星渦のエンコーダー《スターメイズ・エンコーダー》
山森むむむ
第1話 電子の海を駆ける少年 光の象徴たる輝きを見つめて
光の装飾が
ビビッドな色彩の草原や山脈が広がる仮想空間は、現実では見られない美しい景色で満ちていた。空は選手たちのパフォーマンスに合わせて夜空に花火を咲かせるように変化する。
選手たちが領域を駆け巡る姿は、無為なゲームではなく、電脳技術と人間の可能性を探求する冒険者の象徴なのである。
『今日も
実況が電脳空間上の会場に響き渡り、見るものの心を高揚させる。ネオトラバース実況の分野で、このアナウンサーは的確な言葉を紡ぐ実力が高く評価され、今日の試合を受け持っていた。
領域上の座標に降り立った柳の周りでは、無数のデータパーティクルが彼の動きに応じて舞い上がり、光の軌跡を描く。
軽やかに翻るファブリックとその仕様によるエフェクトは、硬いシルエットで構成されたこの電脳世界上で、存在をより強く印象づけていた。
『選手が登場するステージに走る、その精神と肉体を象徴する光とエフェクト、そしてエンブレム。これが彼らと、
それぞれのエンブレムが、スタート地点の台座前に掲げられる。
東雲柳のエンブレムは、深淵なる心象世界を象徴するかのように深い、東雲の海を思わせるグラデーションに彩られている。柳という名前に因んでのものなのか、枝葉が茂るフレームが氏名を構成するフォントの周りに配されている。それはどこか、生物の翼の骨格を思わせるフォルムを形作っていた。
対する相手選手のエンブレムは、固く重い石をモチーフした硬質なものである。その胸に光る石は、彼の揺らがない心と迸る力の象徴のように、柳に対峙していた。
この試合を観戦するため、電脳空間上に存在する無数の観客たちのアバターも、現実世界からモニターを通して見守る人々も、今か今かと試合開始の瞬間を待ち、座席に座っていた。
『いやあ、盛り上がっています。注目選手二人の対決とあって、インターネット上での実況もものすごい速さで流れていきますね!』
二人の選手、一人は速さと正確さで知られる新進気鋭の
『東雲選手。今日はよろしく』
「ええ。よろしくお願いします」
一瞬視線を合わせ、逸らす。
東雲柳は目があった瞬間僅かに微笑んだが、相手選手が集中して試合に挑もうという厳しい雰囲気を醸し出すのを見て取ると、すぐに目標地点であるゴールゲートに焦点を合わせた。
銀色の瞳が、光を放つ。
その眼光は先程の微笑みとは似ても似つかないものへと、変化している。刃物のように鋭利で、氷のように冷たかった。デビュー戦から数回の試合、全ての試合に勝ち続ける新人選手。だが彼はそれを感じさせないほどの落ち着きを見せていた。一人の観戦者は直感した。東雲柳は逸材だと。
『さあ、両者スタートラインに立ちました。集中しています。緊張の一瞬……』
試合開始の瞬間は、特徴的な電子ブザーが鳴り響くことで告知される。
『運命のスタートです!』
その音がフィールド内外に満ちることで、選手も観客も一気に緊張感に包まれた。
東雲柳は瞬く間に動き出し、
重い打撃を活かして勝利するには、まずその力で東雲柳の進路上の仮想物理法則を書き換えなければならない。フロアや壁、障害物がその対象として認められているが、今は宇宙空間を模しただだっ広い
幅がかなり広く障害物が少ないため、実質的に打撃の対象は、エフェクトをはめ込んだように空中に作られたこの透明でフラットなフロアに限られている。一応は空間認識のため、等間隔にドットが組まれたものだ。狙いを定める時、角度が悪ければ無駄撃ちになる。それに選手へ当ててしまえばアウトだ。
これが、相手アバターへの直接的攻撃が禁じられているこの競技で、相手への妨害を高度なトリックであると位置づける選手が多い理由であった。
打撃をアバターに文字通り「当てる」方が、遥かに簡単なのである。
しかし、これは殴り合い、格闘技ではない。
『当たれ!』
対戦相手は、グローブ型の装備から放たれる強烈な一撃を狙った。
空間に浮かぶ無数の電子ダストを打撃というトリガーで書き換え、硬い打撃音と共に東雲柳の降り立つ地面を次々にクレーター化してゆく。
この競技のルールは単なる殴り合いに発展した選手の片方がアバターを損傷し、試合続行不能により殴ったほうが勝利するというエンディングを防ぐために設けられたものだ。
『大きなクレーターが東雲選手の行く手を阻まんと、衝撃音と共に生成されていきます! 極薄の装甲を翻してかわしてゆく! 新人らしからぬ落ち着きを見せるが、果たして!?』
実況が試合を盛り上げる。
「……ふ」
東雲柳はそれを微笑んで楽しみながら、クレーターの生じる空間を足先で跳ね除け、新たに生成した最適ルートにステップを繋いでいった。
左右に振られていた進路が徐々に狭まり、彼方の惑星をデフォルメした台座にあるゴールゲートに焦点を合わせていた。あれを潜ったほうが勝利だ。
現実世界では不可能な方向へ向かって東雲は宙返りした。そして体を捻って着地し、相手選手の打撃は明後日の方向へ穴を開ける。妨害が失敗したということだ。
軽重力の空間はスピーディーな試合展開と妨害エフェクトの派手な展開が望め、人気が高い。デビューから間もない試合の場をこの
『打撃やめるか?!』
相手選手はサポートメンバーと通信している。彼は打撃に気を取られて思ったよりコースを進めていなかったようだ。
違う選手なら妨害に怯んで足を遅らせることができる戦法と言えるが、東雲柳は走れる選手らしい。
非暴力を娯楽へと昇華する。電脳空間は、
「……痛そうですね」
東雲柳は僅かな隙を見つけては妨害を避け、反撃の隙を伺っているのだろう。
『くそ! 速いな……』
この相手選手のグローブは重いが、その重さを物理法則の波に乗せて一息に彼方のゴールゲートへ近づくことができる。
『ふん!』
巨大な見えない振り子のように、彼は領域上を一気に駆け上がった。
『おおっ! 独特の加速方法! これで彼は数々の勝利を手に入れてきました。今回もその戦法が勝利へとつながるのでしょうか! 注目です!』
足元に入っている加速機構も併用しているが、彼のこの独特なショートカットによるスピードは、東雲の戦略上厄介な要素として認知されているだろう。東雲は呟いた。
「速い? ……あなたも」
はるか彼方にあるゴールゲートを潜ることを目指す彼らは、一刻も早くスピードに乗る必要がある。
子供の世界で言えば徒競走、障害物レースのようなシンプルなルール上に成り立つ。そこに各選手の戦略や戦術が乗り、娯楽性として機能しているのだ。
だからこのスポーツは確定的要素が少なく、面白い。試合前のインタビューでの発言によれば、東雲柳はそう考え、今までの人生をこの競技への情熱で突き進んできたという。
ショートカットにより東雲の直ぐ側を飛び越え、ルール上一回の飛行に認められた距離のギリギリの座標に到達した相手選手は、更に駆け出した。
そして振り返り、東雲に向けてまたクレーターを複数連続して生成していく。
「あっ……ッ、はは……」
彼もまた相手の重たい打撃が繰り出されるたびに、それをかわすのに全精力を注ぐ必要があるようだ。しかし笑っている。その理由が観戦者はわからない。
直接的攻撃の禁止。それは領域内の物理法則という要素を挟んだ干渉を受けるということを意味しており、直接攻撃よりもかえってプレイヤー同士の動作の予測を難しくしていた。
『この試合展開で笑っていられるのか、あいつは!』
試合は互いに攻撃と防御を繰り返し、息もつかせぬ緊迫感の中で進行していった。
しかしゴールゲートへの距離は今は相手がリードしており、東雲柳にとっては勝利が難しいと、その場にいた誰もが思っていた。
「あ……いえ、すみません。おかしくて笑っているわけではないんです」
その瞬間、外套が翻り、中のアバター本体の姿が明らかになった。
『なんだお前、その……』
「……珍しいことではないでしょう。あなたも事前に告知された資料に、このアバターのビジュアルは入っていたはず」
柳は一瞬の隙も見逃さず、相手の攻撃を躱しながら距離を詰めた。
基本的なクリアシールドを展開し、走り抜け追い越しながら不意を突く技を何度も放つ。鋭い風と共にシールドが出現し、相手は進路を阻まれそうになる。
『お前、打てたのかよ!』
対戦相手も負けじと自身の強力な打撃で圧倒しようと試みるが、東雲の素早い動きに翻弄され、なかなか手が届かない。
「告知、されていたと思いますが……」
試合が進むにつれて、柳の戦略が徐々に効果を発揮し始める。
繰り返しのショートカットと、狙いを定めての空振りの繰り返し。
精彩を欠いた領域への物理干渉が狙いを逸し、領域外への宇宙空間へとグローブごと『落下』しそうになる。
『おわっ!?』
『あーっ! 落下……する、か?! いや、既のところで逃れたーっ!』
彼はグローブを勢いよく振り上げ、そのまま元の地点まで跳ね上がった。しかしその動作が、思いもよらない事態を引き起こす。
元々進路妨害を目的に発動させたギミックが、東雲のアバターへの直接的攻撃にもなりかねない角度へと暴発していた。
いや、間違いなく東雲柳へと電子ダストのインパクトが到達するだろう。
まるで隕石が彼を目指して宇宙を横切るように、グローブから伝った軌跡が赤く光って直線を作っていた。観客席がどよめく。当たってしまえば反則負け確定だ。
『東雲! 避けろ!』
東雲の動きは、この仮想の世界でさえ物理法則をあざ笑うかのように軽やかだ。
『危ない! 東雲選手の方へとグローブの衝撃が──────』
そこに彼はいなかった。その指先が空を切るその時、彼はグローブの衝撃波の行き先と全く違う座標に立っている。
「足元……」
『……え?』
インカムを通して遠くから、低くつぶやくような声が聞こえた。
一瞬の出来事だ。
コン、と領域上の浮遊ブロックが位置を変更され、相手選手の身体は安全な地点まで後押しされる。これは間違いなく、東雲柳の采配だった。
絶え間なく動き続けるこの
次の瞬間、高く飛び上がって慣性のまま空中に浮かんだ東雲の体は、加速機構によってトップスピードに達し、ゴールゲートを弾丸の如く貫いた。
『勝負あった!春のネオトラバースバトル、今回の勝者は白き死神、シノノメ・ヤナギ────────!』
試合後、相手選手は息を整えながら握手を求めた。
「……はあ……すみません……足元、お気をつけくださいと言おうとしたのですが。どうも試合中は、言葉が続かなくていけない」
東雲は握手を求められ、応じる。負けたことの悔しさや東雲への称賛より先に、しかし相手選手の視線は、東雲柳のアバターの胸部へと釘付けになっていた。
「……いや、強かった。また当たったら頼むよ」
「こちらこそ、楽しかったです。ありがとうございました」
相手選手の胸部は、その心の象徴である最も重く硬いと言われている石__橄欖岩が深く差し込まれている。
対して東雲柳の白いアバターの胸部は固く閉ざされ、まるで心の内を見せることを拒むかのように、厚い装甲に覆われていた。
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