましたから」


 立派な言葉を並べているように見えるかもしれないけど、心臓の動きは忙しない。

 自分の心を曝け出すのなら、悠真様の無事を確信したい。

 ただそれだけのこと。

 世界の命運なんて大それたものを背負う覚悟なんて、最近まで閉じられた部屋で育った私にあるはずもない。


「私の力を、世界を平穏に導くために利用してください」

 

 一瞬だけ、躊躇ったような表情を浮かべたういさん。

 でも、彼はやはり笑顔が似合う人。

 深呼吸をして、いつもの調子を整えてから初さんは口を開いた。


「……申し訳ございませんでした、覚悟を試すような言い回しをして」

「謝らないでください。お金目当ての婚約者なんて、怪しい以外の何者でもないですから」

「いえ、きちんと謝罪を……」

「悠真様を守るために行動してくださって、ありがとうございます」


 悠真様や初さんたち狩り人にとっては、紫純琥珀蝶しじゅんこはくちょうとの戦いは日常茶飯事。

 一方の私は呑気に障子戸越しに蝶と会話をして、蝶だけが私の話し相手になってくれた。

 私が蝶に愛情を抱いていることを知っているからこそ、ういさんは覚悟を尋ねてくれたのだと思った。


「……行きましょうか」


 初さんは謝罪の言葉を紡ぐことなく、先へ進むための言葉をくれた。


(これでいい)


 悪意があっての言葉ではなく、優しさがあったからこその言葉と気づくことができたから。

 これから私が生きる世界は、死と対峙するという厳しさをういさんが教えてくれた。


(私は……あの平和に浸りきった時間を、一時でも愛してしまった)


 狩り人のみなさんと過ごす時間が増えれば増えるほど、過去のいとおしい時間たちに、どう言葉を向けたらいいのか分からなくなっていく。


結葵ゆき様、もうすぐです」


 自動車に乗るのは人生で二度目のことで、流れゆく景色を見ながら世間の変わりように想いを馳せた。

 私が北白川きたしらかわの家に閉じ込められている間に、随分と時が経過していたことを思い知らされる。

 西洋の文化が溶け込んだ街並みは、時の流れは止めることができないと私に訴えかけてくるかのようで心の温度が急激に下がったような感覚を受ける。


「私だけ、時代に取り残されたみたいですね……」


 北白川の家を出てからは、洋装を好む方々との交流が始まった。

 和装姿なのは私くらいで、優雅に見えるはずの着物は時代の流れに逆行しているかのように見られてしまうかもしれない。


「そのお召し物は、悠真くんが?」

「あ……はい……。北白川にいたときと変わらぬ和装を用意してくださって……」


 筒路森つつじもりの人間になる予定の者が、時代遅れの装いをしているのは恥じるべきことかもしれない。

 恥知らずの娘をういさんに曝け出す前に、私は初さんから視線を逸らした。


「だったら、何も問題はないかと」

「……えっと」

「悠真くんは、結葵様のために着物を用意されたんだと思います。結葵様に、それを着てもらいたいという気持ちが込められているんですよ」


 自分のために用意してもらっているお召し物が着物ということなら、その着物に恥じない人間になることが大事だと初さんは教えてくれた。


「結葵様に与えられたのは、新しい時代の風を感じさせながらも、日本の古き良き時代の美しさを体現することですよ」


 下を俯くばかりが得意だったけれど、ここには顔を上げることを咎める人がいないと気づいた。

 だからこそ、少しでも上の方に視線を向けられるようになりたいと思った。


(世界は、こんなにも美しくできているから……)


 少し視線を上げるだけで、視界に映る景色が変わる。

 この美しい世界を守るためにも、紫純琥珀蝶しじゅんこはくちょうとの関係も改めなければいけない時が訪れたということかもしれない。


「……ありがとうございます、ういさん」

「ですね。謝られるよりは、そっちの言葉の方が嬉しいです」


 ういさんの朗らかな笑みに視線を向けて、自分が発した言葉が間違っていないと強い確信を持つことができた。

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