第17話 別に難しいことでは無い
「ただいま」
聞き慣れた声から発せられる言葉がキッチンから聞こえ、慌てて首をあげる佳奈恵は龍樹を視界に入れた。
右手にはビニール袋。首筋には水滴。左手にはスマホ。
そんな風に、舐め回すように龍樹を見上げた佳奈恵はパァっと花開くように笑顔を浮かべ、
「おかえりなさい!」
「おうただいま。んで河内さんはどうしたんだ?体力切れか?」
佳奈恵を軽くあしらう龍樹は返すように一瞥した後、すぐに縮こまる文月に目を向ける。
あまりの行動に思わず頬を膨らませてしまう佳奈恵だが、無視するわけにも行かないので簡潔に説明してやることに。
「先輩が作り出したトリックに悩まされてたんです。それで文月さんが解いて、疲れ果てちゃったって感じです」
「……俺が作り出したトリック?身に覚えにないが……」
「でしょうね!これは日常ミステリーですから!」
「はぁ……。どんな謎だったんだ?」
してやったわ!と言わんばかりに胸を張る佳奈恵を、ミステリーのことしか考えていない龍樹はまたもや特別な反応を返すこと無くあしらってしまう。
「……コーヒーですよ……」
さすれば当然佳奈恵は不貞腐れ、尖らせた口から言葉を発する。
「コーヒー?」
「そうです……。『6ポット分のコーヒーをどうやって一瞬で作り出したのか』というトリックです……」
「あー……ん?あーえー……あっ。そういうことね」
作り出した本人は自然に熟しているからだろう。探偵側の機も知らずに長考をする龍樹は、ポンッと手を叩いてコーヒーメーカーを見た後、作業スペースに並べられた6つのポットを見下ろした。
「それで?2人はどんな推理を立てたんだ?」
「解いたのは私じゃないんですけど……まぁいいです。簡潔に言いますと、『まず初めにコーヒーメーカーの右側で9杯分のコーヒーを淹れて、次に左側で2.5杯分を入れます。そして、ポットに少量の沸騰させたお湯を入れて、余ったお湯で2.5杯分と1杯分のコーヒーを淹れるためにハンドドリップをした』という感じです」
「……簡潔か?」
「私なりに簡潔です!」
「……そうか」
簡潔とは言い違い、佳奈恵の推理を頭の中で組み立てるためだろう。
ビニール袋を持ったまま、左手を顎の下に添えて思考に浸る龍樹。けれどすぐにその頭を上げた。
「ちなみにその答えは違うぞ」
「え!?」
龍樹の否定の言葉にまず初めに反応を示したのは佳奈恵ではなく、文月。膝に乗せていた顎を勢いよく上に持ち上げて見開いた目で龍樹を見つめた。
けれどそんな文月に特に反応を示すこともない龍樹は淡々と口を開く。
「俺がしたのは至って簡単なことだ。作り置きしていたコーヒーに更にコーヒーを淹れ足しただけ」
「……作り置きしていたコーヒーに……ですか?」
「そそ。あの時は偶々9杯分のコーヒーを大きいサーバーで作り置きしてたから、その9杯分に足りない量――その紙で言ったら5.5杯分のコーヒーを更に淹れ足して、1杯分のコーヒーを左側で淹れたってわけ。保温機能もあるからな。アッツアツのコーヒーができるぞ」
「…………ずるくないですか?」
「んなもんしらん。勝手に推理して勝手にミスったのはそっちだろ」
「…………心無しですね……先輩」
いつの間にか膝に顎を乗せ直していた文月からはシクシクと聞こえる啜り泣き。
「探偵が負けて喜ばない犯人はいないだろ」
「それでもずるいです……」
文月の姿を見てもなおニヤつきを浮かべる龍樹は文月を一瞥した後、流し台を指さした。
「流し台にコーヒーの流れ跡があったろ?それで分かったはずなんだがな」
「……ピッタシ前提に話を勧めてたんです……!!」
9+5.5+1=15.5。
ピッタシを前提にしていない淹れ方をしていた龍樹は余ったコーヒーをこの流し台に流した。だから茶色い流し跡が残っていた。
「まぁでも、良い推理だったんじゃないか?絶対やらないだろうけど」
「え、ど、どうしてですか……?」
上げて下げる戦法だったのだろうか。相変わらずの笑みを浮かべる龍樹は佳奈恵の質問に淡々と答える。
「まず、ハンドドリップは時間がかかりすぎるからあんな忙しい時にやらん。そしてこれが大切なんだが、あのケトルな?実は大体コーヒー6杯分しか入らないんだよ。つまるところ、少量でもポットにお湯を注いだらハンドドリップするためのお湯が無くなるんだよ。残っても2杯分。もし水を追加して沸こうものなら更に時間がかかって一瞬で6つのコーヒーポットの提供は難しくなるだろう。だからまぁ、そんな感じの理由で絶対にやらんな」
長々とした説明。一瞬で脳に詰め込まれる情報で頭がエラーになってしまいそうになる佳奈恵。そしてなぜか座り込んでいる文月もポカーンと口を開ける。
((要するに間違ってるってことだよね?))
同じ答えにたどり着いた2人は同じ言葉を思い浮かべて、そして文月はまた下を俯き、佳奈恵は龍樹のことを見た。
「といいますか!コーヒーを捨てないでくださいよ!勿体ない!」
これ以上反抗しても火に油を注ぐだけ。佳奈恵が納得するまで龍樹はいくつもの情報を落として、今にもパンクしそうな頭に追い打ちをかけてくることになる。
だから佳奈恵は追求するわけでもなく、けれど明後日の方向の話題でもないことを口にした。
「いやだって俺飲めないし」
「飲めないんですか!?」
もしかしたら戻してくるかも。なんていう佳奈恵の杞憂なんて他所に、龍樹の口から返ってきたのは予想外の言葉だった。
目を大きく見開く佳奈恵はコーヒーメーカーと龍樹の顔を交互に見やって、
「飲めないんですか!?」
ズイッと寄せた口元から同じ言葉を発した。
「……飲めねーよ。なんでそんな驚く」
「いやいやいや!驚きますよ!喫茶店でバイトしてても飲めないのは分かります。コーヒーに興味がないって言われても頷けます。ですが!先輩が飲めないんですか!?絶対嘘ですよね!?」
「嘘じゃねーよ。なんでここで嘘をつく必要がある」
「先輩が飲めないんですか!?あの悠然としてる先輩が!?探偵にコーヒーは付き物だというのに!?」
「……色々と思想が強いね……」
相変わらずに目を見開いている佳奈恵に思わず苦笑を浮かべる龍樹は辺りを見渡し、そして下にいる文月を見下ろす。
「コーヒーの話題が上がった時点で言ってたと思ったんすけどね……」
「……私も言おうとしたよ?けど、いきなり謎が見つかるから……」
「はぁ……そうっすか……」
これまたわかりやすく唇を尖らせる文月に同じように苦笑を浮かべる龍樹はやっとビニール袋を置きながら言葉を続けた。
「まぁとりあえず、文月さんは休憩行ってくれて大丈夫ですよ。ゆっくり休んできてください」
「や、やっとだぁ……」
グデーっと身体から力が抜けていく文月は膝を抱えていた腕で伸びをする。
そしてやおらに体を持ち上げ、腰にあるエプロンの結び目を解きながらスタッフルームへと歩いていった。
「……んで、佳奈恵はいつまで口を開くつもりなんだ?」
「いや……ずっとですけど……」
「お客さんに変な目向けられるからやめろ」
そう言った龍樹は佳奈恵の後頭部に軽くチョップ。そんなチョップに悶え苦しむわけでもなく、口を開いたままの佳奈恵は――バッとポットがある方に振り向いた。
「先輩!」
「な、なんだよびっくりする……」
ずっと開けるとは一体何だったのだろうか。瞬く間に閉じた口なのだが、代わりに佳奈恵の目には輝きが宿った。
「コーヒーの種類について教えてください!」
「……俺にか?」
「はい!飲めないとはいえ、どんな感じかは知ってますよね!文月さんも先輩が詳しいって言ってましたし!」
(擦り付けたな……?)
一瞬でそう思ってしまうのは過去に龍樹が文月に対してコーヒー豆のことを教えたことがあったから。その時も佳奈恵と同じように目を輝かせながらコーヒーの種類を尋ねられたものだ。
少し前のことを思い出しながらジロッとフタッフルームの方を見る龍樹だが、文月の姿は視界に収めることができず小さくため息を吐いた。
「……俺よりも重博さんの方が詳しいぞ。あの人パティシエだからコーヒーと合うデザートも紹介してくれるだろうしな」
「ホントですか!?それ!」
(……ちょろい)
それだけが脳裏に浮かび、そして笑顔を浮かべた龍樹は縦に顔を振る。
「まじまじ。なんならそのデザートを出してくれるかもな」
「ホントですか!?なら重博さんに聞きます!いい情報をありがとうございます!」
「あいよ」
いとも容易く人に擦り付けられたのは佳奈恵のことを理解しているからだろうか。はたまた佳奈恵が扱いやすいだけだからなのだろうか。
真相はわからないが、重博の仕事が一つ増えたことだけは分かった。
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