第4話 風切りの迷宮へ

 俺たちは「風切りの迷宮」の入り口に到着した。迷宮の入口は、グリシェラの外れの何もない草原の真ん中にぽつんと存在していた。何も周囲にはなく、不自然なほどに静かな空間だ。


「ここが……風切りの迷宮だ」


 俺はアルーの小さな体を背中に感じながら呟いた。アルーはカバンの中から顔だけを出し、迷宮の様子をじっと見つめていた。


「ふーん、まるで洞穴みたいだね」


 目の前に広がるのは見慣れた、しかし異様な光景だった。迷宮の入り口は、地面に穿たれた穴になっていて、おあつらえ向きに階段がある。周囲とは完全に断絶された空間のように見え、まるで時空が歪んでいるかのように、何かが揺らめいているような錯覚を覚える。迷宮とは、この世界に突然出現し、また消える異界の存在。それは何度見ても慣れることはない。


「なぁ、レギ。この迷宮は危険なのか?」

 何も知らない子供ドラゴンに嘆息をする。

「あれを見てみろ」

 迷宮の入り口の階段に刻まれている文字を差した。石切工具で付けられた文字には「風切りの迷宮 レベル3」と書かれている。


「迷宮の名と危険度が残されている。初見の迷宮は迷宮協会で調査をして、こうやって名前と危険度をつけるんだ」

「ローチェのおじさんのところのお仕事なんだよね」

 アルーは理解したと言わんばかりにうんうんと言わんばかりに頷いて見せた。

「まぁ、そんなところだ」

 アルーが頭を出して辺りを見回しているので「頭を隠せ。ここから人がいるぞ」と囁く。


「え? どこにいるの?」

「迷宮を入ってすぐに迷宮番っていうやつが立ってるんだ。これもローチェのとこの仕事だ」

「わかった! 隠れるね」

アルーは意外と物分かりが良くて助かる。隠れたのを確認して、階段を下って行く。


 迷宮番は所在なさげに立っていた。重々しい甲冑で身を包みながらいつ来るやもしれない来訪者を待つこの職業は、なかなかに辛いだろうと思う。俺に気がつくと声を明るくして話しかけてくる。


「ご苦労様です! 遺体の回収される方ですか? ってレギじゃないか」

「ああ、久しぶり。クリフト」

 よく知った渋みのある声が聞こえた。今回は顔見知りの迷宮番だった。俺が迷宮探索を始めた頃から迷宮番をしている古株だ。


「アバナシーの依頼を受けたのか」

「ああ」

「あんなやつ相手にしなくて良いのに……。いや、イェナは関係ないもんな。早く助けてやってくれ」

「ああ、ここは頼んだ」

「そうだ、そういえばこの迷宮には1人まだ戻ってない奴がいる。アバナシーが連れていた獣人だ」

「ん? アバナシーは『あいつは真っ先に逃げた』って」

「いや、ここを通ったのは見ていない。アバナシーのやつも頭に血が上っちまって、確認もしないで出てったもんだから……」

「そうか……とりあえず急ぎ仕事に取り掛かる」


クリフトは敬礼をして「気をつけて」と言ってくれる。積もる話はあるが、後にしよう。今は一刻も惜しい。

しばらく階段を降りると、生い茂る植物達がが見え始めた。


「入るぞ、アルー。準備はいいか?」

「任せとけ、レギ!」


 階段は迷宮の一層へと続いており、周囲の空気が徐々に冷たく感じられる。光が上から差し込んでいるはずなのに、どこか薄暗く感じるその空間は、現実とは異なる何かが支配しているのを感じさせた。


「ここが……風切りの迷宮か」


 俺たちは風切りの迷宮の第一層に足を踏み入れた。風切りの迷宮は以前から幾度か出現していたらしいが、俺が入るのは初めてだった。風が音もなく流れ、薄暗い森が広がっている。周囲には木々が鬱蒼と茂り、まるで森そのものが生きているような雰囲気を漂わせている。上を見上げると、天井は異様に高く感じられた。実際の高さを超えたような空間に広がるのは、広大で果てのない樹海のような景色だった。


「すごい、すごい! ここってどうなってるの?」アルーが興奮してカバンの中から飛び出し、周囲をぐるぐると飛び回る。目を輝かせ、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のようだ。


「ねえ、レギ、なんで迷宮はこんなに大きいんだろう?」アルーが首をかしげて問う。


「迷宮は謎ばかり。洞窟に潜ったと思ったら空がある。湖の底かと思ったら草原がある。そういうもんだっておもうしかないな」


 迷宮の内部は時空が歪んでいるのか、常に現実とは異なる感覚を抱かせる。風切りの迷宮は、まさに名前の通り風が常に流れている場所だったが、それがどこから吹いているのかもわからない。


 第一層にはモンスターの気配すらない。次の層へ向かうために階段を探す。迷宮の各層には必ず階段が設けられており、それを見つけて先へ進むことが探索者の仕事だ。俺たちは森の中を進みながら、慎重に周囲を観察していた。するとアルーがふわふわと周りを飛び回りながら話しかけてくる。


「レギ、納棺師フネラリウスって遺体を集めてどうするんだ?」

「集めているわけじゃない。元ある場所に返すんだ。形骸化モルグヴィアって知ってるか?」

「なんか、聞いたことはある。でも良くわかんないや」

形骸化モルグヴィアって言うのは、迷宮内で人が死んでしまったとき、その死体が時間かけてモンスターに変化して行く現象だ。このときに生まれたモンスターは通常のものとは比べ物にならないくらい凶悪だ」

「なんでそんなことになるの?」

「いまだに詳しくは分かってはいない。ただ、レベル0――つまり全く脅威のない迷宮で、たまたま病死した冒険者が形骸化モルグヴィアしたことにより、危険度がレベル5まで上がったって実例もある」

「ふーん、それを防ぐために納棺師フネラリウスがいるんだね」

「そうだ。俺たちがいなければ迷宮はどんどん凶悪なモンスターに蝕まれていく」

「それなら、レギは大人気の英雄さんなんだね〜」

 アルーはニコニコとして空中を一回転して見せた。俺は「だと、良いんだけどな」と笑う。


 しばらくして二層への階段を見つける。一層はモンスターに遭遇することもなく、難なく進めた。どこまでその幸運が続くかはわからない。


「レギ、何か感じない?」

アルーは小さな耳をびくりと動かしている。俺には何も聞こえないが、確かにアルーには何かが聞こえたようだ。

「いや、なにも」と答えながらアルーを見る。アルーは宙に目線を彷徨わせて、何かを探すようにしていた。

「人の心音?みたいなやつを感じる……」

「そんなの感じるのか?」

「耳がいいからね〜」


 アルーは調子に乗ったようにくるりと空中で周り、小さな火を吹いた。俺は呆れながら、「二層目にそれを感じるのか?」と問う。


「うん、二層目にいるみたい」

「そうか……生きているんだな?」

「たぶんね……?」なぜそんなことを聞くのかとアルーは不思議そうな目を俺に向けた。

「じゃあ、それは放っておこう」

「え?」


 アルーは信じられないと目を丸めた。ドラゴンも人間も表情は一緒なんだなと思う。「助けないの?死んじゃうよ!」随分心の優しいドラゴンがいたものだ。どうやらこのドラゴンはこの迷宮の恐ろしさを何も知らないようだった。連れてくる前に説明するべきだったと自分の落ち度を反省する。気が急いていた。アルーに説明するべく口を開く。


「アルー。先に話しておくべきだったな。納棺師フネラリウスの掟を」

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