4杯目 ブロンクス



神谷氷見子はとあるバーでアルバイトをしている。

 

その日、氷見子のアルバイト先は定休日だった。1週間ぶりの休日を有意義に過ごしていると、そこへ訃報を知らせる電話が鳴る。それは22時のことだった。

氷見子は急いでアルバイト先へと向かう。


「高山さん、一体何があったんですか? なんで社長が……」

その店の常連でもあり、バーの主人と幼馴染でもある刑事の高山から話を聞く氷見子。


「氷見子ちゃん……」

高山が氷見子の顔を見て俯く。


「なんでですか。なんで社長が……」

氷見子が取り乱した様子でたて続けに質問する。

「今それを調べている」

「本当に社長は死んじゃったんですか?」

「あぁ。本当だ」

「どうして?」

「青酸系の毒物による中毒死だ」

「いつ?」

「死亡推定時刻は本日の20時から21時頃だそうだ」

「自殺……なんですか?」

「まだ分からないが、飲んでいたと思われるワインから毒物が検出されたよ。そして、カウンターには教助が飲んでいたと思われるグラスと、さらにもう1つワインが注がれたグラスがあった。それが誰のグラスなのかは分かっていない」


「じゃあ、他殺の可能性もあるってことですね……」

「一応聞いておくが、今日の20時から21時頃どこで何をしていたかな?」

「友達とカラオケにいました」

「ここからどれくらいの距離のカラオケかな?」

「歩いて30分、車で10分くらいでしょうか」

「その友達にも来てもらうことは出来るかい?」

「まさか、私疑われてるんですか? 私には動機がありません!」

「それは分かっているが、これも捜査の一環なんだ。許してくれ氷見子ちゃん」

「分かりました……」


そう言って氷見子はさっきまで一緒にいた友達をここへ呼びつけた。

「彼女が友達の『八九奈々美やくななみ』です」

氷見子が高山に友達を紹介する。

 

「早速だが君は今日の20時から21時の間、氷見子ちゃんと一緒に居たかな?」

高山が奈々美に問う。

 

「はい。間違いなくその時間は彼女と一緒にカラオケをしていました」

「今日はずっと一緒に居たのかな?」

「はい。お昼頃から集合してずっとカラオケボックスで喋ったりカラオケをしてました」

「そんなに長い時間カラオケにいたのかい?」

「はい。私と氷見子は1日中カラオケに篭って勉強したり遊ぶ事がよくあります」

 

「氷見子ちゃんが長く席を離れたりはしなかったかな?」

「それはなかったと思います。私が途中ウトウトして寝てしまった瞬間があったんですけど、それは21時から10分間くらいでした」

「なぜ正確な時間を覚えていたのだろうか?」

「ウトウトしながら最後に時計を見た時21時を回ったのを覚えていて、氷見子に起こされて時間を確認したら21時10分だったので」

「分かった。協力ありがとう」


するとそこに、バーの主人と仲の良かった、同じビルで働く同業者の女が現場へと飛び込んできた。


「教助!!」

「さとみ……」

氷見子が彼女の名前を呼ぶ。

「氷見子……。教助が死んだって本当なの? なんでこんなことに……」

「落ち着いてくれ、さとみちゃん」

高山がさとみをなだめる。

「これが落ち着いていられるわけないでしょ! 教助に会わせて!」

「今は、見ない方がいい……」

「なんで……。なんでよぉ……」

そう言ってさとみはその場で泣き崩れた。


さとみがひとしきり泣いた後、高山が尋ねる。

「こんなタイミングで申し訳ないんだが、さとみちゃんは今日はどこで何をしていたかな?」


「今日はお店がお休みだから、美容院に行ってそれからは自宅で溜まった家事をしてた」

「誰かそれを証明できる人は?」

「いないわ。一人暮らしだもの」

「では、20時から21時はどうだろう? その頃は友達と電話をしていたはず……」

そう言ってさとみはスマホの通話履歴を見せる。そこには19時55分から20時45分までの通話記録が記されていた。


「その友達にもう一度電話は可能かな?」

「まさか、私を疑ってるの?」

「許してくれ、これが仕事なんだ」

高山がそう言うと、さとみは友達の『成瀬凛なるせりん』に電話をかけた。


「はい、もしもし」

「私は警察の者なんだが、君は今日さとみちゃんとどんな内容の話をしたのだろう?」

「主に仕事のことです。あと少し恋愛相談を」

「それでは電話はどちらから?」

「私からです」

「電話中、何か不審な点はなかっただろうか?」

「特になかったと思いますが、5分くらいだけトイレに行くとミュートになった時間がありました」

「それはいつ頃だろうか?」

「電話の終わり際だったと思います」

「ご協力感謝します」


そして電話を切った高山はさとみに問う。

「君の家はここから近いのかな?」

「歩いて10分くらいかしら」

「では教助と親しかった2人に聞くが、休みにも関わらず教助が今日ここに来た理由を知っているか?」


「もしかしたら……」

さとみが口を開く。

「何か知っているのか?」

高山がそう尋ねるとさとみが続ける。


「教助、昔の恋人を事故で亡くしてるの。その人の命日が、確かこの時期だったような」

「そうか……今日は由里子ゆりこさんの命日か……」

高山がそう呟く。


「社長の恋人さんですか?」

氷見子が尋ねる。

「あぁ。彼らは大学で出会った恋人同士だったが、5年前に由里子さんは事故で亡くなったんだ。このワインはもしかしたら……」

カウンターにあるワインのラベルを見る高山。

「やっぱり……由里子さんの生まれ年のワインだ」

それを聞いた氷見子が問う。

「死んだ恋人を想いながら毒を飲んだってことですか?」

「その可能性が上がったな……」


「そういえば、高山さんは何故ここに来たんですか?」

「教助からメールがあったんだ。21時半に店に来てくれとね。それで入ってみるとこの有様だった訳さ」

「高山さんに見つけて欲しかったのかな……」

氷見子がそう呟く。


そこへさとみが驚愕の真実を告げる。

「違うわ! 教助が自殺なんてする筈ない! だって今は私と付き合ってたんだから!」

「なっ、なにぃ?」

高山が慌てふためく。

「ちょ、ちょっとさとみ本当なの?」

氷見子も動揺していた。

「本当よ――」



『とあるBARMAN殺人事件 (事件編) 』完

ミステリー研究会 神谷氷見子


 

原稿用紙にはそう締め括られていた。


 

「どうですか社長? 私の書いたミステリー小説のご感想は?」

氷見子が満面の笑顔で尋ねる。

 

「ストーリーは悪くはないと思うが、何故登場人物の名前がこうも既視感のある名前ばかりなのだ。しかも私が被害者役とは不吉ではないか」

教助が眼鏡を拭きながら言う。


「だって名前考えるのめんどくさかったんですもん。だからみんなの名前お借りしちゃいました!」


「それでこの小説の犯人は一体誰にするつもりなんだ」

「あれ? 社長でも分かりませんか?」

氷見子がしてやったりという顔をする。

「確信に至るような情報は何も開示されていなかったように思えるが」

 

「では社長ならこの小説の続きはどうしますか?」

「私ならば氷見子を犯人にする」

「ほほう。その根拠は?」

氷見子がメモをとりながら尋ねる。

「叙述トリックでありがちな手法だが、主人公かと思われていた登場人物が実は犯人だったというオチだな」

「でも氷見子には友達とカラオケにいたというアリバイが……」


「それは友達がトイレなどで席を立った時、友人のスマホの時間設定をパプアニューギニアに合わせればいい。そうする事で現実とは1時間遅い時間を友人に思い込ませる事ができる」

 

教助は自分のスマホの時間設定を変えると氷見子に見せ、更に続ける。

「1日中カラオケボックスの中にいたのなら、恐らく時間感覚は狂って夕方頃に時間を変えても気づかれないだろう。恐らく氷見子はそれを何度かテストしている。そして現実時間の19時半〜20時に友達の飲み物に睡眠薬を盛る。そうすると友達は次第に眠くなり、眠る前に何かしらの口実でスマホの画面を見せ21時を記憶させる」


「友達をアリバイ偽装に利用したと……?」

 

 氷見子の問いに小さく頷くと、教助はまた話し始める。

「そして友人が眠ったのを確認すると、現場に向かい予め呼び出しておいた教助に毒を飲ませ殺害し、教助の手でスマホを操作して高山へとメールを送るとカラオケに戻る。後は友人のスマホの時間を元に戻してから起こせば、実際には1時間10分眠っていたが、10分しか眠っていないと錯覚させる事が出来るという訳だ」


「なるほど、そんな方法があったんですねぇ……」

氷見子は感心して思わず本音を漏らした。

「君はこれを狙って書いていたのではないのか?」

「正直に言うと、見よう見まねで書き出して、犯人もトリックも何も決めずにここまできちゃったんです……。でもその案いただきです!」


「それはとんだまがいもののミステリー小説だな」

教助が呆れながら言う。

「ずばり、氷見子の動機はなんでしょう?」

氷見子が調子に乗ってさらに聞き出す。

「……」

教助は氷見子の問いに黙秘権を行使する。

「……じゃあカクテル頼みますから! ね?」

氷見子が交換条件を提示すると教助も折れてシェーカーを振りだす。

「では今回の謎にはこのカクテルだ――」


そう言って氷見子へ出されたカクテルは『ブロンクス』。ジンをベースにドライベルモットとスイートベルモット、そこへオレンジジュースを加えたものが一般的である。

 

「ブロンクスのカクテル言葉は『まやかし』。君のお粗末なミステリー小説にとっておきのカクテルだ」

「素人なりに頑張ったんですからそんな言い方ないですよ社長! それで肝心の氷見子の動機はなんです?」


「教助の元恋人である由里子の死は、事故ではなく教助による殺人だった。そして実は氷見子は由里子の歳の離れた妹だった。教助の犯行に気付いた氷見子はアルバイトとして潜入し、復讐のチャンスを伺っていた。といったところだろうか」


その話を聞いた氷見子は感極まりこう言った。

「すごいですねぇ……。私が適当に考えたお話でも、読む人によってはこんなに色んな解釈が出来るだなんて! ミステリーってやっぱり面白いです!」


「ミステリーとは、勿論結末や謎が解かれる瞬間が物語としては1番の盛り上がりをみせる。だが読者としての楽しみは、その前にあると私は思う。ああでもない、こうでもないと自問自答を続ける事こそが、ミステリーを楽しむ根幹なのだよ」

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