第5話 エンカウント
ピピピ……ばし。
枕元でうるさく鳴り響く目覚まし時計を、腕を伸ばして止める。
男はあくびをして、ベッドから起き上がる。
「ん……痛っ。」
先週末の土曜日の訓練が響いているのだろう。落とし穴に落ちたときに身体をぶつけていた。
また、その後の戦闘でも、軽めの怪我をしていたため、体中が痛い。
「……会社、行かないと…。う゛。クッソ…。」
何とか動き始め、身支度を整える。
着替える時に見てみたが、彼の体の至る所に出来た青あざはまだ消えていない。
とりわけ左わき腹のあざはまだ大きかった。
昔はもっと治癒が早かったように思う。……歳は取りたくない。
キッチンへと移動する。
コーヒーメーカーのスイッチを入れ、トースターに食パンを2枚放り込む。
冷蔵庫からバター、牛乳、卵を取り出し、オムレツを作る。もう片方のコンロでウインナーを炒める。
そうこうしていると、パンが焼きあがった。
男は慌ててトースターから取り出す。
「昨日マーマレードだったし…苺にしよ。」
焼けたパンにバターといちごジャムを塗る。
全てを器に盛りつけ、冷蔵庫からコンビニのサラダとヨーグルトを取り出して、トレーに乗せてテーブルまで運ぶ。
「いただきます。」
朝はしっかり食べる派だった。
食事を終え、時刻を確認する。
伊達メガネをかけてネクタイを結び、ジャケットを着用する。
黒のメッセンジャーバッグを持ち、靴を履いて家を出て、自転車で会社へと向かった。
叶うなら会社の近くに住みたかったのだが、身バレ防止のため会社から少し離れたところに住み、自転車で出社していた。
この男――
今から10年前、中学生…まだ15歳だった頃、突然FBI職員に拉致され、FBI top secretとして働くことになった。
それ以降はFBI top secret 003番の
当初は日本にあるアメリカ大使館を拠点として活動し、訓練していた。翌年からはアメリカに住みながら日本と行き来し、5年前にはアメリカに引き上げていた。
中学卒業後はアメリカの学校に通いながら、大学卒業後はエリックさんに頼み込み就職を許可してもらい、アメリカの企業で働きながら top secretとして活動した。
今年の2月に諸事情からtop secret全員が日本へと動くことになり、
その会社が、ここ――藤井商事株式会社だ。
「おはようございます。」
「おはようございます!」
オフィスへ入り、挨拶をする。
挨拶は多方向から返ってきた。こちらも挨拶を返す。
パソコンの電源を入れ、デスクに荷物を置く。
――いい時間だな。さてと、今日の仕事は…あ、メール入ってるわ。うわ、懐かしい。
メールの送信主は、以前勤めていた会社の同僚からだった。
常にドーナツを食べていて、生活習慣病に罹らないか心配になった、アイツだ。
半年前に転職してから疎遠だったが、元気そうだ。
日本で派遣登録をした後、紹介されたのがこの会社だった。
以前務めていたアメリカの企業と取引があり、仕事でよく連絡していたのだ。
懐かしいなと思いながら引き受けてみると、関わりがあった部署に配属された。
この部署に勤める人とは「あ、俺も日本人なんで日本語でいいですよ~。」とか言いながら、電話やメール、ビデオ通話でやり取りをしていた。
そのためまず名前でバレて、顔と声で特定され、すぐに打ち解けることができた。
ゆえに入社して2ヶ月目だが、知り合いが多く、人間関係が楽で助かっていた。
そして――
「
「遥――
声をかけてきたのは同い年の女性、
藤井商事株式会社の正社員だ。
彼女とも関わりが深く、前の会社に居た頃から黒瀬は彼女に惹かれていた。
自分がtop secretということもあり、一定の距離は取っていたつもりだった。
だが、この会社に派遣された先月末に、遥香から告白されて付き合うことになった。
会社では付き合っていることを公にしていないので、挨拶をする程度にとどめている。
――
---------------
終業後。
料理もデザートも美味しく、大満足だった。
「あー。今回の納期、なんとかなって良かったー!」
「本当。海路止まらなくて良かった…。」
「船が出せないって言われたときはどうしようかと思ったよ……。ヘルプ、本当にありがとうございました。」
「いやいや、以前仕事でやり取りしていた相手だったから、間に入れたまでだよ。損害出なくてよかった。」
「本っ当にそれ!!あ、奢りますので!!」
財布を取り出すと、遥香に止められてしまった。
だが、
見事な手際に、遥香は一瞬固まった。
「え。」
「俺が払うよ。……付き合ってるんだし。彼女くらいには奢らせて?」
top secretの給料を貯めているので、派遣だろうが無職だろうと生きていけるのである。
フルタイムで仕事をしているのは、FBI top secret だけをしていると精神や人格が歪みそうだからという理由だった。
実際、FBI top secret 002の霧雨が大学卒業後に専業として働いた結果、一度メンタルが崩壊しかけ、その後保育園に就職して持ち直したという経緯があり、精神バランスの為と申告するとすんなり認められた。
なので、本当にお金には困っていないのだ。
遥香は副業をしていない。
無理して奢ってもらうより、こちらが支払っておきたかった。
…好きな人の前でカッコつけたいというのもあったが。
「!?う……。じゃぁ、お、お願いします。…ありがとう。」
「どういたしまして。さ、返ろうか。」
計磨は遥香を言いくるめることに成功し、心の中で安堵した。
レストランを出て、街を歩く。
会話しながら、遥香を駅まで送って行った。
付き合い始めて日が浅いため、会話はどこかぎこちない。
「じゃ、また明日。」
「今日はありがとう!また明日!」
遥香と別れ、駅近くの駐輪場に自転車を取りに行く。
行き帰りが自転車の為、飲酒はしていない。
いつtop secretの仕事が入るか分からないというのもあり、飲酒を控えているのもあるが。
自転車にまたがり帰路についていると、電話が鳴った。
top secret――仕事用のスマートフォンだ。
自転車を停め、周囲を確認し、電話に出る。
電話の主はICPOの
「――お疲れ様です。」
《安井よ。XX市のOOビルまで急行して。令状はないから執行はあなたの判断になるけれど。》
「――?どういうことですか?」
《あなたが現場に一番近いからよ。通報があった不審人物が、粛清対象者候補の可能性がある。すぐに現場に急行して。基本、生け捕りでいいわ。》
「わかりました。急行します。」
通話を切り、近くの駐輪場に自転車を停める。
――監視カメラのない場所…あった。
川の近くの橋の下に身を隠し、周囲を確認する。――よし、いない。
メッセンジャーバッグを地面に下ろし、中からパソコンケース程の大きさのポーチを取り出す。
「遥香が居なくて――いや、遥香の家の方向じゃなくて良かった。」
「FBI top secret ! 」
声紋認証でポーチのロックを解除する。
ロックが解除され、中から
紫の色味を帯びた黒色のシンプルな長袖長ズボンまではいい。
だが、宝石を彷彿とさせるホログラムのような偏光する素材の前開きのベスト、頭と腰に付けた細いチューブのような交差する革ひも、エリックさんに渡された同素材のネックレスが個性を前面に押し出していた。
特にベストは隠れる時に邪魔すぎるが、防弾防刃性能があるようなので、忍び込む必要がある時は裏返しに着ることにしている。
本来なら靴はアサルトブーツにしているのだが、さすがに会社に持って行ってはいないため、今履いている黒の革靴で行くことにした。
黒
手鏡とアイシャドウを取り出す。
目の周囲にぐるっと、まるでパンダのように、紫の色味を帯びた黒色のアイシャドウを塗る。
ポーチの中から得物を取り出し、腰に装備する。
先端から出る火花で相手を感電させ、粛清する。
奇しくもICPO top secret001の
この棒は鋼鉄製で、連結部分を外せば三節棍として使用でき、折りたためるため持ち運びも容易だ。
耳にインカムを付けて…これで完璧だ。
着ていたスーツは鞄にしまい、特定のコインロッカーに鞄を預ける。
「――さて、行きますか。」
---------------
通報があった現場には、一人の女が居た。
金髪碧眼の西洋の顔立ち――ロシア人だろうか?20歳は超えてそうだ。
髪型はサイドテール(左側)で、毛先は緩くカールしていた。
頭には赤色無地のヘアバンダナを、ファッションアイテムとしてカチューシャのように巻いている。
だが、彼女の恰好は白地に赤いラインの入ったジャージだった。
少々お洒落とは言い難いが、機能性と動きやすさ重視なのだろう。
手にはスナイパーライフルを構え、ビルの非常階段の踊り場から今か今かと狙っていた。
狙われていたのは某大臣。
料亭にて会食後、車へ乗るタイミングだった。
「もーちょい…。そそ。OK、OK、その感じで~。
ガァン!!
「はい、ストップ。」
近くに観測手が居ないのは確認済みだった。
女は焦って飛び退き、黒磨と対面する。
「
「答える義理はないよ。お嬢さん。…って、日本語わかるのか。」
そう言いながら、スマートフォンで相手の顔写真を取り、素早くエリックさんに送信する。
「!!」
女は写真を取られたことに焦るが、腰からナイフを取り出して、スナイパーライフルに装着しようと試みる。
だが、
距離を詰め、武器の先端から走る火花で感電させる――が。
「いったあああい!!!」
どうやら効きが甘いようだ。
今回の任務は粛清ではないため、弱めにしたのだが…もう少し強いほうが良かったのかもしれない。…以後気を付けよう。生け捕りは難しい。
女は舌打ちをし、
風向きの都合上、一旦階段を駆け上がり距離を取る。
女はその隙にスナイパーライフルにナイフを装着し、銃剣で応戦してきた。
――マジかよ!強い!!
だが、女はかなり強かった。
下手したら相打ちになりそうだった。
他に武器があれば違っただろう。
だが、毎日会社に銃や爆発物を持って行く気にはなれなかったので、手持ちの武器が少ないのだ。
何度か打ち合っていると、エリック司令から通信が入った。
《
「え――!?
すると、今度は安井司令の声が響いてきた。
《
《安井司令!?だめです!相手は【
《【
安井司令の様子がおかしい。
確かにあの人は変わっていて、ICPO勢からも嫌われてはいるが、ここまで取り乱す様子は初めてだった。
現在、FBI top secretはICPO top secretと合併し、ICPOの安井司令の指示に従うことになっている。だが、エリックさんは引くよう要請している……。
このまま闘っても勝ち目がないため逃走に切り替える。
生きて情報を持って帰ることを優先した。
「――ッ!!」
タクティカルライトで相手の目を潰し、現場から逃走する作戦だ。
数段上の踊り場の手すりにワイヤーを引っかけて、非常階段から飛び降りた。
適当なところで手すりに捕まり、ワイヤーを切って、地面へと飛び降りる。
受け身を取ると、上から銃弾が降って来た。
心もと無さすぎるが、ヘルメット代わりにはなるだろう。銃弾が頭を貫通しなければそれでいい。
必死に闇に紛れて走った。
追いかけてくる気配は――ない。
現場から離れたところで周囲を確認し、エリックさんに連絡を入れる。
《
「わかりました。鞄を回収し、着替えて戻ります。」
---------------
ICPO日本支部に着くと、他のtop secretも続々と到着しているようで、人の気配が多かった。
鏡を見てアイメイクに問題ないことを確認し、ドアを開ける。
「あ、お疲れ様です!」
「お疲れ様。」
「あ、お疲れ様ー。」
「黒磨のお兄ちゃん!こんばんわにゃー!」
ICPO top secret 009の
全員更衣前で、私服が新鮮に感じる。
Σと忍は師弟関係で、霧雨と斎槻は親子なので一緒に居るのはわかるが、この4人がまとまって来るとは珍しい。
たまたま一緒になったんだろう。そう思うことにした。
ラウンジへと向かうと、ICPO top secret 003の
どうやら彼が一番乗りのようだ。
「お疲れ様。早いんだね。」
「お疲れ様。……僕はここに住んでいるからね。」
「えっ。マジで?」
……どう見ても殺死屋はまだ中学生くらいだ。家に帰らなくていいのか?
「仮眠室で暮らしているからね。……これ以上は詮索しないでくれるかな。個人情報のやり取りは禁止だって知っているでしょ?」
「悪い。踏み込み過ぎた。」
殺死屋はこちらを一瞥した後、何もなかったかのように再び日本茶をすすった。
「お疲れ様です。――あ、黒磨。お疲れ。」
「十字石!お疲れ。」
次に入ってきたのはFBI top secret 001の
十字石は黒髪黒目の短髪(ベリーショート)の大学生1年生だ。
彼の戦闘衣装はパンク系。
白のワイシャツに黒のズボン。前開きのジャケットの丈は短く胸の下くらいの位置だ。前面の左右共に赤色の十字架がでかでかと縫われている。
ワイシャツの衿は立てて、第二ボタンまで開けていた。
首には十字架の付いた、光沢のある革製のチョーカー。
頭にはパンク系の猫耳帽子(四角い袋をそのまま被ったかのような見た目の帽子。)を被り、ジャケットと同様に赤の十字架が縫われている。エリックさんに貰った十字架のピンバッチを帽子に装着していた。
得物はモーニングスター。ジャケットの内ポケットに持ち手をしまい、腰の右後ろに先端を留めていた。チェーンの色は光沢のない鈍色で、かなりゴツい。
靴は赤色の
この前のΣが掘った落とし穴に見事に引っ掛かった中で、心理的ダメージが一番大きかったメンバーでもある。
FBI top secretの001~003までは入隊時期が同時の為、かなり仲が良い。
「今日の現場が大変だったって聞いたが、何があった?」
「今回の緊急招集はその話がメインだと思う。端的に言うと闘った相手がRemembeЯだった。」
「――!!」
十字石が目を見開く。
同時にtop secretが次々とラウンジへと入ってきた。
「お疲れ様です。」
エリックさんや安井司令も入ってきて、全員が揃った。
「では、緊急会議を始める。集まってもらった理由は1つ。
RemembeЯと聞き、top secretの表情が険しくなる。
だが、その中で理解できていない者が2名――Σと斎槻だ。
「あの……質問良いですか?
「ぼ、僕もわかんないにゃぁ……。」
恐る恐る、といった感じでΣが手を上げ、斎槻もそれに便乗した。
「は?――ああ、そういえば2人は靴はtop secretになって日が浅かったわね。」
安井司令の目つきが鋭くなり、二人を睨む……が2人の現状に思い至ってやめたようだ。
エリック副指令が横から説明を入れる。
「あ、では僕から説明しますね!
「表向き……ですか?」
「本当は、皆さんと同じ
「あの……Wählen Leute《ヴェーレンロイテ》って……?」
「……それは……普通の人とは違う――」
「人の皮をかぶったバケモノの事よ。もちろん、あなたたちもね。」
「――安井さん!!」
安井司令の目は冷たい。凍えそうなほどに。
エリック副司令に注意され、安井司令のまとう空気が多少和らぐ。
top secret歴が長い人の間では、この理不尽な扱いは常識のため、上手く呑み込んでいる。
「……だからこそ、普通の人では敵わないのよ。」
「……ちなみに、Wählen Leute《ヴェーレンロイテ》のことは公表されていません。Σさんが知らなかったように、ニュースなどで取り上げられることは一切ありません。表に出ると……世界が変わってしまうので。現に、第二次世界大戦の原因にもなりましたから。」
「そんな……そんなのって……!!私たちは人間です!!」
「……Σ。それ以上はやめたほうが良いよ。その理屈が通じるなら、誰もここに居ないから。」
「君だって、もうこちらの人間だよ。それに……。身をもって知ってるでしょ。」
「ルナ!?殺死屋も……。どうして、ですか……っ!?」
「……すみません。司令。後で言って聞かせますので。」
ICPO top secret 007の魔女っ
忍がΣを庇い、フォローした。
その様子を見てΣは混乱していた。
「――まぁ、いいわ。ちゃんと仕事をしてくれるのならね。」
「はい。――Σ、後で時間くれ。話がある。」
「師……匠……。……はい…わかり、ました。」
忍がフォローし、安井司令が見逃した。
大事にはならずに済みそうで、top secretは安堵した。……仲間を殺すのは勘弁だ。
やはり、苦しいのだろう。最初は俺もそうだったし、何なら3人でメチャクチャ反抗した。
だが、どうあがいても変わらないことが分かり、とっくの昔に諦めた。
そういう意味では
賛同したらどうなるかなんて、目に見えている。
Wählen Leuteに自由はないのだ。
「……本日黒磨君と戦ったのはリゼットという女性スナイパーです。元KGB top secret だったという噂もあり、実力も相当あるようです。」
「黒磨君が勝てなかった理由ですが、
「だからこそ、明日から朝練を始めるわ。……先に今後の方針の話しになるけれど。今までは基本的に個人戦闘だったけど、相手がRemembeЯなら話は別。チーム戦が必要になるの。……開始は毎朝5時。3日以内に実力とバランスを考えてチームを組みなさい。話しは以上よ。じゃぁね。」
言葉を言い終えたとたん、帰ろうとする安井司令に殺死屋が待ったをかける。
今帰られては困るのだ。
「ねぇ、安井司令。開始はいつ?」
「明日からに決まっているでしょう。遅刻したらお仕置きよ。」
「……もう23時になるんだけど……。わかった。明日朝からだね。」
急すぎる。
だが、相手がRemembeЯなので仕方ないのだろう。
「では、解散。」
そう言い、再び安井司令は帰宅した。
「僕は仮眠室で残りの貴重な睡眠時間を堪能することにするよ。おやすみ。」
そう言い残し、殺死屋が退室する。
会議が終わり、ざわつくラウンジの中で声をかけてきたのは霧雨だった。
「……とんでもないことになったねぇ。まぁ、合併の理由が対RemembeЯだから、いずれこうなるとは思っていたけれど。」
「
「社会人組は辛いよねぇ……。まぁ、頑張ろ?――
「うん!
「お、ばいばい!また明日。」
斎槻は手を振りながら、霧雨について退室した。
忍はΣを連れて仮眠室に移動していた。
明日から大変になりそうだ。
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