ジェラス・ガール、ジェラス・ボーイ



「…………」


 錬太郎くんに気づかれないように、店の時計を盗み見る。もうすぐ、一時間が過ぎようとしている。


「ねえねえ。じゃあ、これは? 芹沢くん」


「ああ、それは……」


 ひさしぶりに、夏休みで東京に戻ってきた錬太郎くん。今日は、一日外で遊ぼうと二人で映画を見たあと、カフェでお茶を飲んでいたら、偶然にも、大学の同じゼミだという女の子に声をかけられたのだった。


 ちょうど、ゼミの課題の内容について、錬太郎くんに聞きたいことがあったという、目の前の女の子。出会った瞬間から敵対心を感じたのは、わたしの気のせいなのかなあ。


「ごめん。あと、もうひとつだけ」


「いいけど」


 こんなやり取りを、いくどとなく繰り返してる。国文科のわたしには、経済のことなんて、何も理解できない。錬太郎くんは、課題の話題に一生懸命で、今、わたしのことは頭から抜けちゃってるの?


 さりげなく、席を立って、一人で外へ出てきてしまった。わたしのことには全く気がつかないようすの錬太郎くんを、店のガラス越しに見た。どうして、わたしは、こうなんだろう? 本人に気持ちを直接伝えればいいだけのことなのに、こんな逃げるみたいに、二人を置いてきちゃうなんて……と、そのとき。


「波流ちゃん、だっけ?」


「え……?」


 信号の前で立ちつくしていたら、どこかで聞いたことのあるような声。


「はい……あ」


 顔を上げて、目の前の人の顔を確認して、びっくりした。わたしの友達の璃子ちゃんの彼氏で、錬太郎くんや小日向くんの好きなバンド、モノレール・ミュージックのボーカルとギターの遊佐くん!


「大丈夫? 気分でも悪い?」


 遊佐くんに、軽くのぞき込まれた。


「あ、ううん」


 なんとなく、集まる視線。やっぱり、有名な人なだけある。男の子なのに綺麗というか何というか、周りの空気が違うような……。


「ごめんなさい。その……ちょっと、時間が空いちゃって。ぼんやりしちゃってただけなの」


 璃子ちゃんもいないし、突然だったしで、緊張して、しどろもどろになりながら答えると。


「そっか。なら」


 自然に笑って、遊佐くんが続けた。


「少し、つき合ってほしいんだけど」


「えっ?」


 思わず、突拍子もない声を上げてしまった。


「いや、ごめん。変な意味じゃなくて。これから、璃子が来るから、会ってやってくれないかと思って。波流ちゃんに会いたいって、昨日も言ってたから」


「そ……そうだよね。わたしも璃子ちゃんに会いたかった」


 恥ずかしい。そういう理由に決まってるのに。


「あの店で待ち合わせてるんだけど、いい? 先に入ってよう」


「うん」


 錬太郎くん、話が終わったら、電話くれるよね。周りの視線を感じながら、錬太郎くんと同じくらいの背の遊佐くんのあとに、ついていった。







「何にする? 波流ちゃん」


「じゃあ、アイスティーを」


 思えば、錬太郎くん以外の男の子と二人になる機会なんて、めったにない。


「芹沢とは、ちゃんと会えてる?」


「うん。今も……」


「え?」


「あ、ううん。何でもない」


 首を振って、アイスティーに口をつけた。


「……遅いな」


 そこで、遊佐くんが腕時計を見る。


「璃子ちゃん?」


「うん。時間、とっくに過ぎてるのに」


 遅れていることにイライラしてるんじゃなくて、姿を現さない璃子ちゃんのことが、純粋に心配でたまらない感じ。ふと、こんなに遊佐くんに想ってもらえる璃子ちゃんのことが、うらやましくなった。


「ちょっと、璃子に電話してみても……」


「待って、遊佐くん。あそこ」


「え?」


 遊佐くんに、窓の外を指差した。いつのまにか、璃子ちゃんと錬太郎くんの二人が、こっちをガラス越しに見ている。


「何やってるんだ? あいつらは。一回出ようか、波流ちゃん」


「あ、うん……!」


 もしかして、璃子ちゃん、変な誤解でもしちゃったのかな。わたしも席を立って、あわてて、外へ飛び出した。







「璃子ちゃん」


 まずは、璃子ちゃんに声をかける。


「あのね、遊佐くんと会ったのは、偶然で」


「波流ちゃん! なかなか、学校で会えないから、会いたかったよ」


 予想に反し、うれしそうな満面の笑顔の璃子ちゃん。


「ごめんね。さっき、店の外にいたでしょ?」


「そうなの。ついつい、遊佐くんと波流ちゃんに見とれちゃってね」


「えっ?」


「なんだか、理想の素敵カップルに見えたよ。ドラマとか映画みたいな」


 今度は、うっとりとした表情を浮かべる、璃子ちゃんに。


「何、バカなこと言ってるんだよ?」


「きゃ……!」


 錬太郎くんが本気でキレて、わたしの手を引っ張ったから、バランスを崩して、よろけてしまった。


「あ、いや」


 そこで、遊佐くんの視線を感じたっぽい錬太郎くんが、我に返ったように、バツの悪そうな顔をする。


「ひさしぶり。芹沢もいたの知らないで、波流ちゃんを連れてきて、ごめん」


 遊佐くんは、笑いをこらえてるみたい。


「……悪いのは、俺の方だから」


「え……?」


 錬太郎くんを、見上げた。


「行こう、波流」


「あ……ちょっと、錬太郎くん? あの、ありがとう、遊佐くん。璃子ちゃんも、またね」


 また、さらに強い力で手を引かれて、わたしは璃子ちゃんと遊佐くんに別れを告げたのだった。







「よかったの?」


「何が?」


「遊佐くんと、話とかしなくて」


 いつも、モノレールのCD、あんなに聴いてるのに。


「いいよ」


 大きく息を吐いてから、錬太郎くんが答える。


「なかなか、波流が戻ってこなかったから、心配で探しに出たら、あの女が怪しげに店の中をのぞいてるのが見えて」


「……ごめんね。なんだか、居場所がないように思えて」


 ちゃんと、気にはかけてもらえていたんだ。今度は申し訳ない気持ちになって、うつむくと。


「他の男と、二人になんかなるなよ」


「…………!」


 不意に、道の真ん中で錬太郎くんに抱きしめられた。


「でも、それは、錬太郎くんが」


 あの女の子との話に夢中だったから、こんなことになっただけで。


「懲りた。もう、二度とやらない」


「どういうこと?」


「波流が、あんな女に妬いてるのが可愛くて。調子に乗ったら、自分を見失ったのは、俺の方だった」


「…………!」


 錬太郎くんが、そんなことを考えていたなんて。


「えっと……じゃあ、どこに行こっか?」


 わたしも素直になろう。自分の方から、錬太郎くんと手をつないでみる。


「帰る」


 その手を強く握りしめて、駅の方向に引っ張られた。


「えっ? 帰っちゃうの?」


 まだ、二人の時間を楽しみたかったのに。


「帰るって、波流の部屋にだよ。我慢できない」


「うん。わたしも」


「…………」


 わたしが答えたときの、錬太郎くんの顔。


「電車が来てる。あれに乗ろう」


「錬太郎くん……! 待って。そんなに走らなくても」


 笑って、ドアが閉まる直前の電車に飛び乗った。部屋に帰ったら、何度でも伝えよう。錬太郎くんのことだけが大好きって。






ジェラス・ガール、ジェラス・ボーイ


              END


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