うちの悪役令嬢《義妹》はスローライフ主義

汐川ナギサ

序章1 『親父が待つその部屋で』

 ――俺が10歳の頃だろうか、父が再婚相手を連れてきたのは。

 

 初めて会ったその時、母親となるその人の後ろに小さい女の子が、常に隠れるように俺を見ていたことを幼いながら鮮明に覚えている。俺が挨拶をすると、少し会釈をしてすぐ母親の後ろへ引っ込んでしまう、そんな子。初めて会った日のアヤセは妖精のような、そんな印象だった。


 その日から約三年後、アヤセの母親が亡くなった。そして今年、父親も。父親が最後に残した一言。その一言から、アヤセは変わってしまった――


 

◇◆◇



(……朝、じゃないのか……)

 

 いつもより異様に早い起床を迎え、ナツキは渋々瞼を開けた。

 何やらドアの向こうが騒がしいので普段は二度寝を許してしまう瞼も我慢の限界で開いてしまったらしい。普段は気味の悪いくらいに静かな部屋なのだから、こうもうるさいと目が覚めるのも仕方がないか。


 というのも、ナツキの部屋は二階の一番端で、ホールや客間からもっとも離れている上にあまり客人やメイドが通ることのない場所。向かいの部屋には幼い頃に離婚した両親の部屋があるが、今は病で寝たきりの父親の部屋に、その隣の死別した再婚相手の部屋は、今は開けるのも嫌な足の踏み場もない物置部屋になっている。

 そう、そんなそれなりに居心地が良くて、鳥のさえずりと父の寝息が聞こえるほどの静かな場所だというのに、こんな真夜中にここまで騒がしいのは違和感を覚えずにはいられなかった。

 

 その騒がしさ故に珍しく目覚まし時計に起こされることなく目が覚めたナツキは、まだ眠い目をこすりながら窓を見た。まだ外は暗い。時計を見るとまだ午前の三時前後。――二度寝はできるんだけどなぁ……。


(このうるささじゃ眠れそうにもないな……)


 おそらくうるさいのは向かいの部屋だろう。黒電話のダイヤルを回す音やメイドの慌てた声、執事は電話越しに何かを話しているのだろうか。なにも今更慌てることはないと思うが……。というより直前になってこんなに慌てるようなことになったのもすべて父親が蒔いた種なのだから仕方がない。


 あれだけメイドが弁護士を呼んで何度も遺書を書かせようとしたっていうのに、自身の死について何も考えないのだから残された側からしたらどうしようもない。おそらくついさっきまで電話をしていた執事もそれらに関わる話だったのだろう。あるいは次期当主候補全員に招集をかけていたのかもしれない。


 

 ――『次期当主』。それはユキシマ財閥一族にとって、そして危篤の父にとっても避けられない、財閥としての今後を大きく左右される話題だ。

 


 このユキシマ財閥にとって次期当主は誰か。遺書もない、現当主もその話題に一切触れないからこそ、ユキシマ財閥の一族は、本家、分家関係なく次期当主の座を狙っていた。そしてとうとう分家に使えるメイドまでが名乗り出た始末だ。もうここまで来ると色々面倒で関わりたくないのだが……と、ナツキは肩を落としながらため息交じりにベッドから立ち上がった。


 

 ――ガタ……ガチャガチャッ…………ガチャガチャガチャガチャガチャガチャ……


 

(えぇなになになになに!?)


 ナツキが立ち上がったところで、さっきまで寝ていたそのベッドの下から何やら不審な物音がした。何か扉を無理やりこじ開けようとしているような鉄の硬い音。

 

 ――ドンドン……ドンドンッ……ドドドドドドドドドドドド


 今度は扉を叩くようなそんな音、それも連打で。ナツキは恐怖のあまりベッドから離れた。


「……けて、あ……て…………けて……」


 かすかにベッドの下から声がする。この部屋の下は妹のアヤセの部屋だ。

 ナツキは恐る恐る元いたベッドに近づき声を確認する。


「……けてよー、ねぇぇおにい開けてってば、あーけーてー」

 

「……て、お前かよ!」


 と、ツッコむまでに三秒ほど時間がかかったのはこの状況の理解に少し時間を要したからで。

 

 しかしついさっきまでの恐怖は何だったのか。いや、なぜベッドの下に人がひとり通れるような扉があるのかまだ恐怖なのだけれど。まあそれは妹にといただすとして。


 ナツキは、その扉がみえる位置までベッドをどかした。そこにあったのは鉄でできた正方形の扉。ナツキはその頑丈そうな鉄の扉を開けてやった。


 

 ――ガチャ



「おにい、おにいってば! やばいよ! ねえ大変なんだよぉ!」


「ちょ……いいかアヤセ落ち着け……静かにしてくれ。てかなんでそこから出てきたんだよ。俺はそんなところに扉があったなんて知らなかったんだが?」

 

「元々あった……これ、おにいの部屋と梯子でつながってる」

 

「なにそれ初耳」


 そう言いながらアヤセはネグリジェのお尻の部分を抑えながらベッドにちょこんと座る。


「で、私の小さな体で頑張った、のはいいけど……扉が重かったから……開かなくて……」


「お前は貧弱かっての。というか、なんでわざわざそんなところから上がってきたんだ?」

 

 満16歳とは思えない非力さに驚きはしたが、運動不足なことを考えると納得いくような気がする。

 それより納得がいかないのは、妹の行動の方で。もとより館には両端、そしてホールにも階段があるのだから、そこから二階に来られたはずだ。


「そう、そこだよおにい。来てるんだよ。下に! 一階に私が会いたくない人たち全員集合って感じなんだよ!」


「……あー……な、なあ、ちなみにそれってもしかして……」


 ナツキの予想が正しければ最悪の場合、ユキシマ財閥一族内での全面戦争も避けられない。そんな危機的状況が迫っているからこそ、互いに緊張感を感じた。


「うん。一族の次期当主候補が一階にそろってる……」


 この状況。アヤセが次期当主候補の連中を避けて二階に来るのもわかる気がする。義妹ながらに次期当主候補選に絡んでいるとなると何を言われるか分からない。リスクを考えるとそれが正解だろう。

 でも正直メイドまで候補って言うんなら今さら義妹だのなんだの関係ない話だ。

 

「私が聞いた限りだと、ベヨネッタおばさんと市長のおじさん、そしてお父様の弟さん。確か昔、他の財閥に寝返ったとかの。あとは……あ、ラティアちゃんの声も聞こえたと思う。」


 ベヨネッタおばさんというのは、父親の姉にあたる人でユキシマグループのブルックスハウゼン銀行会長。市長のおじさんというのは、ベヨネッタおばさんの旦那のヴィルバイド市長の事だ。まあいずれも性格は破綻しているが。それはそうと、ラティアって……


「ら、ラティアってあのメイドか……」


「そう。ラティアちゃん。ラティアちゃんは可愛いよ……あのビジュとメイド科トップの成績。まったく、うちのメイドがラティアちゃんなら良かったのにぃ」


「いやいらねぇよ。こちとら幼馴染ながらあいつに酷い目に合わされてんだよ。そりゃ一生モンのトラウマ植え付けられて。はぁ……あれ以来、未だにあいつの考えてることがちっとも分からねぇよ」


 まだナツキが初等部の頃、橋のない小さな小川を渡りたかったラティアは何を思ったのか、いきなり蹴り倒し、それを橋にして渡り始めるという。それだけじゃない、屋敷の一階の窓を全部割った罪をナツキに擦り付けたり。いや、そもそもそんなことを思い出したくもなかったり。

 正直、あそこまでの無表情ドS気質変態脳筋メイドは見た事がない。一体誰の癖に刺さるんだよあの癖キャラは。いや、少なくともアヤセには刺さってるのか。多分。ナツキは自分自身で妹の癖に勝手に納得して頷いた。

 

 と、いつの間にか変態メイドのどうでもいい話になっていたところで、ナツキの部屋のドアが開いたのと同時に中性的な男の声が響く。


「ナツキ様。あ、アヤセ様もこちらにいらしたのですか。御二方、お父様がお呼びです。恐らく……最後になるかと」


 先程まで電話をしていた執事が真剣な口ぶりでそう伝えると、一礼をして部屋をあとにした。

 屋敷全体が重苦しい空気に包まれる中、ナツキは思わず息を飲んだ。最初から覚悟は決まっているはずだったのに。そうナツキが情けない顔を浮かべたとき、背中を支える温かくて小さな感触がした。


「行くよ、おにい……残念だけど、その時が来たってことなんだよ。ここからが本当の戦い……おにいのこと信じてるから」


「……おう、ありがとなアヤセ。――んじゃま、行くとするか。親父が待ってる」


 そう言うとナツキは、幼い頃に見た物語の王子様のように、立ち上がってアヤセに手を差し伸べる。


「っもうおにい……ちょっとはかっこつけさせてよ! もうっ!」


「ん? なんのこと?」


「なんでもないっ!」


 アヤセは少し不満そうにナツキの手を取り、二人は父親の待つ向かいの部屋へと向かった。


 

◇◆◇


 

「――遅いわよ、このアホ面馬鹿頭とその妹。いつまで待たせるのかしら。もう皆が集まっているというのに」

 

 部屋には、顔を見るだけでもどことなく腹が立つ変態ドS畜生メイドを筆頭に、当主候補の面々が父親を囲むようにそこに居た。

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