喫茶店で働くのはカッコイイと聞きました
せにな
おしぼり事件
第1話 バイト初日
「お疲れ様です!先輩!」
華奢な女の子から発せられた言葉は、夏休みの喫茶店に鳴り響く。
「ん、おつかれ」
そんな少女に、先輩――
漆黒色の髪をポニーテールにゆわく少女は白いカッターシャツを身に纏い、汚れがつかないよう黒いエプロンを首から下げている。
148センチ手前のその身長からはお手伝いをしている小学生とも読み取ることができ、口角を少しあげた。
「ひ、人の姿を見て笑うってどういう神経ですか!?」
「幼い子どもみたいだなと思ってな」
「素直に言う辺りもひどいです!」
頬を膨らます少女――
そんな腕に痛みを覚えるわけでもない龍樹は相変わらず口角を上げたまま。
現在の時刻は13時。喫茶店内には珍しくお客さんはおらず、龍樹や佳奈恵などのスタッフしかいなかった。
けれど、そんなことも気にしない2人はカウンター中で話し込む。
「そういえばなんでここ受けたんだ?」
「そりゃ先輩がいるからですよ」
「……俺がいるから?なぜに……」
訝しむ目を作る龍樹は佳奈惠を見下ろすが、気にも止めない佳奈惠は龍樹の口角が移ったかのように笑みを浮かべながら紡ぐ。
「そりゃ〜あれですよ。先輩がいるからですよ」
「その答えがほしんだが……?」
「非道の先輩には言いません〜」
「非道なことしたか……?俺……」
店内が一望できるカウンター内。コーヒーメーカーやポット、トースターや冷蔵庫があるカウンター内。
そんな場所で、周りに気を置けない2人は会話に集中する。
だからだろう。佳奈恵の背後からやってくるもう1人のバイトさんに気付けなかったのは。
「おっ、君が今日入ったって噂の佳奈恵ちゃんだね?」
突然話しかけてきたのは髪を茶色に染めた大学生の女性。
佳奈恵や龍樹と同じように首からは黒いエプロンを掛けており、この喫茶店では当然と言わんばかりの長袖を身に纏っている。
そんな女性は夏休みというのもあってか、ほぼ毎日龍樹と顔を合わせている仲の人だ。
「あ、はい!椎木佳奈恵と言います!よろしくお願いします!」
「元気でいいね〜。私は
「じゃ、じゃあ文月さんでいきます!」
「ん〜私の提案外の名前だね」
予想外の呼び方にほほ笑みを浮かべる文月は「いいね」と口にしながらポンッと佳奈恵の両肩に手を添え、
「佳奈恵ちゃんのこと気に入っちゃった。これからもよろしくね?」
「はい!よろしくお願いします!」
肩に添えられた手のことなんて気にしていないのだろう。お腹の前で手を組んだ佳奈恵は勢いよく頭を下げ、意欲の高さを見せつけた。
そんな姿に再度口角が吊り上がる文月は何度か肩を叩いた後、
「それじゃあ龍樹くん。色々教えてあげてね?」
「俺っすか?」
「仲良さそうだったからね。あと龍樹くんはしごできだから」
「え、あの先輩がしごでき……ですか……?」
「おいそこ。失礼だろ」
「いやだって……学校でいつも寝てるひとなんですよ?」
「それとこれとは別だ」
軽く頭にチョップを食らわせてやると、わざとらしく「いだっ」と声を上げる佳奈恵。
そんな姿を横目に隣を通り抜けた龍樹はカウンターを出て、レジの下からたった4枚しかない円形のトレーを手に取った。
「任命されたから致し方なく教えるが、このトレーは見ての通り4枚だけだ」
そんな言葉から始まった龍樹はヒラヒラとトレーを横に振る。
「だからどこかの席においてきたり、無くしてしまったら仕事に支障が出るかもしれない」
「ハイ先輩!質問です!」
「いい声だ佳奈恵。何でも言ってみろ」
カウンターの中からこちらを見やる佳奈恵がまるで小学生であるように大きく手を上げ、龍樹の言葉に続いてその手をトレーに向けた。
「なんで4枚しかないんですか!」
質問内容は至ってシンプルなもの。
人によっては口にしない質問なのだが、誰もが思う疑問だろう。
「んなもん知らん。母さんに聞いてくれ」
「お、お母さん……?なんで?」
「この喫茶店の社長さんだからな。道具とかは母さん、そしてオーナーさんが準備したものらしい」
「な、なるほどです」
どことなく動揺を見せる佳奈恵は手を下ろし、そして辺りを見渡してから龍樹のことを見やった。
「なんだ?母さんとなんかあったのか?」
そんな姿を見れば龍樹が首を傾げてしまうのにも頷ける。
だが、話す気のない佳奈恵は首を横に振るだけ。
「全く何にもないです」
「その感じは絶対にありそうなんだが……」
「いーえ全く、これっぽっちも、なにもしていません」
「そこまで否定したら帰って怪しいぞ……?」
顰蹙の目を向ける龍樹だが、首を振るばかりの佳奈恵の口からは真相を聞き出すことは出来ない。
それどころか、この話は終わりだと言わんばかりに大舵を切って話を戻した。
「まぁまぁそんなことよりも私は早く仕事がしたいです!」
「……どっかでまた聞くからな」
「もちろんどこかで話すつもりです」
「ならいいんだが」
そこで会話は終わり、理由もわからず肩を竦めた龍樹はレジの後ろにある青透明のコップを手に取った。
「んで説明を再開させるが、まずこのコップをトレーに乗せる。そして電子レンジの下にある製氷機から氷を2、3個コップに入れる」
製氷機があるのは佳奈恵たちがいるカウンターとは逆の方向――荷物を置いた裏へとつながる道にある。
その道中にはパティシエがケーキなどを作るキッチンがあったり、業務用冷蔵庫があったりと、お客さんからは見えないスペースには色々なものが備わっている。
そんなスペースへと移動した龍樹は言ったとおりに氷を3個コップに入れ、またレジの方へと戻る。
「ほんでこのウォーターピッチャーを使って水を注ぐ」
「ハイ先輩!」
コップに水を注ぎ終えた龍樹に、これまた元気よく手を挙げる佳奈恵は龍樹が言葉を返す前に言葉を紡ぐ。
「私はそんなにバカじゃないです!」
「……はぁ?」
佳奈恵の言葉に思わずため息が漏れてしまう龍樹だが、すぐにその原因が分かった。
佳奈恵はきっと、龍樹に対して『事細かく説明しすぎ』と言いたいのだ。
製氷機なんて誰が見ても分かるし、わざわざ水を入れる動作をしなくともピッチャーを指させば大体察せる。
自分のことを甘く見積もられて釈然としなかったのだろう。だからそんな言葉を発したのだ。
「分かった。なら次の配膳について簡潔に説明する」
「ハイ!分かりました!」
龍樹なら分かってくれると思っていたのだろうか。
詰める動作のひとつも見せなかった佳奈恵は相変わらず手を上げたまま、カウンターから離れていく龍樹を追いかけていく。
「ほんと2人とも仲良しだね〜?」
「そんな事ないと思うっすけど」
「なにを謙遜してるのよ」
「謙遜ですか……?これ」
「似たようなものでしょ?」
「……まぁ」
どこか呆れ気味に言葉を返す龍樹は店の真ん中に位置する――10本の柱に囲まれた円形の机に、8つの椅子が並べられた――席の前で足を止めた。
「おしゃんな作りですね〜」
「おしゃんだけど、この柱には注意な。俺1回ぶつかってるから」
「ま、まじですか……」
「まじだ。ちゃんと水もこぼしたから」
「き、気おつけます……!」
「おうそうしてくれ」
龍樹が水をこぼしたのはプレ・オープンでの出来事。お客さんも母親の友人ばかりでそこまで迷惑をかけた訳では無いが、一種の黒歴史として心のなかに残っている。
だから何度も、誰それ構わず、配膳を頼むときには「気をつけろよ」と忠告をするように心がけているのだ。
「それでこの後だけど……って忘れてた。メニュー表がレジの下にあるから取ってきてくれ」
決してわざとらしくはない言葉。誰にだってミスのひとつぐらいはある、という感覚で紡がれた龍樹の言葉。だったのだが、佳奈恵から見たその言葉はどうやら違う意味合いに見えたらしい。
「うーっわ!先輩だ!やっぱり先輩だ!」
「なにがだよ。忘れることぐらい誰にだって――」
「この忘れ方はなにか作戦がある忘れ方です!私は分かってますよ?先輩が『実際に取りに行って覚えろ』って思ってることを!」
「いやまぁ……確かにそれもあったけど、普通に忘れただけであってな……」
「ダウトです!ですがまぁ、実際取りに行ったほうが覚えやすいので素直に従います」
「なら最初からそうしてくれ……」
思わず苦笑を浮かべてしまう龍樹だが、そんなものに見向きもしない佳奈恵はレジの下に顔を覗かせ――
「――あれ?メニュー表も4冊しかないんですか?」
「そだ。だからお客さんが注文を終えたら随時回収するように」
「めんどくさくないですか?」
「めんどくさい。が、それも母さんに言ってくれ。俺は知らん」
「くっ……母親パワーが強い……」
まるで反撃でも食らったかのようにわざとらしく胸を抑える佳奈恵はレジに手をついて悶え苦しむ。
当然、そんな佳奈恵になにか言葉をかけるわけでもなく「はいはい」と軽くあしらった龍樹は佳奈恵の隣から手を伸ばしてメニュー表を持ち、説明を再開させる。
「お客さんが来た時に準備するものは水入りのコップ、おしぼり、そしてこのメニュー表。『お決まりになりましたらお呼びください』みたいなことを言えたらそれで十分だ」
そこまで言い終えると、龍樹はメニュー表を元あった場所に戻し、そしてトレーを取りに円形の机へと向かおうとする。
だが、その前に悶えていたはずの佳奈恵の手によって行動が止められてしまった。
「待ってください先輩。私、おしぼりの位置を知りません」
「あ、おしぼりも乗せるの忘れてたな」
「……わざとらしぃ」
ジトッと湿った目を龍樹に向け、いーっと伸ばすように歯を見せる佳奈恵。
そんな佳奈恵に特に反応を示すことのない龍樹はトレーをそのままに、レジの後ろ――ピッチャーの隣りにある――籠に目を向け、
「あーあ。表にあるはずのおしぼりがもうないや」
今度はわざとらしく言葉を紡いだ龍樹は木製バケットを手に取り、そして佳奈恵の前へと持って行く。
「荷物置いたところにスチールラックが2つあったろ?あれの左側の……上から2番目だったかな?そこに予備のおしぼりあるから取ってきてくれ」
「……そこまで詳細に言うなら実際に教えてくださいよ……」
「いいからいいから。こうした方が絶対に覚えはいいから」
「……お客さんが来たら終わりですからね」
「分かってる」
どことなく呆れ混じりに肩を竦める佳奈恵はバケットを貰い、言われた通り製氷機の前を通って荷物を置いたスタッフルームへとやってくる。
スタッフルームと言っても人が6人入れるか入れないかぐらいの広さで、冷房がついていないから少し蒸し暑い小部屋。
「えーっと……左側の、上から2番目は……これかな?」
上から順番に指をさしながら探していると、ビニール袋に包まれた白いおしぼりが目に入った。
けれど、そのビニール袋はまだ未開封。辺りを見渡し、他に開封済みのおしぼりがあるかと探してみたのだがやはりこれのみ。
自分が開けていいのかな?なんてことを思う佳奈恵だったが、頼まれた以上手ぶらで帰るわけにはいかず、バケットを置いた佳奈恵は腕を伸ばしてビニール袋を引きずり下ろす。
そして爪を立て、目一杯に袋を破いた。
「――せ、せんぱーい!」
突然聞こえてくるのはスタッフルームにいるはずの佳奈恵の声。
助けを乞うような声は壁にもたれ掛かっていた龍樹の身体を勢いよく起こさせた。
「う、裏ってなにか助けを求めるものあったっけ……?」
そんな言葉を口にする文月は龍樹同様に慌ててスタッフルームへと走っていく。
「なにもないはずですけど……多分、あれじゃないですか?身長が届かなくて――っと、これは大正解……かな?」
慌ててスタッフルームに顔を覗かせてみれば、大きなビニールを棚に返そうとする佳奈恵の姿が目に入った。
そして持ち手が悪かったのか、破かれたビニール袋からはおしぼりが溢れ出そうになり、顔を押し当てて気合で食い止める佳奈恵。
そんな姿はなんとも滑稽で、それこそお手伝いを全うできなかった小学生のように見え、口元を抑えた龍樹は口角を上げて息を漏らしてしまった。
「先輩!笑ってないで助けてくださいよ!!」
「いや……うん、気を使えなくてゴメンな……」
「2度失礼です!それ2度失礼ですよ!というか助けて――」
瞬間、龍樹の隣からは「あーらら」という子どものミスを見守る親のような声が漏れる。
というのも、今龍樹の目の前にあるのはおしぼりの波に飲まれた佳奈恵の姿。そして地面に転がる無数のおしぼりたち。
「バイト初日になーにやってんだ」
「せ、先輩のせいじゃないですか……」
「んなこと言われてもね。こうなる前にちゃんと助けを呼んでくれないと」
「呼びました!ちゃんと呼びました!!けど助けなかったのは――」
「はいはい。まぁこれで覚えられただろ?結果オーライじゃないか」
「……バカ。先輩のバカ!」
腰をかがめ、おしぼりを拾い上げる龍樹に対しての言葉。なのだが、「はいはいそうだね〜」とまるで子どもを相手するように言葉を返す龍樹は顔すら見上げない。
そんな姿にカチンと来たのだろう。軽くなったビニール袋を棚の上に返し終えた佳奈恵は大きく腕を振りかぶり、龍樹の背中に肘から倒れ込むのだった。
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