第8話 依頼とは
街のメインストリートは真昼間。鼻腔をくすぐる屋台のよい匂いや冒険者たちの歓声で溢れていた。
アルウィンがオトゥリアに導かれるまま向かった所は、絞ったミルクにキノコと貝のエキスが染み込んだスープを売る屋台、ミートパイの売店、そしてクレープの屋台といったところだ。
オトゥリアと同じ物を全て購入したアルウィンは、生まれて初めて触れる食材の香りに感動の色を浮かべていた。
「ダイザールの街はね、4年前に発見されたダイザール大迷宮を中心に栄えている街なんだよ」
オトゥリアは鶏肉の香草焼き入りクレープを頬張りながら、アルウィンに説明する。
「オレ、村に帰ったら飯が食えなくなっちゃいそうだ」
溢れ出る香りと肉汁に舌鼓を打つアルウィン。彼にとって、美食との出会いという感動は初めてのものであった。
「そんなに美味しかったの?私がお勧めしたところ、みんなアルウィンの口に合っているみたいで良かったよ」
「帰ったらボソボソのパンと塩気がほぼない肉とかスープだぜ?耐えきれないよ」
「たしかに……そうだったね」
アルウィンはスープを1さじ掬って口に運び、「美味いな」と一言。オトゥリアもアルウィン同様にゆっくりと口に運んで「美味しいね」と微笑む。
2人は鬱陶しいメインストリートの喧騒から離れ、400ヤードほど西にある公園に移動していた。
「迷宮……!行ったことないな」
聞いたことはあるものの、訪れたことのない迷宮という言葉にアルウィンは胸を高鳴らせる。
アルウィンの止まらない高揚感を察したオトゥリアは、今すぐにでも口から出したい言の葉を、噛んだレタスを飲み込むのと一緒にぐっと押さえ込んだ。
2人が辿り着いた場所は、小鳥の囀る公園。
ここには冒険者たちの姿はなく、犬を散歩させている人や走り回ってボールを蹴る子供など、裕福そうな市民が憩いの場として利用しているようだ。
サンザシの木から木漏れ日が差し込むベンチに座ったアルウィンは、残りの食べ物をすぐに平らげてしまった。
オトゥリアが食べ終わるのを待っていた彼は、しばらく近くで犬と戯れる少年を眺めていたが、急に思い出したかのように彼女に問う。
「ところで……気になってたんだけど、オレにする依頼って何なんだ?」
オトゥリアはアルウィンを眺めていた。
気が付いた彼も彼女を見返すが、彼の目に映るオトゥリアの瞳は澱んでおり、どこか哀愁の表情を浮かべているように思えた。
先程までとは大きく異なるオトゥリアの豹変ぶりに、彼は聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと思い焦っていた。
けれども。
オトゥリアは口を開く。
「……ずっと依頼のことを黙っていてごめん。そろそろ言わないとだね、アルウィン」
「どう……した?」
ようやく食べ終わったオトゥリアはゆっくりとベンチから腰を上げた。
「ここじゃ話せない。宿舎に戻ろう」
冷たい声でそう言ったオトゥリアに、アルウィンは黙って従う他なかった。
戻る道は行きとはまったく異なり、2人の間には大きな
急に出来たその隔たりに、アルウィンは困惑することしかできない。何があったのだろうか。
宿舎の部屋に戻ったオトゥリアは、腰のベルトに着けていた巾着袋の中から、その袋よりも少し大きな一通の手紙を取りだした。
彼女の快活そうだった声のトーンは下がり、より空気の重苦しさを強めているような声になってしまっている。
オトゥリアの腰にあったものは
無属性魔法に分類される、空間魔法に長けた魔術師のみが作ることが出来る
「これを見て欲しいんだけど……」
オトゥリアが差し出した手紙には、細かい玉璽の模様と共に秀麗な文字で次のことが書かれていた。
鈴蘭騎士オトゥリア、貴殿にホッファート公爵領ダイザール迷宮の最終調査の任を与える。
この調査が完了した暁には、貴殿にはさらなる栄誉が齎されることであろう。
調査任務の概要は、以下の通りである。
・現在95層まで突破済みの迷宮を最終層まで突破すること。
・各層のゴール地点に
・
此の任務は上記の達成のみを終了の条件とし、その他一切の理由で帰還することは不可能とする。
なお、上記の迷宮攻略任務を放棄した場合は、身分剥奪の上に貴殿の家族を刑に処す。
追記
この件は我が愚妹も当然の如く了承したものである。
健闘を祈る。
第1王子 リューゲルフト=エヴィゲゥルド
第1王女 ミルヒシュトラーセ=エヴィゲゥルド
「これは、私が第1王子の腹心から受け取った書状」
「なんだよ、これ……!
家族を握られているってことは……最終層を攻略しないと帰れないってこと……だよな?」
「そういうこと。それに……これは、事実上の……死刑宣告なんだ」
オトゥリアはゆっくりと応える。
オトゥリア曰く、この迷宮は、騎士団の精鋭10人でも95層までしか到達できておらず、96層の踏破中に女性騎士1名を除く全ての隊員が殉職したようなのである。
さらに残念なことに、その唯一生き残った女性騎士はなんとか帰還はしたものの、手記だけを残して首を吊って自殺してしまったというのだ。
「そんな任務をオトゥリアに?それって…ほぼ『死ね』と言ってることと同義じゃないか!
それに……署名の所にいるのは……」
「私がお慕いしている王女殿下もいるんだ……」
「それって……どういうことだよ!」
「私はミルヒシュトラーセ殿下から直接真意を聞いてきたんだけど、あのお方は……私のせいで……!」
突然、頬から大粒の涙を流して崩れたオトゥリア。咄嗟にアルウィンはオトゥリア抱き抱え、優しく背中に手を回す。
「オトゥリア。落ち着いてくれ。この話の続きなんて……いつまでも待っていられるから」
「ううんっ……アルウィン。暫くこのままでいさせて……」
アルウィンの肩はぐっしょりと濡れてしまっている。
オトゥリアの嗚咽は彼にどうしようも出来ない無力感を彼に突き立てていた。
アルウィンは、強くオトゥリアを包んで頬を寄せる。オトゥリアの冷たい頬に、暖かいアルウィンの頬が溶け合うかのように優しく触れ合った。
じんわりと伝わってくるアルウィンの温もり。オトゥリアはもっとその温もりに触れていたいと、ゆっくりとアルウィンの肩に手を回す。
「落ち着いたか…?オトゥリア」
アルウィンの優しい声に、傷だらけのオトゥリアの心は蕩けていた。
待っていてくれる彼に応えなくてはと、彼女はゆっくりと口を動かして応える。
「うん……でもダメだ……アルウィンの前では泣かないって決めてたのに」
「そんな事どうでもいい。今は泣こう。枯れるまで泣いて落ち着こう」
「アルウィン……ありがとう」
アルウィンはそっとオトゥリアの髪に触れた。さらさらと流れる金髪の感覚。触れられているオトゥリアも満更ではなく、安心しきってぽろぽろと涙を零していた。
………………
…………
……
しばらく時間が経ったあと、はぁと溜息をついたオトゥリアは、アルウィンから腕を離し、少し赤みのある目で無理やり笑顔を作ってみせた。
アルウィンはポケットからハンカチを取り出し、オトゥリアの頬を軽く拭いてやる。
「落ち着くまでオレが付き合うよ」
「うん……少しだけ。ありがとう。話せる余裕もでてきたよ」
オトゥリアは柔らかな表情を浮かべ、ゆっくりと話し出した。その表情が本物か、作られたものかは判らない。
アルウィンは強く抱いた腕を弛め、優しく触れるだけに留めておく。
「あのね、アルウィン。今王都では第1王子と第2王子が時期王座を巡って対立しているんだ」
「それは聞いたことがあるな」
「でねっ、私の主のミルヒシュトラーセ殿下は王座に就く気持ちはないんだけど……彼女のバックには大商人とか、魔法学の権威だったり強力な人々が多いから、王子2人が狙っているんだ」
アルウィンは腕を離し、オトゥリアの瞳をじっと見つめる。
オトゥリアの暗く澱んでいた目に僅かながら光が差し込んでいる気がしたのは差し込む陽の角度が変わったからだろうか。
オトゥリアは続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます