第20話 夏の日、残像

 待ち遠しかった夏休みに入った。


 引きこもっていたおかげで期末テストは赤点ギリギリの低空飛行をする羽目になってしまったけれども、なんとかやり過ごす事ができた。

 そして肩の荷が下りたこともあり、僕はスマートフォンの機種を新しくした。


 予選ライブ前からなんとなく調子が悪そうだったヒナも、これで元の調子に戻るだろう。と、僕は安心していた。


『おおー、さすが新機種。なんだか広々としてる感じがする』


 携帯ショップから帰り、自宅のパソコンで待機していたヒナが新しいスマートフォンへ乗り込んできた。


「RAMもストレージも増えましたからね。前よりかなりグレードアップしましたよ」

『ふーん、じゃあ動画をたっぷり撮っても余裕あるんだね』

「そうですね。カメラの性能もめちゃくちゃ上がったらしいので、これで自作のミュージックビデオなんか撮れちゃうかもですね」

『そうなったら、楽しそうだね』


 ヒナはそれだけ言って、新しいスマートフォンの中でくつろぎ始めた。


 何気ないそんなやり取りだったが、僕は違和感を覚えた。

 ミュージックビデオを撮るなんてイベントが発生したら、陽菜世先輩なら目を輝かせて食いつくはず。


 しかし現に今、ヒナはそれほど興味を示さなかった。自分がミュージックビデオに映ることがないからだろうか。……いや、確かにそうではあるけれど、だからといってこんなに簡単に受け流すような人ではない。


 やっぱりどこかヒナの様子がおかしい。


 陽菜世先輩は受け答えの歯切れが悪かったり、曖昧にしたりするようなときは、決まって何かを隠している。

 僕に余命を打ち明けてきたときも、そんな感じだったのをはっきり覚えている。


 だから今回も何かある気がする。ずっとやんわり疑っていたことが、確信に変わっていた。


「……先輩、つかぬことをお聞きしますけど」

『ん? どうしたの?』

「あの、僕に何か隠し事をしていませんか?」

『……どうしてそう思うの?』

「いえ、この間からなんとなく先輩の様子がおかしい気がして……」

『……そう? 私はいつもどおり普通なんだけど。それに、全然隠すようなこともないし』

「じゃあなんで……そんなに落ち着いているんですか? ミュージックビデオを撮れるかもなんてことを聞いたら、先輩は絶対に食いついてくるのに」

『だって、今は全国大会前の大切な時期だよ? さすがの私でも気くらい使うんだから』

「そ、そうですか……」


 ヒナはもっともらしい理由をつけてきた。


 確かにそうではあるのだけれども、相模陽菜世として見たら違和感だらけだ。

 でも、そこに無理矢理でも首を突っ込んで本当のことを聞き出すなんてことが今の僕にはできなかった。


 ……いや、本当はヒナに何が起こっているのか少し想像がついているのだ。ずっと一緒にいるだけあって、さすがに鈍感な僕でもわかる。

 そもそも、なぜ陽菜世先輩の魂がヒナに宿ったのか。それを考えてみれば、ヒナが僕に隠していることはなんとなくわかってしまう。


 ただ、僕には本当のことを聞き出す勇気がない。


 陽菜世先輩のおかげで僕は変わることができた。でも、確信を持ちながらも見なかったことにしておきたいというこの弱さだけは、どうやら変われそうにない。


 ふと、自宅のインターホンが鳴る。


『あ、あれじゃない? アマゾンで注文してたやつ。ええっと、新しいスマートフォンケースとギターのエフェクター?』

「そういえばそろそろ配送時刻でした。家に僕しかいないのでちょっと出てきます」

『いってらっしゃい』


 画面越しに手を振るヒナを一瞥し、僕は玄関へ向かった。


『……ハル、気づいちゃったかな』


 ヒナのつぶやく声が、誰もいない僕の部屋に響いた。


※※※


 ついに迎えた全国大会の日。


 首都高速道路を挟んで皇居の隣にある、ロックバンドの聖地――日本武道館。


 その夢のステージに、僕らはついに上がることになる。


『ハル、昨日は眠れた? 私は緊張しちゃっててずっとスマートフォンが発熱してたよ』

「バーチャル世界の人なのに緊張なんてしないでくださいよ。……まあ、僕も正直あんまり眠れてないです」


 ホテルの一室、朝の情報番組が流れているテレビをよそに、ヒナが話しかけてくる。

 前日に東京入りした僕らは、会場近くのホテルで一泊した。


 お泊りイベントといえば青春の一ページみたいなイメージがあるが、部屋は皆別々で、夜ふかしするのも良くないということで昨夜は早めに床についた。


 しかし、根っからの緊張しいな僕は、なかなか寝付けず寝不足のまま当日を迎えたのだ。

 全く眠れなかった訳では無いが、睡眠は浅くて細切れだ。スマートフォンを新機種に変えたときに同時購入したスマートウォッチが、ご丁寧に僕の中途半端な睡眠を記録していた。


『大丈夫? 睡眠不足はパフォーマンスが下がるだけじゃなくて熱中症にもなりやすくなるみたいだから、気をつけないとだよ?』

「ありがとうございます。……でも、今日くらいは無理させてください。やっとたどり着いた夢のステージなんですから」

『……そっか、そうだよね。ハル、意外とそういうとこ頑固だもんね』

「そう……ですか?」

『そうだよ。私は良いけど、凛とか紡まで心配させちゃだめだよ? わかった?』

「は、はい」

『そんじゃ、さっさと着替えて朝ご飯の会場に行きな? 眠れなかったのは仕方ないとしても、朝ご飯を食べないのは許さないからね』


 まるで母親のようにヒナがそう言ってくるので、僕ははいはいと返事をして朝食会場へ向かった。

 なんとなくだけれどもヒナがそわそわしていた気がして、僕は朝食の間、スマートフォンを自室に置いて充電しておくことにした。



 会場入り、サウンドチェック、リハーサル。ライブハウスや文化祭のときも同じ経験をしてきたはずだが、日本武道館でのそれはやはり新鮮だった。


 観客席の規模、音の反響具合、ステージの広さ、どれをとっても今までのものとは比較にならない。

 未知の領域にやってきたという、そんな感覚だけがあった。



 ライブイベントが始まり、会場にはたくさんのお客さんが集まってきた。

 楽屋からその様子はわからないが、まず満員となることは間違いない。


 ――ついに武道館でライブができる。


 楽屋の隅っこで椅子に腰掛けながら、僕はそんなことを考える。

 世の中にロックバンドは数多くあれど、この場所へたどり着ける者は少ない。


 だから僕も陽菜世先輩も、ここを目標にした。

 彼女の死で、一度はこの夢を諦めなければいけない状況になった。でも、神様がチャンスをくれて、こうやってもう一度挑戦する事ができた。


 今日、僕らが最高のライブを、ここ日本武道館のステージで演る。

 そうすれば、陽菜世先輩の夢がやっと叶うことになる。


 ただ、僕はずっと気にかけていたことがあった。

 これで陽菜世先輩の夢は叶う。そうなれば僕や凛、金沢先輩も、もちろんそれを喜ばしく思うだろう。



 でも――



 叶ったあとは、どうなる?




 叶ってしまったあと、ヒナはどうなってしまうのだろう。


 実は昨晩ずっとこんなことを考えてしまっていて、僕は昨日全然眠れなかった。

 直接ヒナから聞き出したいが、聞いてしまったら何かが終わってしまいそうな気がして、ずっと躊躇っている。


 このままモヤモヤを抱えたまま全国大会のステージに臨むのは好ましいことではない。ただ、もしヒナから衝撃の事実を聞かされてしまったとしたら、僕はそれに耐えうるのだろうか。


 浮かない気分のまま、時間がどんどん過ぎていく。

 出番がだんだん近くなってきたとき、ふとヒナが僕のことを呼んだ。


『ねえハル、ちょっと話をしようよ。二人だけで』

「話……ですか?」

『うん。なんか今のハル、変な感じだしさ。話したいことはちゃんと話しておこうかなって』


 僕は凛と金沢先輩に一言ことわりを入れて楽屋を出た。

 人の気配のない、静かな場所を見つけると、僕はスマホを取り出してヒナと対面する。


「……先輩、一つ教えてほしいことがあります」

『うん、いいよ。多分私が伝えたいことと、同じ気がする』


 僕は一旦深呼吸をして、頭の中で言葉を選び取る。そうでもしないと、上手く話せない気がした。


「先輩はこのライブが終わったら……どうなるんですか?」


 どうなるのか、という、とても抽象的な聞き方だった。具体的なことを言おうとすると、胸が締め付けられて苦しくなりそうだったから。


『……うーん、私にもよくわからない』

「わからないって……自分のことなのに?」

『そう、自分のことだけど、わからない』


 僕は肩透かしを食らった気持ちになり、膝から不意に力が抜けて座り込んでしまった。


『ごめんごめん、そんなことが聞きたいわけじゃないよね。でもわからないんだ』

「そう……ですか」

『わからないんだけどね、でも、こうなるんじゃないかなっていう予想はある』

「どんな予想ですか?」

『なんというか、死んだときに果たせなかったことがどんどん叶ってきて、私自身が今すごく満たされているんだ。でもね、もしこのライブが上手くいって、この世に残してきた未練が全部払拭されたら、私、消えちゃうんじゃないかなって、思ったりする』


 フィクションではよくある話だ。

 志半ばで死んだ人が突然現世に帰ってきて、未練が全部なくなったら成仏する。


 それと同じことがヒナでも起こるのではないかと、僕らは考えているのだ。


「消えるって……そんな」

『もともと死んだ身だし、戻ってきたのが奇跡だし。いつかはそんな日が来るなとは思っていたけど、それが多分そろそろなんじゃないかなって』

「嫌です……先輩がいなくなるなんて、僕はもうそんなの受け入れられません」


 引っ込み思案だった僕の人生を変えた陽菜世先輩。絶望の淵にいた僕を引っぱり出してくれたヒナ。

 彼女の存在がなければ、僕はまともに人生を歩めないのではないかと思ってしまう。それくらい大きな存在になっていた。


 そんな彼女が消えてしまうとなれば、僕はもう立ち上がれなくなってしまうかもしれない。


『ははっ……そういうところも頑固だよね、ハルは』

「茶化さないでください。僕は先輩がいるからこうやって毎日がんばれているのに……消えちゃったら僕は……また一人になっちゃうじゃないですか」

『違うよ。ハルはもう、私だけに依存する弱い人じゃない。ちゃんと一人で……ううん、みんなで前を向ける、そういう人になったよ』

「僕はそんな強くないです。先輩がいないと……」


 昔から僕は感情が高ぶってくると自然と涙が出てきてしまう。今回もその例に漏れず、いつの間にか目の周辺が湿っていた。


『いい? ハルはね、一人で強くならなくて良いんだよ。一人で強い人なんていない。みんな弱いから、手を取り合って強くなろうとする。そしてハルはもう、一人ぼっちじゃないでしょ?』


 ヒナは優しく諭してくる。

 周りに誰もいなかったはずの僕の周りには、今や助けてくれる人がいる。


 それは陽菜世先輩――ヒナによってもたらされたり、気付かされたりした。

 一人ぼっちではなくなったというのは、確かな事実だ。


『今日私達は夢の舞台に立つ。そしたらハルの周りに、今まで以上に力を貸してくれる人が増えると思う』

「そう……かもですね。そしたら先輩のこと、忘れられますかね……」

『いやいや、私のことを忘れろなんて言わないよ。けど、もう私がハルの背中を押さなくても大丈夫なくらい、ちゃんと君は成長しているよ』

「そんなの……自分じゃわからないですよ」

『大丈夫。見違えるくらいハルは変わったよ。……だって、今までずっとそばにいて君のことを見てきたんだもん。私が保証する』

「でも……」


 うじうじする僕にしびれを切らしたのか、いつもの説教モードになったヒナが畳み掛ける。


『でもじゃないの。もっとも、私は半年以上前に死んだ存在なんだからそろそろ吹っ切れてもらわないと困るわけ。あんまり未練たらたらだと、このスマートフォンのデータ全部消しちゃうからね!』

「そ、それは困る……」

『ってか、別に消えるの確定したわけじゃないし。そんなにお望みならハルがおじいちゃんになるまで説教してあげてもいいんだからね?』

「それも困る……」

『だからこの話はこれくらいにして、ちゃんとライブが上手くできるように心の準備をしなよ。私の好きな足立晴彦は、ちゃんと大舞台でやることやってくれるかっこいい人なんだから』


 改めてヒナに好きだと言われて、僕は気恥ずかしくなる。


 確かに彼女の言うとおり、どうなるかわからない未知の不安に対してうじうじしている方がしょうもない。そんなことよりも目の前にあることを全力でやり遂げるほうが、自分にとってもヒナにとってもよっぽど大切なことだ。


 僕は手のひらで頬を叩いて気合を入れる。


 好きな人から好きと言われ、どうしようもなく嬉しくなって身体の奥底からエネルギーが湧いて出てくるのだ。自分で自分のことを面倒くさいやつだなとは思うが、物事に対する原動力というのは、こんなにも単純でわかりやすい。


「ありがとうございます先輩。僕、最高の演奏をします」

『その意気その意気。せっかく武道館まで来たんだから、グランプリまでかっ攫っていこうよ』

「はいっ!」


 もやもやしていた気持ちは吹き飛んだ。

 やっぱりヒナは、上手に僕の背中を押してくれる。


 そんな彼女の期待に応えるため、全力でライブに挑む。僕ができるのはそれだけだ。


 立ち上がって楽屋に戻ろうとしたとき、ふと言わなければいけないことが頭に浮かんだ。

 こんなことは別に今言わなくてもいいのかもしれない。でも、今言っておかないと後悔する気がした。


「……そうだ先輩、もう一つ言っておかないといけないことがあります」

『ん? なに?』



「先輩のことが好きです。そして、僕を好きになってくれて、ありがとうございます」



 面と向かってヒナに伝えると、急に彼女の顔が赤くなる。同時に、スマートフォンも熱を持つ。


『そ、そういうのは……もう……バカ、タイミングが卑怯』

「すみません……」

『は、ハルが私のこと好きなのはわかったから、は、早く出番に備えなさい!』


 恥ずかしそうにするヒナの姿がとても可愛かった。


 この表情をスクリーンショットしておけたら良かったのになと思いながら、僕は楽屋へ戻った。

 そして待っていた凛と金沢先輩とともに、最高の演奏をするためステージに立ったのだった。

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