第15話 How do you do 勉強
入学2日目に、灰瀬くんと勉強を教えてもらうという有難い約束をした。
でも、その約束が果たされるのは試験前だけかなと思っていた。
まさか約束をした翌日の放課後に、高一で使う全ての教科書を鞄に詰めた灰瀬くんが、満面の笑みで教室まで来るとは思わなかった。
「さあ、勉学に励もう」
「怖さよりギリ有難さが勝つな」
「すごいな、先生よりやる気あるじゃないか」
まだ教室に残っていた担任の野嶋先生は、普段は眠そうに垂れている目を瞠ってそう言った。
他クラスのイケメン来訪におののいているクラスメイトを尻目に、少しでも目立たないよう首をすくめて「じゃ、図書室とかで……」と灰瀬くんにモソモソ言う。
「ええっ、リツ勉強するの? 授業始まるの来週からだよ」
背後から、鈴が転がるような声で呼び止められる。
振り返ると、予想通り麗しきミューズ、もとい小春ちゃんが、ぱちくりと目を見開いて立っていた。
「うん、まあ、ちょっとね。事情があるんだ」
「事情? もしかして推薦とか狙ってるの?」
気を遣って小声で尋ねてくれた小春ちゃんの優しさにほろりとしながら、首を振って答える。
「そんな高尚な目的じゃないよ。恥を忍んで言うけど、実はこの学校にビリッケツで入学したんだ。だから、今から勉強しておかないと留年になるかもしれなくてね。頭の良い灰瀬くんに勉強を教わりに行くんだ」
「……そっか、そうだったんだねぇ。教えてくれてありがとう」
「え、そうなの?」
実はそうなんですよ。
何も知らない顔をした灰瀬くんをチラッと見た小春ちゃんは、何かを決心した顔をした。
「私も勉強しようかな。一緒にいい?」
「えっいいの!?」
マジで!?
思わず小春ちゃんに飛びつくと、小春ちゃんはくすぐったそうに笑った。
「頑張ろうとしてるリツ見たら、やる気出てきちゃった。それに、英語だったらちょっと得意だから教えてあげられるかも」
よく存じ上げております!!
やった、まさか成績トップの小春ちゃんからも教われるなんて、こんな幸運あるか!?
「応援したくなるタイプの青春だな。下校時刻までなら教室使って良いぞ」
「先生!」
野嶋先生はそう言うと、真顔でウインクをして教室から去って行った。応援したくないタイプの青春もあるんですか?
「一緒に頑張ろうね、リツ」
「本当にありがとう、小春ちゃん!」
感極まって小春ちゃんの手を握ると、小春ちゃんは「えへへ」と笑った。
私が馬鹿すぎるせいで、世界一キュートな笑顔が数十分後に歪むことになるとは、この時は思いもしなかった。
***
「リツ、さっきも言ったけどこれ中学の範囲だよ」
「す、すみませ」
「謝らなくていいよぉ。ほら、もう一回落ち着いて基本文型おさらいしていこっか」
「ハヒ……」
成人女性(中身)がJKに詰められるという切ない光景が、そこにはあった。
折角小春ちゃんもいるので、今日は英語を勉強しようと軽い気持ちでテキストを開いたのが過ちの始まりだった。
「うわ、やばいな。全然分からない」
「見せて」
「どれどれ~?」
「いや、どれって言われてもほぼ全部なんだけど……。あー、例えばこれとか」
私のテキストを覗き込んでくる灰瀬くんと小春ちゃんが分かるように、ある英文を指差す
「このHow do you do? ってどんな意味?」
私がそう言った時の灰瀬くんと小春ちゃんの顔は一生忘れられない。
正直職場のお局のキレ顔よりトラウマになりそうだった。
それからの小春ちゃんは凄まじかった。
「そうだねぇ、とりあえず今日は中学英語の範囲全部おさらいしよっか」
「全部!?」
「基礎が出来てないと話にならないからね」
私の英語力がクソであることを一瞬で把握した小春ちゃんの決断は見事なものだった。
高校で使うテキスト類を全部脇に寄せて真新しいノートを開き、ものの数分でびっちりと英文を書いた小春ちゃんは(ちなみに英文は何も見ずに書いていた。英作文の申し子か?)、それを私に見せて「これは第一文型のSV、主語+動詞の一番シンプルな形で……」という風に、一つ一つ丁寧に教えてくれた。
これが本当に分かりやすかった。
本当の天才は馬鹿にも通じる言葉で話すことが出来るというのは真実だと思った。
まあ、ここまでは良かった。
問題はここからだ。
「ありがとう! なんか英語大丈夫になってきた気がするよ」
「いや、全然まだまだかな。次は英文がどれくらい読めるか『見る』よ」
「『見る』!?」
「英単語もどれぐらい把握してるか分かるからね」
小春ちゃんはまたノートにサラサラと英文を書き、私にそれを和訳させ、間違っているところは指摘・指導し、分からない単語は10回書き取りさせ……。
かれこれ4時間近くそれを繰り返している。
しかも休憩は一度もない。
奥入瀬小春、彼女が勉強に対してここまでストイックだとは思わなかった。私の天才に対する認識が甘かった。
ふと窓の外を見る。おい、もう夕方じゃねえか……。
教室にはもう私達以外には誰も残ってない。
初めのうちは、入学早々勉強に励む奴ら……というかイケメンの灰瀬くんと美少女の小春ちゃんに興味を示したクラスメイト達が何人か残っていた。
きっとあわよくば2人とお近づきになりたいとでも思っていたんだろう。
しかし、特に雑談もせず、本当にただただ勉強をしている(というより馬鹿がしごかれている)図に飽きたのか、1時間も経たないうちに全員帰ってしまった。そのうちの何人かは青い顔をして「受験思い出して吐きそう……」と呟いていた。なんかごめん。
ちなみに、本来教えてくれるはずの灰瀬くんはというと、豹変した小春ちゃんにビビったのか何も言わずに黙々と数学のテキストを解いていた。時々ヘルプの視線を送っているけど全然気付いてくれない。いや、時々目は合うから気付いた上で無視してるな。薄情者め!
まあでも、滅茶苦茶有難いんだけどね。
出会って3日の人間に、ここまでしっかり勉強を教えてくれる小春ちゃんは本当に良い人だと思う。
そう、悪いのは私。
いい大人の癖に関係代名詞があやふやな私が悪いんだ……。
スパルタな小春ちゃんを見かねたのか、灰瀬くんは「あと1時間で下校時刻だし、そろそろ切り上げない?」と気遣うような声で言った。
「いや……自分、まだいけます……逝かせてください……」
「そうは見えないんだけど……」
「確かに、このままだと永遠の休憩に入りそうだねぇ」
オーバーヒートして熱くなった頭を抱えていると、右隣から細い棒を突き出される。
「じゃあ、今日はここまでにしよっか。お疲れ様。はい、これどーぞ」
「ア……女神?」
ポッキーを差し出して微笑むミューズの笑顔の眩しさに涙する。
なんだ、鬼かと思ったけど、やっぱり女神だったんだ……。
「DV」
左隣の灰瀬くんの呟きは聞かなかったことにした。
「はい、あーん」
「うめ、うめ……」
「うふふ、おかわりもいいよ」
「なんか動物園のふれあいコーナーを思い出すな」
差し出されるままにポッキーをモソモソ食べている私を見て、灰瀬くんがボソッとそう言った。ウサギ・モルモットで想像しているか、山羊・馬で想像してるかで評価が分かれるツッコミだな。
自身もポッキーを食べながら「そういえば」と小春ちゃんは言った。
「リツ、部活は結局どうするの?」
「逆に聞くけど、今の私の学力を見て部活入る余裕あると思う?」
「うーん」
嘘のつけない小春ちゃんは、困ったように笑って首を傾げた。そういうところも好きだ、小春。
「でも、折角1回きりの高校生活だよ。勉強だけで終わらせるのはもったいないよ」
「1回きり、ね」
「どうしたの、灰瀬くん」
「いや、別に。オレにもポッキーちょうだい」
「いいよぉ」
さっきまで借りてきた猫のようだった灰瀬くんは、一転してニヤニヤしながらポッキーを齧っている。何故意味深な態度を取るのが私じゃなくて君なんだ。
「部活に興味ない・入りたくないとかだったら、無理して入らなくてもいいと思う。でも勉強に集中したいって理由で諦めようとしてるなら、きっと後悔しちゃうよ」
「『前』は何部だったんだ?」
「……帰宅部だったよ」
真剣な顔の小春ちゃんと、薄ら笑いを浮かべている灰瀬くんを前にして考える。
後悔、ねぇ。
実のところ、以前の高校生活では何の部活にも入らなかったことに対して後悔することはあまりなかった。うっすら憧れはあったけれど「絶対入っておけば良かった!」とまではならなかった。
だって部活より何より大事なことがあったから。それだけで、高校生活ずっと幸福に過ごせた。
「入らなくても後悔はしてな……しないと思うよ。趣味も寝ることだから、帰宅部なら沢山眠れるしね」
「生理的欲求の一つが趣味って」
「……そっかぁ、それならいいけど」
言葉とは裏腹に寂しそうな顔をした小春ちゃんに「でも」と言う。
「後悔はしないだろうけど、興味がない・入りたくないわけじゃないんだ。だから、また今度部活見学はしてみようと思ってるよ」
小春ちゃんはパチパチと目を瞬かせると、花のような笑顔で笑った。
やっぱり部活に入らなくても後悔はしないと思う。
でも、こんなに真剣に私の高校生活を思いやってくれた友達の誠意には応えたいからね。
「勉強はいつでも教えるからねぇ! 明日は数学頑張ろっか」
「アリガトウ」
「今どこから声出した?」
不審そうな灰瀬くんに向けて、ヨレヨレのピースサインを向ける。
君、明日はちゃんと勉強教えてくれよな。
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