セカカワ × KISS, KISS, KISS

クレイジー・デート(1)



「あ、ハルちゃん」


「はい?」


 一般教養の講義を受けようと、空いていた席に着いた瞬間。突然、隣に座っていた女の子に声をかけられたのは、ある晴れた秋の日。


「や、違うんです。ごめんなさい。そう呼ばれてるの、何回か聞いたことがあったので。決して、怪しい者では」


「…………?」


 目の前で、慌てふためいている女の子。わたしには、全く見覚えがない。


「あの、いつも面白そうな本を読んでるなあと。わたし、書店でアルバイトしてるもので、つい。その、今持ってる本が気になっちゃって」


「ああ、これ。村上春樹の『ノルウェイの森』です、けど」


 図書館で手に取って、ちょっと読み出したら、止まらなくなっちゃって。と、そこで。


「『ノルウェイの森』……ですか」


 女の子が、遠くに思いを馳せるような表情をする。


「どうかしました?」


「あ、いえ! その話の中の登場人物が好きだって言ってた友達……じゃなくて、知り合いがいたなと思って」


 恥ずかしそうに説明する、女の子。


「後半に入ったところですけど、面白いですよ」


「そうですか。なんとなく、読めないでいたんだけど、この機会に読んでみます。あ。わたしは国文科の二年で、立原 璃子っていいます。ありがとうございました」


「あ、いえ。わたしは一年の星野 波流です」


 大学内で、こんなふうに自己紹介し合うなんて、初めて。本好きな人特有の話しやさすさのせいかな。


「一年生だったんだ……! 大人っぽいから、先輩かと思っちゃった」


「一年浪人してるから、歳は同じかもしれませんけど」


「そっか。じゃあ、敬語なんていいよ、波流ちゃん」


 人懐っこく、立原さんが笑う。


「また今度会ったら、おすすめ教えてくれる? あと、よかったら、璃子でも何でも、呼びやすいように呼んでね」


「もちろん。えっと……じゃあ、璃子ちゃんでいい?」


「うん! あ」


 うれしそうな笑顔を見せてくれたあと、急に不安げになる璃子ちゃん。


「どうしたの?」


「や、わたし、こんなナンパみたいなこと、いつもしてるわけじゃないから。なるべく、変わってるとか思わないでね」


「そんなこと」


 表情がくるくる変わる璃子ちゃんが、可愛い。


「よかった。それと、よく行く本屋さんとか……」


 と、そこで。


「璃子ちゃん」


 後ろから、男の子の声がした。


「どうしたの? 北村くん」


「次、ここじゃなくて、隣の棟の教室でドイツ語でしょ? 璃子ちゃん、今日欠席するとヤバいんじゃなかった?」


「そうだった」


 顔色を変えて、璃子ちゃんが立ち上がる。


「じゃあね、波流ちゃん。また、声かけさせてもらっちゃうね」


「うん、ぜひ。またね」


 慌ただしく去っていく、璃子ちゃん。次は、もっとゆっくり、本の話をしてみたいな。







「波流ちゃん、立原さんとしゃべってなかった?」


 講義が終わるとすぐ、友達のさきちゃんが、わたしの方に近づいてきた。


「うん。わたしが読んでた本のことを聞かれて。咲ちゃん、知ってるの? 璃子ちゃんのこと」


 咲ちゃんも、同じように話しかけられたことがあるのかな。


「有名だよ! あの先輩」


 咲ちゃんが大きな声を上げる。


「璃子ちゃんが?」


 失礼かもしれないけれど、なんだか意外。それほど、目立つような感じの人には見えなかったから。


「そう。噂なんだけど、モノレールの類くんとつき合ってるらしいんだよ」


「モノレール?」


「そっか。波流ちゃん、あんまり音楽とか聴かなそうだもんね。曲もいいけど、格好いいの。ギタボの類くんと、ギターの響くん」


 ルイくん? ギタボ? 聞いたそばから、単語が耳をすり抜けていってしまう。


「それでね、すごいんだよ。類くんが通ってるのは違う大学らしいんだけど、うちの学食で、類くんがあの立原さんに公開告白したとか。さすがに、それはガセっぽくもあるけど……あ、ごめん。今、それどころじゃなかったよね、波流ちゃんは。今日、京都にいる彼氏がこっちに来るんでしょ?」


「あ、うん……そうなの」


 錬太郎くんの学校の休み期間の、ほんの数日間だけど。


「いいなあ。会うたび、新鮮そうで」


「そんなことない。心配の方が大きいよ」


 錬太郎くんが女の子に人気があるっていう話は、高橋くんからよく聞かされたし。昔よりカドの取れた錬太郎くんの優しさを、逆に不安に思うこともある。


「これから、どっかで待ち合わせ?」


「それは……」


 なんとなく、口ごもる。


「ん?」


「……もう、わたしの部屋にいる」


 今朝、飲み会から帰ってきた足で、新幹線に乗るって言ってた。鍵は、前に渡してあるし……と、そこで、咲ちゃんがひやかすような表情を浮かべていることに気づいた。


「いや、あのね」


「こんなところにいる場合じゃないでしょ?」


 何か言い訳しようとしたんだけれど、それをあきれたようすで遮る、咲ちゃん。


「でも、次の授業は、出欠取るし」


「いいよ、そんなの。わたしが丸つけといてあげるから、早く帰りなって」


 笑って、背中を押された。


「じゃあ……1限の出欠だけ、お言葉に甘えちゃう。ありがとう」


 内心、少しでも早く錬太郎くんに会いたかったわたしは、ためらいながらも、学校をあとにすることにした。


「明日も来なくていいからね」


 そんなことを言いながら、感じよく笑って、手を振ってくれる咲ちゃん。気がついたら、わたしの足は自然と小走りになっていた。



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