花言葉

「山城、しっかりしろ!」と冴島は、震える声で叫んだ。目の前に横たわる山城の身体からは、止めどなく血が流れ続けている。



 飯田警部が息を切らしながら駆け寄り、声を張り上げる。



「冴島、救急車が到着したぞ!」すぐに救急隊員がストレッチャーを持って現れ、迅速に山城を運び込む。冴島は彼女に寄り添いながら、無理にでも笑顔を作ろうとした。



「死ぬなよ、絶対に死ぬな」と、自分に言い聞かせるように囁いた。




 その瞬間、三年前の飯田警部の言葉が脳裏に蘇った。



「お前がいいデカになるには、チームプレーを学ばないとな」あのときも、冴島は危険な状況に直面し、飯田警部に助けられたのだ。だが今度は、自分が山城に助けられる側だった。その無謀な行動を、今になって深く悔やむ。



「冴島!」飯田警部が厳しい声で命令する。



「お前は山城に付き添え! 犯人の連行は俺に任せろ!」彼の声にわずかに含まれる優しさを感じつつ、冴島は小さく頷くしかなかった。



 救急車の中では、緊迫した空気が張り詰めていた。隊員たちは素早く傷の状態を確認し、処置を進める。



「患者の怪我は背中。刃物による刺し傷、深さはかなりある」「血液は足りるか?」「問題ないが、早急に手術が必要だ」



 その言葉一つ一つが、冴島の不安を煽る。焦燥感に苛まれ、彼は冷や汗をかきながら山城の手を握りしめた。



「山城、安心しろ。絶対助かるからな!」冴島は必死に言葉を紡ぎ、彼女に勇気を与えようとした。しかし、山城は薄れゆく意識の中でも、彼を気遣うように微かに笑みを浮かべた。



「……先輩……心配しないでください。私……タフですから……」山城は力を振り絞って言う。後輩に気を遣われるなんて、先輩失格かもしれないと冴島は思った。



 数時間後、病院の待合室で、飯田警部は安堵の息をつきながら冴島に問いかけた。



「それで、山城の状況はどうだ?」冴島は疲れ切った表情で顔を上げ、かすかに笑みを見せた。



「警部、安心してください。医者が言うには、致命傷ではないそうです。時間はかかるかもしれませんが、山城は助かるとのことです」



 飯田警部はその報告を聞き、重い身体を椅子に預けた。彼は一見落ち着いたように見えたが、膝を小刻みに揺らし続けていた。心配を隠そうとしているが、その動作がすべてを物語っていた。



「そうか……それならよかった……」





 数日後。冴島は山城が入院している病院に見舞いにやって来た。



 病院に入ると、受付で「山城葵の見舞いに来たのですが、病室はどちらでしょうか?」と尋ねる。受付の女性はカルテを確認し、「山城葵さんですね。605号室です。あちらのエレベーターで6階までどうぞ」と落ち着いた声で案内した。



 冴島はエレベーターに乗りながら、どう声をかけるべきか考え込んでいた。単純に「ありがとう」だけでは済まない気がしていた。チンという音とともに、エレベーターが6階に止まる。



「605号室はこっちか」と彼は呟きながら廊下を歩き、目当ての部屋の前に立つ。深く息を吸い、覚悟を決めてノックした。



「どうぞ」という山城の返事が部屋の中から聞こえる。そのいつもと変わらない声に、冴島は少し安心した。部屋に入ると、ベッドに横たわっている山城が笑みを浮かべていた。



「あ、先輩でしたか。もしかして、罪悪感でお見舞いに来ましたか? 別に気にしなくてもいいのに」と軽い冗談交じりに言う彼女。冴島はその皮肉に少し驚きながらも、彼女が元気そうで少し安堵した。



「それもあるが、俺は教育係だ。部下の心配をするのは、当たり前だろ?」



「へえ、先輩に自覚があってホッとしましたよ」と山城は薄く笑みを浮かべ、いつものように軽く冴島をからかう。冴島はその反応に、普段の彼女らしさを感じ、ほっと胸を撫で下ろした。



「それで、怪我の具合はどうだ?」



「医者からは一ヶ月ほど安静にするように、と言われています。まあ、私としては早くヤマを追いかけたいんですけどね」



 冴島は苦笑を浮かべた。



「焦るなよ。まずはしっかり治すのが先決だ」



「それよりも、先輩をかばったせいで傷物になっちゃいました。責任とってくださいよね!」山城が冗談交じりにそう言った瞬間、冴島は一瞬言葉を失った。彼女の軽口が予想外だったが、どこか照れくさい気持ちもあった。



「先輩、後ろに隠しているのは何ですか? 定番の果物とかですか?」



「いや、花だ」



 冴島は後ろに隠していた花束を山城に渡す。それは、クロユリの花束だった。



「クロユリですか。先輩、センスないですね。花言葉を検索しますか」と山城はスマホを取り出して検索を始める。



「『復讐』。え、復讐!? それに『呪い』!? 先輩、私が死ねばいいと思ってませんか?」山城の言葉は刺々しい。予想していた反応ではある。



「先輩、帰ってください。顔を見たくもありません!」



「悪かった。すぐに退散するよ。早く現場に戻ってこいよ」と言い残して、冴島は病室を後にした。扉を閉める前、山城が何か小さく呟くのが聞こえた。「もしかして……いや、そんなわけないか」





「それで、山城はどうだった?」飯田警部が冴島の帰りを待っていたかのように声をかけてきた。



「警部、安心してください。いつも通りでしたよ」



「そうか、一安心だな」と飯田警部は大きく息をついた。その表情には、少しだけ微笑みが浮かんでいたが、次の言葉でそれが一変した。



「冴島くん、君に重大なニュースがある。恋人を殺した疑惑のあった佐々木だがな、無罪だと分かった」



その一言は、冴島に衝撃を与えた。



「佐々木が無実だって……?」



「恋人で被害者の川本沙耶だがね、薬による毒殺ではなかった。毒を含んだハンカチをあてられた痕跡が見つかったんだ。当然、アリバイのある佐々木はシロだ」



「佐々木が逃げ出した理由は冤罪だからですかね……。これで、佐々木を追う理由が変わりましたね」



「ああ、そうだ。彼には捜査一課に復帰してもらわなければならん。人手が足りんからな」



 これで、「アルカナ事件」は振り出しに戻ったことになる。早く犯人を捕まえなくては、次の犠牲者が出てしまう。



「さて、山城が離脱したことで、冴島くんの相棒がいなくなったわけだ。しばらくは、鍵山とペアを組んでくれ」



「鍵山か……」と冴島は小さくつぶやき、次の動きについて頭を巡らせた。



 鍵山は生真面目で几帳面すぎる性格。冴島にとっては、息が詰まりそうな相棒だ。しかし、今はそんなことを気にしている場合ではない。事件は依然として未解決。佐々木の冤罪が晴れたことで、捜査は新たな局面を迎えた。



「……やるしかないな」



 自分にそう言い聞かせ、冴島は拳を軽く握りしめた。次の一手を見極めるため、頭を切り替える必要がある。鍵山との新たなコンビがどうなるかはわからないが、最優先は犯人の逮捕。そして、次の犠牲者を防ぐことだ。



 冴島はふと山城が入院している病院の方へ目を向ける。クロユリの花束を受け取った山城の顔が頭に浮かび、思わず苦笑が漏れる。



「山城が戻ってくるまでには、何とかしてみせるさ」



 そう決意を固めると、冴島は静かに警部のオフィスを後にした。

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