第30話 西園寺智絵理の決別
「あなたはもう諦めた方がいいと思います」
「は?」
「何を諦めるんだ?」
「こちらにはもう情報が出揃っておりますから」
「なんの?」
「音声データです」
「は、は? そんなの嘘だろ。そんなわけ」
「これです」
智絵理は制服のポケットからボイスレコーダーを取り出し、それを証明するように、男性に見せつけたのだ。
「お前、本当に持ってんのかよ」
「はい、何かあった時用のために、私の付き添いのモノから以前貰っておりまして」
「用意周到すぎるだろ」
浩也はあまりよい表情をする事はなかった。
以前から智絵理に対し、好意的な感情を持っていたからこそ、浩也は威圧的な表情を彼女に対して向けていたのだ。
「でも、お前も同罪だからな。あの件についても知ってるんだし」
「ですが、この音声データを他の人に公開したらどうなるかしらね? そうなると、あなたの学生人生は終わりになるでしょうね」
「くッ、そんな……そんなことで……」
浩也は苦しみの入り混じった口調になり、自身の学校生活が崩壊してしまう事に恐れ、悪あがきを始めたのだ。
「今まで、お前のために頑張って来たのに。どうして、そんな仕打ちを」
「そんなのはあなたの一方的な考えですよね。先ほども言いましたけど、私はあなたとこれ以上付き合うつもりも関わる事もありませんから」
智絵理の考え方が変わる事はなかった。
「それをよこせ。それがあると俺が終わる。俺は今年卒業で、もう進路も決まってるんだ。こんなところで大きな失敗をしたら、もう後がないんだ」
「自分の人生は守ろうとするのに、他人の事はどうでもいいと?」
「そ、そうだよ!」
浩也の表情からは必死さを感じられた。
智絵理が持っているボイスレコーダーを奪おうと、浩也は決死の覚悟で彼女との距離を詰めてきているのだ。
「今の状況も録音されているので、あなたが行動すればするほど、あなたの方が確実に不利になると思いますよ」
「そ、そんなこと、わかってる! わかってるよ! ただ、それさえ奪えば……それを奪って破棄して、証拠隠滅すればいいだけだろッ!」
浩也の思考回路がめちゃくちゃであり、それどころか自己保身のためにしか行動していなかった。
智絵理のボイスレコーダーが奪われる直前で、
「もう、終わりにしませんか?」
和樹は二人を仲介するように、その狭間にいたのだ。
「は? そんなわけにはいかないだろ。クソ、今まで順調に行動出来ていたのに……全部、お前のせいだろ」
「それを俺に言われても」
理不尽すぎる現状に、和樹は言い返す言葉も見当たらなかった。
そんな時、浩也から拳で殴られそうになるが、和樹は咄嗟の判断で、右手を使って、その攻撃を防ごうとする。
「もうやめましょう。俺はこれ以上、面倒な争いはしたくないんです」
「いや、こうなってはもう俺も後には引けない。むしろ、隠蔽したいんだ。じゃないと――」
浩也にしても、この事態を大事にはしたくないらしい。
目の間にいる彼の表情からも、そんな感情が伝わってくる。
和樹もここで引き下がるわけにもいかず、その結果、二人の間で拮抗状態になっていたのだ。
「元々、俺は……西園寺を、自分にとって理想の存在にしたかったんだ。そんな彼女と付き合いたいと思ってた。一年前、西園寺と出会った時、あれから親しくなって。たまにプライベートを過ごす事だってあった。あの時から俺は、西園寺と親しい関係だと思ってたんだ。西園寺は俺に色々なことを教えてくれたりした。ファッションだったりとか。だから、今度は俺が西園寺のために何かをしたいと思って、それで」
浩也は苦い顔を浮かべ、今まで心にとどめていた想いを語っていたのだ。
それが彼なりの恩の返し方だったのだろう。
「でも、それはやりすぎだと思います。恩を返すのはいいと思いますけど、西園寺さんが困っているのなら、それはただの迷惑だと思いますから。恩を返すというより、今のは自分の価値観の押し付けだと感じますが」
和樹は今考えつく最大限の言葉を選び、脳内で箇条書きするような感じに話す。
「先輩だって、西園寺さんからファッションとかを教えてもらって嬉しかったんですよね。一緒に過ごして楽しかったんですよね。であれば、西園寺さんの今の気持ちくらいはわかると思います。もう一度、自分のためにも考え直してくれませんか?」
和樹は内心ビビっていたが、そんなことは今ではどうでもよくなっていた。
ただ全力で先輩の行動を抑制する事を念頭において発言していたのだ。
「だが……」
浩也先輩も悩み始めたのか、声が小さくなっていく。
「先輩、玲奈さんの解放してやってください」
「……」
先輩はついには振りかざしていた拳を下におろし、少々俯きがちになっていた。
「ここか、さっきから変な大声が聞こえていたが、何があったんだ?」
しまいには、いつもの体育教師までもが、この空き教室にやってくる。
「え? 一体、何が?」
意味が分からない状況を目の辺りにして、体育教師は目を点にしていたのだ。
「先生、今はこんなことがあったんです」
智絵理が率先し、手にしているボイスレコーダーを体育教師に渡していた。
その光景を見ていた先輩は諦めがついたのか、それ以上過激な行動に移す事はしなかったのだ。
音声データの内容を聴いた体育教師は、浩也先輩を職員室へ連れて行く。
先輩はもう、今後の学校生活を平穏に過ごす事は出来ないだろう。
目的としていた希望の進路先は絶たれると思われるが、逆に自身の向き合える時間が出来る為、それは先輩にとっても良い機会になると思う。
「今日はありがと、西園寺さん」
「別にいいわ。私も、あの人に対しての不満が溜まっていたから。この件ですっきりしたわ」
和樹の問いかけに、隣を歩いている智絵理は胸を撫で下ろしながら言う。
「智絵理さま。今日は遅くなる時は連絡を――」
別校舎から出た時、西園寺らは本校舎と繋がっている通路にいた。
その正面には、いつもの西園寺家の付き添いの者が佇んでいたのだ。
「ごめんね、大切なことがあったの。どうしても解決しないといけない事で。でも、もう大丈夫だから」
「でしたらいいのですが……心配をかけさせないでくださいね」
「はい。以後気を付けますね。では、帰りましょうか」
「はい」
西園寺は、その付き添いの人と一緒に、和樹に背を向けて、その通路を歩いて先へと進んで行く。
「和樹君、あなたにはまた助けられてしまって」
「ん? まあ、いいよ。困ってるなら、お互い様だし。それより、もう帰ろうか。日も暮れて来た事だし」
和樹は、後ろにいる、少し涙を浮かべていた
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