上がるしかねえ!!!

もりこ

第1話 もうお酒なんて飲まない

「カンパーイ!!」

 たった一缶だけで気持ちよく脳味噌を鈍らせてくれるストゼロ(ロング缶)を高々と空に掲げた後、煽る様にして飲む。思い切り缶を傾けてしまったせいで、酒が飲み口から勢いよく溢れた。口で受け止めきれなかった酒が唇の両端から垂れ、顎・Tシャツ・カーペットの順で濡れていく。顎はティッシュで拭う。濡れた部分が肌にくっついて居心地悪かったから、Tシャツは脱いで放り捨てた。カーペットは知らない。ジュースだったらまずいけど、アルコールなら虫が湧くことはないだろう。多分。

「え? コレがお酒ってマジ? こんなのもうジュースだよ~、子供でも飲めちゃうって。凄い! 偉い! 開発者に一兆円!!」

テーブルの上に飲みかけの缶を置き、拍手してストゼロを称える。ありがとうストゼロ。これからもよろしくストゼロ。

ワンルームに私の大声がわんわん響く。私の声だけ。

「なんで平日にしか休みくれないんだカス、シフト希望叶えろクソ~」

 ゲラゲラ笑いながら、去年の年末ボーナスで買ったクソデカヨギボに身体を沈める。きた、アルコールがもたらしてくれる仮初めの悦楽。

 今日は平日。花金でもなんでもない、全国民から殺意と憎悪を向けられている月曜日。付け加えると時間は正午過ぎ。つまり私は平日の真っ昼間から、終わっている一人飲みをしている。

 待って、言い訳をさせてほしい。この「終わっている一人飲み」の文頭に「夜勤終わり看護師の」という言葉を付け加えれば、幻滅は慰労に変わったんじゃないだろうか。変わってくれ。

「今日の夜勤もつかれたなっと」

 ヨギボに寝っ転がったままテーブルの上の缶に手を伸ばし、今度は慎重に缶を傾けた。少しずつ口に流れ込んでくるアルコールは、ジンジンと喉を焼きながら食道の中を流れていく。こんな飲み方をして、逆流性食道炎になってもおかしくない。いや、それがどうした!

「いいもんね、今が楽しいなら何でも良い~……」

 仕事終わりの高テンションを押しのけてやってきた眠気と、一気に回ってきたアルコールに身を委ね、ゆっくりと目を閉じて今日の仕事のことを思い返す。

『おい、下手くそ! 何回俺の腕に針刺せば気済むんだ!! さっさと採血上手い奴呼んでこい!!』

『2年もこの部署で働いてるのに、未だにこんなに仕事が出来ないの不味いと思いますけど。この仕事、向いてないんじゃないですか?』

『大鳥さん、この間麻薬のアンプル捨てて大事になってたよ。薬剤部の偉い人に滅茶苦茶怒られてた。全然関係ない私も怖くて泣きそうになっちゃったよ~』

『え~、大鳥さん可哀想! うちらも気をつけなくちゃね!』

『麻薬のアンプル捨てるなんて絶対無いけど、疲れたらやっちゃうかもしれないもんね』

『全然関係ないけどさ、大鳥さんって彼氏いるのかな』

『マジで関係なくてウケる。ていうかさ、え~……。あは、逆にいると思ってるの?』

「うるせ~! 知らね~!!」

危なかった。「この病棟が嫌だ2024」に精神破壊されるところだった。

 閉じていた目をかっぴらき、ゴクゴクとストゼロを一気飲みする。うわっ、ヨギボ濡れた。まあいずれ乾くから良いか。アルコールって揮発性高いしね!

「クソ患者にクソお局にクソ後輩がよ~。クソ・クソ・クソの3Kが!! 不摂生の極みでほっそい血管しかないお前が悪い! ずっとナースステーションでグチグチグチグチ嫌味を言うな仕事に差し支えるわ! 先輩の悪口はせめて休憩室でしろ休憩室の前でするな! ギャーッハッハッハッハ」

 今が平日の昼間で良かった。夜にこんな吠えていたら、隣人からの苦情は必至だ。

 自分の罵詈雑言に自分で笑う。ああ楽しい。アルコール9%最高。

 愉快な気分のまま思う。

 いつからこうなった?

 なんというか、昔の自分はもうちょっとマトモだったはずだ。

 神童とまではいかないけど、小学校ではテストで100点以外を取ることのほうが少ないくらいには優秀だった。

 中学では試験2週間前は娯楽を全部断ち切って、一日10時間以上机に向かった。

 それで、高校は……。

「あは、高校かららあ~」

 アルコールが回りすぎたせいで、呂律が回らなくなってきた。ちょっと飲み過ぎかもな。でも大丈夫、ほら、私医療者だもの。自分のアルコール摂取量の限界は分かってるつもりさ。

 まだギリギリ「頭の良い大鳥さん」だった中学3年生の私は、高望みして県内でも有数の進学校を受験した。努力の甲斐もあってなんとか受かった。その年の高校の合格最低点と私の試験の点数は一緒だったけどね。

 高校に入ってからは、面白いくらい授業についていくことが出来なかった。小学生・中学生の私が見たらゲロ吐くぐらいショック受けるだろうなというテストの点数ばかり取ってきた。赤点は両手で収まりきれないほど取ったし、赤評(2回取ると留年)も、一回だけだけど取ったことある。唯一保健体育だけそこそこの成績だったことも逆に切なかった。

「れも、たのしかったな」

 高校生活は、今までの人生の中で一番楽しかった。もっとこうしておけば良かったなという後悔とか、身悶えるくらい恥ずかしい出来事もあったけれど、あの時以上に充実した時間はないし、きっとこれからもない。

「ま、いまもたのしいけどね」

 笑いながら、残りの酒を流し込む。

 本当に?

 頭の中で、高校生の自分が顔を真っ赤にして聞いてくる。

「まじだよ、まじ」

 嘘だよ。つまんないよ。見りゃ分かるだろ。

 大学生活では何もしない日々を過ごしたし、社会人になってからは毎日が地獄だよ。

 恋人……はそもそもいたことがないけど、激務の疲労を癒やしてくれる様な趣味も、仕事の愚痴を笑い飛ばしてくれる友達もろくにいない。お金には困らないけど、必死こいて稼いだお金は安い酒に使ってる。

 生きてるだけで偉いって言葉だけが救いだ。その言葉が本当なら、今の私でも生きているというその一点だけで価値があると思える。

「お~さけな~くなっちゃったよ~」

 変な節をつけてそう言い、立ち上がろうとする。

「う、あれ、ぇ」

 瞬間、猛烈な吐き気に襲われた。慌てて両手で口を塞ぎ、トイレ……いや間に合わない、台所の流しまで走ろうとする。

 走ろうとしてコケた。いつもだったら「マンガかよ」と笑って突っ込みたくなるくらい無様な挙動だけれど、今はそんな余裕なかった。

「ぐぅえぇッ、げ、えぉ」

 すごーい、噴水状の嘔吐なんて初めて! マンガみたい、というにはいささか引くレベルの量の吐瀉物が、プシャーッと口から噴き出した。ああ、ゲロが米袋に付いた……。

 しなければならない後始末のことを考えて絶望しつつ、まあ吐けば治まるっしょという希望的観測を抱きながら、うずくまって取りあえず嘔気が治まるのを待つ。

 ……やばいぞ、全然治まる気がしない。それどころか、なんか痙攣始まってないか。

 もしかしてだけど~、もしかしてだけど~、これって急アルになっちゃってるんじゃないの~。

 いや、呑気に歌ってる場合じゃない。なんだか本当に不味いぞ、これは!

 酷い寒気のせいでガタガタ震えながら、アルコールでふやけきった脳味噌を必死に働かせる。

 幸か不幸か、徒歩10分くらいのところに職場兼かかりつけの病院がある。でも今の状態だと、歩いて向かうどころか、這っていくことすら厳しい気がする。

 救急車を呼ぶ? 今まで生きてきて一度も出てきたことのない選択肢が脳裏に浮かんだ。

 答えを出す前に、無意識に背後に転がっているスマホに手を伸ばそうとする。

「うげっ」

 床にぶちまけられたゲロのせいで、重心をかけていたほうの手がつるっと滑る。頭を打ったせいで、ゴンと鈍い音がした。だからマンガか。

 床に伏したまま、再びゲロゲロ吐く。あーあー、いーけないんだいけないんだ。急アルの人間は呼吸が抑制されるから、横になったまま吐いたら窒息する恐れがあるんだよ。よい子の皆は気をつけてね。

 幸いにも、伸ばした手はスマホに触れていた。力を振り絞ってスマホを引き寄せ、電話の画面を開く。

 110、じゃなくて119だよね。そんなヘマはしないさ。

 良かった、これで助かる……。

 ふと最悪な想像が頭をよぎり、電話をかけようとした手が止まる。

 助かるって、本当に?

 ……私、というか医療者全般そうだと思うけれど、最も忌み嫌われている患者は、自業自得系の患者だ。

『なんで食事食う前にインスリン注射打たなきゃなんねえんだよ! は? 血糖測定の前にお菓子食うなって? 知らねえよ!』

『そんな、折角手術頑張ったのに感染症でまた入院だなんて……。え? 退院してから何したかって? 強いて言うなら一昨日市民プールに行ったくらいですけど……』

『血圧180!? だから最近頭痛かったのか……。コウアツザイ? 薬は毎日毎日飲むのかったるくて、ここ最近は飲んでないよ』

 お前ら病気直すつもりあんのか。こういう患者に出会う度、発狂したくなるのをこらえつつ対応していた。自分がもし病気して入院することになったら、カルテに「理解力◎」と記載される様な素敵な患者になろうと心に刻みながら。

 まあつまり、何が言いたいかというとさ。

 急性アルコール中毒の患者って、自業自得系患者の頂点に立つものでは?

 頂点に立つは言い過ぎた。勿論極端にアルコール耐性弱くて、食前酒一口舐めただけで急アルになっちゃったっていう人もいるかもしれないし、沢山酒を飲んでしまった人の中には上司からの無茶振りでとか毎日辛くてとか、同情してしまうような背景を持つ人がいるかもしれない。

 でもこういう、私みたいに仕事後に浮かれて大酒飲んだ挙げ句ぶっ倒れる奴は、迷惑の極みでしかない! 想像出来る、ゲロ塗れで倒れている私を見たときの救急隊員の苦々しい顔が。あと舌打ちの音も。

「嫌だ……同職者に迷惑をかけるのは……」

 そして、高確率で職場の救急科に運ばれることも嫌だ。私は救急科勤務ではないけれど「この間真っ昼間に急アルで運ばれてきたバカ、うちの病院の看護師だって(笑)」という事実が嘲笑と共に院内を駆け巡り、やがて私が働いている病棟に届くのは想像に難くない。

『大鳥さん、急アルで入院したんですって? 看護師なら、煙草とアルコールの恐ろしさは嫌って程知ってるでしょうに。それとも、看護師の自覚がないのかしら』

『大丈夫ですかぁ~? お昼から一人で宅飲みして、救急車で運ばれたって聞きましたよ。一人だったのに、よく助かりましたね!』

「うぉえぇ」

 駄目だ、想像しただけで吐いた。

 手に取ったスマホを床に置く。救急車を呼ぶのは止そう。今助かっても、後々の自分が瀕死になる未来しか見えない。

 このまま動かずにじっと過ごしていよう。とりあえず回復体位を取っていれば、嘔吐物が気道に詰まって窒息することはない。

 寒くて仕方なかったけれど、毛布を取りに行く余裕がないので諦めて目を閉じる。しばらくすると、なんだかさっきより身体が楽になってきた気がした。あんなにしんどかった嘔気と寒気はもうほぼない。良かった良かった。

 安堵を覚えた瞬間、一気に睡魔が襲ってきた。よし、取りあえず寝てしまおう。寝てれば治る寝てれば。

 意識を完全に手放す直前「これ死にかけてるとかではないよね」というツッコミが頭をよぎった。

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