第18話 さくらのうた

 四月も半ばになり、岡崎公園の桜はすっかり散ってしまった。


 つい先日まで桜まつりで盛り上がっていた乙川の河川敷は、嘘のような静けさを取り戻していた。


 自宅で夕食をとり、なんとなく散歩したい気分になった僕は、夜の岡崎公園を歩いてみることにした。


『珍しいね、夜に散歩なんて』

「最近暖かくなってきたので、気分転換にちょっと歩くのも悪くないかなって。お祭りも終わったから、そんなに混んでないし」

『桜まつりのときはものすごく混んでるもんね。岡崎にこんなに人が住んでたんだって思うくらい』

「ははは、確かにびっくりしますよね。花火大会と桜まつりは、先輩の言うとおりどこにそんなに人がいたんだよって思います」

『すんごく賑やかだよねえ。でも、こんな感じに静かなのも悪くないね』

「そうですね。僕は人混みが好きじゃないので、このほうが安心感があるというか」


 わかるわかると画面越しのヒナが頷く。


 こう見えて、彼女も実は人混みがそれほど好きではない。

 花火大会のときも、わざわざ自宅マンションの特等席へ僕を招待したくらいだから。


『それでさ、ハル、聞きたいことがあるんだけど』

「なんですか?」

『散歩するのはいいんだけど、なんでギターまで持ってきたの?』


 僕の背中にはギターケース。その中にはあの日リサイクルショップで買い戻した陽菜世先輩のテレキャスターが入っている。


「河川敷でちょっと弾こうかなって。エレキギターの生音なら、それほど騒音にはならないと思うので」

『へえー、河川敷でギターを弾くなんてなんだかハル、シャレてるね』

「か、からかわないでくださいよ。河川敷で弾いてると、結構いいアイデア出たりするんですよ? 部屋の中とは違う開放感というか、新鮮な空気で頭がスッキリするというか」

『じゃあいっそ、乙川の河川敷にスタジオを構えちゃう? 絶対に捗ると思うよ?』

「それは……桜まつりとか花火大会のときに押しつぶされるので、ナシで……」


 僕は苦笑いする。他愛もない会話で、僕の心はゆるりと幸せな気持ちになる。


 ヒナが現れてからはこんな会話が当たり前のようになった。こんなことを言ったら怒られてしまうかもしれないけれども、陽菜世先輩が存命だった頃より心理的な距離感が近くなった気がする。

 それは四六時中一緒にいるからかもしれないし、バーチャル世界の住人というのが逆に僕にとって心理的障壁をなくしているのかもしれない。


 ともかく理由なんてどうでも良かった。陽菜世先輩ヒナと、少しでも長い時間こうしていたいなと、ただそれだけのことを僕は思っていた。


『バンド、うまく行きそうでよかったね』

「そうですね。金沢先輩も、凛も、全然腕が鈍ってなくてびっくりでした」

『部室で音合わせしたとき、ハルはちょっとあたふたしてたもんね』

「お、お恥ずかしい……」

『人と合わせるの久しぶりだったもんね。ギターも使い慣れてない私のやつだったし』

「そ、そういうことにしておきます。でも、練習不足なのは間違いないのでちゃんとやらないとですね……」

『うんうん、その意気その意気』


 先日、凛との誤解を解いた僕は、そのまま彼女をバンドへ引き戻した。

 これでボーカルとベースが凛、ドラムが金沢先輩、ギターが僕というスリーピースバンドが出来上がったことになる。


「でも、良かったんですか先輩?」

『なにが?』

「僕らのバンドに、先輩も加入しなくていいのかなって」


 しかし、陽菜世先輩――いや、ヒナはこの新しいバンドにメンバーとしては参加しないと言ってきたのだ。

 それには、彼女なりに考え抜いた理由がある。


『だって今の私、こんなんだし。それに、バーチャル世界で生きている人間がバンドに入って表沙汰になったら、それこそ別の意味で注目されちゃうって。私、今の科学技術じゃ説明できないような存在なんだよ?』

「た、確かに……」

『そんなことで世間を騒がせるのは不本意だし、ハルたちだってそんな評価は望んでないでしょ?』

「……そうですね。音楽人として、あくまで音楽で評価をされたいです」

『うん。だからメンバーとして加入するのはやめといた。一応私は故人ってことだし』


 その『故人』という言葉に、僕の胸はキュッと締め付けられる。

 いまここでヒナと過ごしている時間は、おそらくサッカーで言うアディショナルタイムみたいなもの。

 これが永遠に続くかと言われれば、そんな保証はない。


 逆にバーチャル世界の存在であるヒナのほうが、不老不死のまま存在し続けることだってあり得る。

 ずっと一緒にいられるようにみえて、実は僕たちの時間というのは限られている。


『でもバンドメンバーにはならなくても、ライブのときに同期音源を流すハルのパソコンに潜り込んで歌ったりはできるよ?』


 ヒナはいたずらっぽく笑い、僕をからかうようにそんなことを言う。


 同期音源というのは、ギターやベース以外の打ち込みで作った音源のこと。パソコンに入れておいて、ライブ時に流し、それに合わせて『同期』しながら演奏するのでこう呼ばれる。


 僕らはキーボード担当がいないバンドなので、昨年の文化祭のときにフジファブリックの『若者のすべて』を演奏した際もピアノパートを同期音源で制作したりした。

 テンポがズレないように演奏するのがとても大変だが、慣れてしまうと逆に楽だったりする。


「それじゃあ、先輩にはこっそりコーラスをお願いします」

『そのつもりー。と言っても、ハルは新曲にコーラスパート作ってないからやりようがないんだけど』

「それは……なんとかして作ります。元の曲の良さをなくさないように頑張るので……!」

『うんうん。ファイトだよ』


 ちなみに新曲というのは先日ヒナが僕のクラウドストレージを漁り、凛へ聴かせたあの曲のことだ。


 あれは陽菜世先輩が亡くなってしまったことを無理矢理にでも受け入れるため、あえて彼女のパートを無くすように作った。

 不思議と完成度は高くなったと思う。そのおかげでヒナが現れてくれたと言ってもたぶん過言ではない。ヒナが現れてくれなければ今の僕もいないだろうから、僕にとって、いや、みんなにとって大切な曲であることは間違いない。


 その曲を携えて、僕らは再びあのコンテストに挑もうと先日みんなで決めた。

 昨年果たせなかった日本武道館への道を、今度こそ切り開いてやる。と、久しぶりに皆の心が一つになった。



 岡崎公園内にある乙川の河川敷を歩き進める。

 ひと気が少ないけれど街灯があって暗くはない、ちょうど良さそうな土手を見つけ、僕は階段状になっている段差に腰掛けた。


 背負っていたギターケースをおろして中に入っているテレキャスターを取り出す。

 キャンディアップルレッドのボディは、ぼんやりとした街灯の光で暖かく照っていた。


『意外とハルに似合ってるよね、赤いテレキャスター』

「そ、そうですか?」

『うん。可愛らしくて良いと思う』

「う、嬉しいようなそうでもないような……」

『ハルって、あんまり赤色のものを持ってないもんね』

「そうですね……いつも黒とかネイビーとかグレーとか、地味な色ばっかり選んでますね」

『自分のギターも黒だったもんね』

「あはは……確かに。だから赤いテレキャスターは、まだちょっとしっくり来てないかもです」

『これから馴染んでくるって』

「そうですかね?」

『そうだよ。だってめちゃくちゃ似合ってるもん』

「……うーん、やっぱり嬉しいようなそうでもないような」


 赤色が似合うという言葉どころか、何かが似合うなんて言われたことがなかったので少しむず痒い気持ちだ。


 そんな気持ちをごまかすために、僕はテレキャスターでGメジャーのコードを押さえてピックで弦を掃くように鳴らす。

 続けて手癖になっているフレーズをいくつか弾いていく。いつの間にか、スマートフォンの中にいるヒナがガレージバンドというアプリを勝手に起動し、ドラムの音源を鳴らし始めた。


 意図せず二人のセッションみたいになった。ヒナがいるとこんな使い方ができるのかと、僕はだんだん楽しくなってくる。


「先輩、結構ドラム上手いですね」

『まあバーチャル世界の中だからねー。適当に叩いても補正してくれる感じ?』

「なるほど……じゃあ、ギターとかもいけるんですか?」

『どうだろ? やってみよっか』


 ドラム音源を閉じて、今度はギター音源のソフトウェアキーボードを引っ張り出す。

 エレキギターとアコースティックギターの音源があるが、ヒナはとりあえずアコースティックギターを選択した。


『あっ、結構いろんな事ができるっぽいよ? ボタン一つでギターコードを鳴らせるから、めっちゃ楽かも』

「じゃあ、それで弾き語りとかできそうですね」


 僕がそう提案すると、おもむろにヒナは歌い出した。

 それは、どこかで聴いたことのあるメロディ。歌詞はなく、ヒナは特徴ある高い声でラララと歌う。


 ――思い出した、これは陽菜世先輩が生前作っていた曲だ。


 そういえば、あの曲は結局完成しなかった。

 コンテストには僕が作った曲で出場したし、文化祭はコピー曲を混じえたセットリストにしたのでこの曲を完成させる理由がなかった。


 陽菜世先輩もどんどん弱っていた頃だったし、無理に完成させようとせず放ったらかし状態。


 ……でも、今ならどうだ?


 目の前のヒナは元気に歌っているし、陽菜世先輩が苦労していた作曲作業も今なら簡単にできそうな気がする。


 そしてなにより、この曲のことを僕はとても気に入っている。

 だいぶ遅れてしまったけれども、やっと陽菜世先輩の曲を完成させることができそうだ。と、僕は思った。


『――おおー、ギターを弾きながら歌うより楽ちんかも』

「先輩、その曲……」

『ああ、うん、私が完成させられなかった曲だよ。でも、このアプリ使えばなんか完成できそうな気がしない?』

「そう思います。作りましょうよ、その曲」

『いいねいいね! じゃあ早速コード進行から考えて……』


 ふとその刹那、乗り気だったヒナの表情が曇る。


「……どうしたんですか?」

『いや、やっぱりやめとこうかな』

「えっ、どうして……? せっかくいい曲だなと思ったのに」

『だってこの曲は本来完成するはずのなかった曲だもん』

「そうだからこそ、僕はこの機会にちゃんと作ったら良いと思います」


 僕が珍しくはっきり意見を主張するのが珍しかったのか、ヒナは少々驚いた表情を浮かべる。


 自分らしくない言動だなという自覚はある。でも、陽菜世先輩の曲をきちんと完成させて、この世に永遠に残るような形にしておきたい。それこそが相模陽菜世という一人の少女が生きた証になるのではないか。と、僕は考えたのだ。


『でも……、この曲をを完成させちゃったら……』

「完成させたら……なにかあるんですか?」

『……ううん、なんでもない。この曲が完成しても、うちのバンドで演るのはどうなのかなって思っただけ』

「そんなこと、誰も文句なんて言わないですよ」

『でももう私はバンドのフロントマンとしてボーカルをとることはできないよ? さっきも言ったけど、今の私は科学で説明ができる存在じゃない。表舞台には立てないんだよ。だからこの曲を完成させても……』

「いいえ、演りましょううちのバンドで。もちろん先輩は表に立てないので、凛と一緒に歌う形になるかもしれないですけど、先輩の作った曲で叶えてみたいじゃないですか。武道館に行くって夢」


 ヒナは少しうつむいたあと、再び僕の方を向く。彼女なりに、思うところがあるのだろう。

 しかしそんな心配は杞憂だった。曇っていた表情が、少しずつ晴れていくのがわかった。


『……そうだね。やっぱり叶えたいよ、武道館に行く夢。自分のメロディで』

「頑張りましょう。僕もお手伝いできることがあればなんでもやりますから」

『あはは……ありがとう。ハル、ちょっと……いや、だいぶ成長したんだね』

「そうですか……? 全然背は伸びてないんですけど……」


 そうじゃないよとヒナが笑う。

 そのあと、ゆるやかな夜風を浴びながら僕とヒナは曲作りを続けた。


 帰り道、国道沿いを歩きながら、縁石に桜の花びらが溜まっているのを見て、ヒナが歌詞を思いついたと言ったのが、なんだかずっと忘れられなかった。

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