第3話
(まだ陽は沈んでいない……)
空は明るさを保っている。
空が太陽と共に生きることを選んでいる時間帯で、似つかわしくない悲鳴と騒音が鼓膜を叩き始める。
「何が……」
部屋から出ることは、禁じられていない。
でも、蝶と話すことができる私が外へと出ることで、多くの人たちに迷惑をかけてしまう。私が出しゃばることで、
「っ」
障子戸に、ある影が映り込む。
「何かありましたか」
迷うことなく、空と部屋を繋ぐ障子戸へと近づいた。
そして、私は影を作り出した存在へと会いに行く。
「壊す……?」
蝶は、私の言葉に返事をくれた。
やはり私は蝶と言葉を交わすことができるということを、嫌というほど痛感する。
「待って! 待ってくださいっ!」
私の言葉は届いているはずなのに、蝶は私の呼び止めを無視する。
祝言を壊すという言葉だけを残して、蝶は輝くように光る青い空から逃げていく。
「なんで……」
部屋から出ることは、禁じられていない。
でも、外で何かが起きていたとしても、こんなにも弱り切った身体で何ができる?
何もせず、このまま死が迎えに来るのを待つのが私にとっての幸い。
(でも、でも、でも……!)
私は、まだ家族のために何もできていないことを思い出す。
せっかく授かった命で、まだ誰も笑顔にできていないことを思い出す。
「止めなきゃ……」
(それでも、蝶をなんとかできるのは私しかいない……)
両親が何不自由なく暮らせるように、北白川家に多額の財産をもたらすことこそが、妹に与えられた役割。
(私の役割は……)
どこかの華族に嫁ぐという義務を果たすことができなかった
そんな私が唯一、北白川家のためにできることと言ったら蝶を止めることくらい。
蝶の目的なんて何も分からないけれど、蝶が両名の婚約を壊すと伝えに来てくれたことには意味があると信じたい。
「来ないで! こっちに来ないで!」
「
「いやっ! 忘れたくない、忘れたくない、忘れたくないっ……!」
「
どうして、そんな蝶が飛び交う世界になってしまったのか。
その問いに答えを出すことはできないけれど、もしかするとって希望を持ってしまう。
今日という日を迎えるために、紫純琥珀蝶は誕生したのかもしれないって。
「蝶を操る娘がいるという話だったはずだが」
「噂は噂でしかないってことじゃないですか」
「はぁ」
「溜め息を吐く暇があったら、そろそろ仕事します?」
私が駆けつけるまでの間。
「俺たちも記憶、奪われちゃいますよ」
「…………」
「俺たちだって、無敵なわけじゃないんですから……」
「わかってる」
それは想像することもできないけれど、そこまで悪い話はなかったんじゃないかって。
「お待ちくださいっ!」
銃声が鳴り響いた刹那、私の叫びはかき消されてしまった。
婚約披露の場に銃声が響いたことに驚いたのか、私が部屋に駆けつけたことに驚いたのか、どちらにしても私という存在は逃げ遅れた人たちの注目をかき集めてしまった。
「
祝言の場で、記憶を奪う蝶が飛び交うという異様な光景。
でも、蝶は群れで北白川家を訪れたわけではなかった。
たったの数匹。
でも、そのたった数匹のうちの一匹は、息を止めて羽ばたくこともできなくなってしまった。
広間へと落下した蝶を発見した私は、異常者なのかもしれない。
「っ」
二度と夜の闇に染まることができなくなった蝶へと駆け寄る。
混沌とした大広間で真っ先に息絶えた蝶を見つけるなんて、私はやはり人の子ではないのかもしれない。母から生まれた子というのは、嘘だったのかもしれない。
「結葵! おまえか! おまえの仕業かっ!」
蝶を自分の手のひらへと掬い上げようとした瞬間、父に髪の毛を掴まれる。
上へ上へと引き上げられた髪は痛みを訴えるけど、命を失ってしまった蝶の痛みに比べれば耐えることができる。
「破談を狙って、蝶を仕掛けたのか!」
「妹の幸せを願うこともできないなんて、なんて残忍な子なの……」
父に同調するように、母の冷たい声が響いた。
「どこまで私たちの邪魔をすれば気が済むんだ!」
「っ、た……」
我慢には慣れている。
だから、私は自分のことをよりも蝶を弔うことを優先したい。
「その手を離してもらえますか」
名も知らぬ男性が、私を救うために声をかけてくれた。
まるで時代の変わり目を象徴するかのような西洋風の装いを身にまとい、堂々とした佇まいで周囲の視線を集める。
恐らく、彼が
「
「彼女を解放してください」
この場では誰もが蝶の出現に恐れを抱いて困惑してはずなのに、
「っ、ですが」
「お願いします」
両親は驚きと怒りで顔を歪めたが、
私は筒路森様の助けを借り、無理矢理に引き伸ばされた髪の束を解放してもらう。
「っ、くそっ!」
髪は開放されたけれど、その際に頬を強く打たれた。
あまりにも強すぎる力に体がよろけてしまうのはいつものことで、私は自身の体を床に打ちつけるものだと思っていた。
「悠真様っ! その娘は災いを招き寄せる者! 触れてはなりません!」
けれど、そのよろけた体を支えてくれる人がいた。
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