第14章…元カノ

お給料をもらえました

 楓ちゃんのおじいさんである賢三さんに釘を刺された。

十字架に磔にするような、太く長い釘が俺の心のど真ん中に撃ち込まれた。これは俺では抜くことはできない。元カノの雲母を思い出す度に、心がズキッと痛むようになった。


わかっている。最初からわかっているんだ。今のままじゃいけないって。変わらなくてはいけないって。

過去に囚われず、一歩前に踏み出す勇気を出すこと。俺に必須のこと。


だが人間はそう簡単に変われない生き物。明日から本気出す、明日から本気出す、明日から本気出す……毎日ひたすらこれを繰り返すダメ人間、それが俺。

一歩、一歩でいいのにそれすらもできない。俺はずっと、雲母にフラれた日から停滞している。

楓ちゃんが強引に俺の腕を掴んで引っ張り出しても、結局はスタート地点にまた戻ってうずくまる。それが俺だった。



なんで忘れられないんだろうな。忘れようとする努力は怠ってないはずなのに。

楓ちゃんと10年ぶりに再会して、楓ちゃんに惚れた。それもまた確かな事実なのに。


楓ちゃんと過ごす時間はちょっと怖いけどとても楽しくてとても幸せで、雲母のことなんかすぐに忘れられるだろう、そう思っていた時期もあったのに。


あんなに楓ちゃんにドキドキして、あんなに楓ちゃんで勃起して、こんなにも楓ちゃんに愛を抱いているはずなのに。

それほどステキな女の子がそばにいてくれてもなお、定期的に雲母が脳裏に蘇ってくる。


そんなに重いのか、雲母と付き合っていた7年という時間は。

ならば楓ちゃんとも7年付き合ってみれば、雲母を忘れることができるのだろうか。


しかし雲母を忘れるのに7年もかけるというのは楓ちゃんに失礼すぎる。それに賢三さんに殺される。

楓ちゃんは俺の好きのレベルを最大の10にしてもっと惚れさせてみせるとは言ってたけど、さすがに7年は待ってくれないだろ。楓ちゃんに愛想尽かされてしまう。




―――




 楓ちゃんの家に来てから1ヶ月が経った。

1ヶ月経っても俺は全然成長していない。何も変わってない。


楓ちゃんと付き合うのか雲母と復縁を目指すのか、どっちなのかハッキリしないまま1ヶ月が経った。もちろん両方選ぼうというのは論外。絶対にどっちかにしないといけない。


雲母と復縁を選ぶなら今すぐにでも中条家を出ていかなければならない。

楓ちゃんのペットになるという条件でこの家に住まわせてもらっている。雲母を選ぶのであればペットの資格はない。ペット契約は解除しなくてはならない。

中条家の生活が幸せでこの幸せを失いたくないというのがなかなか答えを出せない理由。我ながら最低だと思う。



「涼くん、ちょっといいかな?」


「あ、ああ」



休日に家で優柔不断の極み中な俺は、楓ちゃんに呼ばれた。

俺は言われた通りに楓ちゃんについていく。



「私の家に来てからもう1ヶ月だね、涼くん」


「そ、そうだな」


「月が変わったんだよ、5月から6月になった。わかる? 涼くん」


「……? 月が変わったら何か新しい目標を立てなきゃいけない、とか?」


「違う違う。そうじゃなくて、涼くんがお給料をもらえる時が来たということだよ」


「給料……?」


「なんで意外そうな顔してるの? 涼くんは星光院学園で働いているでしょ。で、私がキミを雇ってるでしょ。だから私がキミにお給料をあげるの」



給料か……俺に給料をもらう資格があるとは思えない。

こんなにすごい家に住まわせてもらってメシも食わせてもらってるんだ。それだけで俺は十分与えられている。とてつもない大恩がある。その上で金までもらうなんて……



「涼くん、遠慮なんてしなくていいからね。お給料をもらうのは労働者の当然の権利だからね。というわけではい、これ先月分のお給料」



楓ちゃんから封筒を手渡された。

……ん? この封筒なんかやたら分厚くないか? なんか思ったよりずっしりしてるんだが……


そっと封筒の中身を取り出して見てみた。

見たその瞬間、俺の目玉は現金になった。



「涼くんの先月分の給料、300万円。確かに渡したよ」



……さ……さんびゃくまんえん……?

―――300万円!?!?!?


今まで底辺社会人だった俺は、これほどの大金を手に持ったことがない。

お……俺の手には今、300人の福沢諭吉が……

あ、違う、福沢諭吉じゃなかった。渋沢栄一だ。俺の手には今、300人の渋沢栄一が! 俺にとってはとんでもない事態だ。

恐怖のあまり尋常じゃない手汗で、ピカピカの新札がしおれていく。



「……か……楓ちゃん……これ、ケタ一つ間違えてないか……?」


「間違えてないよ。300万円だよ」


「……これ……月収……?」


「うん、月収」


「…………年収じゃなくて?」


「やだなぁ、中条グループに仕えている者が平均年収より低いわけないじゃん」


「……いや、でもさすがに月300万円というのは冗談だろ……? 年収にして3000万以上とかスーパーエリートじゃねぇか」


「本当は200万円のつもりだったんだけどね。学校に侵入してきたスズメバチを撃退した功績で300万円にアップしたよ」



あれで100万円上乗せされんの!? いや確かにスズメバチは怖かったけどあれだけで100万!?


……中条グループの凄まじい金パワーにボコボコにされるしかない俺。

ペットのご褒美くらいで300万ポンと出してきやがったぞ。金銭感覚どうなってんだよ。金持ち怖い。



「本当は1000万くらいあげたかったんだけど、あまり甘やかすのもよくないと思って最初はちょっと厳しめにしといた」


おいおいおい待て待て待て。厳しめで300万円? 社会人にケンカ売ってないかそれは。サラリーマンの人たちが聞いたら血涙流してブチギレるレベルだろ。


300万円をこの目で見るだけで俺はお腹いっぱいだよ。金を封筒に戻して楓ちゃんに返した。



「えっ? これ全部涼くんのお金だよ?」


「こんなに受け取れるわけないだろ。俺はほとんど女子校の掃除しかしてないんだぞ。それで300万ももらったらバチが当たるって」


「そう、まあ涼くんならそう言うと思ってたよ。じゃあこのお金は私が預かるね。使いたくなったらいつでも言ってね」


「使わねぇって」


「とにかく涼くん、1ヶ月お疲れ様。ここまでちゃんと私のペットやってくれたね」



楓ちゃんは満面の笑顔を見せた。

俺はドキッと心臓を高鳴らせる。



……俺の今の悩み、迷い……それらをよく考えてみると……俺は相当頭悪いと思う。

何をどう考えても、楓ちゃんを選ぶべきだろうとは思う。


楓ちゃんを選べば、確実に付き合えるし結婚できる。

雲母を選んだところで雲母と復縁できる可能性は絶望的だし仮に復縁できたとしても結婚までいけるかどうかはわからない。


しかも楓ちゃんは中条グループのお嬢様だぞ。楓ちゃんを選ばなかった場合、名家のお嬢様と結婚できる大チャンスを自ら台無しにすることになるんだぞ。それでいいのか? 絶対後悔するだろう。


あまりにも簡単な選択肢。外しようがないくらい簡単な選択肢。

ここまで簡単な選択肢を、なぜ俺はここまで迷う……

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