第10話 朝チュン……?
庭園の小鳥が愛の詩を歌う朝。
目が覚めたアルウィンは、感覚がぼんやりとする中、自分の右手が自由に動かせないことに気が付いた。
持ち上げようとするが、何故か重くて持ち上がらない。
頭が上手く働かないながらも視線を向けてみると……彼の手の平に重なっていた雪のように白い手。ふたつの手は指1本1本が密着して絡み合っていて、互いの手のひらがぴったりと重なっている。
いわゆる、恋人繋ぎの状態になっていたようだった。
───何だ、これは。
状況がわからないアルウィンが、右手よりさらに右側に目を向けると……そこには静かにすうすう寝息をたてる、ネグリジェ姿の美少女、オトゥリアがいた。
彼女の白いネグリジェは、彼女が寝ている間に少し動いたためか少しはだけており、柔らかそうで丁度いい膨らみの腿や谷間が少しだけ顕になっている。
「ああオトゥリアか……
って、えええええっ!?」
何が何だか思い出せず、目を大きく見開いて思わず声を上げてしまったアルウィン。その大きな声で、オトゥリアがぱっちりと目を覚ましてしまったことにアルウィンは気が付かない。
───もしやオレ、流れに任せてオトゥリアとヤってしまったのか!?何も思い出せないんだが!?
昨日の夜の状況が思い出せないアルウィンは、ベッドの上で顔を赤らめてあたふたするばかり。
記憶が無くなるほど暴走して、オトゥリアのことを傷つけてしまったのではなかろうか。
そういった疑念が、アルウィンの脳内を駆け回る。
思えば、服装も何故か寝巻きに変わっている。
彼が昨日来ていたモスグリーンのチュニックと黒のワイドパンツは、白のロングシャツに黒のショートパンツへと変化していた。
───なんだこの服も……オレの物じゃないぞ?
混乱していた彼は、起き上がってきたオトゥリアに気が付かなかった。
「おはよう、アルウィン」
柔らかい日差しに照らされて、嬉しそうに顔を綻ばせるオトゥリア。しかし、目の前のアルウィンは何やら頬を押えながらモゾモゾしている様子。
目の前で困惑しているアルウィンに対し、彼の行動が理解できなかったために、何をしているのか気になったオトゥリアは彼に顔を近付けたのだったが……
「……!?」
うっかり目線を下にすると、彼女の焦点が注がれた場所はアルウィンの
「………………!!!」
寝間着のショートパンツの上からでも解るほどの猛々しいその姿に、彼女は耳まで顔を真っ赤に上気させ、やかんを乗せたら沸騰しそうなほど熱を帯びた表情を浮かべていた。
暫く小鳥が囀っているうちに2人は少し落ち着いたのか、顔を上げて互いに目を合わせるが……
「「…………ッ!!」」
顔を見た事で互いに恥ずかしくなって、脊髄反射のように即座にまた顔を伏せる両者。
そのとき、まったく顔を上げられない2人に部屋の外から声が響いた。
「コホン。おふたりとも、おはようございます」
その声は凛として鋭かった。
その言葉を聞いて我に返ったのか、顔を上げる2人。アルウィンのブツも、時間経過のおかげか既に落ち着きを見せている。
入ってきたのは、昨日、彼を出迎えていた若い方のメイドだった。
「あっ、クレメルさん!おはよう」
オトゥリアはクレメルと呼ばれたメイドに挨拶を返し、「ほら、アルウィンも」と、彼の肩を軽く叩く。
アルウィンは、「えっ、オレも?」とでも言いたそうな表情で、屈託のないオトゥリアの笑顔をちらっと一瞥したのち、
「………おはようございます」
と、ボソッと呟いた。
「お2人ともありがとうございます。本日の朝食をお持ち致しました」
テーブルまでつかつかと歩きながらクレメルはそう言ったものの、彼女の手に食べ物は何も無い。
───お前らに食わせる食べ物はねーよ、とでも言いたいのか?それとも、食事を忘れてきたとかいう天然の人なのか?
とアルウィンは考えてしまったが、それは杞憂に終わった。
クレメルがパチンと指を鳴らすと、魔力が迸り、テーブルの上に2枚のテーブルクロス、切り分けられたヴァイツェンブロートと呼ばれる食パンの皿、バターの瓶、そしてオニオンスープが即座に出現したのである。
「ええっ!?」
初めて異空間収納から取り出される物を見たアルウィンの驚愕の声。その声にくすくすと笑うオトゥリア。
クレメルは異空間収納魔法が使用出来るため、食事を手で運ばなくてもよいのだが、アルウィンは見知らぬ魔法に目を丸くして驚きを隠せない。
「アルウィン。これは空間魔法だよ」
ふんっと得意気な顔で教えるオトゥリア。
アルウィンの前でだけ見せるその表情を冷ややかな目で見るクレメルが、
「左様でございます。さあ、あなた達の
と、皮肉を込めた言葉を言い放つものの、2人の耳にその言葉は入らない。
オニオンスープの湯気が朝日に照らされ、部屋の奥がまるで陽炎のように揺らめいていた。
充満した玉ねぎと野菜の良い香りに、2人はうっとりとした表情を浮かべながらスプーンに手を伸ばす。
「うわぁ……いい匂いだね」
「凄くアクセントが効いているスープだな」
舌鼓を打つ2人に対してクレメルは、「いや、アクセントを利かせたのは私の方なんだけど……」というツッコミが喉の奥から出そうになっていた所を必死に封じ込める。
そして、「お食事が済みましたら片付けに伺いますので、30分程度でお済ましくださいませ」と残してそそくさと退場。
───あの初々しいカップルを見ているだけで頭がおかしくなりそうだわ。
それにしても、昨夜は本当に酷かったなぁ…
と階段を降りるクレメルは回想していた。
昨夜、オトゥリアは薄れはするものの残っている不安感と、増大するアルウィンへの想いによって彼との接触を強く欲していた。
しかし、アルウィンはベッドを見た途端に、彼女の意にそぐわず、装束はそのままで身体も洗っていないにも関わらず、ベッドに倒れ込むように寝てしまっていたのである。
慌てたオトゥリアはクレメルを呼びつけると、クレメルは心の中ではふざけるな!と思いつつも、一切顔に出すことはなく何食わぬ顔で彼と衣服を綺麗にし、適当に拾ってきたシャツとハーフパンツを寝間着代わりに着せてやったのである。
「王女の筆頭護衛の癖に、田舎臭いあんな男如きに一喜一憂するなんてねぇ……真面目ぶっている癖に頭の中がお花畑じゃない。さすが鈴蘭騎士ね」
階段の踊り場で悪態をついたクレメルに暗い影がさす。彼女はそのまま、訓練兵の朝食の準備をするために食堂へ足を運んでいった。
同じ頃のオトゥリアの部屋。
オトゥリアは、アルウィンと沢山話がしたいのに、なぜか彼に適当な返事で話を受け流されていた。
それだけでは無い。彼女が向ける情熱的な目線も、目が合ったかと思うと気まずいのか直ぐに逸らされてしまう。互いに相手に向ける気持ちはわかっているはずなのに。
アルウィンの会話を受け流す術はまるでシュネル流の剣技のようだと感じたオトゥリアは苦笑い。
何故か弾まない会話であるが、彼女はアルウィンと一緒の空間にいるだけで嬉しかった。
一方で、昨夜に何があったのか知りたいアルウィンは、どのように昨夜の話を切り出すべきか、パンにバターを塗りながら脳を高速で動かし思案していた。
時折オトゥリアが語りかけてくれるが、ついポロッと聞きたくなってしまう。
───どう切り出せばいいんだよ!恥ずかしくて聞けねぇ!
頭がパンクしそうになった彼は、とりあえずエネルギーを補給しようとパンに手を伸ばす。
一口頬張ると、小麦の香りが彼の鼻腔を包み込んでいた。
その途端、彼は先程まで悩んでいたことを、頭の隅に追いやったのだった。
───しかし……スープも美味しいが、この白パンもたまらなく美味いな。
涙が出そうなほどの美食に、彼はご満悦の様子。
村では祭事の時でしかありつけない白パン。
ズィーア村は村長の方針で、小麦を主に生産している村であったが、それらはほぼ全て領主であるジルヴェスタに献上していた。
その方が、村としては儲かるらしい。
では、村人は何を食べるのかというと、小麦畑の1割すらない土地で採れるライ麦であったのだ。
村で食べる黒パンの味よりも格別に美味である白パン。
白パンの味に慣れてしまうと、村の黒パンでは我慢出来なくなってしまいそうだ。
だけれども、美味すぎるので手が止まらない。
最後の1枚を取ろうとしたとき。
「「あっ……」」
最後の1枚に手を伸ばす彼の指と、全く同じ状況のオトゥリアの指が重なった。
目を合わせる2人。
オトゥリアが口角をにたっと上げて、「ラストはアルウィンに譲るよ」と言おうと息を吸いかけたとき。
顔をヘビイチゴのように赤く染め、ふらふらと目を泳がせたアルウィンが俯いてしまった。
「ねぇ、アルウィン」
先程からアルウィンの行動が気になっていたオトゥリアは、意を決して彼に聞いてみることにした。
「さっきから……なんでそんなに恥ずかしそうにしてるの?」
と。
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