青年の主張 3
初対面での記憶が定かではなかったものの、なかなか好印象だったらしい彼女から『素敵な人だった』という感想をもらったとアレンから聞いた時、キリアンは思わずガッツポーズした。
ちなみに鍛錬中である。
畑違いで仲の悪い部署にいるはずの文官であるアレンは今やすっかり騎士たちの訓練場の常連であった。
おかげでお互い睨み合うのも馬鹿らしいなという雰囲気になったのは幸いなことである。
とにかく、キリアンが乗り気であることよりもフィリア・アシュリーが気に入った……これが重要なことであったのだ。
(伯爵家の令嬢である彼女に見合う男にならねば……このままじゃだめだ!)
そこからは必死だった。
婚約者となったとはいえ、婚約はいつでも白紙に戻せるのだ。
特に現段階では王城勤めとはいえ一介の平騎士に過ぎない彼は平民であり、貴族であるアシュリー伯爵が望めばあっという間になかったことにできてしまう……そんな身分差が存在する。
それを埋めるためにはこれまで勉強が面倒くさいからと一切合切放置していた騎士爵を得るための昇進試験……それに合格しなければならないとキリアンは奮起したのである。
しかしながら準貴族になるということは、そう容易いことではない。
上司の推薦があれば試験を受けることができるとはいえ、そこで更に篩いにかけられるのだ。
誰でも準貴族になれるなんてことは夢のまた夢である。
キリアンは頑張った。
それはもう、頑張った。
婚約者となったフィリアは何度会っても可憐で、触れるには恐れ多いと思うほどに清らかな存在であった。少なくともキリアンにとっては。
彼女にはかっこいい騎士だと思ってもらいたくて、緩みそうになる表情をきつく律し、頼れる大人としての振る舞いを心掛けた。
その愛らしい声が聞きたくて、話しかけてくれる彼女のことが嬉しくて、いつだって聞き手に回ってしまって申し訳ないとは思うのだが……なにせキリアンの職場は男だらけのむさ苦しさ。
淑女が喜びそうな話題などこれまでそういったことと縁遠かったキリアンには難しい話だったのだ。
アレンを頼って贈り物や花に関しては失敗していないと思うが、いかんせん彼の給料で買えるものが伯爵令嬢のフィリアに相応しいのかと悩ましい日々である。
そんな中、努力が実って騎士爵を得ることができた時は宿舎で快哉叫び先輩に叱られて、祝われた。
給与も上がったし、準貴族として認められる程度に立ち居振る舞いも身についた。
それでもエスコートする際には可憐なフィリアを前に心臓が破裂するのではないかと幾度となく思ったし、彼女のそんな美しい姿を他の連中に見せるのがいやでついいつも以上に寡黙になってしまったことは否めない。
だって口を開いたら悪態を吐いてしまいそうだったからだ。
(こんな天使が俺の妻になってくれる人だなんて……!)
フィリアが微笑んでくれるだけで、天にも昇る心地のキリアンである。
大事に、大事にしなければ……いつだって心にそう刻む。
まるで触れたら壊れる硝子細工かのようにフィリアを大事にするキリアンだが、何も彼が惚れ込んでいるからそうしているだけではない。
勿論、崇拝に近いほどの愛情を向けているのでそれはキリアンの本心ではあるのだが、アシュリー伯爵とアレンから可愛いフィリアに簡単に手を出してくれるなよと厳しく言われていたのである。
結婚するまでは大事にしろ、情けない姿を見せるな、援助は辞さないがまずは自分たちで暮らせるだけの生活力を身につけろ、そう口を酸っぱくして言われているのである。
(……フィリア)
名前を呼ぶのでさえ躊躇うほど、愛しい人。
その名前を呼んだら、きっと彼女は笑ってくれるとわかっている。
でもそんな可愛らしい表情を見たら、もう止まれる気がしなかったのだ。
連れ去って自分の腕の中に閉じ込めて、誰にも見せないで彼女を独占したい……そんな欲望にキリアンは負けたくなかったのである。
(あと少し……結婚まであと少しだから!)
そう覚悟を決めて、
そのためならば拷問ともご褒美ともとれる、あの夜会での媚薬事件だって乗り越えられた。
フィリアは最後までしてくれと求めてくれたが、それが薬のせいなことはわかりきっていた。
騎士として勤める中で、夜会の度にそういう女性がいたからである。
貴族のご令嬢たちの名誉のためになかったことにされがちな事件ではあるし、警戒を重ねているのに未だにそれが繰り返されるのは、自分たちの手が出せない大物が潜んでいるからだとも言われているが……最愛の人がそんな奴らの毒牙にかかって、傷つけられる前に救い出せて本当に良かったと今でも思う。
勿論、媚薬を飲まされたという時点でフィリアが傷ついたとキリアンは考えているし、彼女の名誉のためにもあの日のことを胸の内だ。
多少は……フィリアの、あの時の表情を思い出してしまうことがあったけれども。
それでも、あと少し。
あと少しだけ我慢したら、誰に咎められることもなくフィリアの夫を名乗れるのだ。
そう気合いを入れていたのに、あの日の夜を境に――彼女は、キリアンを避け始めたのである。
「なんでだよ……!?」
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