第三十九話 認めない
それは誰の声だったのだろう。
何も見えない、何も聞こえない、何もない。
あるのは果ての知り得ない暗闇だけ。
そんな世界を漂っていた。
「——」
誰かの声が聞こえる。それだけがわかった。だけど、その内容を聞き取る事は出来なかった。
そもそも自身の事すらわからなかった。
気が付けばここにいたように思える。
始まりは何?
わからない。何もわからない。わかるのは、そうただわかるのは焦燥。
このままじゃダメなのだと、何かをしなければいけないのだと、だけどわからない。何をすれば良いのかわからない。
「——」
声が聞こえる。
「——」
声は聞こえる。
「——っ」
訴え掛けるような声。
「——っ!」
とても、焦燥に満ちた。そんな声。
「——お願い、起きてっ!」
それは自分の声だった。
☆ ★ ☆ ★
戦いは決着へと向かっていた。
何百という火花が戦場に咲き。儚い光は冷たい未来へと導いた。
「……終わりよ」
勝者はイズキだった。
彼女はただ今出来る全力で戦っていただけ。対して彼は限界を超えて戦っていた。
消耗の差は徐々にしかし確かに顕著となり、少女の剣が肉を斬り裂いた。
袈裟斬りを胸に受け、両腕をダラリと力無く垂らしながら両膝を付く彼に向けて、イズキは切先を向けた。
結局は自壊による結末。せめて、貴方の大切な人と同じように心臓を貫いて殺してあげよう。そう思ったイズキは既に袈裟斬りによって斬られている彼の服を剣先で捲った。
「……何よ、それ……」
彼が普通の肉体ではないという事はわかっていた。
生身で魔装術を使用する。明らかに普通ではない。何かしら人体実験によって力を得た存在。
珍しい話ではなかった。力こそ正義である北方では、もはや人としての原型を留めていない改造騎士なんて珍しくない。
北方拠点から離れれば離れるほどに騎士は人を捨て、戦うための兵器へと堕ちていく。そんな人間たちの事がイズキは嫌いだった。
戦いこそ、勝つ事こそ、それだけが己の価値だと言わんばかりの人間が。
(……ああ、そういう事だったのね)
自我を失い。闇を纏って強大な力を発揮した春護。
そんな彼の姿にあんなにも苛立ったのはそういう事だったのだ。勿論それだけではない。嘘ではない。だけど、納得出来た。
まるで春護に自身の事を否定された気がしたのだ。
「春護。多分だけどオマエは間違ってはいないんでしょうね。復讐のために、誰かのために命を賭す。それが人間なのよね。……ふふっ、魔族の娘であるアタシにはわからない感情だわ。誰かのために死ぬだなんて」
そんな事を口にしながら少女はふと思った。二人のためになら……もう手遅れだというのに。
「さようなら春護。来世では水花と……家族と幸せにね」
水花だけじゃない。自身の親が殺してしまった彼の妹。犯人はわからないけれど、きっと魔族に殺されてしまったのであろう姉。
今世ではこんな結末になってしまったけれど、来世では誰も失う事なく、幸せな人生を歩んで欲しい。
出来るならば魔族と関わる事なんてない人生。戦いとは無縁な、そんな世界で。
優しく微笑みながら、一筋の後悔を流しながら、イズキは彼の心臓に剣を——
「……一体どういう事かしら?」
彼の心臓に突き立てようしていた剣をピタリと止め、そのまま背後へと顔を向けるイズキ。
「春護から離れろ。じゃないと撃つよ!」
そこに立っていたのはイズキによって殺されたはずの水花だった。
両手を合わせて突き出し[発射形・風]をいつでも撃てるように準備している水花。イズキはそんな彼女の胸元へと目を向けていた。
(服には穴がある。囮や幻術の類いじゃないわね。確実に心臓を刺したつもりだったけど、無意識の内に避けちゃったのかしら。……いいえ、だとしてもあの出血量は致命的なはず。……そもそも、どうして鮮血が流れていない?)
心臓を突き刺した時に貫いた彼女の制服には穴が空いていた。穴というよりも隙間や切れ込みと表現するべきだろう。その下、素肌を目視する事はほとんど出来ず、傷の状態はわからないが、それでもこんな短時間で自然治癒するような傷ではない。
適切な処置をしなければ止血すら出来ない。それほどの傷だったはず。だというのに、新たな血が流れているようには見えなかった。
つまり、傷が治っている事になる。
そう思うのと同時に、イズキは思い出した。
前提が違うのだと。
(忘れてたわ。そういうば水花は魔装人形だったわね)
人間ではなく人形なのだからその身体を動かしているのは筋肉ではなく魔力だ。人は血を多く失えば死んでしまうが、人形である水花には関係がない。
ならばあの鮮血はなんだったのだろう。疑問は尽きないが、相手は元々常識の外にある新型の魔装人形だ。ならば考える意味はない。どうせ答えなんてわからないのだから。
「残念だけど水花。オマエが撃つよりもアタシが春護の心臓を貫く方が早いわ」
「そしたらイズキも死ぬよ」
「それはどうかしら。普通なら背後を取る事は良手だわ。でも、アタシの背面はコートで守られているのよ?」
「そうかも。でも、イズキこそ忘れてる。そのコート穴だらけだよ」
春護の斬脚から始まり二発の[風]をモロに受けたイズキは、その時のダメージによって彼女にとっての鎧であるロングコートの再生を後回しにしていた。
多くの部分が消し飛んでいる赤いロングコート。水花が言うように消して小さくない穴がいくつも空いており、彼女の腕ならば正確にそこに狙う事も出来る。
威力をその身で知っているイズキにとって、今[風]直撃を受けるのはマズイとわかっていた。それでも、彼女の中に危機感はなかった。
「アタシの力は不死鳥よ。再生能力と炎羽による超加速。だけどもう一つあるのよね。この場を逆転する力。まあ、不利だなんて思ってないけど」
笑みを浮かべたイズキは、油断せずに狙い続けている水花に披露した。
鎧であるロングコートがボロボロになり、防御に穴がある状態でも笑っていられる理由。
「知ってる? 鳥には尻尾があるものよ」
ロングコートの下部が切れ込みに沿ってふわりと浮かび、捲り上がっていた。
「オマエが撃ってもこれで防げるわ。直撃さえしなければ問題はないもの」
「——っ春護! いつまで寝てるの! 起きてよ!」
「無駄よ。仮に意識が戻ったとしても、自身の力によって全身の骨と筋肉が死んでるわ。もうまともに動く事すら出来ないでしょうね」
「そんな事ない! 春護はそんな弱くない!」
「強い弱いの話じゃないわよ。アタシを殺すために春護は本来以上の力を引き出し過ぎたのよ。自壊するとわかって使い、その上で負けた。どうしてオマエが復活したのかわからないけど、魔装人形だから出来た事、違うかしら?」
「それは……」
イズキの問い掛けに水花は答えを持っていなかった。
彼女に刺された事は覚えている。死ぬのだと自覚した事も覚えてる。その時に心の中で何度も春護に謝った事も覚えている。どうか春護には生きていて欲しいと願った事も覚えてる。
だけど目覚めた瞬間の事は覚えていなかった。
気が付けばイズキに追い詰められている春護の姿を見詰めていた。全身から真っ黒に染まった魔力を放ち、感情が抜け落ちてしまったかのように戦う春護の姿を。
「春護は人間よ。何かの実験体みたいだけど、それでも人間である事に変わりはないわ。どれだけ強い意志があったとしても、身体が壊れてちゃ立ち上がる事は出来ないわ。だからもう春護は終わってるのよ。そして彼が終われば魔装人形であるオマエも終わる。もう諦めなさい。オマエたちの事は決して忘れないわ。思い出となって、悪夢となってアタシの中で生きなさい」
水花から視線を正面へと戻し、最後に彼の顔を見ながらその命を奪おう。決して忘れないように、大切な友人の最後をこの目に焼き付けようとし、
イズキは目を見開いた。
「——えっ?」
「おらっ!」
それは拳だった。暴風なんてまとっていないただの拳。それがイズキの頬にめり込み、彼女の背中を地面へと叩き付けた。
「勝手に終わらせないでくれないかな?」
「春護っ!」
何が起きたのか一瞬わからず硬直したイズキ。そんな隙を見逃す水花ではなかった。とはいえ、攻撃すれば近くにいる春護の事も巻き込んでしまう。イズキの予測とは違い動けているみたいだが、消耗が激しい事に違いはない。もしかすると[風]の余波で死んでしまうかもしれない。
水花の選択は一時離脱だった。手の平で圧縮している[風]を解除すると走り出し、春護に抱き付くのと同時に[鳥]を発動する。
「うげっ」
「我慢っ!」
発動者は自動的に保護されるようになっているが、抱き付かれた春護は高速移動による衝撃をモロに受けていた。
そうなる事は予めわかっていたため、水花は[鳥]の出力を極端に落とし、スピードは弱めていたものの、それでも衝撃は小さくない。
戦域から離脱するのは不可能だ。ある程度離れた場所で止まると、水花はペタペタと春護の身体を触った。
「春護、もう正気なの?」
「う、うん。それより水花こそ平気なの?」
「うん、アタシもよくわかってないんだけど、傷がないんだよね」
「ちょっ」
そう言ってイズキに刺された場所を捲り、なくなった傷口を見せる水花。
刺されたのは心臓、つまりは胸部だ。決して小さくない膨らみの内側を突然見せられ、春護は動揺を隠し切れていなかった。
「あれ? もしかして照れてる?」
「う、うるさい」
「あ、逸らした」
ついさっきまで死ぬ寸前だったというに、そんなやり取りをしている二人の姿を見てため息が一つ。
「オマエたち、よくもこんな状況でイチャつけるわね。ある意味才能だわ」
「うん、そうだね。ちょっと混乱してるってのが大きいのかも」
「それにしては良いパンチだったわよ? 躊躇なく乙女の顔面を殴るだなんて、DV彼氏の才能があるわね」
「魔族の顔面は殴っても罪にならないと思うよ」
「オマエ……そういう事は思っても言うべきじゃないわよ? 少しは配慮して欲しいじゃない。悲しいわ」
水花の手を借りながら立ち上がる春護。そんな彼の腰に腕を回して支える水花。
そんな二人の姿にイズキは小さな笑みをこぼした。
「全く、なんで殺したはずの水花が元気で、春護が支えられてるのよ。どっちにせよオマエが立てている理由も気になるところだわ」
「さあね。全く覚えてないってわけじゃないけど、あやふやだったからさ」
「あら、完全に暴走してたと思ったけど、違うの?」
「んー、暴走した自分の姿を後ろから眺めてる……そんな感じかな」
「……どうも嫌な予感がするわね」
暴走状態とは即ち我を失った状態だ。元々肉体に備え付けられている制御装置を突破し、限界以上の力を発揮する。
漆黒の魔力を放っていた春護は、水花を失った事による絶望で到達した状態だとイズキは考えていた。
早い話、暴走状態の自身を認識出来ている事はおかしいのだ。認識出来ているのならばそれは暴走ではなく覚醒とも呼ぶべき状態だ。
更にそれが俯瞰状態ともなれば、明らかに作為的なナニカだ。
(春護を改造した人物による精神干渉? その理由は何?)
不可解な二人組。
謎の改造をされている人間と、人間のような魔装人形。
あそらくはあの山に住んでる権力者とやらが関わっているのだろう。
そこまで考えた地点で彼女は全ての思考を破棄した。
(どうせこれから殺すんだもの。関係ないわね)
二人を殺し、北方に戻る。
背後に大きな何かがあったとしても関係ない。
その時にはナニカから守ってあげたいと思う友人たちはこの世から去ってしまうのだから。
「これは善意的な忠告よ。もしもこの後に奇跡の逆転劇を起こし、生き残る事が出来たのなら、春護の身体をそうした奴らの元から離れなさい」
「……まあ心配してくれるのは嬉しいけど、その人、恩人なんだよね」
「そう……それならアタシがとやかく言うのはお門違いかしら?」
「まあ、俺としても色々と気になる事はあるけど、それでも良いんだ。仮に利用されているとしても、俺は復讐出来ればそれで良い」
「……そう」
春護にとっては恩人だとしても、イズキからすれば危険人物だとしか思えなかった。しかし彼女はその相手について多くを知っているわけじゃない。ならば何も言うべきではないのかもしれない。それでも一度は伝える事が出来た。だからそれで良しとしよう。
それに負けてあげる気なんてないのだから。
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