第二話 紅蓮の娘

 カーテンの隙間から光が差し込み、俺の意識を夢から釣り上げた。

 懐かしい夢を見ていた気がするけど、同時に胸の奥を締め付けるような、そんな感覚も同時にあった気がする。


 上体を起こした時には何も覚えていなかったけれど、いや、だからなのかな。ただただ喪失感が残っていた。


「……やっとか」


 カーテンを開き、輝き続ける太陽を見上げると俺は呟いた。


 ベッドから降り、壁に掛けた制服に手を伸ばすと小さな笑みが溢れた。

 半年以上も着ていなかった制服。腕を通すのば久し振りだね。

 ワイシャツにスラックス。ネクタイを締めブレザーを着ると寝室を出た。


 お米は炊いてないし、今日の朝食はパンで良いかな。今から炊くのじゃ時間がかかり過ぎるもんね。

 薄切りの食パンをトースターに入れた後、フライパンでベーコンを二枚焼き、焼き目が付いたくらいでひっくり返すと卵を割り入れた。

 白身に軽く焼き目が付いてから水を入れ、蓋をする。火加減は弱火だ。

 黄身を覆うように白が広がれば完成の合図だ。蓋を取って塩を振ると、カリカリに焼けたトーストの上にベーコンごと乗せた。

 洗い物? そんなのは十分ほど未来の志季春護に任せよっか。


 ベーコンエッグトーストをまずは一口。うん、黄身には届かないけど十分過ぎるくらい美味しい。

 カリカリに焼けたベーコンの旨味は勿論だけど、その脂によって焼かれた目玉焼きはもはや肉だ。

 この一口で満足度が高いってのに、黄身にたどり着いたら俺はどうなっちゃうんだ?


 結論。気絶。


 勿論本当に気を失ったわけじゃないけど、それくらい美味かった。ただそれだけ。

 フライパンと蓋、食器などの洗い物を済ませた後、俺は二ヶ月前から住んでいる第二男子寮から学院に向かった。


 今日は実技テストの日だ。年六回ある実技テストだけど、三回も参加出来なかったからね。流石に今回は結果を残さないとやばい。


 ……そのためにもまずは、あそこに行かないとだね。楽しみだけど、同時に少し憂鬱かな。


   ☆ ★ ☆ ★


 中央魔装学院の裏手にある森の先。山道を登った場所にはとある一族の敷地が広がっている。関係者以外を拒む閉ざされた領域だ。


 この国のお偉方たちですら入るには事前の申請と許可が必要になる場所。そんな道を俺は一人で登ろうと思っていた……んだけど。


 ——なんだあれ。


 森と山道の狭間。立ち入り禁止の看板の前に随分と怪しい様子の人影があった。

 普段なら関わりたくないしスルーなんだけど……これからそこを通るんだよね。

 関わらないって選択肢は諦めるしかないみたいだ。


「そこから先は看板に書いてある通り、立ち入り禁止だよ」

「ひゃっ! 急に話し掛けるんじゃないわよ! 心臓に悪いじゃない!」


 身体をビクッと跳ねさせてから振り返ったのは、燃えるような赤い髪をした少女だった。


 ——あれ? うちの制服だね。


 赤のロングコートを着ていたから後ろ姿じゃわからなかったけど、閉める事なく開かれた前部からワイシャツとリボン、それから特徴的な赤を基調にして白いラインの入ったスカートが見えた。


 本来ならワイシャツの上に着るのはブレザーだけど、何故かロングコート。

 まあ、ブレザーや上着に関しては校則違反じゃないけど、この少女が変わってる事に変わりはないよね。


「なんだ、生徒だったんだ。不審者だと思っちゃったよ」

「何よそれ、ちょっと失礼なんじゃないかしら?」

「うん、ごめんね。でも、ここの先って立ち入り禁止だからさ。勘繰っちゃって」


 随分と気が強そうだ。

 緩やかに波打っている癖っ毛気味の赤いミディアムヘア。

 少しだけ小柄かなって思ったけれど……うん、あの人好みじゃあないかな。


「そうみたいね。でもアタシって今日転校して来たばかりだから知らなかったのよ」

「へえ、そうだな。転校生なんて珍しいね。何年生?」


 一年生だとは思うけど、女性相手に決め付けは良くない。

 少し小柄だけど、子供体型では決してないし……それに見た目は子供なのに成人済みって知り合いもいるからなー。


「あら、見てわからないかしら?」


 そう言って自らのボディラインを強調するような体勢を取り、幼さがありつつも不思議と妖艶さもある笑みを浮かべる少女。


 ——赤い瞳、宝石みたいだ。


 見慣れない赤い瞳。それがこの不思議な妖艶さを醸し出す要因の一つになっていたのかな。


 おっと、それは良いとしてなんて答えるべきかな。大人っぽく見せようとしている気がするし……よし、決めた。


「えーと、三年生かな?」

「あはっ、残念ハズレよ」


 嬉しそうにそう言うと、片目を閉じてペロッと小さく舌を出していた。

 急に悪戯好きな子供っぽくて、可愛いかもしれない。

 そんな事を考えていると何かに気が付いたかのように指を上げた。


「あっ、そういえば名乗ってなかったわね。アタシの名前はイズキ。北方出身だから苗字はないわ。それからクイズの答えは二年生よ」

「そうなんだ、それは奇遇だね俺も二年だよ。中央区出身の志葉春護だ」

「あら、そうなの? それならこれから仲良くしましょう春護」

「うん、クラスが一緒だったらよろしく」


 随分と距離を詰めるのが早いというか、無防備というか、うん、ちょっと苦手かも。

 そんな気持ちが無意識に出てしまったのか、受け取り方次第では不快になる発言をしてしまうと、イズキの眉がピクリと反応していた。


 ——やば。


「あら、それってつまり別のクラスなら仲良くするつもりはないって事かしらー? んー?」


 両手を身体の後ろで繋ぎながら腰を曲げ、下から覗き込むように問い掛けるイズキ。

 ……うん。圧が凄い。


「ごめん、そういうわけじゃないけど、関わる機会がないかなって」

「それはそうね。でも廊下ですれ違ったり、お昼を一緒に過ごす可能性だってあるじゃない。むしろアタシとしては不意打ちだったけど、こうして話す機会に恵まれたオマエと一緒にいる方が楽だわ」

「……どういう事?」


 俺と一緒にいた方が楽って……まさか恋?

 なんてね。それはないだろうけど、どういう意味なんだろう。

 不思議に思っているとイズキは笑い掛けながら答えた。


「忘れたのかしら? アタシ転校初日なのよ?」

「あっ、そっか」


 今のところは友達ゼロ人のパーフェクトぼっちなのか。言ったら怒るかもしれないから言わないけどね。


「こう見えて自分から話し掛けるのって苦手なのよね。その、なんて言うのかしら……距離感って難しいと思わない?」

「あっ」


 指をツンツンさせながら不安そうに話すイズキ。なるほど。完全に理解した。こいつ——


「その憐れむような顔やめなさい。斬るわよ?」

「暴力やめてね」


 殴るじゃなくて斬るってところがめっちゃ怖い。しかし今、さりげなくロングコートの内側に隠した直剣をチラ見せさせて来たんだけど。


「あはっ、冗談よ。それに折角出来た……その、と、友達を斬るなんて勿体無いじゃない」

「友達認定やめてね」

「なんでっ!?」


 恥ずかしそうに赤らめながらも、どうにか言い切ったイズキの言葉を即座に否定すると、若干いや割と本気で泣き出しそうな顔をしていた。むしろちょっと出てる?


 ……うん、困った、どうしよう。ちょっと楽しいかも。そういう趣味はなかったんだけど、イズキの才能かな? イズ虐ナイスーって事?


「あははっ、冗談が言える仲だね」

「え? えーと……あっ! オマエ揶揄ったわね!?」

「他人には出来ないからね」

「うっ、こいつ……ううー」


 嬉しさと怒りが交互に表情を変えさせていた。それを本人もわかっているのか、悔しそうに唸る。


 友達だとしても会ったその日からこの対応は我ながら酷いって思う事も多少はあったりなかったりするかもしれないけれど、不思議とイズキが相手なら良いかなって思っちゃう自分がいる事に気が付いた。


 イズキ、不思議な子だね。


「そ、それなら揶揄った事への謝罪として一つ教えなさいよ」

「謝る気はさらさらないけど、いいよ」

「……オマエ、絶対にその内殴るわ」

「その時は逃げるね。それで、聞きたい事って何?」


 聞き直すと彼女はジト目をやめ、看板へと視線を移した。


「ここってどうして立ち入り禁止なの?」

「ああ、そこから先は学院の敷地じゃないからだよ。私有地って事」

「学院の裏手にわざわざ?」

「そっ、一族全体が学院の関係者で、この国の権力者でもあるんだよ。だからそれは警告みたいなものかな」

「警告?」

「ここから先に住んでいる権力者たちと関わるなってね」


 学院に対して大きな権力を有している一族。今はとある養女のおかげで昔ほど理不尽な事はしなくなったけれど、その養女も養女で変態だからね。

 一般生徒、いや先生を含めて関わるべきじゃないのは確かだ。


「……まあ、イズキなら大丈夫だと思うけど近寄らない方が良いよ」

「アタシなら大丈夫ってどういう事よ」

「族長が大の女好きで、ロリコンで、変態の権力者だからって言えばわかる?」

「……うわぁ」


 心の底から嫌そうな顔をして自身の身体を抱き締めるイズキ。

 確かにあの人はロリコンだけど、前提と大の女好きだからね。イズキみたいな可愛い子なら成長していようが関係ないんだよね。


 うーん……これは言わない方が良いかな。無駄に怖がらせる必要はないもんね。

 流石にこういう怖がらせ方は違うもんね。


 不安そうに瞳を揺らしながら、イズキは躊躇いながら質問した。


「ちなみに今まで、その……被害とかって……い、いいえっなんでもないわ!」

「あっ、大丈夫だよ。変態だけど犯罪者じゃないから。胸糞悪い事はしてないよ……多分」

「多分!? 断言しなさいよ!」

「そうだね。多分大丈夫だと思うよ」

「だから断言しなさいよ!」


 イズ虐ナイスー。


「まあ冗談はこれくらいにして、俺は行くね」

「え?」


 イズキに声を掛けてから俺は躊躇いなく立ち入り禁止の先へと進み出した。


「ちょっ、何してるのよ!? ハッ、騒ぐべきじゃないかしら」


 慌てて口を両手で覆い、周囲をチラチラと確認するイズキ。本当に見ていて飽きないね。

 何よりこの反応は俺の事を心配してくれているって事だ。

 まだ会って数分だし、散々揶揄わられてるのにね。優しい子だ。


「心配してくれてありがと。でも安心してよ。俺は男だし、そもそも許可されてるから」

「許可?」


 疑問符を浮かべているイズキに、俺は常に身に付けているネックレスの鎖を引っ張ると、紋章が刻まれた宝石のペンダントを見せた。


「それからイズキ? これは忠告なんだけど、初対面相手に権力者の悪口を言うなんて、その権力者に近しくないと危ないと思わない?」

「……あっ」

「わかってくれたかな? イズキを入れてあげる事は出来ないけど、俺は大丈夫だから安心して」


 イズキは気が付いてなかったみたいだけど、俺が族長の悪口を言っている時点で怪しむべきだよ。それもその一族の敷地の目の前でだからね。見張りがいる可能性とかもあるし、リスクが高い。

 

 さてと、そろそろ時間的にまずいからね。ちょっと強引になっちゃうけど、俺は先に進ませてもらうよ。


「それじゃあまたねイズキ」

「え、ええ。また会いましょう春護」


 困惑しているみたいだったけど、説明する時間はちょっとないかな。なんとなく嫌な予感もするし、早く行かないと。

 イズキに手を振って別れた後、俺は山道を進み始めた。

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